黒4
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第二章『神様が私を見てる』
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神様が、点を描けば線になる。
神様が、線を描けば面になる。
神様が、面を描けばそれは現実に浮かび上がって形を作り。
神様が、物語を描けばそこには本物の世界が生まれる。
◇
『まるで物語で登場するかのような勇者』。
教会の主たる語り手によって編成された神姫軍は、そのような人物によって統率されていた。
勇者は白髪の女。彼女が舞えば機能性を欠片も考えていないかのような純白のロングスカートがひらりと持ち上がる。その肌はあまりにもきめ細かく、処女雪のように完璧。彼女を象徴する白い髪はこの戦地で穢れなく、乱れなく、このリンドヴィレム山の寒風になびいている。最後に、その表情は白の仮面で隠され、彼女という存在が完成している。
現実離れをした美しさだった。戦いを生業とするとは思えない細い手足も、体躯に残る幼さも、まるで戦場に似つかわしくないものだった。
しかし、見れば誰しも理解するだろう。彼女こそが勇者なのだと。この神姫軍を束ねる長である、と。
彼女は魔王討つ人類の希望、『白の勇者』。ただ一人で雪山に立つ彼女は決して常人には出せない、超俗的な雰囲気が圧倒的な存在感を放っていた。
彼女はひらひらと舞い踊る。白い雪山、白い彼女、舞い落ちる雪がほのかな日差しを受けて優しく輝く。彼女はまさしくまるで物語に出てくるかのような勇者だった。
「勇者様、そろそろ」と礼儀正しく声をかける存在がある。
語り手に派遣された「聞き手」という役を持つ彼女はただ、『白の勇者』の活躍を語り手に伝えるだけにここにいる。彼女の齢は二十ちょうど。いつだって、争いは功を立てるための種である。大貴族の娘であり、教会で期待の若手とされる彼女は、魔人たちの反乱で、確実に功を上げられる立場へと抜擢され、教会の時期幹部へとのし上がるための出世コースを歩んでいた。
『白の勇者』は白亜の瞳で聞き手を貫くように見た。
「……ああ、そうね。そろそろ行かなきゃね。うんざりするわね、誰かの悲鳴、恨み、血飛沫を特等席で鑑賞して、私は神姫軍の上に君臨しなくてはならない。どうにかして争いはなくならないものかしらね」
「仕方がありませんよ。人の歴史は戦争の歴史です。『残酷なる三百年戦争』は終わりましたが、きっとまた戦いが起こるのでしょうね」
人の歴史は戦争の歴史。このヒストリア大陸では、永遠にも思えるような紛争闘争戦争が繰り返されていた。土地問題、経済戦、恨みから始まった血の戦い。
国は里を抑えきれず、地方と地方が殺し合いを始める。資源の面で有利な国が安い値段で商品を売り、他国を侵略する。王族同士の不倫から始まる宣戦布告。
通常、恨みの輪は廻って、途切れることがない。それを解決したのが宗教だ。現教会トップの語り手が人々に教えを説き、ようやく争いは終わった。多数あった国の上に教会が立つことによって、人間達はまとまりを得た。
しかし、そうしてようやく訪れた平和の最中、魔人達によるトラブルが起きた。ようやく平和を享受できると思っていた国民様はお怒りだ。
ずっと貴族に搾取されてきた。争いのために兵として酷使されてきた。ようやく健やかに暮らし、当たり前のように笑える。家族の誰かを失うことがない。ようやくそういう段階になってきたのに、と。
だから魔人たちはより一層恨まれている。
「ねえ聞き手」と『白の勇者』は白亜の瞳を縮めながら言う。
「歴史がある、というけれどそれって結局紙の上で書かれただけの出来事に過ぎないでしょう? 私たち人類には千年以上の歴史がある。ずっと争いを続けてきた。ゆっくり技術は進歩して、多くの人が裕福になれるようになってきた。……ほんとうに?」
聞き手と呼ばれた若い修道女には、『白の勇者』のいうことがよくわからない。
『白の勇者』の言葉は魔性が籠る。耳を傾ければ、その清らかな声も相まってぼうっと夢心地になってしまうことがある。とにかく難しいことを言っているのだろう、と憧れの勇者様の話に『聞き手』はついていこうとする。
「私たち人間は……とても長い歴史を築いてきました。それがまやかしだということでしょうか? 誰かによって作為された、都合のいい歴史書が私たちの知っているものであると?」
「いいえ、違うわ。規模はそんな甘いものじゃない」
肩をすくめて、彼女は頭上に指を突き刺した。手に浮かぶのは二つの月、『ソルス』と『ティーパー』。
例えばの話、と『白の勇者』は言う。
「私たちの誰かが、あの月に行けたとする。そこで写真を撮り、月の景色を世界に語る。星にいるとき、体がふわふわと浮いてしまって自由に動けなかったと言い、世界の誰しもがそれを信じる」
証拠があるから、と彼女は言う。
写真はこの世界ではねつ造できるレベルに達していない。この世界のカメラというものは、アスファルトを感光材料にして、およそ八時間もかけて一枚の写真を撮影する原始的なものだ。
だから誰しもそれを信じるだろう。「月に行った」は世界の誰しもに当たり前の事実として信じられる。
「『月の上に降り立った』。『そこは無重力地帯だった』。『地球は青かった』。けれどその情報はあくまで誰かが語ったものに過ぎない。私たちはそれを実際に目で見ていない。世界がその情報をそうと認めているだけで、私たちは一度も認識していない」
世界において描写されることは、と『白の勇者』は語る。
「今ここで三百年戦いの歴史があったと描写される。技術の発展があったと記述されている。けれどそれは書かれているだけ。実際にそれがあったと証明することはできない。少なくとも、この世界の人々は技術を発展させる能力なんて持っていないわ」
聞き手の頭が熱を帯び始める。白の勇者の言っていることは意味がわからない。
それは『白の勇者』が自分たちを見下しているということなのだろうか、なんなのだろうか。
「結局のところ、私たちは常に物語の上にいる。ああ、大丈夫。理解しなくてもいいわ。これは演出。私の言葉を理解できるのは――×××ぐらいだろうし」
さもありんと、驕るように彼女はドレスを翻す。
聞き手は黙ってそんな彼女についていった。
……今言っていたことは聞き手として語り手様に伝えるべきなのだろうか?
そんなことを思いながら。
「そんなことより、嫌な位置にいるわね、私たち。山の麓と頂上からじゃ、索敵の難しさが違う」
「魔人達の行軍は曲がりくねった移動でしたね。誘導されたんでしょうか」
「そうね。敵に厄介な軍師がいる……本当に。このまま直進すれば、いずれ魔法を使った雪崩で私たちを一網打尽にしてくるわね。この世界に魔法が生まれて間もないっていうのに、よくそんなやり方思いつくものね」
「……それを予見できるあなたも、同類ですよ」
『白の勇者』達が向かったのは神姫軍並び立つ処刑場だ。その総勢は五千にも昇り、圧巻。
神姫軍は白で統一されている。歩兵、重装歩兵、弓兵、などが物々しく蠢き、白の旗が何本も立ち上がっている。
そこでは一人の妖魔が十字架に磔にされていた。
妖魔。その種はそう命名されている。体力は少ないが、巧みな魔法技術と魔法制御能力を持つことで知られ、力が弱くとも氷の工作などで軍の足止めを図ってきた厄介な種だ。妖魔は魔人種にしては珍しいタイプで、その耳形こそ異形のものなれど、その他はたいして人間と変わりなかった。それどころか、人間としてはかなりの美形に分類されることが多い。
けれど、今この場に磔の刑にあっている女は美しい姿をしていなかった。
目は腫れ、その腕は他の異形のものよりひどく捻じれていて、土に汚れた白骨が肌を突き破って出てきてしまっている。妖魔は体力こそ低いが、生命力はかなり高い。それこそ、舌を噛み切って自死することができないぐらいに、命を保つ能力は高い。妖魔特有の環境適応能力が関係しているとみられるが、真偽のほどは不明だ。
妖魔がゆっくりと面を上げる。そして見た。自らに向かって歩いてくる『白の勇者』を。
――悲鳴が漏れ出そうになるのを喉奥で抑え、睨めつける。しかしその眼光は弱く、まるで意思が籠っていない。
「な、なぜなのですか」
「ん?」
「なんで我らを裏切ったのですか、『白の魔王』様!」
「世界のため! なんーてね?」
そして挨拶代わりに剣を突き刺した。
押し殺される悲鳴を目前にし、詰るように剣でその傷口を抉る。
『白の勇者』は妖魔をここまでつれてくる際に、その美しい体を徹底的に傷つけた。妖魔の美貌は男どもの目に毒だ。人間とたいして違わない美人を拷問していれば、馬鹿な兵士が下らない疑念を抱きかねない。
だからその体に欲情できぬよう、徹底的に醜悪な見体となるよう取り計らった。
今ここで行われているのは公開拷問であった。
悪しき魔人に罰を与える。地獄に行かぬよう、現世にて多くの苦痛を与え、命終の栄華を願う。
そんな名目とともに、見せしめの拷問が行われていた。今ここにいる神姫軍は軍全体ではない。だが彼らを伝って『白の勇者』の非情さは軍全体に轟くだろう。
絶対的なカリスマ性、冷酷さ。強さ、口調、結果を出すこと。
これは『白の勇者』が軍の上に君臨し続けるために必要な演出だった。
「ねえ」と『白の勇者』は妖魔の女に語り掛ける。
「これがずっと続くのよ? あなたは剣で抉られ、目を指でほじくり返され、何度も何度も殴打される。それだけでは終わらない。私たちは手厚くあなたを看護しましょう。綺麗になったあなたを汚らしい男どもにさし与えましょう。ほら、耳元にかかる下種な息遣い、鼻を犯す汗の臭い、欲情しきった色ある目つきがあなたの四肢を覗く――」
本当にいいの? と『白の勇者』は語り掛ける。
「あなたは十分に頑張った。だから最後に教えて頂戴? あなたたちの魔王のことを。これからの目的を。魔人たちの能力を。同じ女として、あなたがひどい目に合うことには同情してるのよ? でもあなたが話してくれれば、私の裁量であなたを殺してあげられる。目を一度閉じれば、すべての痛みが消えていく」
ぎゅっと妖魔は目を閉じる。そして言った。
「そんなの……ごめんだ」
魔人達の結束は固い。世界に見捨てられ、だからこそ寄り合うしかなかった。隣の魔人は同じ迫害を受けた最大の友だった。そんな友のためなら、身が汚れようとも、命を落とそうとも耐えられる。
だから妖魔は叫ぼうとした。
――瞬間、『白の勇者』の剣が閃く。
神姫軍のものにはそれが脅しの一撃に映っただろう。しかし、実際は違う。
その一閃で、妖魔の喉から音が奪い去られた。
――超感覚。
『白の魔王』は一度死んで、その身の魔力すべてが消えうせた。そして勇者として復活したあとに固有の能力を得た。
洞察力が跳ね上がる。誰かの息遣いを察知する、視線を感じることができる。気配というものを完全に掌握できる。
『白の勇者』固有の能力。しかし、それは当初発見させた時よりもより鋭く、既存の能力とは異次元の性能へと発展していた。
超感覚によって観察眼に優れた『白の勇者』は妖魔が叫ぼうとした言葉を理解した。その言葉が発せられれば軍の指揮に影響するだろうことが見て取れた。
……一滴の血もなく喉を切り裂かれた妖魔の前で、叫ばれんとされたその言葉を『白の勇者』は妖魔にだけ聞こえるよう、小声で復唱する。
「私は絶対に仲間を売らない。私たちは迫害されてきた。そんな私の身寄りを売るわけにはいかない。お前たちは悪魔だ。こんなにも誰かを大切にする私たちを、邪悪なものだと切り捨てて、迫害して、殺して、殲滅しようとする。お前たちは自分の頭でそのことを考えてみたことがあるのか!?」
妖魔が大きく目を開く。それは自分が言おうとした言葉と一句一字同じもので。永く捕らえられていた時に考えた、人間の心に訴えかけようと計画していた心の籠った言葉であった。
まさか、と思う。
――心が読めるのか?
「いいえ?」と『白の勇者』が笑う。
「あなたの立場になって、どう正義を振舞って、どう言葉を投げかけようとするかを考えただけ。それに私たち――ずいぶん長くお話ししたでしょ?」
最初、『白の勇者』が妖魔を捕らえたとき、一瞬だけ彼女はその素顔を妖魔に晒した。
自分の立場、やらねばならぬことを明かし、妖魔の信念を聞いた。かつての魔王として『白の勇者』は妖魔の心に漬け込み、妖魔の考えを聞いて、妖魔を理解した。そして……理解が終わったと同時に、彼女の顔、肢体をズタボロにした。
もう妖魔は分析され尽くされていたのだ。そして『白の勇者』は妖魔が言いそうな言葉を演算・予想した。
でも、それだけで一字一句同じセリフなど言えるものなのだろうか?
『白の勇者』の能力はなにかしらの度が過ぎている。
白亜の瞳がいたずらっぽく輝く。
「どう足掻いても喋らないみたいだから、計画を変更するわね」
妖魔の背筋に、今まで体感したことのない冷たさが昇った。
『白の勇者』はゆっくりと剣を掲げる。そして目にもとまらぬ速さで何度も妖魔を切りつけた。
どうやったのか、その肢体からは一滴の血も出ない。理から外れた剣技が、その傷口を切りつける同時に焼いたのだ。魔法もなしに、ただの技術で。
次に片目が潰される。蹴り飛ばされて、綺麗に手首だけが吹き飛ばされる。いつのまにやら足の爪がひしゃげ、一部が剥がれる。
絶叫は――訪れなかった。いつのまにやら口に布が詰められている。圧を逃がすことができず、先ほど切られた喉から血が噴出し、妖魔は十字架の上でのたうち回ることもできずに暴れている。
対して『白の勇者』は綺麗な姿のままだった。喉から噴き出る血を浴びることもなく、不自然なほどにドレスに皺がない。いつだって幻想的な佇まいで、冷たく妖魔を見続けている。
そして妖魔の悶絶が弱くなり始めると、『白の勇者』は振り返って立ち去るような動きを見せた。
「待って」
それを言ったのは――妖魔ではない。けれど、声質は明らかに妖魔のものだった。
激痛に耐えながら妖魔が目を大きく見開く。なにが起こっているのかと考える。
そしてうっすら理解した。常識で考えればそんなはずはない。けれど、今この状況を起こしているのは、『白の勇者』なのだ、と。
神姫軍の者たちは見えていた。『白の勇者』が妖魔の声を使って、声を上げるのを。
「ごめんなさい、ごめんなさい! もう殺してください! 裏切ります! あの悪魔たちのことを話します! 醜悪な見た目、人肉を食べる劣等種、おぞましいやつら! だからもう拷問しないでください、全部、全部白の勇者の言うとおりにしますから――」
――魔法の火炎、雷鳴、嵐が妖魔に降り注ぐ。
裏切者には死を。
流れ弾が『白の勇者』を掠めていく。しかし一つとして当たらない。『白の勇者』
は二、三歩の動作と数回の剣の切り払いで雨あられと降り注ぐ魔法を防ぎ切った。
「来たわね、魔人達」
三十を超える魔人がどこからともなく現れた。
『白の勇者』は彼らから呪術の気配を感じた。
「……参謀、この数の魔人達にミラージュステルスを施したのね。それに、余命を縮めて能力を底上げするメギナラムの呪法も使ってる……。その強力な呪術の代償にいったいどれだけ肉体を犠牲にしたんだろうね」
一人、ポツリと呟く『白の勇者』。その声は誰にも届いていない。
たった三十程度にもかかわらず、堂々とした佇まいを見せる魔人達。どこかおびえた様子の神姫軍。
うっすらと神姫軍側は理解している。今目の前にしている魔人たちは、今まで戦ってきた者たちと格が違う。
「私一人がやるわ。全員下がっているように!」
『白の勇者』がそう叫ぶ。彼女の命令は語り手と同じ重みをもつ。この場で逆らうものは誰もいない。
そして『白の勇者』は大きく腕を広げ、自分の存在を魔人達にアピールした。
雄々しく彼女は吠えて見せる。その言葉は――。
「私は絶対に仲間を裏切らない。私たちは迫害されてきた。そんな私の同胞を売るわけにはいかない!」
――妖魔のものだった。声も言葉も、まったく同じ妖魔のもの。
魔人達の間に動揺が走る。
「理解した?」と『白の勇者』は囁く。
囁き声なのに、魔人達の耳にはしっかり彼女の声が届いている。
「――お前たちはこれほど尊い信念を持った妖魔を殺した。裏切り者として! こんなにもお前たちを思って! 必死で! 拷問に耐えていたかわいそうな妖魔を!」
『白の勇者』はまた声音を変えた。妖魔の声音に。哄笑と共に。
「ねえ――どうして殺しちゃったの?」
殺してやる! 幾人もの魔人達が声を上げた。血の滲んだような声だった。きっと大切な仲間だったのだろう。
たった一人に三十人が我を忘れて飛び掛かる。魔法が先ほどとは比べ物にならないほど降り注ぐ。
「魔人達は結束が強い。仲間を思いすぎる。利点でもあり、欠点ね」
そう『白の勇者』は呟いた。
◇
「荒れ狂う魔力、炎、氷、雷、風。多種多様の連携は凄まじい」
「飛来するその魔法の数はいくつ? 百? 千? 数十万? どれも同じこと」
「そんな攻撃、私には届かない。対等な者でなけきゃ掠めることさえない」
「この世界の人形と私とじゃ、格が違うから」
「もう死ぬ前の祈りは終えたかしら? まあ、祈っても願っても縋っても、それはどこにも届かない。神様は人形を軽んじているから」
◇
そもそもあなたたちは祈る意志すら持っちゃいないのだけど。
◇
戦いの最中、ぼんやりと『白の勇者』は考え事をする。
『彼』は今どうしているんだろうなって。
この世界で最も高潔な人だった。
魂は黒色であるとされている。例えばの話、人間の感情の優しさが赤ならば、冷酷さが青ならば、喜びが黄色ならば。人間の感情に色が割り当てられているならば、それを統合する魂は、すべての色を混ぜ合わせた『黒』だ。
その魂の色が深い黒であればあるほど、情のある高潔な人物であるとされている。
――だから『彼』の名前にも『クロ』が入ってた。
『白の勇者』は考え事をしている。目の前にいる敵を軽んじながら。
◇
『白の勇者』は魔人達のほとんどを殲滅し終えた。完全な無傷で。
雪山に異形の躯が打ち捨てられている。山の肌は抉れ傷つき、戦闘の激しさを物語るかのようだった。この一帯だけ、雪がすべて溶け、残っていない。
「弱すぎる」と『白の勇者』は呟いた。とてもつまらなそうに。
――バチバチと音がする。
死体と思われていた魔人の一人がゆっくりと立ち上がった。
この魔人達の統率者、魔将。
魔将は炎、氷、雷、風の各属性に一人ずつ存在し、魔王の持つ最強の手駒として部隊を束ねている。
彼は雷に位置する魔将最強の男だった。
「……ライオネル」
『白の勇者』が声は風に攫われる。誰にも届かない。
人語ではない唸り声が、殺意を持って『白の勇者』に向けられる。バチバチという雷の音が徐々に激しさを増していく。
「ぐああああああああああああ!」
夥しいほどの雷の筋が、その体から拡散した。その雷はリンドヴィレムの山肌をさらに傷つけていく。拡散する雷筋が土くれを炉に入れた鉄のように赤くする。荒れ狂う雷光が何度も瞬き、雷の魔将の体に収束していく。その姿は、まるで嵐雲が雷をかき集め、荒れ狂う光景のようだった。
帯電がその髪を逆立て、その体に黄色のオーラが宿った。ぶちぶちと体からは血管が切れる音がする。潰れるような音とともに体中から血が噴き出す。限界以上のエネルギーが体から漏れ出し、その余命の幾ばくの無さが見て取れる。
その眼にはもはや理性が宿っていなかった。
「……その精神を獣に落としたんだね。あんなにも仲間を愛し、率先して偵察に出て、ほとんど眠ることさえしなかったあなたが。自分の身を削って、強迫観念的な義務感で魔人を守り続けたあなたが」
『白の勇者』の声からは何の感情も読み取れない。そもそも誰にも聞こえてなどいない。
彼女は一人、舞台でセリフを喋っている。聞き取ることができるのはそれを読む読者だけで、神姫軍にも、雷の魔将にも、聞こえてなどいない。
「今度は理性さえ捨てて、味方を殺した敵に復讐しようっていうんだね」
――咆哮。
雷の魔将が大きく跳躍する。その体は雷速のものへと変化し、『白の勇者』めがけて突進する。
人の反射神経の限界は0.2秒。対して雷速となった魔将は0.0005秒で『白の勇者』へと到達を果たす。
人の限界など語るまでもない、超越したスピードだった。ほとんど瞬間移動と同じだ。たとえ魔法という奇跡をもってしても、その速さを捉えることなどできるはずもなかった。
「……でも、理性があった時の方が厄介だったかな」
雷の魔将の体がぱっくりと割れていた。その背後には剣を振り上げた『白の勇者』がある。
それで決着だった。
息絶えた雷の魔将を気にすることもなく、『白の勇者』は神姫軍に向き直る。
そして神秘的なオーラを放って剣を掲げて見せつけた。
「我らの勝利だ! 刃向かうものは殺しましょう。逆らうものは嬲りましょう。敵対するすべてを踏みつぶして、切り裂き、我らは歓喜の声をあげましょう。だって我らは神の僕」
剣を掲げる『白の勇者』は、いつだって無傷のままだ。
いままで傷を負ったことがない。そのドレスを汚すことさえない。
超俗的な雰囲気で一人立つ。圧倒的なカリスマで、神姫軍の上に君臨する。
「私を称え、恐れ、慄くがいい。あなた方には私がついている。勝利は約束されている!」
おおおおおおおお!
歓声が上がる。
皆、白の勇者が恐ろしかった。恐ろしく冷酷で、ためらいなく殺し、悲鳴に嬌声で返事をする、狂ったようなこの英雄のことが。
けれど誰だって、魔人達を恐れている。自分たちは魔人を討つためにここに来た。みんな殺されてしまうかもしれない。正義は敗れ、悪が栄えるのかもしれない。
怖いのは自分の死ではない。本当に怖いのは無駄死にだ。
でも、それだけは絶対にないと言い切れる。なぜなら自分たちには『白の勇者』がついるから。
――おおおおおおおおおおおおおお!
兵士の各々が武器を振り上げ、雄叫びを上げる。
約束されている。我らには勝利が確定している。
『白の勇者』は圧倒的な存在だった。いかに恐ろしくとも、彼女は必ず結果を出す。
とぼとぼと、『白の勇者』に近づく存在がある。それは語り手に英雄の姿を伝える役割を担う聞き手だ。
「白の勇者様」
「なあに?」
「……本当に私たちは正しいのでしょうか」
痛みをこらえるようにそう囁く聞き手に、『白の勇者』は侮るような笑みを無言で返した。「白の勇者様」と懇願するように聞き手は言う。
「魔人達は……私たちと何が違うのでしょうか? 仲間を失って嘆いて、怒り狂って。あの魔将の目には理性が宿っていませんでした。あるのは莫大な悲しみ。仲間を失って、痛い痛いと、獣のような感情だけが、私には伝わってきました」
白の勇者様! と聞き手はどうでもよさそうにする英雄に、己の領分を超えた言葉を投げかける。
「殺してきた魔人達は皆、自らの仲間を大切にしておりました! 決して裏切らなかった、拷問に耐えきった。私は彼らの文化を聞きました。力こそあるものの、彼らの多くは身体に障害がある。日常生活に不便をしていて、それを誰かが助ける。腕が動かない者は足が動かないものを助ける。足が動かないものは腕が動かないものを助ける。そうやって彼らは生きている!」
異形の魔人達。
腕が動かない魔人は足が発達している。だから足の無い魔人を背負って移動する。
足が動かない魔人は腕が発達している。食料を犬のように食べるしかなかった腕の動かぬ魔人に、食べ物を食べさしてやれる。
そうやって魔人達は互いの不足を補って生きている。
「ただ姿かたちが恐ろしいからといって、魔法を使えるから、恐ろしいからといって、それで迫害するのは間違っています!」
必死の懇願。けれどそれは『白の勇者』に聞き届けられることはなかった。
「洞察力があるのね、よく見てる。でもそれなのに、なんで気付かないの?」
軽んじるような声音。
「この世界は作り物。この世界は虚構。この世界は無意味。機械仕掛けの人形が動くとき、痛そうな音を奏でて動作する。ぬいぐるが裂けて飛び出る綿を、まるで出血のように見間違える。そんな出来事に同情するのは馬鹿らしい。生き物を殺して食べることに罪悪感を覚える方がまだましね。私の言ってること、わかる?」
「……彼らのことを人間とは認めないから、だから彼らがなにをしていても何も感じないということでしょうか」
「違うわね。そんなんだからあなたも人形なのよ。結局、この世界の理から抜け出すことができない」
「……理解できません、理解できません! あなたはおかしいです。いったいなにをいっておられるのですか?」
知りたい? と白の勇者は言う。
じゃあ、教えてあげる。
「 」
「今、なんと?」
「 」
「聞こえません、なにを言っているんです? ……あれ、音がでている? けれど……聞こえていない。いったいなにを」
「第二世界」
「……世界」
「物り世のこ界は作。の本中にるあ舞台」
『白の勇者』が見下したように言う。
「結局、あなたには私の言葉はわからない。私が喋っているのはあなたたちが普通に使っている言語よ? なのにあなたにはわからない。認識することができない。あなたは理から外れることができない。所詮人形だから」
聞き手は空恐ろしいような感覚に襲われた。次元がずれているかのような。自分が見ている景色が間違っているかのような。
それは言うならば、夢の中で「なにかを触っている」と認識しているような感覚と似ていた。自分はこの人に触れられていないのだ。
話は終わったとばかりに『白の勇者』は会話を切り上げた。そして予言するかのように言う。
「さて、そろそろ物語的にも今度は本丸の登場かしら?」
『白の勇者』が薄く微笑む。その眼差しは遠くかなた、リンドヴィレム山頂上付近を射抜いている――。
「――その通りだ、白の勇者よ」
とても邪悪な声がする。重々しく、負の気配が降りかかる。
兵士たちの何人かが膝をついて頭を抱えた。
「黒い」と誰かが叫ぶ。
兵の何人かは『黒』が見えていた。音を聞いただけで、黒という情報を受け取っている。その視界にはただ焼け焦げたリンドヴィレム山の光景が映るだけだ。
「黒い」と誰かが言う。
「精神干渉、黒の魔王はずいぶん便利な魔法を持っているのね」
『白の勇者』は敵をはっきりと認識した。
この遠く、リンドヴィレム山の頂上付近に『黒の魔王』がいる。
甘いわね、とその気配を辿る。超感覚が、視力ではない能力を使って、『黒の魔王』を認識させる。
自分の代わりを務めている奴は誰なのだろうかって興味深く観察する。
その気配には、どこか……自分と近しいものがある。
「……わざわざ同類を用意したってことかしらね、語り手は。まあ、勇者と対決するのは同じ世界のものじゃないと格がずれるか……。それにしても、なんだか妙ね」
『白の勇者』にとって魔人達の集団は負の遺産だ。
彼らは自分にとっての傷であり、必ず排除しなければならない敵である。
始末した後はこの世界から消える。愛する者をもう失っているから。
「精神干渉もおざなりなものね。かつての私ならもっとうまくやれた。こんなにも甘いから、相手を叩き潰す覚悟がないから、制圧力が弱くて隙ができる」
『白の勇者』は黒い男を見た。仮面を被り、マントが風に靡いている。その男は世界の中でも存在の格が違う。その男の一撃で、山一つが吹き飛ぶ。
『黒の魔王』は白い女を見た。仮面を被り、ドレスが風に靡いている。その女は世界の中でも存在の格が違う。彼女だけは世界の理から外れた知覚を持っている。
『白の勇者』は超感覚の能力を持って、黒の魔王の精神を逆探知し始める。
すぐに核心を見つけ、相手の心の中に入り込む。『白の勇者』は圧倒的な存在だった。本来持ちえない能力も、相手からの仕掛けを利用して、相手以上にその効力を発揮できた。
黒の魔王の精神の壁を乗り越え、相手の痛いところを見つける、ほじくる。
そこからは互いの精神のせめぎ合いだった。
痛み、苦悩、嘆き。
強い孤独感。狂いかけた使命感。やっとのことで自分を制しているのが、伝わってくる。
相手は最初から追い詰められている。だからこんなにも弱い。魔人達の王だというのに。
『白の勇者』はさらに黒の魔王の精神を侵食していく。
焦る精神が自分を防ごうと躍起になる。だがまるで無駄だった。
『白の勇者』はほくそ笑み、勝利を確信する。
記憶。黒の魔王はずっと一人で戦い続けてきた。参謀に蔑まれ、尊敬と恐れの中、唯一の君臨者として魔人を率いていた。
そして最も深い傷は――愛するものを、自らの手で殺したこと。
そこに映る白髪の女の子の姿は、まるで――。
「……え?」
もう生きていたくはないという嘆き。それでもやり遂げなければならないという暗い決意。
彼女を殺してしまったから。彼女を殺してしまったから。
だから僕は――魔王になる。
魂が嘆きを泣き叫ぶ。高潔な思いは腐り堕ちる寸前。
――同じ世界格。
『白の勇者』が『人形』と言わない人物のこと。真の人間である者のことを、同じ世界の格を持つと表現している。
ルールがある。そういった同じ世界格の持ち主の名前には、必ず『ル』という文字が刻まれている。
いつの間にか、相手の防御は止まっていた。
自分の苛烈な攻めも、止まっていた。
――今、黒の魔王と『白の勇者』はお互いの姿をはっきりと認識している。
お互い、予感がして自らの仮面に手をかけた。
宿命を感じる、運命を感じる。この世界には二人しかいないという錯覚を覚える。
そして双方、仮面を外した――。
『白の勇者』が見たのは、この世で最も高潔とさせるものだった。同じ世界格の人間で、黒を名に刻む、かつての人類の英雄だった。
◇
「――あ、クロル?」
「……シルファレア?」
「ねえ、なんで?」
「君は……白の勇者なのか」
「あなたは……黒の魔王なのね」
「そうか、僕は」
「そうか、私は」
君を・あなたを殺さなくてはならない。
ああああああああああああああ!
ああああああああああああああ!
僕は嫌だ。
そんなの嫌だ。
狂おしい。そうか、これが運命なんだ。
そうやって物語が終わるんだ。
もう一度僕が殺さなくてはならない?
それが運命?
私はとっくの昔に、呪われた運命を受け入れた。
祈って願いが叶う程、世界は優しくない。
私は黒の魔王を殺す。
◇
「あああああああああああああああ!」
黒の魔王が発狂したかのように叫び、参謀がその体を抑えた。
「いったいなにをしているんです?」
いかなくては、いかなくては、とうわ言のように『黒の魔王』が言う。
「いいえ、それはだめです。そんな危険なことは。今、白の勇者は圧倒的です。一人で行けば殺されます」
うるさい、うるさい、とうわ言のように黒の魔王が言う。
黒の魔王は自分の体に深く爪を食い込ませた。必死で自分を抑えた。
荒れ狂う衝動を自傷で抑え、痛む頭を無様に床に打ち付けて、その場で暴れまわった。
そしてしばらくして、ぐったりと動かなくなった。
◇
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」
『白の勇者』が発狂したかのように叫び、聞き手がその場から飛びのいた。
『白の勇者』はその場に深く剣を突き刺し、震える体を抑え込んでいる。
荒れ狂う衝動が、彼女の体を襲った。
早くいけ早く会え。敵対しろ、対決しろ、決着をつけろ。
殺せ!
それでも、『白の勇者』は強靭な精神力で自らを抑えた。
戦いで一度もかくことのなかった玉の汗が、その白い肌に浮かび上がり、苦悶の声が漏れる。
膝をつく。自らを強く抱きしめる。
「クロル――」
哀願するような声音。
「クロル、クロル――」
媚びるような甘い声。
「クロル、クロル、クロル、クロルううぅぅぅぅうう」
さらに自らを強く抱きしめる。
その表情は白い仮面で覆われていて、見えない。
そうしてしばらくして、彼女は何事もなかったかのように立ち上がった。
「大丈夫ですか?」と恐々と聞き手が言う。
「何も問題ないわ。少し休憩したら、行軍を始めましょ――」
『白の勇者』が目を見開く。
リンドヴィレム山の頂上から雪崩が起きていた。
それは木々を飲み込み、すべてを白に染めていく。
傷ついた山肌も、大量の軍隊も。
すべて等しく、白の暴雪が飲み込んだ。
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