10
再び学校が始まった。今は九月。
勉強同好会はそこそこに活発だった。そしてその充実度が増すにつれて、学校では彼女の周りから人が減っていった。
奇妙な噂。彼女の病気のことが、悪意をもって広められている。
恐ろしい病だとまことしやかに囁かれる。
「脳の病気だ」「頭がおかしくなってるんだ」「血で伝染するぞ」「近づかない方がいい」「発作が起こったら、なにをするかわからない」
いったいなぜ?
僕には関係のないことだった。
そして十月。いつの間にか、勉強同好会に皆は来なくなってしまっていて、教室には僕一人がいる。
空っぽの空間。ここには誰もいない。何も聞こえない。
静寂だけが、場を支配している。取り残されたような、錯覚。
僕は教室で一人、固まっている。体が動かなかった。現実味が欠けていた。
◇
僕の病気もまた、進行していた。今、僕の概念はいったいどれぐらい変質してしまったのだろうか?
自覚ができない。僕がどれぐらい歪んでしまったのか、どうなのか。
僕の記憶力はいい方だ。しかし、勝手に零れ落ちていく脳の中の概念に、僕は気づくことができない。
自覚がなければ、自分の変化に気づくことができない。是正することができない。
……一つだけ、象徴として置いた概念がある。それを失ったら終わりだと、たった一つの概念に対して偶像的な崇拝をする。
あの日の花火のこと。彼女と一緒に見た、夜空に咲く大輪の花火。
綺麗、だった。とても綺麗な概念。
僕は過去を儚んで記憶に埋没している。現在を生きる気力はこれっぽっちもなかった。
勉強同好会は、もう実質の解散状態だ。よくもまあ、途中までもったというものだ。こんなものが霧散してしまうの
妥当は結末でしかない。
……僕は、勉強同好会にいることが楽しかったんだろうか?
そうなのかもしれない。
でも、そんなことはまるで僕に関係がなかった。
どうせ死ぬ僕が、喜ぼうが悲しもうが、生きようが死のうが、あまりにどうでもいいことだった。死んだあとの臭い肉の塊を僕は幻視する。未来の僕の姿。
そう、動かぬ死体に価値はない。僕の未来に価値はない。
僕の現在には価値はない。僕が何を思おうが価値はない。
結果は何も変わらない。だからすべてに意味がない。
呪文のようにその理を唱える。そんなものだった。
――扉が開く。
――誰だ?
「お前、もうボロボロだな」
影がある。そいつのことを僕は良く知っている。でも、よくみえない。
目がおかしくなってしまったのか、僕の中の概念が狂ってしまったのか。
彼が僕に向けて言い放つ。
「落ちぶれたよな。今のお前にはなにもない。失うばかりで希望がない」
「だからなんだっていうんだ?」
彼が嫌味っぽく、わざとらしく声を上げて笑う。
「全部捨てて儚んで、なにもする気がなくて。苦しいのも痛いのも誤魔化して生きようとして、いったいなにになるんだ? おまえは愚か者だ」
知ってるぞ、と彼は言う。
「お前の病気、治療不可ってわけでもないんだってな」
なのに何でそこまでして死のうとするんだ?
――僕は。
「君には関係ないよ」
――僕は。
「もう決めたことなんだ。決まってしまったことなんだ。だってそうだろ? 僕は全てを見くびって見下して見限った。最初から、僕は生きたかったわけじゃない。世の中に意味があると思っていたわけじゃない。だからもう、いいんだ」
一対の目が僕を見つめている。
「目を覚ませよ」
「とても、目は覚めてるよ」
「なら――」
――俺はお前のことなんて知ったことじゃない。
「敵対してやるよ。待ってろ」
彼は去っていく。
◇
彼女が廊下で倒れていた。これは……夢?
いや、現実だ。認めなくちゃならない。悪いことが起きるのは、現実的だ。あまりに悲壮で悲惨で信じがたいものでも、受け止めなくちゃならない。
生徒たちが叫んでいる。まるで自分が痛みを負ったみたいに。本当に痛いのは彼女なのに。
誰も彼女を助けようとしなかった。彼女に対する噂がそうさせた。
彼女の病気は人に移る。血で感染する。危ない。発狂者に近い。近づいちゃいけない。
そういう、くだらない噂。
彼女が血を吐いて倒れているのに、誰も彼もが彼女に手を差し伸べない。
誰もが狂気に染まった感染者で、傍観者で、英雄的第三者を待ち望んでいる受動的な人間だ。
そういうやつらに、狂おしいほどに腹が立った。
でも、と思う。腹が立ったのなら僕は行動すべきだ。彼女に手をさしのべない誰かに対して腹が立ったのなら、僕こそが彼女を助けるべきなのだ。なぜそうしない?
決まってる。僕にとって目の前の現実の一切は関係がないからだ。彼女がいくら苦しもうが、死んでしまったって、僕にとってどうでもいいことだからだ。
僕が彼女を助けるのは間違っている。
本当に?
僕の肩に手が当たる。彼が僕に向かって囁く。
「まるでデキの悪いショーみたいだな?」
とても悪質なショー。
誰も救われないような、胸糞の悪いストーリー。
「まあ、俺にとっては面白いよ。人が苦しんで、理不尽な目に合って死んでいく。痛みは強い刺激だ。でも自分は経験したくない。だから他人を通して痛みを追体験するんだ」
胸糞が悪いストーリーはカタルシスを生み出す。それを人は喜ぶ。
しかし、それは他人事だからだ。自分事なら決して喜びはしないだろう。
「人は自覚すべきだな? 人が苦しんでいる様は面白いんだ。そこから生きる意味を見出せるぐらいに、刺激的だ。お前はどうだ?」
担任の教師が、おそるおそる彼女に近づいていく。血に触れないように、用心して彼女を運ぶ。
彼女の病気は珍しい。ネットでもほとんど詳細が乗っていないぐらいに。
でも、彼女は脳の病気なのだ。血でうつるわけがないって、どうしてわからないんだろう?
「なんでお前は怒ってるんだ?」
怒ってる? 僕が?
「じゃあな」
嘲るように笑ってから、彼は去っていく。
生徒も去っていく。
僕だけが一人、廊下に立つ。なぜか、動けない。
◇
息が詰まる。世の中はひどく理不尽で生きにくい。
だから僕は開放的な屋上で考え事をする。
ここには誰もいない。都合のいいことに今は鷹野瞬すらもいない。とても綺麗な夕焼けだけが象徴的に輝いている。
屋上は特別な場所。世の中から断絶されているような、錯覚を抱かせてくれる。
どうして我慢しなければならないのだろう? と思う。
そういう仕組みだから?
そうだ、結局はそれが真理だ。それ以外の何物でもない。
我慢は強要されるべきだ。世の中をうまく回すためなのだから、皆仕組みのために犠牲になるべきだ。仕組みを守れなかったら、もっと悪いことが起こる。だから、仕方ない。
なんでこんなことを考えてるんだろう? 僕は。
……よくわからない。
彼女が倒れていた光景が目に焼き付いている。誰も彼女を救わなかった。
やるせなさが込み上げる。でも、あれは仕方のないことなのだろうと思う。妥当な結果なのだ。社会のルールとしてそうなっているのだ。彼女は決して救われることがない。
わからない。どうせすぐ死ぬ彼女は、残りの人生を幸福に生きるべきか?
誰かに無視されて、蔑ろにされて、嫌悪されても、どうせ短い命だ。彼女が喜ぼうが悲しもうが、意味はないのでは?
電話がかかってくる。僕は屋上でただ一人、携帯を耳元に当てる。
――屋上で風が吹く。肌寒い感覚。
「やっほー」と携帯越しの声は言った。
「……やっほー」
「やや、さすが『死んじゃうクン』。君って案外ノリいいよねー」
画面の向こう側で、誰かが気前よく笑っている。
「電話、出てくれないかと思ってたんだよね」
「かけられたら僕は世界一嫌いなやつとの電話でも快く出ると思うよ」
「ほんと? やったー。じゃあこれから気軽に電話してもよさそうだね!」
愉快そうに、誰かが平気そうな声で笑っている。
「最近、ちょっとまいっちゃって、さ。学校じゃ私の居場所ないし……辛くて」
「弱音を吐くなんて、珍しいね」
「……えへへ」
それでも明るく、笑っている。
「ねえ、約束覚えてる?」
「『一緒に死のうね』」
「うん。安心した。それがあるから、私、何とかなってる」
「……なあ、勉強同好会じゃだめなの? 君に居場所がないわけじゃない。瞬だって妹だって……僕だって、いるじゃないか」
なんで僕は感情的になっているんだろう?
こんな言葉を吐くのは、極めて珍しいことだった。間違いなく、奇跡みたいなものだった。
「ああ、そのこと、なんだけどね。勉強同好会、もう完全に解散するよ」
「……え?」
「集まり悪いし、もうなんの意味もないし、ここらが潮時かなって思うんだよね」
妥当な結末。
「もう瞬君にも、妹ちゃんにも伝えてあるから。『死んじゃうクン』も、こんな私に付き合ってくれて、ありがとね?」
なんで彼女は泣きそうな声で、そんなことを言うんだろう?
だって、さっきまで笑ってた。
「そっか。お疲れ様、部長」
「うむ。わはは、大義であったぞ。……うん、本当に楽しかったから、私」
「まあ、僕も少しだけ」
「えへへ。嬉しいなあ」
携帯を落とす音。画面の向こう側。
「ご、ごめん。ちょっと動揺しちゃった。そろそろ電話切るね。こんな私と会話してくれてありがとー」
「ああ、どういたしまして」
通話が切れる。
僕は一人、屋上から夕焼けを眺めてた。
僕にはなにもなかった。彼女にもなにもなかった。
やるせなさが込み上げる。苦しい苦しいと泣き叫ぶ。
幻聴? 自分の心の声? 僕の中の想像の中の彼女?
わからない。
……限界だ。
自分の様子が変だった。歯車が一個ずれてしまったみたいに、体が不調を訴えていた。
――ずれる。
嘘みたいな感覚。概念色欠乏症。
概念が、ずれる。
「……あ」
僕の世界から、色という色が褪せていった。
赤、青、緑、黄、紫、すべて。
僕は目の前の光景を認識できる。どんな色か、すべて声に出すことがてきる。
けれど、目の前の光景は色素がすべて薄かった。
止まらない、止まらない。世界が色褪せていく。現実的ではない光景。
そして、
「あ、ああ……あああ……」
ずれる。僕の中の大切な一つが。
なぜだろう。いろんな記憶が不自然にかけている。いろんなことが、思い出せなくなっている。
僕は屋上から夕焼けを眺めている。けれど、僕はなにも感じない。
こんなにも×××な夕焼けなのに、僕は何も感じない。かつて、僕はなにを思っていた?
思い出せない、思い出せない。概念の変質があまりにも致命的で。いったい何を失った?
涙が止まらない。なぜ、なぜ?
――最も大切な概念。
うすら寒い恐怖感が背筋を駆け巡る。もっとも大切な概念。あの日の花火。
なにかを×××……美しく感じること。
ようやく僕は自覚する。僕は綺麗を失った。
もう僕は生きていても、綺麗を感じ取ることがない。どんなに綺麗な景色を見ても、僕はなにも感じることができない。青い海を見ても、泳ぐ魚を見ても。紅葉を見ても、雪景色を見ても、なにも感じることがないのだ。
つまらない三流映画と価値は等しいものとなる。
――追憶がただ一人浮かんでいる。
それは、あの日の花火。夜空に咲く、大輪の花。
思い出の中にある綺麗。でも、それだって変質してしまって、どこか異常だ。
でも、僕はあの日の花火を思い出して、かろうじて『綺麗』に似た概念を思い出すことができる。でもそのせいで、より一層苦しい。
「あ、あああ……」
もう、限界だった。
僕は今まで何とか生きることができた。なんとかやってきた。
とても綺麗な夕焼けを見るだけで、心を落ち着かせることができた。だから屋上に好んで来ていた。
綺麗な光景が好きだった。それが、僕に残された数少ない大切なものだった。
もう、失ってしまったものだった。
「……嘘だ」
現実だ。
「認めない……認められない」
夕焼けを見る。なにも感じない。
「あああああああああああ!」
屋上のフェンスを蹴りつける。頭がおかしくなる。狂っている。
蹴りつけたところから返ってくる痛みは、自分の生の証だという気もした。現実感のない世界で、痛みが僕を迎えてくれる。なるほど、僕は生きている。そのことがとてもわかりやすい。
僕はフェンスを乗り越える。屋上から覗ける、地上の光景。
落ちれば死ぬ。それで終わる。
望むところだった。死んでしまうことを、僕は心の底から望んでしまった。
だって、元から生きる意味なんて持っていなかった。なのに僕はさらに奪われた。
生きることは悲惨だ。終わらせるべきだ。
――いつか一緒に死のうね。
脳裏をかすめる声。約束。
――一緒に、ね?
誰かとの約束。
僕は死ぬわけにはいかなかった。
約束したから、約束したから。
だから僕は、またフェンスを乗り越えて戻ってきた。
僕の世界に。
◇
生きる意義を感じない。早く終わってしまうことを望んでる。
家に帰ると、両親が僕を待ち構えていた。堂々とした父の姿。
「大切な話がある」と彼は言う。
僕は頷く。
リビングルームに連れてこられる。母と父、それと僕。
正座して、父は僕に語り掛ける。
「なあ、どうしたい?」
なにも、と僕は答えた。
父は困ったような顔をする。
「……検査の結果が出た。もう、長くない、と。悔いはないか? なあ、父さんたちができることならなんでもする。なんでもいって、いいんだぞ?」
なんだか、とても悲壮だ。他人事みたいにそう思う。
「なにもないよ。ありがとね」
僕は何も欲しくない。
立ち上がろうとする。
「まて!」
怒鳴るような声。
「なあ、医者から聞いただろう? おまえはまだ助かる可能性があるんだ。おまえの概念の変質は、圧倒的なものを目の前にすれば止まるんだ。まだ生きられる」
懇願するような声。
「なあ、海外旅行に行こう。スカイダイビングとかどうだ? ジェッドコースター、好きだろう? 楽しいことをしよう。例え病気が治らなくても、いい思い出を作ろう」
僕は死んだ目で答える。
「いらない」
あまりにもどうでもいいことだ。
「……なんでだ?」
なんで、と父は言う。
「なんで生きようとしないんだ? 思えばお前はずっとそうだった。病気のことを知ったときもあまりにも諦めが早すぎた。泣いたりしなかった。辛そうな素振りを見せなかった。……平気なわけないのに、なんでそんなに我慢するんだ? なあ、我儘言ってくれていいから」
とんちんかんで的外れだ、と僕は思う。
「父さん。違うんだよ。僕は辛くなんてないんだよ。いや、本当は辛いのかもしれないけど、僕はそれを認めるつもりがないんだ。だから父さんが僕のことを気にする必要はないんだよ。でも、ありがとう。僕、感謝してるから」
そっけない言い方かもしれない。でも、それが僕の本心だった。
僕は自分の信念に操を立てなければならない。だから足掻くつもりはない。
そして、父に感謝してるのも事実だ。それは間違いないのだ。
――当然、父が憎悪の籠った声で言う。
「あの子のせいか?」
あの子。
「お前とよく一緒にいる、女の子のせいか? 知ってるぞ。あの子も末期患者らしいな。なにか関係あるのか?」
「なにも」
「嘘をつくな!」
怒鳴り声。あまりにもやるせなくて、怒るしかない。怒りたくないのに、叫ぶしかない。
そういう悲壮な怒り。
「聞いたんだ! 知ってるんだよ! あの子と心中する約束をしてるんだろう! おまえがあの子のために死ぬ理由なんて、一つもないんだ! 目を覚ませ!」
なんだろう、と思う。父がここまで知っているのは予想外だった。
彼女との約束を僕は果たす気でいる。確かに、父の言っていることは正しいのかもしれない。
でも、心外だった。
「関係ないよ。僕は自分の意思で死ぬんだ。彼女はまったく関係がない。僕が死ぬことを、極めて論理的に決めたんだよ。ずっと考えて出した結論なんだよ。彼女如きが介入する余地なんてない」
「嘘を、つくな! 死のうとする人間なんているわけがないだろう! お前は生きるべきなんだ!」
ああ、話が通じないな、と思ってしまった。
父の脳裏は、彼女が占めてしまっている。うってつけの悪役が一人。そいつが全部悪いと決めつける。
そう考えてしまっても仕方がないと思う。父はなにも悪くないと思う。
だがそれとは別に、僕は生きることを強制されるつもりはなかった。理解されたいとも思わなかった。
誰も僕のことなんて知らなくていい。本心からそう思う。もう、決めたことなのだ。
僕は世の中を、勝手に見くびって、勝手に見下して、勝手に見限っている。僕は間違っている。全部自分勝手だ。でも、もう決めたことだ。
話し合いはただただ不毛に終わった。僕は理解を求めることがただの一度もなかった。
◇
死のうとする人間は異常者なんだぜ?
いつか彼が言っていた言葉を思い出す。誰にも理解されなかった彼。
でも、彼は理解されたがっていた。共感を求めていた。でも、誰も理解しなかった。おかしなやつだと切り捨てた。
でも、僕は彼のことがよく理解できた。
死のうとすることはおかしなことだ。それは僕たちだってわかっている。
共感してくれって言うのが間違ってるって、土台無理な話だって、よくわかっている。
そういうことを、お互いが理解していたから、僕と鷹野瞬は仲良くなったのかもしれない。
あるいは、仲良くなりすぎたのかも。
元々、僕らは孤立を宿命づけられたような人種だった。決定的な社会不適合者。生きることに向いてない。
だから僕は、周りから理解を求めることをやめた。『反射』からくる感情だって、『理性』で抑え込んですべてのものを無意味で空虚なものにした。
彼は『抵抗』した。意味を見出して挫折して、楽に生きている人間を憎んで、羨ましがっていた。そんなやつらを殺してやりたいとも言っていた。誰にも理解されないことへの怒りが、彼を支えていた。
たぶん、いや確実に、僕も彼も間違っている。
誰にも理解されないようなやつなんて、間違っているに決まっているのだ。誰にも汲み取られることのない意見なんて、和を乱すだけの不要な存在だ。
世に拒絶されたなら、もうこっちだって見捨ててやる。そういう八つ当たり的な思想。
投げやりでなんの生産性もない。でも他になにができたっていうんだろう?
どうせなにもできやしない。ならば、没落的に死んだってそれでいい。
……でも、鷹野瞬はそんな生き方を憎んでた。
じゃあ彼は、これからいったいどうやって生きていくんだろう?
◇
彼女は生きることに対して、以前は肯定的だったように思える。
必死で、頑張っていて、いろんなことをしようとしていて。
苦しんで、笑って、悲しんで、楽しんで。
きっとそれが、彼女の行動規範。全部呑み込んで、行動につぐ行動でなんとかする。
僕はそれを誤魔化しだといって軽んじた。でも……。
彼女にとっては、それが正義の行動だった。自らのみの正義。
きっと僕に最初に声をかけたのもそうだった。やりたくないことを、気が進まないことを彼女はやった。
なんでもいいから行動しようとしたのだ。
彼女は人間が好きだ。家族が、友達が、学校が、自分に構ってくれた人、自分を愛してくれた人が大好きだ。究極と言っていいほどの人間賛歌、博愛主義。
楽しいことを楽しいと喜ぶその心根は、きっと彼女が意識的に作り出したものだ。彼女は世の中を楽しいものにするために、楽しそうに振る舞って、実際に楽しく生きていたのだ。
……でも、今はできていない。
勉強同好会は解散してしまった。悪意ある噂が彼女を排斥し、居場所を奪った。
それに、彼女からはところどころの限界を感じている節を感じる。
――『死んじゃうクン』も、こんな私に付き合ってくれて、ありがとね?
彼女は今を楽しそうに生きている? わからない。今の彼女は悲壮的に見える。
僕のせい、なんだろうか? 彼女は変化してしまった。それは、僕の影響を受けたせいだと、そう思える。
自意識過剰か? いや、どうなのだろう。よくわからない。
少なくとも、今の彼女は死に向き合っている。それは悲劇か喜劇か。
――もうすぐ死ぬような患者に、そのことを教えるべきかどうか、という問いがある。
どうせ死ぬのなら、不幸にさせないために教えないべきか。
それとも、自分の道を自分で決めたいような人間のために、教えるべきか。
死に向き合わせるべきか。それは優しさなのか。残酷さなのか。
少なくとも、死に向き合うことは辛いことだ。
僕は彼女に対してそういうことをさせた。
彼女は苦しんでいる。
◇
目が覚めたら、教室で一人ぼっちだった。
ここは勉強同好会が使っていた教室。今はただの空いている教室だ。僕に使用許可はない。忍び込んだから入れるだけだ。
ここには誰もいない。だから考え事をするには最適だった。そのうちに、眠ってしまったのだけど。
今は十月。午後五時半。夕日が落ちかけている。
いつもなら僕は屋上で考えごとをしていただろう。けど、今僕は一人で考え事をしたかった。彼は必要なかった。
僕はずっと考え事をしている。どうしてこうなってしまったんだろう、って考える。
『どうしてこうなってしまったんだろう』
まるで現状に不満があるみたいな言葉だ。もう、『綺麗』すら失ってしまった僕は、生きる意味なんてもっていなくて、なおさら世の中のすべてがどうなってもいいというのに。
僕はこうなってしまった経緯を考える。考えている。
つい最近まで、勉強同好会は活発に動いているように見えた。皆楽しそうだった。彼女だって。
でもいつの間にか勉強同好会は解散してしまった。いったいなにが原因だったんだか。
まず、鷹野瞬が来なくなったのが原因だった。彼は真面目な方ではないし、同好会に毎回来るのは面倒だったのだろう。妹は後を追うように来なくなってしまった。
僕もその流れに乗った。彼女と二人きりはひどく苦痛だった。いや、苦痛だったか? でも、なんだか彼女を目の前にすると思考がおぼつかなくなって、気味が悪かった。
夏合宿、同じテントで過ごした夜。そのあと、彼女に対する概念が、よくわからないものに変質してしまっていた。
そうして、彼女はこの教室で一人になった。
トランプとお菓子をもって、きっと彼女はいつまでも誰かを待っていた。
そして、そして……。
◇
彼女に対する噂を、直接他の生徒に聞いたことがある。
「ああ、なんだか不気味だよな」と誰かは言っていた。
「だってずっと一人で教室で過ごしているんだ。その間なーんにもしない。一人で机に向き合ってるだけだ」
他にも、
「病気持ちだって噂、垂れ流されるぐらいだから誰かから恨みでも買ってるんじゃないかって思ったわね。なんていうか、私たち女子ってそういうのに敏感だから」
他には、
「病気持ちって言ったって、最初は気にしてなかったし、平気だったんだ。でも彼女、突然動けなくなったりして、最初は冗談だって思ったけど、ホントみたいで。……病気で、俺達と違うんだなって思っちゃったんだ。意識すると、だんだん、なんだか……」
彼女は、病気持ちだった。
突然倒れ伏す、意識を失う。それは異常だ。健常者でなく、普通の人が行えない行動だ。
例えばの話、発作で大声をあげてしまうような人間がいたらどうだろうか?
そいつがどんなに優しくていい奴でも、少し怖い、と人は思ってしまう。
例えば、突然気絶してしまう人間がいたとして、そんな人間がいたら「自分とは違う」って普通の人は思ってしまう。『異質感』を感じてしまう。
仕方がないことなのだ。肌の色が違うだけで、人は戦争をする。違うことは排斥の理由であり、心理的拒絶や相容れない原因の一端となりうる。
彼女はもう、五回学校で倒れた。
だからだんだん、皆彼女のことを怖がるようになった。その空気をみんな感じ取っていた。ドミノが倒れるみたいに、悪い空気は増幅して蔓延して感染して、みんながみんな彼女のことを受け付けなくなった。
でも、なんでなんだ? 彼女にはそんな状況になっても助けてくれる友達がいたはずだ。きっと、誰かが。ここまでひどくなるとは思えなかった。いったいどうして?
よくわからない。
◇
最初に噂を広めたのは、どうやら男らしいとのことだ。こういう類の噂は、普通女が広めるものだから珍しいと、ある女生徒は教えてくれた。
犯人捜しは無意味で、噂の真相を暴いて、間違っていたんだと触れ回ったところで、結局なにも変わりはしないだろう。だから初めは僕も興味がなかった。
もう彼女はずっと学校に来ていない。今日だって。
すべてが手遅れだ。空虚だ、無意味だ。
でも、考えることを止めることができなかった。
だから、いろんなことを思いついてしまった。必然性を探してしまった。僕は気づいてしまった。
物語のミステリーもので、犯人は身近な誰かだったり、一番最初に容疑を外された者が犯人だった、と表現されることは多い。
『事件を解く鍵は、いつも事件のすぐそばにある』という物語における法則。
鍵が遠いところにあることはない。物語でまったく描写されていない人物が犯人になることないし、まったく関係のない組織が顔を出して、己が犯人だと主張することもない。
物語演出の基本。意表をつくための基礎。妥当性。
でもそれはあくまで物語で通用する理論でしかない。僕が生きるのは現実で、例えば彼女がいきなり何の変哲もない交通事故に巻き込まれて死ぬことだって、通り魔に殺されたりだって、いきなり心臓発作が起きて死んでしまって、彼女の物語が終わることもある。突然彼女の病院の不祥事が発覚して、一家心中になる可能性だってある。
でも、と思う。僕が生きているのは確かに現実だけれども、どうしても気になってしまうことがある。
物語をやけに気にしていた男。人生を演出することに意味を見出した、一人の男のこと。
言いがかりといえば言いがかりだ。彼が彼女に、いったいなんの恨みがある?
――噂を流した犯人は男。
それはほぼ確定している。けど、それでも僕は納得がいかない。
――父は僕が彼女と一緒に死ぬことを知っていた。
なぜ? と僕は思った。絶対に父が知ることのないはずの情報なのに。いったい誰からそんな話を聞いた?
――勉強同好会はどこから崩壊した?
ただの偶然だ。それらしい流れができているから、誰かを恨みたくて犯人を決めつけたがっているだけだ。
『人が苦しんで、理不尽な目に合って死んでいく。痛みは強い刺激だ。でも自分は経験したくない。だから他人を通して痛みを追体験するんだ』
猫が死んで悲しんでいた男のこと。やるせなくて、憤っていて、世の中を恨んでいた男。
『人は自覚すべきだな? 人が苦しんでいる様は面白いんだ。そこから生きる意味を見出せるぐらいに、それは刺激的だ』
物語を組み立てることを生き甲斐にしようとした男のこと。圧倒的なものを探していた、男のこと。
『この世の中には意味がない。だからお前にとって世の中はひどく無価値で、興味を惹かれるものではなくて、お前の周りで誰が傷つこうが、お前に関心を持とうが、おまえはそれらすべてに対して無反応に生きていくのか?』
彼は怒っていた。
『誰が傷つこうが気にしなくて、泣いている子供がいても見捨てて、困っている人がいようが見ないふりをして、お前はそれでいいのかよ!』
僕は彼に取り合わなかった。彼の怒りをどうでもいいと切り捨てた。
相手にしなかった。君には僕のことなんてどうせ理解できないと言い放った。
『じゃあ、想像してやるよ。お前の気持ち』
『お前の気持ち、汲み取ってやる。首長くして待ってろ』
――彼は。
『俺のこの考えは、全部お前の後追いな気がするよ』
『お前のこと、本当にすごい奴だと思ったんだ』
『お前にとって、俺はとるに足らない奴なんだろうな。敵対にすら値しない奴だ』
――お前と同じ舞台に上がってやる。
だからだから、俺はお前に言う。
……彼は言った。
――お前に敵対してやる。
それでも僕は彼を軽んじた。まるで相手にしなかった。
◇
重い腰をあげる。なんだかやけに、自分の体が重かった。
最近、こういうことがよくある。前々からあったことだ。『休憩』していたら、体が動かなくなっている。皆帰っているのに、僕は教室から動けない。そういうことが、あった。
でもいかなくてはならなかった。やるべきことがあった。
いや、どうなのだろう? やる『べき』なんだろうか?
どうでもよくないか? 無視して何にもなかったように振る舞って、相手にしなければいいのではないか?
それも一つの答えだと、本心からそう思う。
でも僕は彼に向き合うことを選んだ。まともに対応することを選んだ。
それは感情論だ。理屈ではなく、そうしなければならないと感じた、そう思った。
だから僕は立ち上がって、あの場所に向かう。
それは、特別な場所。入り口と出口は繋がっていて、扉は一つしかない。
対決のためのステージ。
屋上に、僕は行く。
◇
――敵対して、対決して、決着だ。
◇
屋上の扉を開ければ、ただ一人の男がフェンスにもたれかかっていた。
ここは学校だというのに、男はタバコを吸っている。いつもは給水塔のてっぺんに居座っているのに、今の彼はここにいる。
「よう、遅かったな」
彼はまだ長いタバコを、踏みにじりながらそう言った。
「ここまで来るのもしんどかったのか? おまえ、ボロボロだな?」
彼は笑う。
「すっかり弱くなったな? 病気に侵されている途中が一番強かった。でも今はどうだ? ここに来たのが答えなんだよ。『関係ない』『どうでもいい』を捨ててここに来てしまったお前の信念はボロボロだ。世の中のすべてが、どうでもいいんじゃないのか?」
僕は、
「……」
なにも言わなかった。ここに来たからって、いったいなにができるっていうんだろう。なんにもできやしないのに、僕はここに来てしまった。
それでも向かい合ってしまったからには、対決しなければならない。だから僕は彼に言う。
「彼女、最近居場所がないらしいんだ」
「そうらしいな。我らが部長は孤独らしい」
「……君だろ?」
彼はとぼけたような顔をする。
「なにが?」
「……彼女はうまくやっていた。うまく生きてた、居場所を作ってた。でもいつの間にかそれはなくなってた。――君だろ? 君にしか、できないんだよ」
「それをして俺になんのメリットがあるんだ? おふざけはよしてくれよ。お前は死ぬ前に誰かを恨みたいだけだろ?」
僕は首を振る。
「悪意のある噂を知ってるかい? あれ、流したのは男らしい」
「へえ。どんな噂かよくわからないが、所詮噂で居場所をなくすなんて、まともな友達がいなかったんだなあと思うよ。第一、部長が校内のそこら場で気絶して、みんな怖がってるだろ? 噂があろうとなかろうと、関係ないと思うけどな」
「そうかもしれない。でも、そうじゃなかったかもしれない。でも僕には、噂が『悪意』を持っていたことが気になるんだ。こうなることを確実に起こすために、トドメを確実にさしたいがための行動に、そう見える」
ふうん、と彼は笑う。
「君は最初に勉強同好会を抜けた。そしたら妹だって顔を出さなくなることぐらい、予想ついただろ。君の頭は悪くない。こうなるって、噂のことが耳に入ってた君ならわかるはずだ」
「『もうすぐ死んじゃうちゃん』だから、気遣って居場所を提供してやれって? それはずいぶん勝手な言い分だな。俺には関係ない」
もっともな意見だ。彼女のために彼が負担を負う義務など一切ない。
それでも、と僕は思った。でもなんとか堪えて、次の言葉を紡ぐ。
「僕の父さんが、僕と彼女が一緒に死のうとしていることを知ってた」
「へえ、家庭が荒れそうだな」
「『一緒に死のうね』のことを、僕はかなり注意深く、周りに漏らさないようにしてたんだ。でも気が緩んだときがあった。それが、夏合宿の時だ」
「だから犯人は俺か妹だって? まあ、疑うなら俺の方だわな」
彼は笑っている。彼女のことなんてどうでもよさそうに、どれだけ傷つこうが、関係がないと言わんがばかりに。
それは……どこか見覚えのある姿だ。
やるせない気持ちになる。
「なあ、もう適当に逃げ回るのはやめてくれ。君なんだろ? ほとんど確定的なんだ。君の頭は悪くない。完全に否定したいのなら、もっと違う言い方をするはずだ。なんで煽るような言い方をする?」
「……」
「わかってるんだ。僕と君は考えが似ている。君の言葉を、僕は何度も聞いている。君は――僕と敵対しようとしたんだろう?」
屋上で静かに風がなびいて消えていった。空間にあった倦怠を、熱っぽい毒を、愚鈍さを攫うみたいに。
彼は震えていた。肩を震わせて笑っていた。おかしくてたまらないんだって、わざとらしいぐらいに全身を使って表現していた。
「よーーやく、その気になったのか? はは、楽しい、楽しいな? でも少し物足りない気もするな。お前がこんなにもボロボロだと、興をそがれる」
「……なんでこんなことをしたんだ?」
彼は笑っている。
そしてつかつかと、彼は僕に歩み寄ってきた。なれなれしく僕の肩に手を乗せた。
「ああ、手助けだよ」
「手助け?」
「なに、手伝ってやったんだ。部長のために。あいつ、ずいぶんと生きたがってたみたいだ。――でももうすぐ死ぬ奴にそんな感情、不要だろう?」
それを聞いて、僕はわけのわからない感情が、のぼせ上ってくるのを感じた。背筋が凍える感覚。許せない、という感情。
――彼は笑っている。
僕のすぐ目の前で、堂々と笑っている。
「それに、それはあいつが望んでいたことでもあったしな。最後に強い刺激を得て悦びたかったんだ。お前にだってわかるだろう? 投げやりになりたかったんだ」
「……」
「あいつが死にたがることにはいろんなことが必要だったんだよ。お前にもわかるだろう! 死ぬ覚悟を固めるために、いろんなことをした。お前は心を閉ざした。あいつだって、それと似たようなことをしただけなんだよ! あいつは死にたがりなんだからよ!」
なんで、なんでそんなことを平気で言えるんだろう?
血が冷えていくのを感じる。自分のなにかが震えているのを感じる。なんで、なんで。
衝動的で、愚かな感情。それに僕は、支配されかける。
そんな時に彼は言った。
「だから俺が手助けしてやったんだ。痛いのは気持ちいい。悲しいのは楽しいんだ。ああいうやつは自分が傷ついていることに、酔うもんなんだよ。痛いことを悦ぶんだ! 性欲みたいに、汚ならしい売女みたいに求めるんだよ!」
悦ぶ、だって?
気づいたら、僕の手は彼の喉元に伸びていて、胸元を掴んでいた。
それ以上の行動に移りかけて、かろうじて自分を止める。自分の中の炎のような感情が、消えてくれない。
それを見て、彼はせせら笑う。
「お前、まさか怒ってるのか?」
「……誰かを傷つける権利なんて、誰にもない」
「おいおい、珍しいじゃないか。おまえらしくない。それに、まったく理解も及んでないらしい」
おまえはなにもわかってない、と彼は言う。
「なあ、リストカットってなんでするのか知ってるか? 死にたい奴が、なんで『痛い』ことをするのか知ってるか?」
くっくっくっ、と彼は笑う。
「『痛い』のが気持ちいいんだとよ。死ぬぐらい絶望したやつにとって、世の中はひどく息苦しいものなんだ。だから、刺激が欲しいんだ。『痛い』を『気持ちいい』と倒錯するぐらいに価値観を屈折して、自らに刺激を与える。『痛い』から生きているんだって、生を実感する」
なあ、知ってるか? と彼は言う。
悪魔みたいに、彼は囁く。
「おまえ、部長の手首、みたことあるか?」
――愕然とした。
そして微かに、彼女に対して失望してしまった。そんな自分を、自覚した。
獲物を見つけた顔になって、彼は続けた。
「お前は強いよな。だからまったくもってわかっちゃいない。死にたがりは刺激を求めているんだよ。痛いのは気持ちいいんだ。苦しいのが楽しいんだ。追い詰められてることこそが、生を実感させるんだよ!」
それのなにが悪い、と彼は怒鳴る。
「死なないために、どんな抵抗だってして見せるんだよ! 屋上に立って、投身自殺の真似事をして喜ぶんだよ! いつでも死ねる自分を誇らしげに思うんだよ! 勇気があるって、歪んだプライドをもって、無理やり満足するんだよ!」
それでも、僕は。
敢然と立ちあがる。くじけてはならない。それでも彼は間違っている。絶対におかしい。
「それでも誰かの死にたいは!」
僕は大声を上げる。やるせない思いでいっぱいで、腹が立って仕方がなくて。
「彼女の思いは、誰かに支配されてはならない。君ごときが干渉してはならない。彼女は自分で死ぬべきだ。手助けなんてするべきじゃない」
言い切る。断言する。僕は間違っていない。間違っているのは彼だ。
誰かを傷つける権利なんて、誰にもない。それだけは、絶対に。
ははは、と彼は笑った。
――それをお前が言う権利はあるのか?
「他ならぬお前が?」
お前は世の中のすべてをどうでもいいものとして軽んじてきた。正義も悪も見下して、無関係を装ってきた。そんなお前が?
「一番それを口にする権利がない、おまえごときがなんでそんなことを言う気になったんだ?」
――だって、俺がしてきたこととほとんど同じことを、お前だってしてきたんじゃないのか?
サーッ、と血が冷えていく。今度は、腹立たしさとは別の意味で。
「お前は世の中を勝手に見くびって、見限って、見下したんだ。『関係ない』『どうでもいい』『興味がない』って言い続けた。そんなお前が、俺に怒る権利なんてあるのか?」
それはいつかのツケ。僕がしてきたこと。
「『ただ臭い肉の塊に意味はない』だったか? 死体とほとんど同じ価値のやつを虐めて、傷つけて、笑って、楽しむことの、いったいなにが悪いんだ? お前が言った言葉じゃないか? 『もうすぐ死ぬような人間に価値はない』。ほら、賛同してくれよ」
彼は僕を断罪する。
「俺は生きたがっているんだ。『圧倒的』が欲しいんだ。誰かを傷つけて、痛い痛いって苦しむ様を、外から眺めていたいんだよ。刺激が欲しくてたまらないんだ。俺は生きるために頑張って部長が痛がる『物語』を作り上げた。元々世の中のなにもかもに意味を感じないんだ。そんな俺が、人を傷つけて何が悪い? 殺してしまって何が悪い? 陥れて何が悪い? 自分にそれらを負わせるわけにはいかないんだ。だから価値のない人間から物語を見出して、それを俺は笑って読書して、追体験するんだ。すべては意味を見いだすための行為だ」
お前に俺を否定する権利なんて何一つない。
俺はお前とは違う。俺は生きるために『臭い肉の塊』を調理して、おいしく平らげただけだ。
「俺は確かに『悪』だろう。でも、それは誰が裁くべきだ? 裁かれるべきだろうが、少なくともそれをするのはお前じゃない。世の中を見捨てたお前ごときには、生きる気力のないおまえじゃ、できないんだよ」
――何一つ、権利がない。
彼は僕の手を振り払った。僕は呆然としている。
それでも僕は「うるさい」と悪あがきみたいに呟く。
「怒ってもいいんだぞ」と彼は嘲笑う。
「もうお前はとっくに破綻しているんだ。ここに来た時点で、俺を裁こうとした時点で『関係ない』『どうでもいい』『興味がない』は使えなくなってしまった。お前の理論は破綻したんだよ。お前は間違っている。逆ギレして、怒っちまえばいい」
……すべて、彼の言うとおりだった。
もう僕は、とっくの昔に破綻している。感情なんてどうでもいいって切り捨てようとした。機械みたいな人間になりたいって、そう思った。
でもできなくて、気づけば感情的な行動をしてしまっていた。夏合宿で、僕はたびたび感情的だった。あのころから、あの綺麗な花火を見た時から、僕はおかしかった。
いや、その前から、彼女の行動を僕は気にするようになっていた。気持ちをコントロールできなかった。僕は機械になれなかった。
無理が……あったのだ。
僕の表情を見て、彼はつまらなそうな顔をした。
「決着だな」
「……」
「なにかいいたいことは他にあるか?」
なにも……ない。
――その時、ピロン、と僕のポケットからスマホの通知オンがなった。
僕にはそれを見る気力すらない。
「いいのか、とらなくて」
「……」
「それ、たぶん『死んじゃうちゃん』からのやつだぜ」
どうでもよかった。僕は破綻していて、なにをするのも間違っていた。
なにもかもがどうしようもなかった。
いいのか? と彼は言う。
「『死んじゃうちゃん』は学校に来ないんじゃない。もう来れないんだ。それぐらい体が危篤なんだ」
「……」
「やつは辛くて学校から逃げたわけじゃないんだ。本当にもう限界なんだ。だから、今おまえがそれを取らないと、後悔することになると思うぜ」
僕は彼の言うことなんて聞くつもりがなかった。
彼は僕のポケットからスマホを無理やり奪い取り、僕にそれを突き付けた。
「ほら、なにが書いてある」
『病院の屋上に来て』
彼はその画面を見ていない。
でも、知っているかのように彼は言った。
「会いに行けよ。手遅れになる前に」
僕は彼の手から、自分のスマホを奪い返す。
彼は僕を真っすぐに見つめていた。
僕はそれを真っすぐに見つめ返した。
◇




