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心優しき彼女を殺すという選択をこの世界がするのなら。
こんな世界、壊れてしまえと思った。
僕こそが壊してやると、そう誓った。
僕は――悪に身を堕とす。
魔王として君臨する。
◇
魔性を持つものか弾圧されるなら、私が国を作ってやろうと思った。
迫害される少数を救うために。
私が『王』となる。
でも、奪われてしまった。
力だけでは足りなかった。
優しさこそが必要だった。
私が間違っていた――だからこそ。
私は勇者になる。
正しいのは多人数だ。
より多くの人達の幸福のために、私は戦う。
◇
多くの人が救われると思って、青年は魔王を殺した。
少人数を救うために、少女は魔王になった。
青年は後悔した。彼女こそが優しき人であったと。
殺すべきではなかった。世の中に反逆していようと、彼女は誰かにとっての救世主だったのだ。
役目を、引き継ぐべきだと思った。
……。
かわいそうな人たちを見てかわいそうだと思った。
だから少女はそんな人たちの力になってやりたかった。
ああ――でも。
少人数を守るために、何人もの人を傷つけた。
一人死ねば四人が悲しむ。傷はどんどん広がっていって、嘆きの呪詛が大陸に響き渡る。
間違っていた。かわいそうな人たちに同情してそのために誰かを傷つけるのは――偽善だ。
魔王は悪で、産まれるべきではなくて殺されるべきだった。
◇
『逆転英雄再臨譚』
◇
人々が住まうヒストリア大陸で『魔人病』という病が発生していた。
それにかかったものの大抵は死に、生き残った者は力を得る。
まだ剣や弓が主流のこの世界で、『魔人』と化したものは『魔法』を使うことができた。
しかし、彼らはその体に傷を残す。
赤黒い傷。捻じれ、動かすことが困難になる人体。
頭からは角が生え、背から翼が生えるものもいる。
悪魔のような様相となった彼らは人々から恐れられ、嫌われ、弾圧されて……拷問された。
秩序の教会、というものが存在する。教祖である『語り手』を中心とした、神を敬う宗教団体だ。
彼らは国より弱かったが、一定の人気を民衆から得られていた。
いかにも正しいことを宣い、信じれば救われるを旨を説く教会の教えは、偽物だろうと多くの人たちにとっては救いだったのだ。
教会は増長した。『国』を超えてやろうと、そのために計画を練った。
まず敵を作る。弱くて石を投げやすい対象を見つけて、みんなで『協力』して敵を倒す。
さあ私たちはこれで仲間だ。よかったよかった。敵は――悪は殺され、私たちは良い行いをした。きっとこれで救われる。
魔人の中には足が捻じれて歩けなくなるもの存在した。一見魔法を使うことのできる強者だが、弱者でもある魔人たち。……しかし、彼らに容赦はなかった。
降ってわいた都合の良い敵として魔人は選ばれ、教会は国以上の勢力を誇ることになった。
『語り手』はほくそ笑む。計画はうまくいった、と。
しかし、想定外のことも起きた。
魔人病を患ったものたちの中には天使のような姿を持つ者や、まるきり人間と同じ形のものも存在したのだ。そういうものを『敵』に仕立て上げるのは難しかった。
特に『人間』の姿を保ったものの能力は異常に高かった。
人の身をして魔を宿す者。最高の能力者。
――これはあまりにもイレギュラー的な存在だ。
『語り手』は対策を練ったが間に合わなかった。
人の形をした『白の魔王』と呼ばれる最高の能力者が魔人を統率し始めたのだ。
これを討つために、『語り手』は数々の手を打った。
しかし白の魔王は強く、数の不利を切り抜けては切り抜ける。諜報を差し向けても死体になって戻ってくるものばかり。
最後の手段として、『語り手』は外部の力を頼った。
それは『黒の勇者』だ。一体を殺すということに特化した、人類最強の矛。神に選ばれ、自らの寿命を犠牲に能力を引き上げる最高の剣士。
黒の勇者は魔王を殺した。しかし――黒の勇者は魔王になった。黒の魔王と自らをそう名乗っている。
人類の矛が人類に向けられる牙になった。
新しい魔王は強大で、一対一に特化していたはずの勇者は魔王として得た魔法の一撃で、『語り手』が差し向けた集団を、殺し殺して撃退して撃滅した。
新たな魔王の身のこなしは素早く、暗殺することも不可能で、打つ手はなかった。
魔王を殺すための札が必要だった。
◇
人間たちを救いたいかい?
――はい。
君は人間をたくさん殺したのに?
――後悔しています。
なぜ?
――悲しむ人たちの声を聞きました。一人を殺したら四人が悲しみました。それに比べて私たちは二人しか悲しみません。
君はなにになりたい?
――勇者です。より多くを救うための勇者。
禁忌の術式が発動する。
◇
「悪逆、狂気、傲慢たる我が君よ。次はどこを滅ぼしますか?」
僕――黒の魔王は参謀の陰鬱な表情を見下ろした。
身に着けた仮面から見える景色は色褪せて、ひどく救いのないように見える。
「……」
非難めいた目を向けるも、黒いローブを纏った痩身の参謀の目付きは冷酷で、敵対意思が籠っている。そう、彼にとって忠誠を誓うべきは白の魔王であって黒の魔王ではない。
「まずは形からです。ほら、悪逆、狂気、傲慢」
復唱しろ、と参謀は迫ってくる。
この参謀はとても頭がよかったが、性格はあまりよくなかった。おまけに外面ばかりを気にして主君の気持ちを推し量ることがない。
ねじれた異形の角を持つ参謀の姿を、黒の魔王はまじまじと見る。
にじみ出るような憎しみが、殺気が、君主であるはずの黒の魔王に向けられていた。
当然なのかもしれない。彼女を殺したのは僕で、恨まれて当然。
僕、僕、僕。
黒の魔王は本来気が強いタイプではなかった。しかし、演じるべきは暴君で傲慢で独裁的な強者だ。僕、なんて存在は必要ではなかった。
「自分が何者なのか、わかっているでしょう?」
参謀はそう口にした。悪意の籠った囁き。
「まさかまさか――自分がいい人なのだと、誰かを救う善人だと思っておいでで?」
「……違うさ。僕は悪だ。悪だよ。人を殺すんだ。悪意をまき散らして、どんどん人が悲しむさまを笑って眺めるんだ。そうでなくてはならない」
「そうなるために、頑張っていると言いたいので? やりたくないことをやっている自分はとても立派で、人殺しをしたくないのに無理やりやらされている。そう思いたいので?」
悪意の籠った皮肉は、確かに心中を傷つけた。
ゆっくりと目をつぶる。
自分は魔王なんだと言いきかせる。
「強いるな。殺してしまうぞ」
参謀は嬉しげに笑った。悪意の交換こそが至高だと思い、わかりやすく生き方を間違ってるようなやつが彼だった。
彼の本質は破滅主義者。死んで本望。苦しんで本望。
彼がその生き様を他人に強いないのは頭がよかったからだが、黒の魔王にだけは堂々と彼は悪意を向けてくる。敬愛していた白の魔王を殺した、黒の魔王を。
「……進行方向と真逆にある村を潰す。それで僕たちは逃げられるはずだ」
「挑んで人間の兵を皆殺しにしてしまえばいいのに」
「仮にも参謀ならリスクのある道は避けるように進言をしてくれ」
「ふむ、確かにそうですね」
僕たちは狂っているのだろう。
そんなことを黒の魔王は思う。
魔人は強く、奇跡を引き起こす魔法という御業で人間たちを圧倒した。
一人の魔人は最低でも普通の人間の五人分の力を持ち、範囲攻撃魔法を使えるならもっと増えていく。
迫害された者たちの怒りは大きい。
殺そうとするなら殺してやろうと、殺意の循環が回り続けて殺し合いが続いている。殺意と殺意が絡み合った永獄の歯車は止まることがない。そう、どちらかの牙が剣が手が足が、歯車の歯が折られなければきっと終わりを迎えることはない。
狂ってしまった世の秩序。狂わせているのはいったい誰なんだろうか?
少なくとも黒の魔王と魔人たちは狂ってしまっていた。狂わせる側になってしまっていた。
人殺しにささやかな幸福感を覚える。理性があるからこれは悪いことだと思うことができる。
しかし、この枷がいつか外れる時が来るに違いない。
千人の魔人の集団は北へと向かっていた。
逃げるためには手段を選ばず、囮のために関係ない村へと魔法を放つこともある。
追手は優しい奴らだろうか? 傷ついた村人を手当てして、こちらへの追撃の手を緩めるだろうか?
僕の――元勇者として誓った高尚な理念は今となっては破られ擦り切れぼろ雑巾となり果てた。
一人を殺す勇者として特化していたはずなのに、今は多人数を殺す魔王として特化している。
人間だった頃の尊厳。胸に秘めた思い。思想。恐怖。信じるもの。願ったもの。
美しいと感じていたもの。守ると誓ったもの。最後に残っていた誇り。
魔王として君臨してしまった自分に、今やそのどれもが残っていない。
手のひらからすべてが零れ落ちてしまって、燃え尽きた信念が灰となって残るのみ。
「では、始めるとする」
「あなたの力を、あなたに仕えるものにみせしめてください」
黒の魔王は魔人の集団の元へと躍り出た。
行われるのは儀式だ。贄を必要とする祝祭だ。
眼前に映るのは期待の目。畏怖の目。絶望の目。唯一人君臨する魔王に向けられる、様々な感情。
力を知っている者。怖がっている物。魔王の力を知らず、追手から逃げきれないと思っている者。
黒の魔王は静かな詠唱を始める。
『魔力が体内から滲みあがり、魔力が大気を震わした』という事象が起こる。
魔力に満ちたどす黒い髪が舞い上がり、胸の底から衝動のようなものが巻き起こった。
――相変わらず、景色は灰色に見える。
黒の魔王は絶望している。この世界に救いはない。死者ばかりがこの目には映る。人を殺しすぎて、価値観が歪んでしまって、主に幸福感といった人間として持つべき数々の感情を失ってしまって。
けれど、残念ながら今だけは違った。
魔法を発動する瞬間、抑えきれない高揚感がのぼせ上ってくる。
今からするのは人殺しだというのに、黒の魔王はそれに多福感を覚えている。これこそが、狂ってしまっている証明なのだろう。
「エル・サーガ」
魔法の発動。
爆発的な魔力の噴出は突風を引き起こし、魔人の何人かを吹き飛ばした。
放たれるのは銀色の光線。
それはきっと、神の裁きに近かった。天に溢れる光の洪水。逃れる者は誰もなし。
黒の魔王の手から放たれた銀色の光線は地を裂き、雲を割り、はるか遠方までをも破壊の限りをしつくした。黒の魔王の目には遠くにある人間の村がよく見える。そこで消滅する人間たちも、一人一人が見える。引き裂かれて死んでいく人間たちの姿を、黒の魔王は凝視している。
銀色の光線の残光が、光のカーテンとして残滓を残す。
揺蕩う魔力の切れ端が、風に運ばれ散っていく。
「……光…………だ――」
魔人の誰かがそう言った。
心の底からでた、そういう感嘆に近いものだった。
彼らにとって、魔王の魔法は神秘そのものに映る。
魔人を導く光。圧倒的な破壊をもって、救世をもたらす。
その光は多くの人たちを殺している。その死体の上を歩いて、魔人たちは進むだろう。
黒の魔王はもう一度眼前に映る魔人たちの表情を見る。
期待、期待、期待、畏怖、畏怖、期待。
絶望で諦めているようなやつなんて一人も見当たらなかった。自分たちは生き残ることができる。それを確信している奴らばかりだった。
黒の魔王は圧倒的だった。人間どもの追手がいくら集まろうが話にならない。
きっとすべてを殺しつくしてくれるだろうと、魔人どもはそう信じた。
「魔王……様だ……」
涙を流す者。
「やっと……やっと……」
激情に拳を固める者。
「殺せる……復讐できる……」
抑え込んでいた怒りを思い出す者。
非迫害者である彼らは皆、圧倒的な魔王の姿を目にしている。
黒髪でマントを羽織り、背が高く、威圧的で恐ろしい魔王の姿を。
参謀が黒の魔王の肩に手を掛ける。魔人化が中途半端に進み、五指のうち三本が獣の爪となった指が、深く肩に食い込む。
「さすがは魔王様だ。本当に――」
その次に続くはずだったのは、きっと力の源に対しての非難。
しかし、罵詈雑言は飲み込まれ参謀として冷静な意見を彼は献上した。
「……これで我々は北へと逃げられるはずです。人が住んでいない未開拓地へ。いつか我々は復讐することができます」
「たった千人でどうやって?」
「魔人は強力です。おまけに迫害されています。大人数だと捕まりますか、少人数が追手を振り切って我々が新たに作った国に亡命してくるでしょう。時が経てば、五千か、一万人は集まる」
「人間の兵隊は百万はいる。魔人は一人で五人の力を持つ。一万集まったとしても五万までしか相手はできないぞ」
「――いいえ?」
参謀は薄く笑う。
「魔法はまだ開発されきっていません。今だって我々は新しい魔法を覚え、強くなり続けている。魔人が五人の力を持つ計算は簡単に覆る」
「だが多少覆ったようでは――」
「それだけではなありませんよ。今、大量殺戮のための魔法を開発しています」
楽しそうに、参謀は笑う。
「我々魔人が勝つんです。鬼畜生共を皆殺しにして、楽園を作るんですよ」
「……遠い未来の話だな」
「ええ、実現する未来の話です」
魔人達が持つ憎悪は深い。
家族に裏切られて、斬りつけられて、売られて、見世物にされて、性奴隷にされて、拷問されて。
そして、そのほとんどを身に受けて、さらには敬愛していた初代魔王すらも失った、参謀という男の執念は。
黒の魔王は絶望しながら首を振る。
背後では恐れの籠った魔人たちの賞賛の声が聞こえる。
魔王様、魔王様、と呼ぶ声はまるで亡霊のようで、病的な崇拝に近い呻き声は黒の魔王の精神を狂気へと蝕んでいく。
僕は魔王。
人間の矛をやめ、人外の味方に付いた。
初代魔王である彼女を殺してしまった償いとして。
だから僕は参謀に憎まれようと、魔人に恐れられようと、味方など一人もいなくても、孤高にただ一人立つ。
魔王として多くの人々を殺戮していく。




