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 ◇


 あれから時は流れ、今は七月下旬。現在は、夏休み、という現象が受験生に襲い掛かっているところだ。受験生である僕らにとって、夏休みは魅惑の響きを持つ言葉ではない。どちらかというと、勉強勉強勉強、の言葉が迫ってくる苦痛の時期だろう。そこに安息はなく、そして一部の人間は休みを満喫し、自分は苦痛を味合わされるという苦痛。檻の中から、みんなが楽しそうに遊んでいるのを見ているかのような。


 まあ、それもこれも僕には関係のない話だ。


 残念ながら、僕の命は四月まで持たない。彼女も同様に、次の桜を見ることはないだろう。

 ようするに(前言を翻すようだが)、僕ら末期患者達にとって、夏休みは祝福めいた休息である。最後の晩餐めいた楽しさなのだが、周りが苦しんでいる時に自分が苦しまなくていいという状況は、否が応でも優越感を得てしまう。


 現在、僕は電車に乗っていた。例の勉強同好会のメンバーで一泊の旅行をすることになったのだ。山に行って、テントを立てて、寝る。それまではキャンプやら川遊びやら、いろんなことをして過ごす。


 荷物のほとんどは鷹野瞬が持って来てくれるらしく、僕が持っているのは着替えだけだ。


 電車に揺られ、今回の旅行のことについて思い馳せる。

 彼女の望み。最後の夏の思い出。楽しいことをすること。

 綺麗に死にたがる、彼女のこと。たぶん、後悔しないためにこんなことをしたのであろう、彼女のこと。


 どうしてこうなったのやら、と僕は思う。

 この旅行は彼女が切望していたものであり、鷹野瞬が実現させたものだ。

 勉強同好会の雰囲気は良いが、依然として妹は僕を敵対的に見ている。それを除けば、楽しいメンバーでの旅行、というになるのだが、本当にこんなことをする必要があったのだろうか。僕が参加する必要はあったのだろうか。あまり、ない気がする。


 電車が止まる。乗り換えのために、僕は駅内を闊歩する。

 次の電車を待つ。着く。扉が開く。

 今は朝だからか、客が多い。電車の中身はごった煮で、見るだけでも嫌になってくる。


 電車に押し入ろうとする人々の群れに流されながら、僕は電車の中に封じ込められた。


「あれ、『死んじゃうクン』?」


 そこにはなんと奇遇にも、『死んじゃうちゃん』が乗車していた。

 不意を打たれながらも、僕は彼女に返事をする。


「ああ、こんにちは」

「おはよう、だね? なんとも運命的な出会いだね! 赤い糸が見えるよ!」

「ああ……そう、赤いね」

「ところで『死んじゃうクン』。学校のない日に電車に乗るとは、今日は何の用だね?」


 君らと一緒に旅行にいくんだよ、と言うべきなのだが、彼女に言わされたみたいな状況になるのが嫌で、僕はひねくれた言葉を返す。


「人の我儘に付き合うことになって、嫌々家を出て来たんだ。あの子ったら、僕がいないとどうしようもなくて」

「へえ、我儘な恋人さんだね。末期患者を連れまわそうとするなんて、よほど肝が据わっていると見える」

「うん。今回はダブルデートの予定なんだ。僕の友達と、その妹と、アホ面の同好会の部長と、楽しく旅行をするんだよ」

「へえ。でも私が持ってる情報だと、同好会の部長さんはアホ面じゃないみたいだよ。真の姿を直視しちゃうと焼き焦げちゃうぐらいの美貌の持ち主らしいよ」

「それゼウスじゃん」


 電車はごとんごとん、と動き始める。

 ところで、この会話は周りの人からどう聞こえているんだろうか? たぶん、僕はゲームでよく『死んじゃうクン』で、彼女は似た者のゲームでよく『死んじゃうちゃん』、みたいに聞こえているんだろう。

 まあ、あまりにもどうでもいいことだ。


「へえ、楽しそうだね。ところで、『死んじゃうクン』の恋人ってすごく可愛かったよね。食べちゃいたいぐらいに。すごく羨ましいなあ」


 どうやらまだ彼女はこの話を続けるらしい。


「うん。すごく可愛いよ。背は普通ぐらいで」

「普通ぐらいで」

「目元がきつめの美人で」

「目元がきつめの美人で……?」


 違和感を覚えたような彼女の顔。


「おまけに僕の親友の妹なんだ」

「へ、へえ。ちなみに私は何の役なんだっけ?」

「アホ面のマスコット役」

「違うわ!」


 電車が突然強く揺れる。


 彼女が僕の胸に頭をぶつける。抱きすくめる形になる。


「頭突きしないでくれる?」

「どうみても事故ですけど? ……君って、意外と背、高いよね」

「一般的な男子高校生ぐらいの身長だよ」

「あと、汗臭い」

「……それは仕方ない」


 彼女は依然として、僕から身を離そうとしない。というより、したくてもできないぐらいに電車は窮屈だ。僕から離れることは、もっと知らない赤の他人と身を寄せ合うことであり、そんなことをするぐらいなら、僕に引っ付いていた方がまだましだろう。


 妥当な判断だ。


「ねえ、そのダブルデート、妹さんとお兄さんがくっついてるって噂を聞いたよ。そこだけは間違いないって」

「兄妹がくっつくわけないでしよ」

「愛があればなんとでもなるでしょ。私は近親相姦を応援するよ」

「へえ、そりゃまた」

「残りの二人は、どうしようね」


 残りの二人。


「残りの二人は一生独身だろうね」

「どうして?」

「死んでしまう者は誰かの心を引きずってはならないから、誰も巻き込んではならないから」

「それって、すごく寂しいね」

「仕方がないよ。最後には人は一人で死ぬしかない。誰かを道ずれにしてはならない。物語で語られる、死んでしまう者との恋は現実的じゃない。どうせ死ぬようなやつは、せめて誰も巻き込まずに死ぬしかない。誰かを巻き込むようなやつはよっぽどの自己中だ」


 それを聞いて、彼女は寂しそうに笑った。


「どうせ死んじゃうんだから、淡い夢を見させてあげればいいのに」

「だめだ。それはあまりにも自分本位が過ぎる。大切なのはもうすぐ死ぬ人間ではなく、これから生きる人間だ」


 事実だけを、効率だけを見るならば、そこは美化してはならないところだ。

 老人よりも子供の方が、ずっと尊い。若者よりも老人が尊ばれるのは、弱者が守られるようにと世界が回っているからだ。老人と子供、同じ弱者で比べれば、優先されるのは未来のある方となる。


 もうすぐ死んでしまう人間の感情には大した価値がなく、それに巻き込まれる人間への影響を優先すべきである。死んでしまえば、意味などすべて剥奪される。臭い肉の塊が、いくら悲壮な過去をもとうが、肉塊である時点で、それそのものは感情を持たない。


『誰が船を降りるのか』


緊急ボートに乗ろうとする六人の人間がいる。屈強な青年、赤子、独り身の老人、詐欺師、子供四人を持つ父、将来国を背負うとされる政治家。

緊急ボートは五人乗りだ。誰か一人を見捨てなければならい。そこでは命の価値が論じられる。それぞれ背負うものがある。養わなけれはならない人間がいる。

生き延びる価値のある将来を持つものは誰か。ここでは老人がボートを諦めることによって五人が生き延びる。


「そっか。『死んじゃうクン』も結構他の人のことも考えてるんだね」

「そうなのかもしれないね。違うと思うけど」


 電車が、止まる。目的地。

 人々が一斉に電車から放出される。僕も流れに沿おうとするが、なぜか彼女が動く素振りを見せないので、電車からでられなかった。


「ご、ごめん。体、動かなくて。……病気のせいで」


 現実迫観念症。


 よほどさっきの話が心に来たのか、彼女は体をこわばらせていた。

 たぶん、彼女は僕の言葉に対して、そこそこのダメージを受けていた。死んでしまうものの意思に価値などない、なんて彼女は思いたくなかった。それが彼女という人間。


 僕は電車の扉が閉まる前に、彼女の手を引いて外に連れ出した。

 背後で、扉の閉まる音がする。


 僕は彼女の体調のことを聞いたりしなかった。聞く必要もなかった。

 重要でも何でもないことだった。僕には関係のないことだった。


「『死んじゃうクン』は先にいかないの?」

「いかないよ」


 彼女は弱気に笑う。


「……私を置いて、先に行っちゃうのかと思ってた。君って、誰のことも気にしない、そういうイメージがあるから」


 冷酷な人間。

 本来なら、彼女を待つ理由なんて、これっぽっちもない。それは事実で、本来ならそれが実行される予定でもあった。


「約束したからだよ」と僕は言う。


 彼女はますます身をこわばらせる。


「いつか一緒に死のうねって、約束したでしょ。『一緒に』だ。だから僕は、君を待つよ」

「……うん、うん」


 僕は彼女と約束をした。


 僕はかつて、嘘をつきたがらない人間だった。ルールを守る人間だった。品性公正であろうとした、人間だった。

 ……かつての僕の話。今はまるで違うのが現状で、かすかな過去に縛られているのが今の僕だというだけだ。


 そのかすかな過去の僕の特性は、『約束した』彼女を置いていくのをなんとなしに拒否した。

 完全な理屈が通っているわけじゃない。でも「いつか一緒に死のうね」と誓い合った相手を置いていくのは、なんだか後ろめたい気がした。感情論。


「一緒にいるから」

「……なんで、そんなこと言うの?」


 僕の一言に、彼女はますます顔を歪めた。

 苦しそうに震えている。より一層、僕の手を握りしめる。決して離さないようにという意志が、そこから少しうかがえる。


「……余計、動けなくなっちゃったじゃん」


 そして彼女は「……ばか」と小さく呟いた。


 ◇


 駅から出た僕らを待ち受けていたのは、一台の車だった。

 運転席から、サングラスをかけた鷹野瞬が顔を出す。


「よお、そこの高校生二匹。おまえらデートか? とりあえず俺の車に乗ってけ。楽園に連れてってやる」

「……いや、なにやってんの」


 いろいろと。


「お兄ちゃんは不良ですからね。車の運転も、できてしまうんですよね」


 助手席からそんなことをいったのは、鷹野瞬の妹だった。

 サングラスをかけている。サングラスの兄妹。ペアルック。


「俺はだいたいなんでもできるからな。実質無敵だ」

「お兄ちゃんは高校生にして、事故ったことは二回しかないからね。安心して車に乗ってくださいよ」

「おう。俺に三度目はない」

「…………」


 僕があっけにとられていると、なぜだか彼女は早くもシートベルトを締めていた。


「『死んじゃうクン』、なにやってるの? 早くしないと置いてかれるよ」

「……いや、高校生が運転って、おかしいでしよ。違和感を感じないの?」

「何言ってんの。私も内心ドン引きしてるよ。でもここまで来たからには仕方ない」

「はっはっはっはっ!」


 鷹野瞬の高笑いが、虚しく響く。


 ……彼がだいたいの荷物を担当する、といったからには、車を使うのだろうと思っていた。しかし、それは親戚か親が車を回してくれるのだと、そう思っていた。


 観念して、僕は彼が操る車に乗り込む。


「おい、最高に楽しいな?」と彼は嘯く。


「僕はあんまりかな」

「おいおい、そんなこと言うなよ。なーに心配するな。じいちゃんにしっかり運転は教わってる。ちゃんと俺はできるから」

「でも事故ったんでしょ?」

「まあ、眠かったからな。仕方ない」


 言うことが完全に犯罪者のそれだ。

 たぶん、冗談のつもりなのだろう。面白くないけど。


 ……事故、といっても範囲は様々なので、せいぜい車体を軽く傷つけたとか、そういうものだと僕は解釈しておく。


「準備はいいか野郎どもー!」


 鷹野瞬が声のボルテージを上げる。


「よくないでしよ。いやほんとに」

「いえーい! お兄ちゃんサイコー!」

「いえーい! 夏がきたよー!」


 なにげに彼女が妹の声に追従している。

 世の中はマイノリティの正しさを掻き消すものだ。

 そうして、僕の声は無と化した。狂人どもの宴に取り残された気分になりながら、僕はため息だけを吐き出している。


 反対に、彼は感心したように息を吐きだしている。


「やっぱり俺の妹はよくできた妹だなあ。あと部長も」

「突然シスコンみたいなこと言わないでくれよ」

「お兄ちゃんー! 愛してるよー!」

「おう、俺は愛されている」


 この人たちってこういう関係だったのか、と僕は思った。

 まあなんというか、想像以上に仲が良いというか。

 彼が「愛されている」ことを自覚するぐらいには、直球の愛情なのだというか。


 車がついに発進する。


「二度あることって三度あるよねー」


 事故のこと。

 妹がそんなことをぼやく。

 これが物語なら、このさりげない台詞は伏線となり、僕ら四人は交通事故で死ぬだろう。

 まあ、もちろんそんなことは起こらない。異常なことが起こっているけれど、残念ながら今の状況は夢でも何でもない、現実だ。


 ◇


 車を降りて、吸い込んだ空気はとても綺麗なものだった。


「つーいーたー!」


 彼女は元気よくはしゃいでいる。

 一方で、鷹野瞬の荒っぽい運転から逃れた僕は、疲れたような気分で胸に手を当てていた。

 死をも恐れぬ僕をここまでうろたえさせるとは、彼もなかなかの才能を持っている。僕は心の中で、皮肉っぽい賛辞を彼に向けて飛ばした。


 ぽん、と肩に手を置かれる。鷹野瞬。


「安心するのはまだはやいぜ」

「……どういうこと?」

「今から山登りだ。重い荷物、男二人で運ぶぞ」


 僕はそのことを女尊男卑だとか、性差別の横暴だとかをいって抵抗してみたが、どうにもならない問題なので早々に観念した。


 僕と彼は重い荷物を運びながら、女二人はルンルンと山を登りながら、目的地へと進んでいく。

 彼女と妹はそこそこに仲が良い。きっと気が合うのだろう。

 二人が似たようなタイプの人間だと思えなかったが、そういう事例は探せばいくらでもあるものだ。


 苦しみ呻きながら前進する男二人は、羨ましそうに女二人を後ろから眺めている。


「瞬。荷物、だいぶ君のほうが多く持ってるけど大丈夫?」

「ん? ああ、心配すんな。俺は平均よりもだいたいのことがだいたいうまくできるように生きて来たからな。力はそこそこに強いぞ」


 そういう彼の体つきは、確かに引き締まっている。

 いつもは気にしないが、夏の薄着から覗く腕、足の筋肉の付き方は、確かに見事なものだ。物語のように奇跡的な筋肉の付き方ではないが、一般的な高校生が頑張って手に入れられるような、現実的な凄さというか。

 不真面目そうに見えて、彼は生きてきたことに対しての積み重ねを持っている。


「なんだか嘘みたいだ」と彼は言う。


「どうしたの急に」

「……いや、なんだかこの光景があり得ないもののような気がしてさ。こんな俺が友達と夏休みを過ごしてるんだ。山の中で一泊するとか、作り話みたいなことを今からするんだ」

「別に、高校生なら夏休みにどこか旅行に行くぐらい、珍しくないと思うけどね」


 そういうことじゃないんだよなー、と彼は穏やかに言う。


「高校生が車を運転したんだ。それで旅行にいくんだ。なにより、俺なんかが、今までこんな楽しい行事をしたことのない俺なんかが、こんな夏休みを迎えたんだよ。だから、嘘みたいなんだ」

「現実が信じられない?」

「まったくもって」


 僕は自分の肩にのしかかってくる荷物のことを感じた。こんな苦しい力仕事を押し付けられているところが、やけに現実味を帯びさせる。

 楽しいことの中に辛いことがある。すべてが楽しいわけじゃない。そういうものを感じているから、僕は目の前の現実を現実と受け止めている。


 でも、今のこの荷物の重さが、うっとおしいぐらいの夏の暑さが、目的地まで行く距離の長さが、彼にとってはたいした苦痛ではないのかもしれない。

 すべてが楽しく感じられてしまい、現実味を帯びない。だから『嘘』みたいに感じられる。


「今の現実が物語みたいで、作り話みたいに思えるんだよな。俺が受け取っていいものじゃないように思える」

「自罰的、もといネガティブだね」

「まあ、そう言うなよ」


 彼は本当に珍しく穏やかに、幸せそうに笑っている。


「なあ、俺思うんだよな。絶望を跳ね返すためには、死にたいを掻き消すためには、なにか圧倒的なものが必要なんじゃないかって。心の底からの感動とか幸せとか、自分を永遠に誤魔化せるぐらいの圧倒的なものとな。そういうずっと持続できる、一生の思い出なのかなって」


 我らが部長の気持ち、わからないわけではないんだよなあ、と彼は笑う。


 夏の思い出を作りたい、と言っていた彼女。

 圧倒的な思い出。

 作り話みたいな、物語みたいな、そういうもの。


 どこか作為的にすら思える幸福感。

 多福感に溺れること。


「俺、生きるための目標、決めたわ」

「どんなの?」

「『圧倒的な物語を作る』だ。俺にとっての俺の物語は、俺の行動によって紡がれる。俺は自分が持てる技術を使って人生を演出し、楽しいものにする。誤魔化しかもしれない。まやかしかもしれない。都合のいい幻想でしか、ないのかもしれない。でも、俺はこの目標を掲げて頑張ってみようと思うんだ」


 圧倒的な物語。


 自分の人生を丁寧に組み立てて、『嘘みたいだ』と自分に言わせたくなるような状況にする。

 こんなに恵まれてていいのかって思うぐらい、今の自分からは信じられないような現実を組み立てる。


 嘘みたいな現実を、『物語』と彼は表現した。

 それを紡ぐのが彼の願い、誓い、秘めた決意。


 鷹野瞬は死にたがっている。

 生きる意味なんてないと妄信している。

 でも、彼は一度それをやめてみるという。地に足のつかない思考を止めて、現実を真摯に受け止めてみようと、彼だって無茶だと思うことを実行しようとしている。


 彼は能力がないわけじゃない。

 勉強ができないわけじゃない。運動ができないわけじゃない。顔が悪いわけじゃない。


 彼はきっといい方向に進み始めた、のだと思う。

 それはとても素晴らしいことだ。


 僕は空虚に前方を凝視する。

 彼女と妹。楽しそうな二人の人間。


 ……裏切られたような、気持ちだった。


 彼は少なくとも、無意味に空虚に絶望して、いつか死ぬのだろうと思っていた。

 仲間意識のようなものをもっていた。


 裏切られた、なんてお門違いな心情だと思う。


 彼は僕とは違う。

 僕は彼とは違う。


 彼女だって僕とは違う。彼女は真摯に生きて、綺麗に死にたがっている。僕とは、まったくもって違っている。


 おいていかれるような感覚。


 僕は一人で死ぬ。

 何の意味もなく、堕落して、周りを貶して、死んでいく。

 世界のすべてはどうでもよくて、関係がない。


 ◇


 着いたのは自然溢れるキャンプ場だった。

 キャンプ場は木々に囲まれ、近くでは川が穏やかに流れている。テントの跡地がちらほらと残っている。河原にはたくさんの石が転がっていて、サンダルを履いて川に行く連想を抱かさせる。

 それと、じりじりと焼くような日差し。


「暑いな」と鷹野瞬が言う。


 テントは組み立てた。バーベキューもセットした。食材は日陰に置いてある。


 僕らがこういうことをしている間、女性陣たちは川で水遊びをしていた。サボりだ。男を奴隷として見ているのだ。

 まあ、別にいいんだけど。


「きゃっ、冷たっ! 妹ちゃんやったな~仕返しっ!」

「ひゃっ、なかなかやるじゃないですか。仕返しの仕返しです!」


 ずいぶんと楽しそうだ。


 僕ら男二人は、木陰に入ってそんな姿を眺めている。

 いつものごとく、上から目線で批判する。


「馬鹿みたいだよな。あんな水ごときでキャーキャー騒いで」

「女子ってそういうものでしょ」

「まあ、そういうもんだ。女子だもんな」


 彼は深くため息をつく。そして急な話題の転換を試みる。


「二人ともかわいいよな。どっちが好みだ?」

「僕は人類すべてが好みだよ」

「そっか。俺はやっぱり妹の方かな。すげえかわいい」

「シスコンだね」

「まあでも、真面目に俺の妹の方が可愛くないか?」


 どうなのだろうか。二人とも、顔立ちはかなり整っている方ではある。

 妹の方は顔がきつい系の美人だと表現できるし、彼女の方は明るさが似合う無邪気なかわいさがあるタイプだ。

 前者の方が好みの人は好みだろうが、後者の方がモテる度合いは上のような気がする。


「おい、惚れるなよ」

「惚れるわけないでしょ」

「なんだと? 俺の妹が可愛くないと?」

「君ってめんどくさいよね」


 兄弟愛。


 水着姿の女子をみながらだべる僕たちは、なんだかいつもと変わらなくて、屋上にいるときみたいだ。

 くだらないどうでもいいことを言いあって時間を潰す。特別楽しくもつまらなくもない、無意味な時間。

 僕はこういう時間が嫌いじゃない。


「よし、変態みたいに女子じろじろ眺めるのはやめて、そろそろバーベキューするかー」

「自覚はあったんだ」

「テント組み立てたの俺達だし、あとのことは女子たちに頑張ってもらおうぜ」

「了解」


 女子たちにバーベキューを始めることを大声で告げる。

 彼女たちは晴れやかな顔で戻ってくる。水着姿で。


「うーん! 川に入った後だと、おひさまが気持ちいいね!」

「それはよかった」

「『死んじゃうクン』は水着に着替えないの?」

「いや、そんなもの持ってきてないよ」

「えー、せっかく川あるのに、もったいない」


 彼女はルンルンと、妹と共にバーベキューの準備を始める。


 やることがなくて、僕は結局、木陰から彼女たちの様子を見ている。

 水着姿の彼女。着替えないのだろうか?

 ……僕はなんとなく気まずくて下を向く。


 その時、僕の顔に水がかかった。

 顔を上げれば、にやけた面の鷹野瞬が目に入る。

 彼はでかい水鉄砲を持っていた。二丁も。


「どうした少年、表情が暗いぞ」


 水鉄砲が発射される。


「そんなことでは夏を乗れきれないぞ。戦うんだ」


 水鉄砲が発射される。


「ここは『楽しい』物語の上だ。ほら、楽しんでみろよ」

「……ねえ、服の替えとか、あんまり持って来てないんだけど」


 水でべたべたの服の状態で恨みがましく言うと、彼は澄まし顔で片方の水鉄砲を放り投げてきた。


「そうだな。一方的な戦いは俺の好みじゃない。水鉄砲は二つあるしな。おまえにも一個やるよ」

「いらないよ、めんどくさい」


 彼が水鉄砲を構える――。


「くそっ!」

「ははは」


 この水鉄砲、結構な距離まで水が飛ぶ。それと結構勢いが強い。

 市販で買ったものだろうか? なんにせよ、ちょっとだけ値が張りそうだ。


「ははは! 楽しいな?」

「楽しくない!」

「おーおー、頑張らないと一方的に弾を当てられるぞ」


 躍起になって、僕は彼を追いかける。なんというか、やられっぱなしは癪に障る。

 僕に残されたわずかな感情の一つ、怒りが彼を追いかけさせた。

 絶対に同じだけの仕返しをしなければならない。僕は一度立ち上がってしまった。

 無関係、どうでもいいという言い訳が使えなくなってしまった。こうなってしまったからには、意地でも彼には仕返しをしなければ気が済まない。


「男子っていつも戦いに喜びを見出すよねー」

「ですよねー、お兄ちゃん銃のゲームとか好きなんですよ。いったいなにがいいんだか」

「まあ、男子ってそういうもんだから」

「ですよね、男子ですもん」


 女子たちの勝手な話が聞こえてくる。

 ……勝手にそう思っておいてくれ。


 表現するのも恥だが、僕と鷹野瞬が『騒いで』いるうちに、女子たちはバーベキューの準備を整えていた。


 水でべたべたになった僕たちは荒い息をつきながら、なんとか女子たちのところまで帰還する。


 彼女が呆れたように言う。


「濡れすぎ。着替えてきたら? 特に『死んじゃうクン』は」

「……いい。別に負けたわけじゃない」

「意味わかんないこだわりは捨てて! さあさあ!」

「あ、お前の分の水着も持ってきたぞ」

「……意味わかんないんだけど」


 妹がくすくすと笑っている。

 納得いかなくて、僕は妹の方を凝視する。


「いや、なんか楽しいですね」

「はい?」

「怒んないでくださいよ先輩」


 先輩。妹は初めて僕のことをそう呼んだ。


「私、最初この同好会に入ろうとは思わなかったんです。お兄ちゃんがいるから入っただけで、楽しむ必要はないって、そう思ってました」

「ふうん。じゃあ今は違うんだ」

「はい。こういうのって悪くないなって思ってます。いろんな人の珍しい顔が見れてわくわくするんです。先輩のそういう感じ、初めて見ましたし、お兄ちゃんがあんなに楽しそうなのも久しぶりですし」

「内容は人を水浸しにして喜ぶ悪魔の所行だけどね」

「まあ、今は夏ですし、それもいいんじゃないですか?」


 妹はご機嫌に笑った。

 僕は、納得いかない。


「おい、着替えに行くぞ。女子たちは覗くんじゃないぞ」

「お兄ちゃんたちの着替えなんて誰も興味ないよ」

「はっ、俺たちが水にぬれてる姿を見て喜んでたくせに」

「もうっ! そういうのじゃないって!」


 僕たちはテントに籠って着替えをすませた。

 ……これで全員水着姿だ。


「なあ、俺達って今最高に青春してるよな」


男女二人づつ。水着でキャンプ。


「君、受験生なのにね」

「おまえもだろう?」

「僕は関係ないよ」


 ◇


 火をつけるのは鷹野瞬の得意分野だった。

 彼はわりとなんでもできる。タバコも吸うし、車も乗れるし、火だってつけれるすごいやつだ。若干法に抵触しているような気もするが誤差のようなものだろう。

 まあ、普通に良い存在ではないのだが、僕は嫌いではない。


 肉を焦がしながら、妹が野菜を拒否しながら、せっかちな彼女が生焼け肉を食べようとしながら、バーベキューは進んだ。


 確かに、嫌な時間ではなかった。周りが笑っていることが楽しんでいることが、辛いとか苦しいとかになるわけでもない。

 僕はベジタリアンを気取って肉を食べなかったが、それを見越したかのように魚も多く焼かれていた。……肉が食べれなくなった、と彼に話したことがあったような気がする。概念の変質。


 夏だから、バーベキュー中はとても暑かった。女子たちは僕たちが水着姿なのを言い訳に、着替えようとしなかった。というより、このまま僕らを川まで引きずり込むつもりの様だった。


「お兄ちゃんを沈めましょう」

「『死んじゃうクン』も沈めておきたい」

「いいですね!」

「楽しそうだよね!」


 女子たちは血気に盛んな者たちが多いので、男子たちを沈める計画に夢中だ。


「お前らごときに沈められると思うな」と彼がなぜか喧嘩腰に言う。


 おどけたような言い方。


 妹の方がそれに対抗した。二人は川の方に行った。仲のいい兄弟たちだ。


「『死んじゃうクン』。私たちもいこ?」


 僕は嫌がった。


「ひょっとして泳げないとか? 川、人を沈めれるぐらいには深いもんね」

「……」

「あれ? ほんとに?」

「うるさいよ」


 ――概念の変質。


『水の中に入ること』は化け物の口の中に入ったかのような錯覚を呼び覚ます。

 昔の僕は泳げた。でも、今はどうなのだろうか?


 なんで、なんでこんなバカげた概念が侵入してきてしまったのだろうか?

 たぶん、昔映画でみたイメージに引っ張られているのだ。海で登場人物が漂っている。サメが登場人物の血の臭いを嗅ぎつける。そして、食べる。


「ほっといてくれ。嫌いなんだ、こういうの」


 彼女は僕の弱点を知れて気分がよくなるんだろうなと思った。それは少しだけ腹だたしかったが僕にどうにかできるわけでもなかった。

 勝手に誤解しておけばいい。僕の痛みを知らずに、泳げないと断定し、馬鹿にし、兄妹と楽しんでくればいい。

 僕は理解を求めていない。他人が僕のことをどう思おうと、関係がない。


「ねえ、大丈夫? 様子、変だよ」


 僕はまったくの無表情だった。


「変? 僕はいつも通りだよ」

「……ずっと一緒に過ごしてきたんだもん。平気なフリしてても、わかるよ」

「いや、わからないはずだ。君は鎌をかけている」

「まあ、私はここにいるよ。ちょっと疲れたし、休憩する」

「――同情のつもり?」


 そんな僕の言葉から、いったいなにを読み取ったのか。

 彼女は少し傷ついた素振りを見せながら、静かに口を開く。


「約束したでしょ」

「……」

「『一緒に』だよ。同情なんかじゃない。君がここから動かないという状況がそうさせるんだよ。わかった?」

「……そう、好きにするといい」


 彼女の言い分は不器用で、なにを考えているか丸わかりだった。

 約束は言い分けでしかない。僕が同情されることを嫌がったから、無理やり理由付けをしている。


 でも、それで怒りが、溜飲が下がっていく気がした。

 僕は自分の様子に戸惑う。

 彼女の憂いに満ちた表情が、僕のことを想った行動をしたということが、それが僕を満足させた。その事実が苛立たしく、泣きそうになった。


 世の中のすべてはまるで僕に関係がない。

 誰がなにを思おうと、僕にとってはどうでもいいことだ。


 そのはずなのに、僕は今そう思えていないのだ。あまりに僕は人間的な感情に呑まれていてで、自分をコントロールできていない。あまりにも情けない。


 ――彼女のことが嫌いではなかった。


 でも僕が『好ましい』と認めた人間は『嫌悪』に置き換わる。吐き気がするほど疎ましいものとなる。

 僕はいろんなものに『どうでもいい』を張りつけられなければ、世の中に耐えられない。


 何も感じないかすべてを疎ましく感じるか、二つに一つだ。それなら僕は、せめて無感情でありたかった。痛いも苦しいも、嬉しいも楽しいもいらなかった。

 でもどうしても、外的要因が僕を搔き乱す。


「一緒にいるから」と彼女は言う。


「何も言わなくていいから、何も感じなくていいから」


 彼女は、彼女は。


「ね?」


 そうやって微笑む彼女の姿は。


 苦しい。押しつぶされそうになる。やるせなさが込み上げる。


 ◇

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