黒二
◇
戦況は明らかに劣勢だった。
次々に死んでいく魔人と人。魔人達は能力の上では圧倒的だったが、人間側は母数が多い。
薄氷を踏むようなギリギリの攻防。均衡が崩れればすぐさま魔人達は全滅するだろう。精神を削る消耗を強いられながら、魔人達は北へと目指す。人間達に決して追われることがない極寒地へ。
『玉座の間』に超人めいた男が一人座る。『黒の魔王』と呼ばれる人物は、一人跪く魔人に声を掛けた。
「参謀。これ以上犠牲は増やせない」
参謀と呼ばれたその男は重い魔人病を患っていた。彼の体には異常が多く起きている。その四肢は捻じれ、頭には醜悪な角が二本。唇は紫色で、指先や片耳など、体のあちこちが欠けている。これは魔人病を患った者特有の欠陥障害だった。彼は日常生活を送るのに不便するほどに体が欠けている。それでも不屈に生きる。燃えるような憎しみを原動力にして。
――参謀という男は。
大事な誰かに「お前なんていなくなればいい」と言われたことがある。最初はそれを笑い飛ばした。けれど何度も何度も繰り返される言の葉が、ガラスの破片程度の切っ先が、薄く心を傷つけ続ける。
そうして「お前なんていなくなればいい」「お前なんていなくなればいい」と何度も何度も繰り返される呪詛が頭に廻り、降り積もっていったのなら。
ふとした時に参謀はこう思ったのだ。
――ああ、自分なんていない方がいい。
歪んだ笑みを漂わせ、参謀はぎらぎらとした目で黒の魔王に丁寧な口調で言い刃向かった。小馬鹿にしたような雰囲気さえ漂わせながら彼は言葉端に疑問符を打つ。
「小隊を時間稼ぎの足止めに使うことをいっておられるのですか?」
「……絶対に死ぬ作戦。崇高な意思を持つものが率先して死んでいる」
「けれどそれでもそうでもしなければ! ……我らが生き残ることは叶いません。黒の魔王よ」
「……」
千人を超える魔人達。対してそれを追いかけるは五万はくだらない人間ども。
参謀の頭脳であちらの情報を撹乱し、追いかけてくる人数を裂いてきた。犠牲を許容し、なんとか生き延びてきた。
参謀は自分にも他人にも厳しすぎる。安全を取るために犠牲を出しながら逃げる策ばかりを敷いている。
「そんなことをいうのなら」と参謀は謳う。
「あなたは今すぐにでも人間を滅ぼすべきでしょう。我らは逃げてはならない。もう十分に逃げたのだから」
「……無理だ。戦力が足らない。魔人が五人の人間を相手できる計算だとしても、敵の数はそれを超えている」
参謀は丁寧かつ激烈に、責め立てるように黒の魔王を言い詰る。
「なにもできないくせに。白の魔王を殺した劣化魔王のあなたごときじゃ! ……代案もなしに、口答えするのはやめて頂けないでしょうか?」
「それで?」と参謀はもう一度問う。
参謀は先代魔王を殺した黒の魔王を恨んでいる。だからこうも強く口撃をする。悪意の交換こそが至高だと思い、わかりやすく生き方を間違ってるようなやつが参謀という男。
相対する黒の魔王は孤独感に苛まれながら考える。黒の魔王には味方がいない。彼は先代である白の魔王を愛していた。けれど殺してしまった。その罪滅ぼとして、彼は魔王として君臨している。
そのために取った方法は恐慌政治だった。そうやって屈服させて痛めつけて抑えつけて、無理やり魔人達を指揮した。けれど――そんなやり方だから、彼は誰からも恐れられている。いつか寝首を掻かれる可能性だってある。
黒の魔王は力では圧倒的な存在。参謀を殺してしまうことは簡単だった。けれどそんなことをすれば、この集団は崩壊するだろう。
だから黒の魔王は、この手綱のついていない部下を口で言い負かさなくてはならない。
――今から行われるのは舌戦だ。
「僕ら魔人は生き延びることを第一目標としている。魔王である僕の魔力は守りに使う。いざという時のために備える」
「そんな腑抜けたことを」
「ならどうするんだ? わかってるはずだ。僕が死ねば魔人は一瞬で滅ぼされる」
「知ったことではありませんね。戦ってみんなで死ねばいい。魔人達の持つ恨みは強い。自らの命を使って人間どもを殺せるのならば、それは本望でしょう」
魔人達の持つ恨みは大きい。
彼らは魔力受け取った代償として、異形の体に変貌する。そして高確率で体のどこかしらが不自由な障害者となる。そんな彼らに面白おかしく、人々は石を投げる。死ねよ化け物と剣を刺す。
売られ、裏切られ、抉られ、切り刻まれ、拷問され、見世物にされる。貴族のおもちゃとして犯され、壊れてしまえば捨てられる。
そのほとんどを受けて生き残った参謀という男は――一際人間たちへの憎悪が激しい。
そのことが黒の魔王はよくわかっていた。殺し合いは止められない。けれど魔人達を全滅させるわけにはいかない。
だから、
「ならば僕がそれを代行してやろう。平気な顔で僕らを虐げてきたやつらに、同じ苦しみを与えてやろう」
黒の魔王は厳かに唱える。言葉巧みに説き伏せる。欲しいものを、魔人の意思を汲み取って、成すべきことを成す。
「東に人々の里がある。そこに大魔法を打ち込む。何も知らない人間達に。そうすれば軍の追手は人々を救護する。人間たちは僕らに深い恨みを向ける。だってそうだろ? それでこそ――ようやく僕らの感情は釣り合う」
参謀は黙ったまま目を光らせた。彼の精神構造ははっきりいって狂人のそれと変わりない。黒の魔王の言葉に魅了され、それを実行してしまいたいと思っている。悪意は釣り合わなくてはならない、と。我々は人間を恨んでる。相手はこちらを虫としてしか見ていない。
――そんなの悔しいではないか?
だから参謀は、にっこりと黒の魔王の言葉に頷いた。
「……いいかもしれませんね。それで魔人達の気は晴れる。我々は生き残る可能性が上がる。最高の策ですよ」
人間が優しければ優しいほど、この作戦の効果は大きいだろう。
けれどこんなものは、とても理屈的とは言えなかった。けれどもそういうものだった。誰も彼も、理屈ではなく感情で動く。
恨みの輪が続いている。一方的な非迫害者である魔人達は、その輪が相手にも届くことを望んでいる。
元人間である魔人達。けれど彼らはもう人間のことを人として見ていなかった。すり潰し、悲鳴をあげさせたのならば、その音は極上の演奏音として魔人達の耳に響くだろう。
それぐらい魔人達は人間たちのことを憎んでいた。そういう文化が根付き、異常なほどの敵対意識が研ぎ澄まされていった。
「こんなの間違ってる」と黒の魔王は呟く。
――おどろおどろしい気配が、息が詰まるような殺意があたりを満たす。
「は?」
にこにこと先ほどまで笑っていた参謀が、目を剥いて激怒していた。
参謀に力としての恐怖はない。けれど、体の底から迸る狂気が、憎しみが、残虐さが、黒の魔王を貫く。
黒の魔王は奥歯を噛みしめる。
――ああ、これほどの悪意を向けられても、僕はこの人に反撃することはできないんだ。
それが白の魔王を殺した罰なのだろう。
だから全部自分が悪い、と黒の魔王はそう思う。
「あなたは平気な顔をして綺麗事をほざくんですね。元『黒の勇者』」
「……」
「お前が殺した! 我らが救世主を、あんなにも優しい女性を!」
参謀という男は頭が良かった。彼は黒の魔王がどの言葉に心を抉られ、病んでいくかをよく知っていた。
「愛していたのではなかったのですか?」と参謀は囁く。
「白の魔王シルファレア様は確かにあなたを愛してた。あなたも同じぐらい、愛してた」
元黒の勇者である彼は、確かに白の魔王を愛してた。……それでも殺した。
それは、なぜ?
魔王は世界にとって害になるから、だから容赦なく殺した。それが勇者としての役割だったから。
人間達の勇者として、そうしなければならなかったから。
「……」
黒の魔王は何も言い返せない。
「やめて、やめてよ、と。やだよ、やだよぉ、と懇願する少女を、容赦なく切り捨てたのは誰ですか? 彼女はあなたに抵抗することなく殺された。互角に戦える力があったにもかかわらず」
「……」
「あなたは卑怯者だ。そんなあなたがなんで平気な顔して綺麗事を口に乗せることができるのですか?」
「……」
黒の魔王は、答えない。
さざ波打つ泉。耳に心地いい木々の騒めき。鳥たちの歌う声。
そこで自分の名前を呼んでくれた女性。
――白の魔王シルファレア。
参謀は呪文のように唱える。黒の魔王がより当時のことを思い出せるように。彼がより深く苦しみますように、と。
悲鳴、悲鳴、悲鳴。参謀は繰り返す。
あんなにも嫌だって言ったのに。戦いたくないって言ったのに。
――なのにお前が殺したんだ。
激昂した参謀は黒の魔王の胸倉をつかむ。
静寂。
「悪……かった、悪かった、だから」
その口からは魔王とは思えない、ごめんなさい、という言葉が零れていた。
ごめんなさい、ごめんなさい。彼女を殺してしまってごめんなさい、と何度も何度も口にする。その身体は震え、目の色が絶望に染まっている。
参謀が手を離せば、黒の魔王はそのまま膝を着く。今だって彼の頭の中には幻聴が聞こえている。いつかの悲鳴。愛されていた思い出。彼女の血の臭い。
「死んでしまえばいいのに」と参謀は吐き捨てるように言う。
そしてその頭を踏みつけ、恨みの籠った目を向ける。こんな光景が誰かに目撃されれば、どちらが主君かわからなくなってしまいそうなものだった。
やかで参謀は去っていく。一人残される黒の魔王はただの少年みたいに身を震わしている。謝罪の言葉を一人永遠に漏らしそうになる。
「……それでも僕は、魔人達を救うよ。――シルファレア」
まだ心は折れていない。どんなに周りから恨まれていても。
この誓いだけは完遂して見せる。だから黒の魔王は再び立ち上がる。病んだ瞳で、満身創痍で生きている。
そして、玉座の間から立ち去った。
外に出てみれば、自分が出てきた天幕が良く見える。ここはキャンプ地。人間たちに追われる自分達は、ギリギリの逃避行を繰り返している。
すぐ外には参謀が経っていた。さあ、と彼は嫌そうに手を差し伸べる。
「あなたが今すべきことを」
「……」
参謀の手のひらにあるのは、魔王が被る仮面。
白を基調としたそれは、禍々しい稲妻の黒模様と、黒の斑点に覆われていた。かつての白の魔王の仮面の色を反転させたデザイン。
黒の魔王はゆっくりと仮面を被る。恐怖の対象として、魔人達の前に君臨するために。
黒の魔王は参謀を引き連れて進んだ。
これから作戦を魔人達に伝えるパフォーマンスがある。その時に、人々は殺戮されるべきだと宣言される、黒の魔王によって。
――今、目の前に夥しく犇めく魔人達が、黒の魔王の眼前にある。
異形の者たち。確かに、彼らはおぞましい化け物たちの群れだった。
それはとてもても醜悪で。
捻じれた足が、皮膚が溶けて位置がずれた眼が、腐った体の一部一部が、目に入るだけで嫌悪感をもたらすのは必然というもの。
黒の魔王は吠える。
「僕を見るがいい! 貴様らが恐れる魔王の姿を! お前たちは人間に虐げられてきた。いつも恨みを抱いていた。……それなら? その感情は廻らねばならない! 我々はなぜ逃げる? 生きるためだ。けれど……迫害者たちはそうやって我々を追い立てて追い詰めて追い嬲って、一方的に我らを傷つけるのか?」
そんなの許せるはずがない、と黒の魔王は唱える。
そうだ、と誰かが言う。たったこれだけの言葉で、魔人達の恨みで形作られた蝋燭に火が灯る。
「僕が復讐してやろう。僕についてくるのなら生かしてやろう。貴様らの願望を代行してやろう」
――なればこそ、と黒の魔王は言う。
彼の体に魔力が灯る。吹き荒れる力のオーラは圧倒的で、なのにどこか寒々しい。陰鬱な力の根源は黒の魔王の体を中心に発現し、強い死のオーラを漂わす。
魔王は順当にストーリーに沿って行けば、人類に仇名す巨悪で敵だ。
きっと黒の魔王は今から物語での役割を果たすみたいに、正しくこの魔王は人々を殺戮するだろう。
「僕が人間を殺し尽くす」
参謀は囁く。
「あなたの力を、あなたに仕えるものにみせしめてください」
黒の魔王は一歩前へ。
行われるのは儀式だ。贄を必要とする祝祭だ。
眼前に映るのは期待の目。畏怖の目。絶望の目。唯一人君臨する魔王に向けられる、様々な感情。
力を知っている者。怖がっている者。魔王の力を知らず、追手から逃げきれないと思っている者。
黒の魔王は静かな詠唱を始める。
魔力に満ちた黒い髪が舞い上がり、胸の底から衝動のようなものが巻き起こった。
黒の魔王の紫黒色のマントがはためく。紫は王の使う色だ。王の色である紫と、彼を象徴する黒が混ざったマントが、一層強く彼を象徴的に見せるだろう。
――相変わらず、景色は灰色に見える。
黒の魔王は絶望している。この世界に救いはない。死者ばかりがこの目には映る。人を殺しすぎて、価値観が歪んでしまって、主に幸福感といった人間として持つべき数々の感情を失ってしまって。
けれど、残念ながら今だけは違った。
魔法を発動する瞬間、抑えきれない高揚感がのぼせ上ってくる。
今からするのは人殺しだというのに、黒の魔王はそれに多福感を覚えている。これこそが、狂ってしまっている証明なのだろう。
「エル・サーガ」
魔法の発動。
爆発的な魔力の噴出は突風を引き起こし、魔人の何人かを吹き飛ばした。
放たれるのは銀色の光線。
それはきっと、神の裁きに近かった。天に溢れる光の洪水。逃れる命はなにもなし。
黒の魔王の手から放たれた銀色の光線は地を裂き、雲を割り、はるか遠方までをも破壊の限りをしつくした。黒の魔王の目には遠くにある人間の村がよく見える。そこで消滅する人間たちも、一人一人がよく見える。引き裂かれて死んでいく人間たちの姿を、黒の魔王は凝視している。
銀色の光線の残光が、光のカーテンとして残滓を残す。
揺蕩う魔力の切れ端が、風に運ばれ散っていく。
「……光…………だ――」
魔人の誰かがそう言った。
心の底からでた、そういう感嘆に近いものだった。
彼らにとって、魔王の魔法は神秘そのものに映る。
魔人を導く光。圧倒的な破壊をもって、救世をもたらす。
その光は多くの人たちを殺している。その死体の上を歩いて、魔人たちは進むだろう。
黒の魔王はもう一度眼前に映る魔人たちの表情を見る。
期待、期待、期待、畏怖、畏怖、期待。
絶望で諦めているようなやつなんて一人も見当たらなかった。自分たちは生き残ることができる。それを確信している奴らばかりだった。
黒の魔王は圧倒的だった。人間どもの追手がいくら集まろうが話にならない。
きっとすべてを殺し尽くしてくれるだろうと、魔人どもは愚かにもそう信じた。
「魔王……様だ……」
涙を流す者。
「やっと……やっと……」
激情に拳を固める者。
「殺せる……復讐できる……」
抑え込んでいた怒りを思い出す者。
非迫害者である彼らは皆、圧倒的な魔王の姿を目にしている。
黒髪でマントを羽織り、背が高く、威圧的で恐ろしい魔王の姿を。
黒の魔王はそんな魔人達の姿を見て、腹の冷える思いをした。
――僕、本当にこんなことしてよかったのかな。
今にも零れそうな言葉を引きずって、振り返る。
――怒気に染まった参謀の表情。
瞬き一つをすれば、真顔の参謀の表情が視界に映った。ずっとその顔をしていましたよと言わんばかりの表情だった。
……本当に?
黒の魔王が使った力は、かつて白の魔王のものだった。それを行使し、魔人達に恐れられ、偉そうにふんぞり返る黒の魔王の姿は。
敬愛していた主君の力を簒奪し、それを見せびらかす黒の魔王の姿は。
――参謀にとってどう映る?
黒の魔王はゆっくりと目を閉じる。後悔の言葉を喉奥で押し殺して。
にこにこと参謀が口を開く。
「……これで我々は北へと逃げられるはずです。人が住んでいない未開拓地へ。いつか我々は復讐することができます」
「たった千人でどうやって?」
「魔人は強力です。おまけに迫害されています。大人数だと捕まりますか、少人数が追手を振り切って我々が新たに作った国に亡命してくるでしょう。時が経てば、五千か、一万人は集まる」
「人間の兵隊は百万はいる。魔人は一人で五人の力を持つ。一万集まったとしても五万までしか相手はできないぞ」
「――いいえ?」
参謀は薄く笑う。
「魔法はまだ開発されきっていません。今だって我々は新しい魔法を覚え、強くなり続けている。魔人が五人の力を持つ計算は簡単に覆る」
「だが多少覆ったようでは――」
「それだけではなありませんよ。今、大量殺戮のための魔法を開発しています」
楽しそうに、参謀は笑う。
「我々魔人が勝つんです。鬼畜生共を皆殺しにして、楽園を作るんですよ」
「……遠い未来の話だな」
「ええ、実現する未来の話です」
黒の魔王は絶望しながら首を振る。
背後では恐れの籠った魔人たちの賞賛の声が聞こえる。
魔王様、魔王様、と呼ぶ声はまるで亡霊のようで、病的な崇拝に近い呻き声は黒の魔王の精神を狂気へと蝕んでいく。
――僕は魔王。
人間の矛をやめ、人外の味方に付いた。
初代魔王である彼女を殺してしまった償いとして。
だから参謀に憎まれようと、魔人に恐れられようと、味方など一人もいなくても、孤高にただ一人立つ。
魔王として多くの人々を殺戮していく。
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第一章『狂気に祈る黒の魔王』
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