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e3

うなされる。

悪夢は永遠だ。永獄の苦しみから逃れることはできない。

いつも幻夢に浮かんでくるのは、人の不幸やうめき声ばかり。


――助けて、助けて。


――殺して、殺して。


いつもためらわずに手を下してきた。でも、本当はためらいたかったのかもしれない。

弱虫みたいに人の命を尊んで、殺したくないと泣き叫びたかったのかもしれない。

でもそんなことはしなかった。殺しも残酷さも必要なもので、加減は邪魔でしかなかったから。

魔王はいつだって悪のカリスマ性を求められる。荒れくれ者が多い魔人病の王として、示すのは慈悲ではなく力でなくてはならない。


だから何度も何度も殺してきた。



「ねえ起きて、×××!」


幻想的な雰囲気の白髪の少女が誰かの名前を呼んでいる。

超俗的な雰囲気の携えた少女だった。可憐にして華奢。今にも壊れてしまいそうなほど儚く見えるのに、見る者が見れば近づけないほどの恐ろしいオーラがある。長く絹のように細い髪は白、怪しい魅惑の輝きを持つ瞳も白、纏う衣装は白を基調としたものでひらひらとしたレースがついている。胸元についている赤が象徴的な宝石は魔王であることの証だった。


泉の畔で、うつらうつらと船を漕いでいたことに黒髪の少年は気づいた。

呼びかけられた黒髪の少年はあたりをぼんやりと見渡す。


のどかな風景が広がっていた。泉は深緑に揺蕩う森に囲まれている。ここには誰もいない。柔らかな光が地を照らし、鳥がさえずり、空気は澄んでいる。慈しむかのような木々のさざめきは、仄かな安心感を与えた。踊り散る木の葉の舞いは嫋やかで、ここはこの世ではないかのようだった。


「×××ー、起きてよー起きて―」


凛としてかつ澄んだ声。しかしその音はどこか甘い。

その声の持ち主である白髪の少女は『白の魔王』と呼ばれる存在だった。普段は魔人の王として君臨する者であり、いつも気を張らねばならない存在であった。その声がどこか甘いのは、きっと黒髪の少年に心を許している部分があるせいだ。

寝そべったまま、彼は口を開く。


「起きる、起きるよシルファレア……」


とても長い夢を見ていた気がする。夢は物語のようで悲劇に満ちていた。

自分は紙に書かれた文字の羅列を読んでいて、そこでは自分が登場人物として出演していた。そこで起きるのはは殺戮の嵐。人を殺して殺して殺しまくって、自分の精神は歪んでしまったと文字では書かれていた。

ひどい物語だ、と黒髪の少年は思う。


「ねっ、こんなに眠っちゃってどうしたの? 『黒の勇者』サマ」

「うん。……なんだか、ひどい夢を見てたんだ」

「どんな夢を見てたの?」

「よく覚えてない。自分が主人公をしてる夢だった。それを僕は物語を読むみたいに眺めてた。そこでは僕が苦しんでた」

「へえ、変な夢だねえ」


くすくすと彼女は笑う。

きっとそういう夢は、この世界だと私とあなたしか見れないだろうね、という言葉を添えて。


「ねえ、×××。私のもとにあなたが来てくれてよかったって私は思うよ」

「どうしたの急に。僕は君を殺さなきゃならないかもしれないのに」


黒髪の少年――『黒の勇者』は教会の教祖たる『語り手』の勅命を受けてこの場に来ていた。


――『白の魔王』を殺せ。


しかし、彼は素直にその命令に従うつもりはなかった。自分の目でそうするべきか判断する。白の魔王の信念と考えを聞いて、殺すべきなのかを自分で考える。その存在が世界全体にとって害になると判断したのなら、『黒の勇者』は『白の魔王』を殺すだろう。


彼女はそのことを知っている。知っていて普段の振る舞いを変えることはなく、逆らうものは皆殺し。慈悲をかけず、同情を請う敵に惑わされることもなく、必要とあれば拷問をしたし、独裁者として彼女は魔人たちの王をしていた。


それでも黒の勇者が彼女を殺そうとしなかったのは彼女の正義を知っていたためだ。彼女は見捨てられた者たちのために戦っている。誰にも汲み取られなかった彼らの意思を掬い上げて、彼らを生かすためには魔王をしている。


かといってそれは悪逆非道な行為に他ならない。生きるために他人を殺しているのだら。黒の勇者は白の魔王を見計らっている最中だ。今は殺す気がなくても、後々に彼女を殺すという判断をすることになるかもしれない。


きっとそういう判断が下される可能性が高いことを知っているのに、なのに彼女は幸せそうに言う。


「私、孤独だったから。この世界の人たちと私は対等じゃなくて、あまりに私は圧倒的。私は世界にとっての異物。誰も私と目を合わせない。でも、×××だけは違うから」

「まあ君は強すぎるかもね。そういう意味ではこの世界で君と対等なのは僕ぐらいなのかもしれない」


――私は第二世界が『白の魔王』、シルファレア。君の名前は?


そう名乗られたことを今でも鮮明に覚えている。

その名乗りを受けたとき、なぜだか自分の口が勝手に動いた。


――僕は第二世界が『黒の勇者』、×××。


一度も口にしたことのない口上文句が喉をついてでたのはなぜだろうか。奇しくも彼は彼女に特別性を感じていた。こんなに同類として見れる相手は初めてだと、こんなに安心できる相手は今後の人生に現れないだろうと、運命めいたものを感じていた。


出会ってからは常に傍にいた。彼は傍観者であり、彼女のすることなすことを観察する。魔人たちは恐れて彼女の半径十メートルにすら入らない。奇妙にも敵である自分だけが彼女の円に入れる人間となっている。

話をした、愚痴を聞いた、苦悩を聞いた、怒りを聞いた。

他者を蔑む強烈な意思を知った。誰かを助けてやろうという崇高な意思を知った。


黒の勇者は白の魔王の唯一の理解者だった。彼女の正義も悪も受け止め、彼女を観察していた。


あまりに彼女を理解しすぎてたぶん――彼女のことを好きになっていた。

それでも必要とあれば殺すという意思は変わらない。


黒の勇者がゆっくりと首を振る。


「僕、君を殺したくないなあ」

「なにそれ、私なんていつでも殺せるみたいな言い方だね? 私の方が絶対強いんだけど」

「張り合うね。でも物語において勇者が魔王を倒すのは世界の道理だ」

「バットエンドで終わる物語なら魔王が勇者に勝つよ?」


二人は共にこの世界において圧倒的で負けるということを知らない。

戦えばどちらが勝つのかは客観的な読者目線ではわからないだろう。だが二人とも、戦えば自分が勝つという確信を抱いているようだった。


「大丈夫。いつしか第四の壁は破られて、すべてが白日の元に晒される日がくる。あなたも、私も」

「君ってさ、物語とか舞台だとか、そういうの大好きだよね」

「あは、わかる?」

「うん。よくセリフ回しが演出がかってる。観客を意識した喋りみたいだ」

「世界は作り物だって思いながら生きてるからね。そうしないと、疲れちゃうから」

「……へえ」


白の魔王は冷酷だ。あまりにも簡単に他者を苦しめる、殺す、痛めつける。それが最高効率だからというだけの理由で、難なく行う。理性に枷がないかのような立ち振る舞い。

彼女にとって、世界は『物語』で彼女の行動は『演出』。

素の自分をさらけ出すことはしない。どんな自分の姿も、演技だって彼女は謳う。

そうしなくては狂ってしまうから。


「これって意外と助かるんだよね」と彼女は笑う。


「×××はさ、自分がこの世界に属せていないような感覚、覚えない?」

「……誰しもが覚えることでしょ」

「うん。でも私たちは特別それが強い。私たちはあまりに強大で圧倒的。世界から一線を画してる」


だから、と彼女は言う。


「私はね、世界と私の間に壁があるように感じるの。その壁の向こうには無数の目があって、観客が私たちを見てる。私だけは世界で唯一、それを強く感じ取る」


それは世界から隔絶されている者特有の感覚なのかもしれない。前、左右、後ろに四枚の見えない壁がある。自分は世界に閉じ込められているという錯覚を覚える。

『自分はどこか違う』『自分は選ばれている』。俯瞰して観察して、どこか現実感のないまま世界を生き続けている。

幼い子供が持つ万能感とよく似たその錯覚は、彼女の圧倒的な力によって生じてしまっている。


「私、この世界じゃ無敵なんだ」


確信めいたその一言を、黒の勇者は黙って頷くことによって答えた。

それが彼女の自衛手段なんだろうって考えて。高いプライドを保つことによって、かろうじて理性を保っているんだろうなって。

どうしても彼女を守ってやりたいと、思ってしまう。彼女は実際、とても強く、とてもか弱い。……たぶん。


妄想はもうやめだ。

黒の勇者は「……ちっちゃいんだから頑張んなくていいよ」と軽口を叩いた。場を和ませようと。


「え? 今なんて言った?」と白の魔王が凄む。ふざけたような言い方。


挑発的に彼女は彼の腕を掴んで持ち上げる。


「あら、ずいぶんと立派で鍛えられた腕ね。これじゃあ私負けちゃうかも」


そうだな、と黒の勇者は笑いながら振りほどこうとする。


……腕が全く動かない。


「どうしたの?」

「……なんかあれだ、冷戦だね。決闘前に憎みあってる騎士がお互いの手を握りつぶそうとする奴に似てる」

「あら突然どうしたの?」

「……」


とぼける彼女に、魔力を用いた全力で腕を振りほどく。


「あっ」と彼女が不意を打たれる。そのままバランスを崩し、彼のもとに倒れこむ。

寝そべった態勢の彼の胸元に、ふわりと純白の髪を舞わせながら飛び込む形となる。













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