黒三
うなされる。
悪夢は永遠だ。永獄の苦しみから逃れることはできない。
いつも幻夢に浮かんでくるのは、人の不幸やうめき声ばかり。
――助けて、助けて。
――殺して、殺して。
いつもためらわずに手を下してきた。でも、本当はためらいたかったのかもしれない。
弱虫みたいに人の命を尊んで、殺したくないと泣き叫びたかったのかもしれない。
でもそんなことはしなかった。殺しも残酷さも必要なもので、加減は邪魔でしかなかったから。
魔王はいつだって悪のカリスマ性を求められる。荒れくれ者が多い魔人病の王として、示すのは慈悲ではなく力でなくてはならない。
だから何度も何度も殺してきた。
◇
白の魔王の力は絶大だ。
眩暈のするような量の敵をなぎ倒す。嘲笑しながら、侮蔑して、見下しながら敵を切り裂く。
誰だって、決して彼女に敵わない。
個は彼女に完敗するのは当然として、群すらも虫けら同然として扱われる。
――きっと誰からもそう見えたんだろう。
彼女は常に仮面を被る。連戦に疲れた表情も、痩せ衰えつつある体の部分部分も、誰の目にも映らない。
いつだって、白の魔王は余裕ぶった表情を張り付ける。圧倒的な魔王の存在を演出する。
――常に孤独に。
だからきっと、誰も彼女を救わない。
意志をまるて汲み取られることがない。畏怖と崇拝だけが彼女に集中している。
彼女はまるで物語にでてくる無敵の魔王だ。そう信じられている。彼女が敗れることはないという物語。黒の勇者からはそれが信仰のように映る。
黒の勇者は、そんな彼女をずっと見てきた。
……歯を食いしばりながら。
◇
「ねえ起きて、×××!」
幻想的な雰囲気の白髪の少女が誰かの名前を呼んでいる。
超俗的な雰囲気の携えた少女だった。可憐にして華奢。今にも壊れてしまいそうなほど儚く見えるのに、見る者が見れば近づけないほどの恐ろしいオーラがある。長く絹のように細い髪は白、怪しい魅惑の輝きを持つ瞳も白、纏う衣装は白を基調としたものでひらひらとしたレースがついている。胸元についている赤が象徴的な宝石は魔王であることの証だった。
泉の畔で、うつらうつらと船を漕いでいたことに黒髪の少年は気づいた。
――眠っていたのか。
呼びかけられた黒髪の少年――黒の勇者はあたりをぼんやりと見渡す。
のどかな風景が広がっていた。泉は深緑に揺蕩う森に囲まれている。ここには誰もいない。柔らかな光が地を照らし、鳥がさえずり、空気は澄んでいる。慈しむかのような木々のさざめきは、仄かな安心感を与えた。踊り散る木の葉の舞いは嫋やかで、ここはこの世ではないかのようだった。
「×××ー、起きてよー起きて―」
凛としてかつ澄んだ声。しかしその音はどこか甘い。
その声の持ち主である白髪の少女は『白の魔王』と呼ばれる存在だった。普段は魔人の王として君臨する者であり、いつも気を張らねばならない存在であった。その声がどこか甘いのは、きっと彼に心を許している部分があるせいだ。
寝そべったまま、彼は口を開く。
「起きる、起きるよシルファレア……」
とても長い夢を見ていた気がする。夢は物語のようで悲劇に満ちていた。
自分は紙に書かれた文字の羅列を読んでいて、そこでは自分が登場人物として出演していた。そこで起きるのはは殺戮の嵐。人を殺して殺して殺しまくって、自分の精神は歪んでしまったと文字では書かれていた。
ひどい物語だ、と黒の勇者は思う。
「ねっ、こんなに眠っちゃってどうしたの?」
「うん。……なんだか、ひどい夢を見てたんだ」
「どんな夢を見てたの?」
「よく覚えてない。自分が主人公をしてる夢だった。それを僕は物語を読むみたいに眺めてた。そこでは僕が苦しんでた」
「へえ、変な夢だねえ」
くすくすと彼女は笑う。
きっとそういう夢は、この世界だと私とあなたしか見れないだろうね、という言葉を添えて。
「ねえ、×××。私のもとにあなたが来てくれてよかったって私は思うよ」
「どうしたの急に。僕は君を殺さなきゃならないかもしれないのに」
黒の勇者は教会の教祖たる『語り手』の勅命を受けてこの場に来ていた。
――『白の魔王』を殺せ。
しかし、彼は素直にその命令に従うつもりはなかった。自分の目でそうするべきか判断する。『白の魔王』の信念と考えを聞いて、殺すべきなのかを自分で考える。その存在が世界全体にとって害になると判断したのなら、『黒の勇者』は『白の魔王』を殺すだろう。
彼女はそのことを知っている。知っていて普段の振る舞いを変えることはない。逆らうものは皆殺し。慈悲をかけず、同情を請う敵に惑わされることもなく、必要とあれば拷問をしたし、非情な独裁者として彼女は魔人たちの王をしていた。
それでも黒の勇者が彼女を殺そうとしなかったのは彼女の正義を知っていたためだ。彼女は見捨てられた者たちのために戦っている。誰にも汲み取られなかった魔人らの意思を掬い上げて、彼らを生かすために魔王をしている。
かといってそれは悪逆非道な行為に他ならない。生きるために他人を殺しているのだから。黒の勇者は白の魔王を見計らっている最中だ。今は殺す気がなくても、後々に彼女を殺すという判断をすることになるかもしれない。
きっとそういう判断が下される可能性が高いことを知っているのに、なのに彼女は幸せそうに言う。
「私、孤独だったから。この世界の人たちと私は対等じゃなくて、あまりに私は圧倒的。私は世界にとっての異物。誰も私と目を合わせない。でも、×××だけは違うから」
「まあ君は強すぎるかもね。そういう意味ではこの世界で君と対等なのは僕ぐらいなのかもしれない」
――私は第二世界が『白の魔王』、シルファレア。君の名前は?
そう名乗られた時のことを今でも鮮明に覚えている。
その名乗りを受けたとき、なぜだか自分の口が勝手に動いた。
――僕は第二世界が『黒の勇者』、×××。
一度も口にしたことのない口上文句が喉をついてでたのはなぜだろうか。奇しくも彼は彼女に特別性を感じていた。こんなに同類として見れる相手は初めてだと、こんなに安心できる相手は今後の人生に現れないだろうと、運命めいたものを感じていた。
出会ってからは常に傍にいた。彼は傍観者であり、彼女のすることなすことを観察する。魔人たちは恐れて彼女の半径十メートルにすら入らない。奇妙にも敵である自分だけが彼女の円に入れる人間となっている。
話をした、愚痴を聞いた、苦悩を聞いた、怒りを聞いた。
他者を蔑む強烈な意思を知った。誰かを助けてやろうという崇高な意思を知った。
黒の勇者は『白の魔王』の唯一の理解者だった。彼女の正義も悪も受け止めて、彼女を観察していた。
あまりに彼女を理解しすぎてたぶん――彼女のことを好きになっていた。
それでも必要があれば殺すという意思は変わらない。
黒の勇者がゆっくりと首を振る。
「僕、君を殺したくないなあ」
「なにそれ、私なんていつでも殺せるみたいな言い方だね? 私の方が絶対強いんだけど」
「張り合うね。でも物語において勇者が魔王を倒すのは世界の道理だ」
「バットエンドで終わる物語なら魔王が勇者に勝つよ?」
二人は共にこの世界において圧倒的で負けるということを知らない。
客観的な読者目線を用意したとする。その視点は二人のどちらが勝つのかを知れない。力があまりに拮抗しているから。
「大丈夫。いつしか第四の壁は破られて、すべてが白日の元に晒される日がくる。あなたも、私も」
「君ってさ、物語とか舞台だとか、そういうの大好きだよね」
「あは、わかる?」
「うん。よくセリフ回しが演出がかってる。観客を意識した喋りみたいだ」
「世界は作り物だって思いながら生きてるからね。そうしないと、疲れちゃうから」
「……へえ」
白の魔王は冷酷だ。あまりにも簡単に他者を苦しめる、殺す、痛めつける。それが最高効率だからというだけの理由で、難なく行う。理性に枷がないかのような立ち振る舞い。
彼女にとって、世界は『物語』で彼女の行動は『演出』。
素の自分をさらけ出すことはしない。どんな自分の姿も、演技だって彼女は謳う。
そうしなくては狂ってしまうから。
「これって意外と助かるんだよね」と彼女は笑う。
「×××はさ、自分がこの世界に属せていないような感覚、覚えない? 爪弾きものみたいな感覚」
「……誰しもが覚えることでしょ」
「うん。でも私たちは特別それが強い。私たちはあまりに強大で圧倒的。世界から一線を画してる」
だから、と彼女は言う。
「私はね、世界と私の間に壁があるように感じるの。その壁の向こうには無数の目があって、観客が私たちを見てる。私だけは世界で唯一、それを強く感じ取る」
それは世界から隔絶されている者特有の感覚なのかもしれない。前、左右、後ろに四枚の見えない壁がある。自分は世界に閉じ込められているという錯覚を覚える。
『自分はどこか違う』『自分は選ばれている』『自分は特別である』。自身を俯瞰して観察して、どこか現実感のないまま世界を生き続けている。
幼い子供が持つ万能感とよく似たその錯覚は、彼女の圧倒的な力によって生じてしまっているのだろう。
「私、この世界じゃ無敵なんだ」
確信めいたその一言を、黒の勇者は黙って頷くことによって答えた。
それが彼女の自衛手段なんだろうと考えて。高いプライドを保つことによって、かろうじて理性を保っているんだろうな、と。
どうしても彼女を守ってやりたいと、黒の勇者は思ってしまう。彼女は実際、とても強く、とてもか弱い。……たぶん。
妄想はもうやめるべきなのだろう。
黒の勇者は柔らかに微笑んだ。今だけは彼女が頑張らないようにって。
はっ、と白の魔王が突然振り返る。
「……誰かが見てる」
「……え?」
「いつもある無数の目。それが私たちを覗いて、読書して、登場人物の設定・葛藤、そしてストーリーを……楽しんでる」
黒の勇者は困惑した。白の魔王はたまにこういった狂言めいたことを言った。きっと、彼女は自分の作った物語と役に溺れている。
『助けなくてはならない』。
『守らなくはならない』。
『救わなくてはならない』。
常に彼女には三つの強迫観念が胸中に渦巻く。それはいったい使命感? 特別感が与える錯覚?
答えはきっと、そのどちらかに近い。永遠に続く極限が彼女は追い詰め続ける。
不安定な彼女はこう呟く。
「未来と過去と現在を、同時に見てページをめくる。結末がどうなるかを楽しみにしてる。……私、魔人を救えるかを試されてる」
「シルファレア」
「わかってる。もう私は限界だって。きっとこのまま、私はなにも救えない。……でもまだ、わからないじゃない! そうだ、この世界が物語なら、主人公には逆転か奇跡が与えられるはずで」
「シルファレア!」
黒の勇者の大声に、怯んだように彼女は身を震わせた。ただの女の子みたいに。
黒の勇者は苦々しく思う。彼女は確かに、まだ年端もいかない女の子だ。なのに、年相応の弱った姿を見せつけられるだけで、嘘みたいな感覚に襲われる。
――でもわかってる、彼女は強い演技をしているだけで、ただの女の子なんだって。
――だから。
「大丈夫だ」
「……」
「大丈夫だ、大丈夫だから」
「……×××」
きっと、黒の勇者は白の魔王に肩入れしすぎてる。彼女を慰めるべきではないのは明らかだった。けれどどうしても、胸の内が、喉の奥が、奥底に眠る魂が、彼女を救えと叫ぶ。
――こんな熱にうなされて身が震えそうになるのは、恋心なのだろうか?
「君は一人じゃない」
「……」
「僕がいる。君の苦しみを、葛藤を、やるせなさを、僕が受け止めてやる。……ここには僕しかいないよ。演出なんて、考えなくていいんだ」
「……違うの、私は――」
躊躇いながら滲み出る喉音は、途中で風に攫われて消えた。恥じ入ったように彼女は押し黙る。目に涙をいっぱいに溜めて、堪えるように拳を握る。
そんな彼女をどうにかしてやりたくて、黒の勇者は言葉を重ねる。
「君の心は僕が守る。保証してやる。僕は勇者だから」
「やだ……やだよ。だってそれは……」
規則に反している。役割から外れている。
黒の勇者の存在は、白の魔王を滅ぼすためにある。
――どうしてなんだろう。
体は言うことを聞かなくて、いつの間にか黒の勇者の手元には、かわいそうな少女のてのひらがある。守るように握りしめて、彼女を決して離さない。
それに彼女は、弱々しい抵抗をするだけだ。きっと、囚われることを望んでる。
互いを互いに理解し合う二人は、互いが禁じられた関係を願っていることが痛いほどわかってる。
我慢できずに飛びついたのは白の魔王の方だった。
涙交じりの声で、彼女は黒の勇者の胸元に顔をうずめる。今もどこかで見てる観衆に顔を見られないようにするみたいに。
「×××……ダメだよ……誰かが見てる」
「ここには誰もいない」
「でも……!」
黒の勇者は彼女を黙らせるために、抱擁する力を強めた。
ここに自分はいるんだって、近くにいるんだってわからせる。
恋に溺れた少女は、泣きながらその優しさに溺れた。いけないことだって知りながら、愚直に、脳を蕩けさせて、目を瞑る。
――厳しい現実なんて、全部夢だったらいいのに。
なにもかもから解放されて、忘れることを、きっと彼女は望んでる。
「ねえ、×××」
「なに?」
「キス、しよっか」
「……うん」
溺れているのは一人ではなく二人。だからこうも堕ちていける。
二人は熱いくちづけを交わす。それは長く長く続き、終わりには雫が頬を伝って線を引く。もうおしまいって、線引きしてるみたいに。
お互いにわかってた、もうやめなければならないって。
それでもお互いにその線を越え続けた。なにかから逆らうように。心の底から湧き上がる激情がそうさせた。くちづけのあとには熱い吐息が続く。
飲んでも飲んでも喉が渇く。ずっと二人は際限なくお互いを求める。
「大好きだよ」と彼女は言う。
◇
「魔王様」
夢から覚めたような思いで、黒の魔王は翼の魔人を見た。
宙に漂い、神妙な表情を形作る彼は、なにか重要なことを伝えようとしていた。
なんだ? と黒の魔王は問う。
「……あなただけにお伝えします。今の戦況は劣勢、特に、一週間前からは情報戦でも局地戦でも惨敗。強力な敵指揮官が現れた可能性が高いです」
それは常々言われていたことだった。こちらの戦略が通用しない。どこからか情報が洩れているとしか思えない。きっと、スパイがいる。それも複数。
そして、魔人達が得意とする少数精鋭のゲリラ戦法が通用しなくなってきている。少数で人間何人もの戦力に値する魔人達の最も秀でた作戦が、何者かに打ち負かされている。
――『白の勇者』と呼ばれる存在。
超人が一人、あちら側にいる。
「私めが偵察し、『白の勇者』について探りました。……心してお聞きください」
喉に情報がつっかえる。身が恐怖に震える。翼の魔人は、圧倒的な存在を伝えるために、脳裏に『白の勇者』を思い描く。
ただ思い出しているだけなのに、彼の目は恐怖でいっぱいだった。
「……『白の勇者』の正体。それは前代魔王である、『白の魔王』かと思われます」
必死の忠告。
しかし、そんなことはあり得ないと、黒の魔王は笑い飛ばした。
だって彼女は、他ならぬ自分が殺したのだから。




