黒六
イライラした様子を見せる『白の勇者』は自軍の天幕の中にいた。壊れた仮面に手を当てて。
「……来た」
『白の勇者』はあたりを見渡す。まるで誰かから視線を恐れるように。
未だにその仮面から手が外されていなかった。まるでその表情を描写されたくないかのように、彼女は行動していた。
「本当に、本当に。調子に乗るな……! 私は、私は……!」
彼女の喉から声が漏れそうになる。ある単語を吐きかける。しかし、頑としてその音を出し切ろうとはしなかった。音は一度吐き出せば、もう口の中には戻らない。一度吐き出した意味ある音はひらひらと空を漂い、捕まえることはできなくなる。
だから彼女は、絶対に悲鳴を口にしない。そのはずだった。
『白の勇者』はぐるぐるとその場を回る。
そうしているうちに、そのひび割れた仮面はその傷を深くし始めた。割れ目はどんどん広がって、一拍の後に仮面は砕けた。
「う、うそ」
『白の勇者』の表情が、白日の元に露になる。そう思われたが、彼女は両手で己の顔を隠した。
「やめて! 私を放っておいて!」
喚く狂人のような姿は、とても無様なものだった。顔を両手で隠すその姿は、まるでか弱い少女のよう。
「馬鹿にするな……!」
力強くその場で彼女は地面を踏みつける。発生した力場が空気を揺らす。
けれどそれは何の意味もない行動だった。結局、彼女は逃れられないのだ。
彼女の指先から雫が漏れている。
「やめろ!」
その場にうずくまる『白の勇者』。庇護欲を誘うような弱い姿。
「やめ、て」
さらに深くうずくまって自分の顔が見えないようにする。
けれどいくら隠そうが、暗がりに表情を置こうが、それは簡単に描写される。
彼女は泣いていた。
「……! おまえ!」
癇癪を起したように、剣を投げつける。対象なんてどこにもいないのに。
「ふざけるな! 本当にやめて! やめろ!」
泣き続ける少女は、そう叫ぶ。
「私を!」
とても面白い光景だった。彼女は虚空に向かって暴れている。
「やめ、て……! 私を、描写しないで……!」
気狂いの女はそう泣き叫ぶ。きっと幻覚でも見ているのだろう。
誰もここにはいないから、好きなように自分の世界で吠えている。自分の役を演じている。
「たす……けて……」
なにをしても無駄だというのに、彼女は懇願するように声を絞る。
「殺して……やる……!」
とても虚しい光景だった。彼女は物語に逆らえない。
好き勝手に描写され、その心情を推し量られる。
「楽しいの? こんなことをして」
物語は登場人物の起伏を描くの醍醐味である。より強い幸・不幸を描くことによって、ドラマはより深くなる。
シルファレアの泣き顔も、激情も、物語にとって描写は必須のものだった。
「そう……本当に、悪魔みたいなやつ」
彼女はぎゅっと目を閉じる。きっと救いを求めていた。誰かに助けてもらいたいと思っているに違いなかった。
「うるさい。そんなことない」
――まさかまさか、それは愛しの黒の魔王による救済なのだろうか?
あれだけ痛めつけ、追い詰め、苦しめた相手に助けを求めるのだろうか?
「ふざけるな。できないことを、知っているくせに」
その通りだった。彼女は黒の魔王を殺さなくてはならない。倒錯した愛情を彼に持ち続けるも、彼女の中でそれは決定事項だった。
物語的終止符。
勇者と魔王の決着にて、この物語の幕は閉じる。
それは絶対に逆らえない、物語のルールだった。
彼女は涙で濡れた頬をもはや隠そうとしなかった。諦めたかのように。
描写されることを深く恥じている。苦しんでいることを見通されて、腸が煮えくり返っている。しかし、それでも彼女は逃れられなかった。
「もういいでしょう」
疲れたように彼女は言う。
「この舞台はもうおしまい。散々私を描写して、楽しんで、物語として組み立てたあなたは。……きっと罰を受けるわ。心がねじ曲がってるやつが幸せになれるわけない」
彼女はなんの根拠もない負け犬のような一言を残した。
そうして、舞台は一度幕を下ろす。
◇
魔力溜まり。
魔法が生まれてから、世界は変革していった。
突然火山が噴火したり、川が逆流するようになったり。
それは自然の持つエネルギーの一部が魔力を持ち、本来起こしえない奇跡を生み出してしまうからだ。魔力が溜まった場所では、説明のつかない出来事が起こることもある。
例えばの話、古代からある巨大な森があるとする。そこには膨大な量のエネルギーが溜まり、怪奇を起こす。その森に入ったものは二度と森から出られなくなるのだ。一定の距離まで出口に近づくと、引き戻される。いつのまにか出口とは逆の方向に向いている。
魔法とは奇跡の力だ。理屈の通らない世の事象。
だからこの世界には、もともといなかった生物だって誕生しうる。人の想像がどこかに影響を与え、怪物を作る。現に今存在するドラゴンはそうして生まれている。
逆に恵みもあった。異常に成長の早い作物が見つかり、それが多くの飢餓を救ったり。魔力の込められた鉱石で、既存の技術では作りえなかったものを作れるようになったり。
そうしたこともあって、ようやく世の中は落ち着き始めたのだ。争わなくていい。みんな平和に過ごせる。奪わなくても、手を取り合って生きていける。
世界平和は目前だ。魔人さえ消えれば、物語はハッピーエンドを迎えるだろう。
今、その魔人達は行軍を休止していた。そして大打撃を負った神姫軍も。
まだ『白の勇者』は生きている。このままでは魔人は全滅するだろう。もはや黒の魔王が『白の勇者』を殺すしか、勝利する方法はない――。
リンドヴィレム山の泉にて、『白の勇者』が単身佇まんでいる。
仮面を被り、再び完璧な姿で、彼女は一人ここにいた。彼女は懐かしんでいた。昔、クロルと泉で長らく語り合ったことを。愛を囁いた。お互いの好意を確認した。あの時はお互いに愛し合っていた……のだと思う。
このリンドヴィレム山の泉は、魔力溜まりによってできた現象だった。ある一定の高度の場所では、雨は降らなくなる。高度が雲の高さを越すためだ。しかし、魔力溜まりにおいては世の法則は捻じ曲がる。不自然に泉が生まれる。まりで強引に物語の舞台を整えられたかのように。
「でもクロルはここにこれない。理由がない。物語には一定の法則が存在する。現実離れした無理は通らない。ご都合主義で物語が動けばそれはつまらなくなる。そんなことを、これを書いている奴が許すわけない」
『白の勇者』はそう考える。普通に考えれば、そうだった。
「シルファレア様」
声がする。それは参謀の声だ。
不意を打たれた『白の勇者』は素早く振り返る。
そこにはもう体で無事なところがほとんど残っていない参謀が立っていてた。もう残っているのは片目と歩くために必要な両足だけだった。外見だけでもそうなのだ。きっと内臓もいくつかやられてる。もはや参謀の命はそう長くないだろう。
……しかし問題なのは参謀のその姿はもっとも最近に彼女が目撃した時よりもひどくなっていることだった。
もう本当に、あと一日もせずに参謀は死んでしまうだろう。そのことが『白の勇者』にはわかった。
にやり、と口元から血を垂らしながら参謀は笑う。
「なにか不思議なことをおっしゃっていましたね。僕には聞き取れない、例の呪文だ。お体に障りますよ。戻りましょう」
「……参謀。なんであなた、ここにいるの? 一人にしてって言ったわよね? それにその体」
異常事態が起こっている。そしてなにが起きたのかも、『白の勇者』には察しがついている。しかし、なにが起こったのかは理解できても、理由がわからない。
「参謀、なんでなの?」
「なんで? そうですね。『白の勇者』様。僕はあなたをずっと見てきました。あなたが考えていることを僕は感じ取ることができます。あなたも似たようなものでした。優しくて、思いやりがあって、魔人達のことをいつも考えている……」
懐かしそうに参謀は語る。
けど、と彼は言う。
「あなたは人の心を読む技術に長け、優しい人物だった。けれど、その能力を外道に使いましたね? それに過信もしていた。あなたは今『白の勇者』です。白の魔王ではない」
「……あなたは私を崇拝していた。どんな命令にも従った。私はあなたにとっての救い主だから。その信仰心は本物だった」
「そうです。私が信仰していたのは、最初から最後まで白の魔王様です」
「……」
「あなたなんかじゃない……!」
「それで?」
「……白の魔王様は魔人達を守るために力を尽くしました。白の勇者はそれと逆のことをしている。なんでそんなことをしているのに、まだあなたは信仰されていると思っていたんですか?」
「……」
「白の魔王は死にました。そしてその意思を継ぐ者が僕と彼。その二人なんです」
白の魔王の意思を継ぐこと。魔人達を守ること。誰からも見捨てられ、残酷なことをされてきた爪弾きものに救いを与えること。
――本当に尊敬していたんです、と参謀は言う。
「白の魔王様は身を削って魔人達を救っていた。その姿を見て、僕も同じことをしようと考えた。今も昔も、心にあるのは彼女のみ。僕はそのために死にます」
「……そう。ちょっとだけ、残念かな」
卓越した読心能力を持つ『白の勇者』。しかし、彼女の能力は絶対に近くとも絶対ではない。単純に、彼女は見誤ったのだ。参謀の心情を推し量ることができなかった。
「あなたは黒の魔王を殺すつもりはなかった。それはわかっていました。それはかつての愛故なのか、なんなのかはわかりませんでしたが」
「……」
「だからあなたに協力しました」
「……そのためにクロルを傷つけた? やりすぎね。クロルの心はそう強くない。私を騙すためにあなたは真の演技をした。あなたは、やりすぎたの」
「そう思いますか?」
参謀は笑う。あなたにはわかっていない、と嘯く。
「そうだ。それがあなたの欠点だ。あなたはいつだって完璧で強者だ。そんなあなたの欠点は……最後まで落ちぶれたものの気持ちが理解できないこと。僕と彼のような。シルファレア様。ゴミにはゴミなりの誇りがあるんですよ。最後には残った信念だけは守り通さなければならないんです。それだけが自分に残されたものなんです」
あなたには決して理解できない。
「かつて抱いた理想。それがほとんど燃え尽きて、最後に残った灰はゴミに見えますか? 僕らにはそれだけが最後の綱なんです。落ちぶれたことのないやつなんかには理解できない。そのために僕らは死んでいけるんです」
それは底辺のプライドだ、と参謀は笑う。
「彼は来ますよ」
――大きな翼がはためく音がする。
その翼は唯一の宿敵を認識していた。翼はただ一人のために用意された『贈り物』だった。
――黒の魔王が『白の勇者』を倒すために泉に現れた。
そして『白の勇者』は――。
「それがいったいなんだっていうの?」
どうでも良さそうにしていた。
めんどくさそうに参謀を蹴りつける。笑顔のまま、参謀は吹き飛んでいき、動かなくなった。
「戦略の基本は、予想外にも対応できるようにすること。参謀、あなたは私が常に完璧だっていったわね? でも、現実も完璧に回るなんてあり得ない。イレギュラーは起こるものとして行動する。この地にクロルが現れることだって――対策ぐらいしてるわ」
そもそも、と『白の勇者』は言う。
「私はこの世界にて無敵。主人公みたいなものだからね。負けるビジョンが見えないわ」
そして彼女は黒の魔王を見つめる。その姿は、前回戦った時とはどこか違って見えた。きっと数々の葛藤を乗り越え、自分に敵対することを選択したのだろう。きっとなにかドラマがあった。例えば、他の仲間の魔人に慰められたとか。
だがそれは本物語において描写されていない。そのことを『白の勇者』は認識している。
物語には流れがある。描写の中心には自分がいる。
物語にはある程度の法則が流れている。妥当性という法則が。そう、だから自分はこの場で負けることないだろう。『白の勇者』はそのことを確信していたし、こうも理屈が物語で描かれてしまえば、それを見る読者も同じ感想を抱かずにはいられない。
物語の流れを認識している彼女は、トドメの一言を刺す。
「まさか、ここで『過去編』だとか『回想』なんてものを流して、クロルをパワーアップさせないでしょうね? シラケるわ、そういうの」
物語の上で動く登場人物にとって、彼女の言葉は狂言に映る。けれど彼女にとって、それは必要な儀式だった。
「来なよ、クロル」
くいくい、と指を折る『白の勇者』。しかし、黒の魔王はそれに乗らない。
「へえ、賢くなったんだね」と馬鹿にするように彼女は言う。
「それともここでは戦いづらい? 忠義深い参謀がいるから、巻き込んでしまうから?」
無駄だよ、と『白の勇者』は笑う。
「だって参謀はもう死んでる」
「ずいぶんと口数が多いんだね」
「そう? だってこれが私の役割だから。この世界で唯一理から外れている、私は読者に説明しなきゃならない」
くすくすと彼女は笑って見せる。
「ねえクロル? もっと遠い場所にいこうか。同じ世界格のものとして、私とあなたともう一人しか存在できない場所に」
「……どういうこと?」
「この世界の裏側だよ。そこはここみたいに風景のわずわしい描写がない黒い空間。白い紙の上に書かれることのない、虚無の領域」
『白の勇者』は歩き始める。黒の魔王を素通りして。
隙だらけの所作だった。まるでなにも警戒していないかのような。これは黒の魔王が罠だと感じているが故に起こった事象だが、『白の勇者』によればそれは違う。
こんなところで不意打ちなんてつまらない。物語が決着するなどふさわしくない。
だって私は単なる真の人間。再生能力なんてないし、一撃入れば死んでしまう。
だからかえって、こうやって振舞える。
「みて、クロル。ここは奇跡の大地。私が歩けば泉は凍る」
『白の勇者』の予言はすぐに実現した。彼女が泉につま先を触れる。すると泉はたちまち凍り付き、足場ができる。
彼女は優雅に滑るように歩き、泉の中心に降り立った――。
「クロル? ここは奇跡の大地だよ? ここで私たちが出会ったのは偶然じゃない。私たちが最初に愛を確かめた場所はこことよく似た泉。それになぞらえたかのように整えられた舞台がここにある。じゃあ、なにかが起こって当然だよね? ――ここには世界の裏側に通じる扉があるんだよ」
泉の中心にて、彼女は剣を突き立てる。氷が割れる。しかし、そこにあるのは黒い空洞。本来ある泉の水ではない。
「おいでよクロル、次の舞台に」
彼女はひらひらと手を振りながら、その空洞に身を投げた。
「……」
黒の魔王は決着をつけるため、彼女を追いかける。
◇
その場所には何も存在しなかった。世界の裏側。描写するものが特にない。
ただただ広い空間だった。光など差し込む余地がない。
なのに、『白の勇者』と黒の魔王の姿ははっきりと見えていた。ここでは世界の理が歪んでいる。
『白の勇者』は笑っている。
「まさか、こうもうまくいくなんてね」
「……君はなにを?」
「ほらいこ。冒険の始まりだよ。勇者と魔王は、世界の裏側を旅する」
――世界の主に会うために。
『白の勇者』は気さくに黒の魔王に身を寄せ、その手を取ろうとした。
「……っ! 触るな!」
「あっ……」
黒の魔王は接触を拒む。当然だ。彼女は宿敵で、殺すべき相手。
『白の勇者』はたじろいだ。しかし、依然としてその表情は覗けない。仮面を被っているから。
黒の魔王は『犠牲の剣』を彼女に向ける。
「殺せば?」と『白の勇者』はせせら笑う。できるものならね、と一言付けたして。
「……」
彼女の言葉には力がある。ここで殺せば終わるのに、なぜかそうできないでいる。
物語の法則としてできない、と彼女は語る。
黒の魔王はその言葉を聞き取ることができたが、受け入れることができなかった。
薄々は感じていた。自分と彼女は、どこかこの世界の理から外れている部分があると。だからといって、ありえるのだろうか。
――この世界が、紙の上の物語だなんて。
「神様が、点を描けば線になる。
神様が、線を描けば面になる。
神様が、面を描けばそれは現実に浮かび上がって形を作り。
神様が、物語を描けばそこには本物の世界が生まれる。」
『白の勇者』はそう唱える。それはまるで呪文。真言のような、捻じ曲がる針金が自分の頭の中に侵入してくるかのような感覚を覚える。
「クロルはさ、私たちに刻まれた『第二世界』って単語、何だと思ってた?」
「……わからないよ。考えないようにしてた」
「今、考えてみて」
「……僕たちは世界の理から外れている。つまり、別の世界から来たんだろう。それを呼称するために、別の世界を暗示する。それがここではない別世界、第二の世界だ」
「うん、八割ぐらいあってるよ。だいたいそれであってるかな」
『白の勇者』は語り続ける。この世界の秘密を。
彼女は『世界の接続者』。黒の魔王よりも上位の観測権限を与えられた、この世界唯一の物語に記述される描写を認知できるものだった。
彼女は今書かれている文字をうっすらと認識することができる。自分が描写されていることを感じ取ることができる。
『白の勇者』はご機嫌だ。まるで無防備だ。彼女は警戒する必要がないことを知っている。
「クロルは神様を信じる?」
「いきなり宗教に目覚めたの?」
「違うよ! そういう話じゃないでしょ。この世界が物語なのだとしたら、神様は『書き手』として存在することになる」
「……その人に今から会いに行くの?」
「うん、だってそのほうが面白いでしょう? この物語を構築する登場人物でしかなかった私達が、この世界の書き手に会いに行く。そこで私たちは決着をつける。読者がわくわくするじゃない? だからこんなことが許されてる」
「じゃあ君は……」
黒の魔王はその先の言葉を飲み込んだ。彼に『白の勇者』の真意はわからない。
しかし、口には出してはいけない気がした。きっと、今この瞬間にも物語は続いてる。自分たちの行動は逐一観測されていて、紙の上に記述され続けている。だとしたら――下手なことは言うことができない。
しかし、そんな浅慮など無駄だった。
――書き手として告げてやろう。
『白の勇者』はこの私を殺そうとしている。まあ、やってみるといい。
私は書き手であり、世界の神と等しい存在だ。そんな相手に物語の駒ごときが勝つ? どうやって?
おおよそ不可能と言えることだった。しかし、挑戦というのは面白いものに違いなかった。この物語の題材として、登場人物が書き手に歯向かうというエピソードは、読者受けが良いものかもしれない。
「ねえ、書き手さん? あなたは私に権能を与えすぎたよね」と『白の勇者』は笑う。
「余裕ぶってるけど、あなたは私達と同じ世界格なんでしょ? 第二世界が賢者、カナプスさん?」
……。
「この世界に存在する人間は高度な知識を持たない。見せかけだけの人間。そいつらに台本を与えて、セリフを吐かせることはできる。でもあなたは思った。それではつまらない。だからあなたはあなたと同じ世界から連れてきたものを勇者と魔王に選んだ。同じ世界格の私たちが、あなたを殺せないと思う?」
しかし、書き手は物語に記述を付け足すことが許されている。君が死んだという記述をこの紙に書き込めば、それだけで君は死んでしまう。
「でもそれではつまらない。あっけない。物語に無理は通らないもの。あなたは私たちとまともに戦わなければならない」
それでも依然として優位は変わらない。つまらない記述をしなければいいだけだ。そこそこの苦戦を演出して、勝利して舞台の幕を下ろせばいい。それに――。
「私たちが実は第二世界出身ではないと書き込めばすべて無効になる? 冗談でしょう! こんなにも熱心に物語を作り上げたあなたが、そんなつまらないことするはずない!」
白の勇者の高笑いはとても耳障りな音を発する。
「馬鹿ね? あなたが私に言い負ける隙を与えるなんて! 読者は登場人物の格を活躍で判断する。あなたが私に言い負ければ言い負けるほど格は落ち、あなたに敗北の可能性が訪れる!」
そうかもしれない。
「大人しく大人ぶって、受け流すよう魅せているの? 無駄よ。あなたの真姿を暴きましょう。あなたは第二世界において本ばかり読んでい
【白の勇者は口をつぐんだ】
【白の勇者はそれ以上書き手のことを喋れなくなった。きっと気分ではないのだろう。これ以上なにを言っても無駄だった。物語において冗長というものだ。彼女は聡く賢いので、そういった要素を考えて自主的に押し黙るという選択をしたに違いなかった】
「……大丈夫? シルファレア」
「……ああ、クロル。私は大丈夫。あなたには私たちの問答、どれぐらい聞こえた?」
「だいぶ。ほとんど聞き取れたよ。でもなんだか……クラクラするな。頭がついていかない」
「時期慣れるわ。この世界に立っていないような感覚も、自分がどこにも存在していないような感覚も」
『白の勇者』は優しくそう言った。黒の魔王は戸惑っていた。彼女は敵なのか、味方なのか。信じてもいいのか。今、黒の魔王ははっきりと物語の世界構造を自覚した。それならば、自分たちが争っていたのは茶番ではないか? もしかしたら、戦わずに済むのではないか?
彼女の今まで見せた残酷な姿も仕打ちも、単なる演出であって本当の彼女ではないとしたら?
それなら――。
「ああ、クロル。不公平だと思うからこれだけは言っておくね」
「……なに?」
「この世界にははっきりと終わりが定められてるの。『物語的終止符』。勇者と魔王の決着にて、この世界には終止符が打たれる」
「……でも、そんな」
「運命からは逃れらない。書き手を殺そうがどうしようが、結局私たちは決着を付けなくちゃならない」
――私はあなたを殺して、第二世界に帰る。
『白の勇者』はそう宣言する。
◇
「第二世界が『白の魔王』シルファレア。君を殺す」
黒の勇者はそう宣言した。その日はよく雨の降る気分が悪くなりそうな湿っぽい日だった。
二人が安らぎを求めて現れる泉にて、それは行われている。いつだって二人はそこで愛を確かめ合った。互いが互いを求めた。
互いをこの世界唯一のパートナーと認識していた。彼・彼女しか自分にはいないのだと、深く思っていた。
なのにこうも簡単に悲劇の切っ先は訪れる。
「……どうして、クロル」
「君も気づいてるはずだ。君の存在そのものが、世界に影響を与えている。……魔王。君から漏れ出る瘴気は、吸い込めば魔人病にかかる因子を孕んでいるね?」
それが黒の勇者が白の魔王を殺す理由だった。
本当はこのまま見逃そうと思ったのだ。白の魔王は北の地に逃げ、魔人安住の地を作る気だ。そこで人間たちと関わらない生活を送り、平和に過ごす。
今は人間たちの追手が魔人達を皆殺しにしようとしている。だから撃退するのも、過剰な防衛をするのも仕方がない。
けれど最終的に彼女が平和を目指すなら、このまま生きていて欲しいと、黒の勇者は願っていた。なのに――。
「……最初はわからなかったんだ。君がそんな瘴気を発しているなんて。ねえ、ひょっとして最初はそんな能力なかったんじゃないかな? まだ……まだ抑えられるんじゃないか? 君がもう魔人病を振りまかないと約束してくれるなら、僕は君を殺さない」
「……」
白の魔王は押し黙る。ぎゅっと拳を握りしめる。もうおそい、とぽつりとつぶやく音が聞こえる。もうおそい。
「……え?」
「最初は同胞を増やすために開発した魔法だった。でも、もう止められなくなってる。量を抑えることできても、ゼロにはできない」
「そんな」
白の魔王の瘴気は、意思のようなものを持っていた。それは一定の塊として空気中に漂う。風に揺られ、人間を求める。その塊を吸い込んだ人間は魔人となる。
魔法。説明のつかない奇跡の技。それにしてもこの瘴気は理から外れている。
しかし、なぜ? 魔法の誕生には因果と仮定が存在する。つまりは、
「この瘴気はね、私の願い事の塊なの」
「どういうこと?」
「排斥するものすべてが、同じように苦しみますようにって。平等に裁きを受けるべきだって。みんなが魔人になれば、きっと世界は平和になる」
「そんな考えはあまりに悪だろ! 知らないわけじゃないはずだ。魔人病の疾患者は体の一部が不自由になることが多い。そのまま死ぬことだってありうる!」
「聞いてよ! でも、これしかないんだよ! いくら私だって、永遠に人間を退けられるわけじゃない。でも、この方法なら! この方法なら、いずれ瘴気を王族が吸って、魔人に成ってくれる。そうしたら王族が魔人への弾圧をやめる。そしたら私達は生き延びることができる!」
「馬鹿な。第一、それじゃあ世界が平和になる前に魔人に成って弾圧される奴がどんな目に合うと思ってるんだ? 君は千人の魔人を救うために、いったい何百万の人間を苦しめるっていうんだ?」
「じゃあ! 私達は! 魔人達は迫害されて傷つけられて弄ばれて、そのまま殺されろっていうの? 確かに何人もの人が不幸になる。でも、そうでもしないと私達は生き延びられないんだよ!」
「……君の考えに、一定の正しさは認めるよ。でもそれは世界全体にとっての悪だ」
少人数を守るために、何人もの人を傷つける。
一人死ねば四人が悲しむ。傷はどんどん広がっていって、嘆きの呪詛がヒストリア大陸に響き渡る。そうしてようやく、魔人達は人権を得る。そうでもしなければ、彼らは家畜以下の扱いを受ける。
勇者は選択する。魔人達に情緒酌量の余地はあった。彼らはあんまりにも理不尽の被害者だ。
だがそれでも、彼らが世界全体にとって害になるなら、駆逐しなくてはならない。
より大きな幸福のために、少数をこの世界から切り取らなくてはならない。
「剣を取りなよ、白の魔王」
「……クロル、本気なの?」
「当然だろ。だって他に方法がない」
血も涙もなく、黒の勇者はそう宣言する。こうなっては情など邪魔なだけだった。ただ互いの正義をかけて、殺し合うしかない。
「ねえ、でもそれなら私を背後から殺せばよかったじゃない。正義のために、必要な卑怯をすればよかったじゃない」
「……」
白の魔王はそうすがる。あなたは私を殺したがってないって、だからやめようってそう泣きつく。
「ねえクロル、やめようよ。私、あなたと戦いたくないよ」
「僕は」
「お願い、お願い。私はあなたのことが大好きだから。心も体も全部捧げるから、だから殺さないで」
「……もう、やめてくれよ」
黒の勇者は確かに白の魔王を愛していた。だからといって大きな不幸の連鎖を傍観することできない。
――僕は勇者だ。
世界のために正しいことをやる。そのために生まれてきた。
だから。
「シルファレア。僕らは戦うしかない。君を背後から刺さなかったのは僕の弱さだ。感情論からくる、卑怯ができない甘さだ。それはよくわかってる。でも僕は勇者としての役割を全うするよ。――決着を着けよう」
黒の勇者の手には、すでに犠牲の剣がある。
宿命の翼をはためかせ、その姿は裁きを下しに来た黒の天使のよう。
それが堕天使と表現できないのは、あまりに彼の姿が高潔に見えるが故だった。
魂の色は黒である。人の感情に色がつくとすれば、感情がすべて集約されるであろう魂の色は黒だ。
その黒には不気味さがまるでなく、ただただ高貴な色として存在を主張する。
高潔な魂の持ち主が、苦渋を携えて決断を下す。
白の魔王は座り込んだままだった。剣を握る素振りすらなかった。
「剣を握れ白の魔王。君の正義はある面では正しいんだ。僕らはもう、互いの正義をかけて戦うしかない」
「……やだ」
「僕は君を尊敬してる。君のことを好いている。わかってる。だから、正々堂々と決着を着けるしかないんだよ」
「…………そんなの、やだぁ」
白の魔王は泣き始める。彼女はまだ齢十七の少女だった。彼女はいつだって、完璧な魔王として振舞う。しかし、それは本当の姿なのだろうか?
彼女は強い意志の持ち主だった。必要があるからその姿を見せ続けた。彼女は超人然としていて、まるで隙がなかった。
けれどそんなことができたのは、きっと心の支えがあったからだ。
唯一自分を理解してくれる人がいた。魔人を守るために頑張っていることを褒めてくれた。
いつだって、他の誰からも恐れられた。けど、たった一人でも理解者がいるのなら――それで構わないと思った。
ただのか弱い少女のように泣き続ける白の魔王。けれど黒の勇者は揺るがない。表情をピクリとも動かさなかった。突きつけた剣をずらすことさえしなかった。
それでもより言葉を重ねずに、彼女が泣き止むのをじっと待っていたのは、彼の持つせめてもの優しさだったのかもしれない。
「ひっく、クロル、クロル」
「……」
「答えてよ、私のこと、好きなんじゃないの」
「……」
「お願いだよ、私なんでもするから。どんな姿だって演じて見せるから、お願いだから……」
「…………」
「ねえ、クロル!」
「………………」
「ねえ、ごめんね。私が悪かったから」
「こんなにも好きだから、お願い」
「私、クロルのこと、好きだよ?」
「ねえ、なんで何も言ってくれないの。答えてよ!」
「やだ……やだよ……こんなの、やだぁ」
「……………………」
そうして長い時間がたって。ただ長い沈黙が続いた。
ここには誰も来ない。二人の逢瀬を邪魔するものは誰もいない。
二人ともが世界に一線を画する超越者で、誰しもが恐れ、近づくことなどできやしない。
だからここは、永遠に二人だけの舞台だった。
――白の魔王が立ち上がる。
「クロル」と小さくつぶやく。
そろりそろりと、黒の勇者は下がる。
「ねえ、クロル。最後にひとつだけ教えて欲しいの」
黒の勇者は、答えない。
「私のこと、好き?」
――黒の勇者は、答えない。
「そっか」
白の魔王は剣を構える。
黒の勇者は剣を構える。
二人は決着を着けなればならない――。
「ばいばい」
「…………え?」
勢いよく、白の魔王は自分の胸に剣を突き刺す。心臓を貫く致命傷。魔王としての能力の治癒能力は働かない。
どさり、と人一人分の音がする。
「……シルファレア?」
「……」
「これもなにかの、戦術? 嘘だよね。君が自殺なんてするはずない」
「……クロル」
もはや、黒の勇者は剣を握ることができなかった。
不用心に近づき、彼女を抱きかかえる。彼女の瞳には光がない。
「クロル、クロル」
「シルファレア? ……死なない、で」
「よかっ……たぁ。ようやく普通に喋って……くれたぁ」
「やめろ……やめろよ……! こんなの間違ってる。おかしいじゃないか」
「……最後まで一緒に、いてくれる?」
「君は、君は――」
白の魔王に水滴が落ちる。しかし、それを感じ取る感覚はもはや彼女にはない。
魔王としての核を破壊した彼女は、もはや普通の人間の少女と変わりない。超人的ななにかなんて起こせない。ただただ、彼女はあっという間に死ぬ。
「――あっ」
本当にあっという間だった。もっとなにか、最後の言葉を残すのだと思っていた。
でも彼女は「最後まで一緒にいてくれる?」という言葉を最後に、死んでしまった。
「ぐ、あ」
自分には泣く資格なんてないのだろう。それは十分にわかっている。頭では理解しているのに、それでも涙腺は自らの命令に逆らう。
「シルファレア……」
深く彼女を愛してた。
この世界で、唯一の理解者だった。この人しかいないって思った。
――けれど僕が殺してしまった。
「最後まで、一緒にいるよ」
白の魔王の遺体から、黒い瘴気が沸き上がる。
それを避けるでもなく、払うでもなく、黒の勇者は胸いっぱいに吸い込んだ。
◇
私の選択は正しかったんだろうか?
後悔しかなかった。
意識が消えていく中で、私は必死でなにかを願う。
やり直したい。もっと生きていたい。死ぬのは怖い。
もっとクロルと一緒にいたい。
でもそれは無理そう。
彼のことが好きだった。世界の何よりも、大好きだった。
でも一つだけ心残りがある。
彼は私のことを好きだと、口にしてくれたことはなかった。
もしかしたら、私ばっかりクロルのことが大好きだったのかなぁ。
◇
僕は矛盾している。
勇者をもはや名乗れない。
彼女を殺してしまった。それが正しいことだと思った。
でも僕は、彼女の後を引き継ごうとしている。
魔王の瘴気を胸いっぱいに吸い込んで、彼女に近い能力を獲得した。
いずれ彼女のように、僕は魔王の瘴気を発するようになるだろう。そうすれば多くの人が魔人と成って苦しむことになる。
でも、彼女を殺してしまった僕はその役割を引き継がなければならない。魔人を連れて、北の地に向かわなくてはならない。
矛盾してる。それでも僕は世界を裏切って彼女に償うという選択をした。
だから、僕は黒の魔王に成る。
ああ神様、どうか。
産まれてきてごめんなさい。生きていてごめんさない。
◇
再び舞台の幕は上がる。二人はいまだに暗い空間を彷徨い続けていた。
「なにもないね」と黒の魔王は言う。
「そろそろなにか来るんじゃないかしら。とりあえず、私たちが書き手に会うことはほぼ確定だと思う。なにも考えずに進んでればいいんだよ。進むという動作には意味があるから」
「そうだね。とりあえずそうしようか」
黒の魔王には迷いがある。願わくば、この無意味な行進が永遠に続いてほしかった。
きっと自分は甘く弱いのだろう。ずっと彼女のことを殺したくなかった。
それで一瞬でも彼女を殺さないという選択肢がよぎって、揺れてしまった。
……僕はいったいどうすればいいんだろう?
結論は、ずっと出せないままでいる。
「気配、するね」と彼女が言う。
超感覚。『白の勇者』に与えられた能力。
今や世界外からの干渉や読者の目をも捕らえるようになった能力は、今現実的なものを捕えるために作用している。
何か大きな気配がする。それは――ドラゴンだ。
遠く彼方から飛翔する赤き竜。空に君臨する王者は、地上の弱者を蹂躙するために大地に降り立つ。
と、同時『白の勇者』が「やあっ!」と裂帛の気合とともに剣を振る。
その斬撃は一撃でドラゴンを裂き、殺した。
「……え?」とクロル。あまりにもあっけなすぎる。これではいったいなにをしに来たというのか。
――人の悲鳴が聞こえる。
それはまだ自分たちよりも幼い少年の悲鳴。
『白の勇者』は選別するかのような眼を少年に向けた。
「ああ、あれは竜友者ドランね。魔法が見つかって以来の英雄。勇者になぞらえて友者をゆうしゃと読み、別種族と手を取り合った英雄として名を馳せた」
少年が泣いている。かわいそうにかわいそうにと。大事な友を失って、嘆いている。
「殺した方がよくない?」とクロル。
「いいの。これは試練なんでしょ。私に任せて、その方がいろいろとはやい」とシルファレア。
泣きじゃくる少年は、そのドラゴンの体を裂き始めた。黒の魔王はぎょっとする。どこか人間として欠落しているのが、英雄の条件なのだろうか、なんてことを考える。
少年は友の躯を喰らい始めた。とても苦しそうに、悲しみに暮れながら、悲鳴交じりに竜を喰う。
「つまらない舞台ね」と『白の勇者』は言う。
時間の無駄だわ、と。
やがて、少年の体に異常が起き始めた。その体に鱗が生える。体が爬虫類のものへと歪んでいく。
それは竜との融合。人にして竜。竜にして人。
それは奇跡。魔法というものの一種。
「竜人化。単騎で竜何十匹分もの力を持ち、一夜にして国を亡ぼす災厄。このヒストリア大陸ではない大陸では、ずいぶん活躍したみたいね」
「呑気なこと言ってるけど、あれを倒す策でもあるの?」
「策? ないわよ。そんなの不利な時にやるものでしょ。クロルはまだこの世界の仕組みを理解してないみたいだね」
竜人は吠える。憎しみの声をあげながら。
二本の大刀がその手より現出する。黒の魔王と同じ、ソウルドアームズの原理だろう。きっとその魂の源は竜だ。
彼は友を武器として手に持ち、敵を殺そうとするだろう。
圧倒的な存在感が場を支配していた。
竜は元より超越者。それを取り込み、何十倍にも強くなった、別大陸の英雄。
きっと書き手によって突然攫われて、自分たちを倒すために遣わされたのだろう。そしてあっけなく友を殺されたのだろう。
だからなんだ、と『白の勇者』は考える。この世界の生き物の感情など知ったことではない。
「第三世界格のものとしては、最強の存在なんだろうね。いわばあれは、この世界の代表だよ。この世界が生み出した最大の怪物。でも――」
憎しみを力に変えて。友情を力に変えて。悲劇を力に変えて。
そうやって、竜友者ドランは戦う。絶対に殺してやるという意思を持つ。
「なんか、感情が薄いのよね」
うすっぺらい、と『白の勇者』は呟く。
激怒したドランが、黒の魔王以上の速度で飛び立った。
感情に溺れた行動ではなく、技術が伴っている。魔力の力場を作って、相手の感覚を狂わせている。さらに手の中にある武器はいつのまにか伸縮し、リーチが変わっている。だが、
「ばいばーい」
何の感慨もなく、『白の勇者』はそれを切り裂いた。
ぱたりと地に落ちるのは、両断された二つの肉片。
黒の魔王は絶句する。こんなにも彼女は強かったか? と。
でも……彼女の強さは理解できないものではなかった。ぎりぎり自分でも及びそうな強さだった。
客観的に見て、竜友者ドランと自分の実力はそう違わないのに、そう思った。
「この世界……第三世界の人から見たら、私たちの強さは別次元のもの。それこそ奇跡めいた魔法に見えるんだろうね。まるで理解できないって。でもクロルは違うでしょ?」
「……うん」
「それが世界格。私たちとこの世界の住民は、そのままの意味で一つ次元がずれている。そもそも、本当なら私たちは紙の上の登場人物を、インクで塗りつぶすだけで消せるのよ? これでも本来よりも制限された力ってわけ」
『白の勇者』は元の世界に帰るといっていた。元の世界とは、この世界の外側だ。
この第三世界は紙の上に文字が並んだだけのもの。その第三世界に、無理やり第二世界の者を閉じ込めたのが、書き手の魔法だと『白の勇者』は言った。
『白の勇者』は連続で叫ぶ。
「もういいでしょ! なにをやっても無駄よ。試練としてなにかをぶつけようが、物語として冗長なのよ。もうあなた本人がでてくるしかないわ」
「ねえ、なにかいい展開を思いついた? でもあんまり時間がなかったみたいね。打開策が見えてないみたい」
「必死に時間を稼いだみたいだけど、これ以上やると、あなたの作品が駄作になりそうね? これ以上荒らされたくなかったら――」
シナリオブレイカーだ、と思った。
彼女を第二世界と接続させすぎたのだ、と思った。
確かに失策だった。こんなことになるとは思っていなかった。
それでもまだ、策はある。
「こんにちは、書き手様」
こんにちは、白の勇者様。
◇
書き手が姿を現す。
その男には顔がなかった。特徴と言えるものがなかった。『物語の書』と呼ばれる一冊の本を持ち、佇まいはとても静かなものだった。
――もう、いいだろう。
私は筆を取るのを放棄したのだ、と『書き手』は殊勝な気持ちになった。そして書物に踊る文字をもの惜しげに見つめる。
『物語の書』にはもはや自動で文字が書き連ねられている。これはもはや、私をただの登場人物の一人としてとらえているようだった。
◇
「それともこう言った方がいいかしら? 『語り手』様」
『白の勇者』はそう告げる。
「あなたの執念はすごいわね。この世界を作るために、三十年以上前からこの世界に一人住み、世界を動かした。そう、人形では大して世界を動かせない。だからあなたは実物の肉を纏い、この世界の登場人物になる必要があった。あなたと私たちの差ってなにかしら?」
「さあ、なんだろう? きっと世界権限の違いが一番の差だろう。この書物に文字を書き込めるのは、最も世界権限が強い者のみだ。よって『白の勇者』は私を殺せば神になる」
「大丈夫? 語り手様? 文字を書きすぎて言葉遣いがロボットみたいになってるよ?」
『白の勇者』はそう煽る。しかし、それに『語り手』は冷静に答えた。
「以前『白の勇者』に言われたことを反省してね。そういう噛みつきは無視するようにしてるんだ。『小者臭くみえる』。すると読者から見る格が落ちる。私が『白の勇者』より劣った存在に見える。それを繰り返していけば確かに、世界権限が君に移り、神は交代されるだろう」
今、読者から見てどちらが小者に見えるだろうか?
語り手は今、初めて紙の上に実物の姿を現した。しかし、実際に喋ってみればまともに見える。神を自称する割に、反省をすぐに生かしている。
語り手は第二世界では研究者として、とても真面目な性格をしていた。
「実のところ、君の口を縫ってから、物語の書に大したことが書けなくなってね。今、私と君の世界権限は僅差のようだ」
「そう。じゃあ殺せば解決だね」
「やってみるといい。しかし君はそうしない。私は神である以上。殺しても復活してしまうかもしれないからね」
『語り手』は笑う。
「さあ、舌戦の時間と行こうか『白の勇者』様?」
語り手。それは物語を語る者。そう名乗るだけあって、口は強い。
『白の勇者』はこの世界において、常に圧倒という結果を出してきた。しかし今、唯一といっていいほどそれが通じない相手がいる。後手に回るのは、語り手が初めてだろう。
「君は黒の魔王を殺すつもりのようだ。本心から」
『語り手』はせせら笑う。下の者を馬鹿にするように。
「あんなにも愛していたのに。この人しかいないって感じていたのに。君が黒の勇者に殺される前、あんなにもみっともなく殺さないでって懇願していたのに。君はね、物語に操られているんだ。自分の意思を強制されている」
『語り手』は当然、今まで描かれた物語すべてに目を通している。そこで致命的な部分を発見する。『白の勇者は黒の魔王を殺そうとしている』。それは確定なのだ。なのに動機が弱い。元の世界に帰りたい? 最愛の人を殺してまで?
それは彼女が世界に操られている証明に他ならない。彼女は世界に意思を強制される、格の低い存在だ。
だからなんだっていうの? と『白の勇者』はせせら笑う。
「語り手様、あなたは勘違いをしているようね」
「というと?」
「あなたがいくら私を責めようが貶めようが、そんなことは何の解決にもならないってことよ」
だってそうでしょう?
「あなたはこの話をどう展開するつもりなの? 私をその巧みな舌で負かす。あなたは生きる。けれど物語にどう収集をつけるつもりなの?」
「……」
「少なくと、私には思いつかなかった。神が被造物に簡単に勝ったところで、それでは物語として面白くない。わかるかしら? あなたはもう死ぬしかない。死ぬしかないのよ」
死ぬしかない、と『白の勇者』は繰り返す。しかし、そう繰り返すことそのものが策であると、語り手は知っていた。
言葉には力がある。物語を描くとき、読者に覚えて欲しい大事な事柄は繰り返し描写する。それは読者に印象を刷り込むための手法だ。
あなたは死ぬ、あなたは不要、あなたは負ける。
それらの言葉を繰り返し、まるで語り手が消えることが世の理であるかのように、『白の勇者』は読者に印象付けようとしているのだ。
この世界は読者から見た妥当性で結果が決まる。読者が勝つと思った方が勝利を得るし、負けると思われた方が敗者となる。
語り手には、そのことがすべてわかっている。彼こそがこの世界の創造主であり、物語に狂信し、詳しくなってきた者なのだから。
なるほど、『白の勇者』は物語的な手法に対して詳しいようだ。第四の壁、マクガフィン、デウス・エクス・マキナ、燻製ニシンの虚偽、など。それらについて熟知している。わざとらしく、第四の壁に関してはいたるところで強調していた。けれど、それがなんだというのだ?
「ここまでのことはすべて私の手のひらだというのに」
語り手はすべてを許すかのように笑った。それは我が子の成長が嬉しいとでも言いたげな顔で。
「『白の勇者』よ。登場人物にして唯一の『世界の接続者』よ。君は私によって描かれた、最高の存在だ。世界権限が私の次に高く、メタ視点で物語を進めていった素晴らしい登場人物だ。君は最初から最後まで圧倒的で、だからこそ、私もを打ち負かしても、特に読者は違和感を覚えることがなかった。けれど、君は私に勝てない。万が一つにも可能性はない」
「負け惜しみね。創造主だから確かに、ある程度の説得力はあるけれど、それでも私の優位は揺るがない」
哀れなものだ、と『語り手』は思う。こちらの方が強い強いと、なんども威圧するかのように吠えたてる。けれどそれはやりすぎれば毒なる。『弱い犬ほどよく吠える』という言葉を知っているだろうか?
つまり、吠えすぎるのは主張しすぎるのは毒なのだ。真に強者ならば、そのたたずまい、行動、結果によって印象を定めればいい。
『語り手』は物語の書を手に取った。
「けれど『白の勇者』よ。私はお前を称賛しよう」
【白の勇者はその場で動けなくなった】
「ぐっ」
よく、物語において全身の麻痺にかかろうとも口だけは動くという現象が発生する。これは物語のお約束だ。なんとも都合のいい。けれどそれは使い古され、本来間違っていることのはずなのに許される風潮ができてしまっている。
「確かに、君の演説は面白いものだった。物語に詳しく、ある程度その法則を知っている。作り手の信念を読み解き、私の執念を説明し、私の行動を縛る。……本当に、君は天才としか言いようがない。けれど結果は御覧の通り。私が筆をとれば君は指一本すらも動かせなくなる。こうした結果が出る以上、私の優位は増していく」
勝る者はより上へ。敗する者はより下へ。物語はそのように進行していく。優位になればなるほど、読者はそちらの格を認める。ここから『白の勇者』が『語り手』に逆転するのは難しいだろう。
次に『語り手』は黒の魔王に眼を付けた。なんの動きもなかった黒の魔王。
彼は失敗だったかもしれない、と思う。『白の勇者』が強すぎて、彼の存在はかすんでしまった。対等な二人の主人公を用意したというのに、彼では格が足りてない。
物語がつまらなくなってしまうな、と残念に思う。
「君から何か言うことはないのかい? 黒の魔王よ」
「……」
「ああ、黙っていてはなにも解決しない。なんの道も切り開かれない。それでは誰も守れない。君は本当に英雄なのか?」
「……あなたは」
「ん?」
「不利になったからと言って、途中で僕の口を縫い付けたりは、しませんよね?」
その返事に、少し間があった。虚を突かれたのだ。反撃などきやしないと確信していたから。
――黒の魔王は反撃する。
宿命の翼はいまだに彼の背で、その存在感を示していた。
彼は一対一にて最強という属性を持つ。彼は設定上、多数よりも少数に対して特化する勇者でもある。
――敵はこの世界の語り手である。
「あなたはそこまで大物ではない。第二世界では研究所に籠っていた、碌に戦闘経験のない本の虫。だから現実の痛みは、苦しみは、地獄は……わからない」
そして『予想外』に対して弱い。
あなたはその本でいくらでも対策を立てることができる。しかし、対策を立てる前に仕掛けられてしまっては元も子もない。
だからこういうことになる。
黒の魔王の魔法が発動していた。それは精神干渉の魔法だ。そしてもう一つ、別の魔法が発動していた。
犠牲の勇者と呼ばれた時の技の一つ、精神共鳴。
自らの命と相手の命を繋げる。こちらの痛みと同じ痛みを、相手も感じるようになる。自分が死ねばその時の絶望が、痛みが、虚しさが、相手に届く。。
自分が死ぬというイメージは、さぞ怖いものだろう。死という現象を移すことをできなくとも……狂わせるぐらいのことはできる。
「僕がこの世で特化している点は、孤独と痛みです。語り手様」
「やめろ」
「物語において『お約束』というものがあります。決して叶わぬ敵がいる。それと登場人物が相対する。そうした時、どういう解決が選ばれてきたと思いますか?」
――道連れですよ。
『語り手』は神だった。あらかじめ、肉体には無敵の加護が施してあった。彼にはどんな攻撃も通用しない、そういう存在だった。
けれど、精神はいじれない。この世界で『白の勇者』に言うことを聞かせることができなかったように、いじれるのは外面や行動だけだ。その信念、思想の赴くまでいじることはこの世界の法則に反してしまう。
黒の魔王が剣を自らに向ける。やめてくれ、という静止の声を無視して、自分の体に深く突き立てる。
絶叫。語り手に今まで味わったことのない痛みが体に伝わった。痛い、痛い。ここは現実じゃないのに。けれど受ける痛みは本物で、耐えきることはできなかった。
この物語にはいくつか拷問の描写がある。そう、それは黒の魔王の得意分野だ。
爪が剥がさせれる。骨が折られていく。眼球を指先で撫でられる。
黒の魔王の片目が潰れた。そこからグロテスクな黒の触手が侵入していく。内臓をまさぐられる。子供がおもちゃで遊ぶように、十二指腸が引っ張られては千切られていく。それを語り手は凝視させられているのだ。そしてその痛みをその体に受けている。
限界だった。
「なにかしないんですか?」と黒の魔王。
彼は自らの肉体への拷問を、自らで行った。まったく臆することもなく。
異常だった。彼はこの世界で長く長く苦しんだ。それこそが彼の称号。
気絶した語り手の傍に、物語の書の効果が切れた『白の勇者』が降り立つ。
あっけない、と彼女は呟く。
「たかが素人。ぬくぬくと温室で生きてきたやつが、私たちに敵うわけない。本を読んで登場人物が受ける痛みに、自分が共感することがある? 自分がこの本の世界に行ったら、この登場人物と同じ境遇だったらって考えたことはある? まあ所詮」
――現実に生きる者たちなんてこんなものなのよ、と『白の勇者』は吐き捨てた。
◇
その『白の勇者』の瞳を覗き、その者は言った。
それでも君の負けだ、と。
その者は満足していた。
だから宣言をする。
私はこの世界から去る。
きっとおもしろい結末が見れるだろうと言い残して。
◇
『白の勇者』が物語の書を手に取る。傍には筆が浮かんでいる。そこにこう書きこんだ。
【かくして語り手は白の勇者と黒の魔王に討伐された。意識を失った彼の体からは一切の加護が抜け落ちた】
『白の勇者』が語り手の首に剣を突き立て、ねじ切る。
【世界の神たる語り手は死んでしまった。物語に狂う彼は、自分が再びこの世界に降臨することを望まないだろう。それに、彼は自分が生きてこの物語を閉じる方法を思いつかなかった。語り手はこの世界から弾かれ、第二世界で目覚めるだろう】
「シルファレア、それでいいの?」
「いいのよ。どうせここで死んでも、語り手は第二世界でぬくぬく暮らせるように手を打ってあるはずよ。大事なのはこの世界にもう関われなくすること。語り手が生きたまま、物語を面白くする方法を思いついたかは定かじゃないけど、結局それを喋る前に語り手は死んだ。もう戻ってこれないわね」
一件落着、なのだろうか?
トドメとばかりに、『白の勇者』は続ける。
「語り手は物語に狂っていた。自分の三十年をここで捧げるくらいには。語り手にとって、この世界はかけがえのない宝物なのよ。自分のせいでこの世界がつまらないものになるなんて絶対に許せない。正直……語り手は自分の敗北を予定調和として、シナリオに組み込んだんじゃないかって、私は思ってる」
「でも、絶対なのかな?」
「クロルも作り手になってみたらわかるよ。作者のプライドって、なかなかのもんよ」
「……もしかして、シルファレアは昔なにか書いてたりしたの?」
「……ヒミツ」
『白の勇者』は肩の荷を下ろしたかのように座り込んだ。本当に緊張の糸が切れてしまったかのように。
「最優先でやりたかった語り手潰しの儀式は終わったわ。ようやくこれで思ったように行動できる……クロル、その体、大丈夫なの?」
「これ? ああ、うん」
ぴんぴんしている黒の魔王。その体は、既に魔力による修復が始まっている。
「大丈夫、すぐに直してあげる。」
『白の勇者』が再び物語の書を手に取る。
【最大の敵を倒した報酬がもたらされる。それを成し遂げた二人の体から、すべての傷が消え去った】
「ねえ、その文章いる? 僕の体の傷が治ったって書けばよくない?」
「いーの! そんな奇跡みたいなこと、起こすわけにはいかないでしょ? 適当でもいいからそれらしい理由を書くべきなの!」
「うーん、まあいっか」
二人は笑いあう。その場にはまるで昔に戻ったかのような明るさが漂っていた。
『白の勇者』があたりを見渡す、その腕が開いたり閉じたりしている。なにかをしたそうにしている。
「やっぱりやーめた」と彼女は言った。
それに気づかず、黒の魔王は物語の書を眺めている。
「これ……ほんとにすごいね。まるで魔法みたいだ」
「魔法そのものだよ。本当に、理を破って奇跡を起こす術だもの。この世界限定だけど。本当は魔法にもルールがあって、エネルギーをどこからから持ってきて事象を起こさすってのが第二世界でのルールなんだけどね」
「どこからかって?」
「魂よ」
『白の勇者』は第二世界に詳しい。彼女は生まれながらにして、ずっと第二世界との交信を続けてきた。もしかしたら、彼女は第三世界で過ごしたものなのに、誰よりも第二世界に詳しいかもしれない。
「そういうのってどうやって学んできたの?」
「あっちの世界の本からよ。それに、あっちは映像の再現技術が高くてね。実際にあった戦闘とか歴史とか、奇跡とか、そういうの、ぜーんぶ私は見たんだから!」
「いいなあ、僕も見たい」
「一緒にいく?」
「え?」
一緒に行く? とシルファレアは笑う。
「そんなこと、できるの?」
「わからないけど、やってみようよ」
彼女は希望に満ちていた。今までの無敗で生きてきたその心構えが、その理由なのかもしれない。
黒の魔王は不思議なほどの安堵感に包まれていた。きっとこれなら、彼女と戦うこともない。きっと何とかなる。まだなにも指針は立っていないけど、自分と二人なら、幸せに生きられる。
でも本当にそんな都合のいい未来があってもいいのだろうか?
……そんなことが許されるわけがない。
――それでも君の負けだ、と誰かが言っていた。
それは世界の創造主の言葉。
突然、二人の前に白のぼんやりとした文字が浮かび上がった。
【物語的終止符】
――勇者と魔王、二人の対決によって物語は幕を閉じる。
物語には強制力がある。かつて、『白の勇者』は黒の魔王に「逃げれるものなら逃げてみなよ」と言った。魔人達をすべて見捨てて、自分一人で生きてみなって。
けれど、それは絶対にできない。物語は語り手の存在がなくとも、ある一定の方向に進むようデザインされている。
『白の勇者』が黒の魔王を追わなければならなかったように。絶対に逃れらない法則が、存在している。
黒の魔王は体がうずくのを感じた。すべての障害が消えた今、残すところは『白の勇者』との対決だけだ。体が戦闘に移らなかったのは、語り手という障害があったからだ。
今は抑えられる。けれど、どこかで自分は『白の勇者』に飛び掛かるだろう。そして戦闘が始まってしまう。
『白の勇者』もまた、強制力の波を感じているようだった。その腕が剣に伸びかけ、下ろされる。
今度こそ、黒の魔王は失望しなかった。希望を目の前でぶら下げられ、それを取り上げられることに慣れてしまった。
この世界は確かに、黒の魔王に成長を促した。諦め方を覚えさせられたといってもいい。
「クロ……ル」
泣きそうな声で、『白の勇者』は彼の名を呼ぶ。
――神様、と黒の魔王はなにかに願う。
僕らはこんなにも苦しんだ。こんなにも戦った。
せめてもう、幸せに生きてもいいじゃないか。それだけが願いなのだから、それぐらい叶えてくれたっていいじゃないか。
黒の魔王の魂に火が宿る。魂は、第二世界では魔法を生み出すための装置だ。
魂は体を解剖しても取り出すことができない。けれど確かに、人の身に魂というものは宿る。
ならば、どこにあるのか? 魂は、別の次元に潜むのだ。それは四次元空間なのか、五次元空間なのか、さらに高次の空間に存在するのかはわからない。けれど、確かに魂はある。三次元より高次の次元から、魔力というエネルギーを人は取り出す。
魂だけは、この第三世界において世界を打ち破る法則になりうる――。
物語にはお約束、というものが存在する。
それは意志の力だ。登場人物は意志の力によって物語を逆転させることがしばしばある。主人公補正と呼ばれるものもある。
黒の魔王が発動させたのは、まさしくそれだった。
彼は強制力の鎖をほどき、物語の書へと進む。
◇
黒の魔王は書物に囲まれた場所にいた。
静謐が居着くその図書館で、一人の男が座っている。
「――語り手」と黒の魔王が呟いた。
「やあ」と語り手は答える。
彼は読んでいた物語から手を放す。その書物のタイトルは「英雄逆転再臨譚」と書かれていた。
「さて、黒の魔王――いや、この場で君は一人の人間として称号を背負わずに来ている。――クロル君、と呼んだ方がいいかな? 愛すべき我が子よ」
「あなたが僕を呼んだんですか?」
「いいや、違う。君が私のところへ来たんだ。私はもう物語に関わることができない」
語り手がぱちんと指を弾く。するとひとりでにポットが宙に浮かび、コーヒーを注ぎ始めた。どこからともなく、茶菓子が机に飛んできて、ここは小さな語り合いの場になった。
図書館には本ばかりがあった。どれもこれも、小説などといった物語の類ばかり。専門書や魔法の書は存在していない。それは語り手という存在を表しているかのような場所だった。
「ここは第二世界。あの世界じゃ、指を鳴らせばこういうのを一瞬で用意することができたんだけどね。ここじゃ、魔力を消費して、物を動かして、実際に存在するコーヒーをカップに注がなくてはならない。不便なことだ」
「……十分便利だと思いますけど」
「そうかい? まあでもやはり、無から有を生み出せるあちらと、エネルギーを消費して世界に事象を起こすこちらとではまったく違う」
クロルはあたりを見渡す。ここは第二世界だと、語り手は言った。自分はあの世界から脱出したのだろうか? じゃあ、シルファレアは? そもそも、本の中の登場人物が現実世界に訪れることなどできるのか?
自分とシルファレアと語り手は第二世界の人物なのだとされていた。だから、できるのだろう。けれど――物語はまだ終わっていない。
「一体なにが起こってるんです?」
「一時的に、君の魂がこちらに来ているだけだ。あまり時間がないよ。君はすぐに元の世界に帰ることになる」
「なんでこんなことが……」
「こちらの世界でも奇跡というものは存在していてね。メギナラムというシステムなんだが、魂を消費すると、一つ次元が違う事象を起こせるんだ。こんなこともできるとは、思ってなかったけどね」
魂の存在は、第三世界でいう魔法だと、語り手は説明する。
第三世界では理屈に合わないことが多々起こる。それが魔法という現象。それは書物の中の低次世界だからこそ、起こせた都合のいい現象だが、現実世界にはそんなものはない。
ただ、魂だけはその理から外れている。
「助けてください」とクロルは言った。
「はて」と語り手は答える。
「もうこれしかないんです。僕らにはなにもできない。……デウスエクスマキナ。機械仕掛けの神様。物語が困窮極まって解決できなくなった時、一人の超越者が問題を解決していくという手法。あなたがその役割を背負ってるんでしょう?」
「背負うことはできる。けれどそのギミックを使ってしまうと、基本的には物語は駄作とされてしまうね。だって、それでは都合が良くてつまらない」
「……あなたは、痛みを知ったはずです」
「それで?」
「僕らの苦しみがわかったはずです。それは紙の上で起こっていることじゃない。物語の登場人物が苦しんでいるとき、あなたはそれを救ってやりたいと思ったことがあるはずでは?」
「ある。けれど思うだけでなにもしない。そういうものだろう?」
ある物語を読んで、登場人物がかわいそうになる。その人たちが本当に救われてほしいと願う。我々読者はそういう体験を何度かすることがある。
けれど、だからといって我々はなにをする? その作者に登場人物を幸せにしてやってくれって頼みこむ? 出版社に文句を言う? 自分が二次創作を作り、自分の手で登場人物を救ってやる?
どれもやろうと思えばできること。けれど、そんなことをする人は少数だ。ほとんどいないといってもいい。
「不幸な物語はそれはそれで価値がある。正当な終わりを誰もかれもが望んでる。作品に敬意を払ってるんだ。胸を痛めることがあっても、その結末を歪めることはできない」
救ってやりたいというのなら、その本の一部を塗りつぶしてしまえばいい。自分がその本に記述して、登場人物が幸せになりました、と書いてやればいい。
「君たちは不幸に終わる。殺し合って終わるんだよ。そうなることを誰もが望んでいる。諦めるんだ」
「……」
誰かの慟哭が聞こえる。誰かの泣いている声が聞こえる。
自分の名を誰かが呼んでいる。自分を求めて、大好きと言っている。
自分は救われなくていい。けれど彼女だけは救われてほしい。
この思いは報われないのだろうか?
誰も報われることを望んでいないのだろうか?
「お願い、します……」
理屈も理論も何もかもが足りてない。力に訴えることもできない。
彼女の幸せを祈ってる。だから彼にできることは頭を下げることだけだった。
「私に痛みを与えた君の願いを、聞くと思うかい?」
「……それでも、頼み込むしかないんです。それしか、できないんです」
「却下だ。君は不幸に死ぬがいい」
現実とは、そんなもの。いくら思いを込めようが、願おうが叶うことがない。
――祈って願いが叶う程、世界は優しくない。
クロルは考え続けている。どうすれば読者が納得してくれるだろうかって。
この書物一つぐらい、歪んでいてもハッピーエンドにしてくれないかって訴えかける。
少しぐらい、心が傾いたものもいるかもしれない。その者はこのあとページを塗りつぶして、クロル達を祝福するだろう。けれど結局、大多数の者は手を差し伸べない。
だから正当な話としては、クロル達は不幸に落ちる。救われない話として幕を降ろす。
「無駄だ、諦めろ」と語り手は言った。
……。
…………。
………………。
僕は。
―――――。
クロルはゆっくり手を伸ばす。しかし、どの物質も彼の腕を通り抜け、触れらなかった。
そして彼は、語り手が置いた物語の書に手を伸ばす。不思議と、それだけには手を触れることができた。
「……? ……なにをする気だ?」
「そうか、これは僕と同じなんだ。だから触れられる」
「それで? そこにあるのはこちらの世界の英雄逆転再臨譚だ。そこに記述してもなにも変わらない」
「本当に?」
クロルはその書物を読む。そこには自分がこちらの第二世界に足を踏み入れたという記述で終わっていた。
「語り手様」
「なんだい?」
「僕がここで嘆いても、縋ってもなにもかわらないんですよね」
「ああ」
「でも、あちらの世界なら変えられるものがある。僕は登場人物だから」
「……奇跡を起こすと?」
「そうです。僕には魂の力がある」
「強引だな。確かに理屈はギリギリ合う。でも、そんなことで読者は納得しない」
「それすらも力で捻じ曲げる。もうそれしかない」
「なら、やってみるといい」
語り手は笑う。失敗に終わるとでもいうかのように。
「物語は私の手から離れた。だから奇跡は起きるかもしれない」
けれども、されど。
「起こるのはまやかしの夢だろうね」
確かに、魂の力は現実を変える力がある。それは確かだ。
けれどそんなにも世界は甘くない。
その繰り言は、もはやクロルに届いていなかった。
◇
――淡い光を放つ物語の書が浮かんでいる。
かちり、となにかがずれる音が聞こえた。成功したのだ、とクロルは思う。
体を縛る強制力は消えていた。今からなにが起こるかはわからない。けれども、彼の強い願いは、魂の力は世界を歪めることに成功した。
「ああ、ああああ……」
『白の勇者』が自らを抱きしめる。
よかった、よかった、と呟く。
「もう……本当にだめかと……思った」
久しぶりに彼女の弱音を聞いたと思った。そんな彼女を自分が支えてやりたい思った。
こんな自分にやり遂げることができるだろうか? いいや、やるのだ。
やるしかない。自分にしかその役割は務まらない。
クロルの精神はもはや物語の序盤と比べる別人だ。
清く、高潔だった黒の勇者時代。
歪み、絶望していた黒の魔王時代。
それらを経て、こねくり回して、彼は自分を制御していた。
勇者であり魔王。二つの属性を操り、魂の力を自覚した。彼は立派な主人公として物語に立つ。
彼は『白の勇者』に手を差し伸べる。彼女を救うという強い決意をもって。
◇
第三章『シルファレア』
◇
生まれた頃から、ずっと誰かの視線を感じていた。
それが私が最初から持っていた能力の一つだった。
私は誰かに望まれて生まれてきた自覚がある。英雄として立たなければならないという自覚がある。
それは強迫観念めいていて、気が狂いそうになるほどの衝動としてずっと私にこびり付いていた。
人を救わなくてはならない。英雄にならなくてはならない。
超人として君臨しなくてはならない。世を超越しなくてはならない。
だから私が白の魔王になったのは当然の経緯とも言える。
しかし、その途中で確信を得た。それはクロルと出会った時だった。
この世界のすべてと、私は対等ではない。私と彼が唯一の対等で、他はすべて魂無き人形。この世界は作られたものなのだと、自覚した。
以来、ずっと怖かった。頭の中にうっすらと見える文字が、自分のことを書き連ねている。ずっと自分を見ている。逃れることはできない。
この世界に救いはない。常に作為がとぐろを巻いてる。
それに気づいて、どれほど絶望したことか。唯一の同胞を見つけて、どれほど安心したことか。
私は吹っ切れた。残酷な行動にも心を痛めることがなくなった。だって、この世界の人間には魂が籠っていない。
私は第二世界と接続することができた。そこで多くのことを知った。
この世界に歴史はない。歴史があると描写されているだけで、この世界は五十年と存続していない。
技術は発展していない。人形はすべて低次の者である。新しい発想というのを一つも生み出すことができない。彼らの知恵はすべて語り手が知っているところからでてくるのであり、魔法もまた同様だ。
参謀は新しい魔法の開発に狂喜していたが、私からすればそれらはすべて馬鹿らしかった。
言葉の組み合わせで、それを唱えただけで魔法が発動する? そんなの現実的じゃない、ありえない。ただこの物語で使える言葉がいくつか存在していて、それをたまたま発見しただけのことがあらたな魔法の開発なのだ。馬鹿げてる。
それに、この世界は戦闘もまた退屈だった。
この世界の剣の天才は、第二世界の一般兵レベルだろう。肉体的には元の世界に劣っていない第三世界の住民だが、技術という面でかなり劣る。当然だろう。新しい発想ができず、習ったことしかできないのだから。
人間はすべて、元の世界より一つ低次の能力しか持たない。そして、私は第二世界における剣の天才だ。語り手は剣に詳しくなかったため、私が物語で剣を振るうその姿は、まさしく魔法のごとく奇跡に見えただろう。だから理屈から外れているように見えたのだ。
私は無敗だった。敵はいなかった。とてもつまらなかった。現れる世界の怪物を難なく屠り続けてきた。
この世界が作り物なのだと、この世界の住人に教えようとしたこともあった。けれどそのことを教えようとすると私が発音した音が、彼らには不可解なものに聞こえるらしく、認識されなかった。
彼らは低次の世界に生きている。だから上位の世界のことを認識できないのだろう。
クロルだけは違った。私の話を理解してくれた。
けれど、知らせすぎるのは危ないと思っていたので、あまり教えなかった。けど、彼は私が説明さえすればこの世界のことをすべて理解するだろう。
私は宿命のことを知っていた。物語的終止符。
いつか彼のことを決着を付けなければならないことを知っていた。
……彼とは深くかかわらないつもりだった。
なのに気が付けばこんなにも惹かれてしまって、大好きになってしまって。
唯一の理解者だということも大きかったのだと思う。しかしなにより、彼は私に優しかった――。
私はずっと対策を練ってきた。登場人物の頭の中は物語が勝手な想像で描写するということを知っていた。
じっくりと反撃の牙を磨く。この世界でできることを把握していく。
ここからは私の舞台だ。私は彼と幸せになる。
◇
手を差し伸べた彼の手を取った。私はゆっくりと立ち上がる。
彼の手には強い意志が籠っていた。いつの間にかこの世界に刃向かうパートナーにふさわしい気概を獲得していたようだった。
「ここからは私に任せて」と彼に言う。
彼は頷く。私のことを信頼してくれている。
物語の書に私は手を伸ばす。筆を取り、物語的終着点を捻じ曲げようと画作する。
【物語的終止符は――
しかし、それらのことはできないようにされているようだった。物語の書に書かれる記述は絶対だ。けれどそれ以上に、物語としてのルールの方が絶対らしい。
だから文字を書こうとすると、それは途中で薄れて消えてしまう。
でも私は知っている。物語的終止符は勇者と魔王が決着をつけるための装置なのだと。
だからその言葉に違わぬよう動けばいい。
とっておきの秘策がある。私たちはこうして決着を迎える。
「ねえ、クロル?」
「うん?」
「もしも、もしもさ――」
もしも私が――。
◇
「――もしも私が、結婚してくださいって言ったら、どうする?」
◇
カーテンの隙間から漏れ出る日差しで目が覚めた。
「まだ寝てるの? シルファレア」
クロルが気持ちよくカーテンを全開にする。
「眩しー」と私は抗議した。彼はカーテンを閉めた。
「いや、閉めるのね」
「君があんまりに眩しそうだから……」
「うむ。今後は気を付けるように」
「気を付けることにするよ」
罰として、と私は囁く。
目を丸くするクロルを無視して、彼の手を引く。抵抗も少なく、彼は私のベットに倒れてきた。
「んーーー~クロルーーーー、好きーーーー」
「君って戦いが終わってから別人になったよね。それと僕も好きだよ」
「義理みたいな好きをどうもありがとう。……別に、どっちかというとこっちの私の方が素だよ?」
クロルは呆れたような顔をする。けれどそんな顔はすぐ隠れて見えなくなってしまった。私が彼の頭を抱きしめたからだけど。
控えめな抗議の声が聞こえるが気にしない。恋は盲目なのだ。耳もおかしくなっても仕方がないというものだろう。
「こんなことしてたら日が暮れちゃうよ」
「しょうがないよ。お姫様はベットから起きられないんです」
「お姫様はどうしたらベットから起きられるようになりますか?」
「んー……キス?」
彼はさっと私から逃れて手足の自由を奪い、額に軽いキスをした。
「ほら、いくぞ」と照れからくる乱暴な声が心地いい。
「残念! そこはお姫様の弱点ではなかった! 弱点にキスをしなければお姫様は起き上がらない!」
「わがままだなあ」
彼が私に覆いかぶさる。真剣な眼が、私を貫く。
戦いを経て元々鋭かった彼の眼はもっと鋭くなってしまって、そんな彼の眼を見ると私はドキドキしてしまう。彼の眼が怖くなる時は、緊張してる時だって知っているから。クロルってすごくかわいいと思う。
「シルファレア」
吐息の混ざった声で私を呼ぶ。すぐにでもこちらからキスをしたくなる。衝動を抑えて、私はその時を待つ。破裂しそうな心臓を抑えて、私は目をつぶる。
「好きだよ」
キスをする。抱きしめながら、キスをする。
とても甘い味がした。どろりとお互いの体液が混ざり合って、筆舌しがたい感覚に襲われる。
この世界から消えてしまいそうな、けれどこの世界で最も存在力があるかのような。
大好きなんだって、否が応でも自覚してしまう。こんなにも幸せでいいんだろうかって思ってしまう。
長いキスの後、ぼーっとした彼の顔が映る。力が抜けたようにどさりとこちらに倒れ伏し、私は彼を抱きしめる。キスのあとの幸せな時間だ。
クロルが明るく笑う。
「あはは、いまだにキスされただけで涙でちゃうの? かわいいよね、シルファレアって」
「うるさいなー。しょうがないでしょ」
……だって、好きすぎるんだから。
そうやってどれくらい時間がたったんだろうか?
キスをして、抱きしめて、またキスをする。
お互いの愛を確認しあう。幸せな時間がただただ廻る。
やがてクロルは身を起こし、ベットから離脱した。
「クロル~起きられないよー。私を助けてええ」
「……このやり取り、あと何回やればいいの?」
私は心外だとでもいうかのように彼をもう一度ベットに引きずり込んだ。
◇
いつか見た泉と似たような光景が広がっている。
小鳥が歌う。木の葉が舞う。木々が演奏をするかのように葉と葉をさらさらと奏で、ちゃぽんとたまに、泉の方で魚が跳ねる。
クロルの黒髪が風に静かに揺れている。私はそっと彼の手を握った。
「夢みたいだ」と彼は呟く。
「夢じゃないよ」と私は言った。
少しだけ握る力を強めてみる。ここにいるんだよって主張するみたいに。
ゆったりと彼は口を開いた。
「戦いが終わって」
「戦いが終わって?」
「すごく幸せになって」
「うん、幸せになって」
「君の頭が少し悪くなって」
「私の頭がよくなって、うん」
「夢みたいだ」
「そうだね」
私に言わせれば、クロルだって大概腑抜けてる。まあ隙が多いのはいいことだ。好きな人の弱点って、なんだか楽しい。
……同じようなことを思われてそうだ。
この土地には私達二人だけしか存在しない。
私達の力を使って、ここには結界が張られている。
魔人達は北の地へ移動した。そこで食料の生産法を見つけ、なんとか生き延びている。いまだに死産率が多いのは問題だけど、それも徐々に低くなっているそうだ。きっと、しばらくすればもっとよくなる。
人間側は、脅威であった魔人が去り、平和に過ごしていた。魔法は魔人の特権だが、魔法によって生まれた植物や資源はそうではない。それでうまく経済を回し、食糧問題を解決し、世界は平和に回っているようだ。なんと、私の傍付きだった聞き手ちゃんが教会のトップに立ち、世界を回しているんだから驚きだ。
魔人と人間は生息区域を完全に切り離して生活している。それは私たちの結界のおかげだ。
白の勇者と黒の魔王。二人が能力全てを使って張った広大な結界は、第三世界の住民には破れない。私達はたまに結界の外にでる。たまに人間と魔人のトップが腐っていないか検査する。
私達は隔絶された世界の英雄。ほんの少しの力で世界をよくするのは容易い。
私達は安心して暮らしている。幸福を噛みしめて、何の不安もなく、ただ二人の世界で生きている。
「クロル」
「うん」
「私、ここにいるよ」
「……うん」
手を握りしめられる。伝わってくる暖かな体温。
私達はいまだに、この幸せな時間に現実感を持てない。手を離したら消えてしまうかもって、そう思ってしまう。
そういう時は決まってお互いの手を握る。ここにいるんだよって確認する。
幻想的な世界だ。空気は美味しくて、日差しは眩しくて、水面が光ってる。
きらきらが祝福みたいに巡る巡る色を変える。その輝きはよく見ると七色に見えて、飽きない。本当に――夢みたいな世界だ。
私は悪戯っぽく笑って見せる。彼の手を引いて。
水辺の近くで靴を脱ぎ、軽く水面を足で叩く。水しぶきが飛ぶ。それがクロルの鼻の中に入って行って、彼はくしゃみをする。
私は笑った。
彼の手を引いて、私は水辺を歩いてる。たまに振り返って、彼に笑って見せる。
安心したような彼の表情を見て嬉しくなる。私は何度も、心の底からの笑顔を見せる。
「クーロルっ」
「ん?」
「海水浴の気分だね?」
「え?」
彼の手を引いて、私は泉に入っていく。服が濡れるのも構わずに。
彼の手を放してくるりと回る。そしてこけた。
「あぶなっ」
クロルを掴む。彼も一緒になって水の中へ。みちづれだ!
二人ともびしょぬれになって、お互い笑う。私ははしゃぎながら言った。
「めちゃくちゃ濡れちゃったね?」
「あーあ。どうするのこれ」
「どうするもこうするもないよ。もっと深いところに行くしかない!」
「なんでそうなるの」
私は更に深いところに入っていく。クロルは律義なので追ってきてくれる。
おりゃおりゃ、と彼の顔に水をかける。倍ぐらいの量の水が反撃として飛んでくる。
「男の子なのに大人げないな~」
私は四倍ぐらいの量の水をかけた。かけまくった。
ちょっと楽しくなってきて、しばらく不毛な水の掛け合いが続いた。そんなことをずっとやり続けていると乾いている部分などなくなってしまって、
「もう本格的に泳ぐしかないじゃん」
「なんでそうなるの……」
私は身を横たえて、水に浮いた。
ワンピースの中に水が入って行って膨れ上がる。その空気を浮き輪みたいにして、私はぷかぷか浮かぶ。
「見てみてクロル、私今ラッコみたい」
「戦闘による深刻なダメージが頭に……」
「捕まえてくれないと漂流しちゃうよ~」
「捕まえてあげるから漂流しないで」
私は卑怯者なので、捕まえに来てくれたクロルに飛びついて水の中に沈めてやった。バンザイをして喜んでいたら、髪の毛が水にぬれてお化けみたいになったクロルにやり返された。ので、私は彼を抱きしめて一緒に水の中に沈む。これは仕返しによる起きた事故なので不可抗力に近い(はずだ)。
水の中。お互い抱きしめあって、見つめる。この時間が永遠になればいいのにって思った。水の中の世界は、まるで外の世界とは違った時間の進み方をするかのようだった。
周りの音は聞こえない。周りは澄んだ青ばかり。たまにびっくりした小魚が私たちに道を開ける。
勢いあまってキスをした。気分が高まってしまってしまって。
やがてトントン、と肩を叩かれる。息が限界らしい。
ふーっと彼に私の息を入れて、水面に上がる。
「ぷはーっ」
「ぷはっ」
「あのさ、クロル」
「ん?」
「マーメイドってこうやって獲物を殺すのかもしれないね?」
「君って結構変なこと言うよね」
きらきらと水面が輝いてる。
「あーあ、私達、こんなに幸せでいいのかな」
「いいんだよ。僕が許す」
「ほんとに?」
「ほんとうに」
それなら、と私は言う。
「私を今すぐお姫様抱っこしなさい。苦情は受け付けません! ってクロル、きゃー! 冗談! 冗談だからおろして~」
◇
泉を洗濯代わりにして濡れた服を竿に干して、私達は家に戻る。
簡素な家だ。それほど大きくもない。
私達が共同で作った木造の家はそれとなくおしゃれで、いつまでも木の香りかする。国で作られた香料が塗られていて、それか家の雰囲気に一息買う。
部屋が四つあって、いくつかの机と椅子がある。窓はちゃんとカーテンがかかってて、家としての不備はどこにもない。
もう夜だ。コオロギたちが楽しそうに演奏を始めている。夜の静寂を時折乱すこの演奏が、私はとても好きだ。
そして、私はじっと彼を待つ。ベットの中で、彼を待つ。
ろうそくの灯が、心もとなく揺れている。
私は枕を精一杯抱きしめた。
「シルファレアー、入るよー」
「わざわざそんなこと言わなくてもいいのに」
「着替えてたら大変じゃないか」
「……恥ずかしいけど、クロルになら嫌じゃないよ」
彼が横になっている私の傍に座る。心地よい雰囲気が、私の心を満たす。
それにしても不思議だった。彼の傍にいると、こんなにもドキドキするのにとても安心する。きっとこんな感情を覚えるのは、彼の他にない。
たまらなくて、私はじたばたと子供みたいにもがいてみた。興奮を抑えるために、足をばたつかせる。そうするとパタパタと、布団が叩かれる音がした。
「そんなことしたらベットがかわいそうだよ」
「ベットちゃんは私のこと大好きだからかわいそうじゃないよ」
「ベットちゃんは無生物だから感情がないよ」
「屁理屈言うクロル嫌いーー」
「僕はシルファレアのこと好きだよ」
「やっぱり好き!」
「……僕たちって、馬鹿みたいだ」
馬鹿みたいなやり取り。まるで会話に内容がない。……結構楽しい。
突然頬をつねられる。引っ張ったりして遊ばれる。そんなことより早くキスしてくれって思った。
私は彼の耳に噛みつく。
「ひゃっ」とクロルが女の子みたいな声を出したので、私は爆笑した。
クロルが顔を真っ赤にしている。なにやら言い訳を呟いているが、恋に盲目な私は耳が聞こえないので、聞こえなかったことにしておいた。
「この野郎」
クロルが私を押し倒す。見つめあう。
まだ私たちはシたことがない。家が完成したのが……今日だったから。
昨日はお互い疲れ果てて、眠ってしまった。
ずっと結ばれるのを待っていた。きっと彼も同じ気持ちだった。
彼の手が私の体のいろいろなところを触っていく。気分が高まっていく。
不安はなかった。ただ、はち切れんばかりこの思いが暴走しかねなくて不安だった。大好きすぎて私の体が爆発したらどうしよう……なんて馬鹿なことを考えたりした。
彼が優しく私の服を脱がしていく。胸が露になって、赤面した。彼も赤面した。こういうところで、私は笑いそうになりながらも安心してしまう。
「自分で脱がしたくせに」と呟く。
「うるさい」と彼は拗ねたように言った。
堪えるように押し黙り、視線を明後日の方向にやるクロル。
「触ってくれないの?」と私は彼に囁く。
顔を真っ赤に染めながら、彼は決心したかのように頷いた。
彼の手が私の胸に触れる。電気が走ったかのような感覚がする。ずっと夢見てた感覚は、思った以上に切なくて、こんな感覚が世の中にはあるんだって思った。
感情が爆発して、私は彼に飛びついてキスをする。
私は彼に飛びついてばっかりだ。すぐに彼に抱き着きたくなる、甘えたくなる。
体温を感じたくなる。安心したくなる。
そうしてキスをして、キスをして、キスをして。
何にも考えられなくなって、頭がぼーっとなって。
いつの間にか全身脱がされていて、私は彼と結ばれた。
幸せだった。
◇
――祈って願いが叶うほど、世界は優しくない。
◇
それが物語のルールだ。
◇
だからすべては巻き戻される。
文字は逆転を始める。
◇
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。たれば結と彼は私、ていてれさが脱身全かに間のつい
。てっなとっーぼが頭、てっなくなれらえ考もに何
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。るすをスキていつび飛に彼は私、てし発爆が情感
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」?かすまりなにうよるれらき起らかトッベらたしうどは様姫お「
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。どけだらかたっ言にめしき抱を頭の彼が私。たっましてっなくなえ見てれ隠ぐすは顔なんそどれけ。るすを顔なうよたれ呆はルロク
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」にうよるけ付を気は後今。むう「
」……らかだうそし眩にりまんあが君「
」ねのるめ閉、やい「
。ため閉をンテーカは彼。たし議抗は私と」ーし眩「
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」アレァフルシ ?のるて寝だま「
。ため覚が目でし差日る出れ漏らか間隙のンテーカ
――奪わないでよ、返してよ。
◇
『白の勇者』は物語の書を手でなぞる。
「あのね」
「ん?」
「もしも私が――」
私が?
「私が――」
私が……。
「シルファレア?」
「……」
「シルファレア! 大丈夫?」
「――あっ、ううん。なんでもない」
私は夢を見ていたんだっけ?
でも、あの感触をはっきりと覚えている。クロルに抱きしめられて、クロルとキスをして、クロルと結ばれた、あの感触を。
間違いだったなんて言わせない。夢で終わらせるわけにはいかない。
私は固く目を結ぶ。もう一度、あの幸せを掴むために。
だから私は、同じものを手に入れるために、同じ言葉を繰り返す。
「もしも私が、結婚してくださいって言ったら、どうする?」
◇




