悪役令嬢のSな兄
「シャルロット、君との婚約を破棄させてもらいます!」
目の前の女性に向かってそう叫んだのはこの国の第二王子、ランスロットだ。
この国の全ての王族と貴族の入学が義務付けられているノーブル貴族学校。そのエントランスホールで百を超える学生が人垣を作っている。彼らの中心にいるのは七人の学生。そのうちのたった一人を除いて全員最上級とも言える王侯貴族の子供だった。
彼らは二つに分かれにらみ合っている。一方は第二王子ランスロット、近衛騎士団団長の子息カミュ、宰相の息子オーウェン、枢機卿の子息ローレンツ、そして男爵令嬢のエレクトラだ。
対するのは筆頭公爵令嬢シャルロットだ。彼女は僕の可愛い可愛い妹だ。家ではシャルと愛称で呼んでいる。
そういえば自己紹介をしていなかった、僕の名前はウィズワルド。立場からわかると思うけど僕も学生の輪の内側に立っている。
どこに立っているかって? 当然――エレクトラの側だ。
「お前がエレクトラにした事、全て証拠がそれっているぞ」
「なぜ、公爵令嬢ともあろう人が虐めなんて、信じられないよ」
「貴女の行いを神はお許しにならないでしょう」
「ああ、まったくだ。よくもこんなことを……」
「そんな、お兄様までっ!? ……やっぱり駄目だったの……」
僕は目に涙を溜める妹を厳しい顔でにらみつける。
こうなった全ての原因は僕が七歳、シャルが五歳の時にあった。
その日、家では使用人達が慌しくしていた。何があったのか聞こうとしたが、誰も彼もが忙しそうにしていて聞くことが出来ない。仕様がないので母に聞こうと母の部屋へ行ってみるとシャルがメイドに囲まれてパーティーで着る様なドレスを着させられていた。
「お母様、何でシャルにドレスなんて着せているのです? 今日はパーティーの予定はなかったと思うのですが?」
「シャルロットの将来の旦那様が来るのです」
「シャルの? 誰でしょうか?」
「後のお楽しみです。きっと驚きますよ」
僕も適度に着飾り、先に準備の終わった母とシャルと共にエントランスで来客の到着を待った。
それから半時ほどして家の前で馬車が走る車輪の音が止まった。どうやらやっと来たようだ。
玄関の両開きの扉が外側に開かれる。そこにいたのは僕と同じくらいの少年だった。
「わざわざおいで頂きありがとうございます、ランスロット様」
「僕が挨拶に来たいとわがままを言ったのです。どうか気になさらないでください」
ランスロット!? 確か第二王子の名前じゃないか!
僕が驚いて彼を凝視しているとその視線に気付いたのかランスロット様がこちらを向いた。
「君は?」
王族に名前を聞かれた。これは筆頭公爵家の跡取りとしてしっかりと答えなくては。
「私はジャマン筆頭公爵の息子でウィズワルドと申します。以後お見知りおきを」
「ウィズワルドというのですか。私は第二王子ランスロット。同じ年の生まれだと聞いていますから学校などで縁もあるでしょう。その時はよろしくお願いします」
「ハッ!」
僕は王子の前に優雅に見えるよう意識して跪いたが、すでに王子の興味はシャルに移ってしまっていた。
「では彼女が」
「はい、国王がお決めになったランスロット様の婚約者となる娘、シャルロットです」
「そうですか……始めまして、シャルロット。共に支えあう良きパートナーとなりましょう」
ランスロットがシャルに手を差し出す。しかし、シャルはその手を受けようとはしなかった。王子の差し出した手をとらないなんて王家に叛意ありと見られる場合もあるほどのやってはいけないことだった。
「は、早く王子の手をお取りしないかっ」
父が促すためにシャルの背中を叩くと、シャルは頭から前のめりに倒れた。
「シャルッ!?」
母が駆け寄って抱き起こしたシャルの胸はゆっくりと上下している。どうやら命に別状はないようだ。
「どうしましょう、すごい熱!」
「早く医者へ! 私がいては邪魔になると思いますので今日はこれで失礼します」
そう言うと王子は背を向け颯爽と馬車へ向かった。父が慌てて後を追おうとするが王子の馬車は走り出してしまう。そして、そこに入れ替わるようにしてウチの馬車が止まった。
王子のお付が指示してくれたらしい。
王子のお蔭ですぐに医者に連れて行くことが出来たが、連れて行った医者では原因がわからなかった。
屋敷で安静にさせながら他の医者を呼んで見てもらったが誰が見ても原因不明。しかし、シャルの熱は俺たちの心配を余所に一週間ほどで下がり、シャルも目を覚ました。
「悪役令嬢……」
目覚めたシャルが最初に言ったのがその言葉だった。
それを耳にした途端、立っていられないほどの激しい頭痛が僕を襲った。そうして見たこともないのに懐かしいと思う風景が、匂いが、声が、味が、感触が俺の脳内を駆け巡った。
そこで僕の意識が途切れる。目覚めたのは三日後のことだった。
みんなが喜びであるいは心配して声をかけてくれているが僕はそれ所ではなかった。なぜか僕には前世とも言うべき記憶があったのだ。といってもほとんど靄がかかっていてしっかりと思い出せることはあまり多くない。
一つは前世の僕の女性の好み。一つは僕の前世の性格の一部。そして一つはこの世界と類似したゲームがあったことだ。
そのゲームのタイトルは思い出せないがジャンルは所謂乙女ゲーと呼ばれるもので、主人公の女の子を操って格好いい男子と恋をするというものだ。
女性の好みと言っていることからわかると思うけど僕の前世は男だ。そんな僕が前世を思い出す切欠がなぜ乙女ゲーの悪役令嬢なんて言葉だったのか。それは僕の前世の女性の好みと関係している。
「・・・・・・ず! ウィズ! しっかりしてください!! 貴方が証拠を持っているんですよ」
ランスロットが僕の肩を揺さぶっている。どうやら昔のことを思い出すことに集中しすぎたようだ。
「ああ、すまないランス。……どこまでいったんだい?」
「今はエレクトラを轢こうとした馬車の話だ」
「ああ、それか」
今はカミュがシャルに詰め寄っていた。
「この日あったパーティーにお前の両親とウィズワルドが参加しているのにどうして参加者の名簿にお前の名前がないっ!! 言ってみろ!!」
「そ、それはお兄様から用事を頼まれたからで……」
反論するシャルにさらに詰め寄ろうとするカミュの肩を掴んで後ろに下がらせると、俺は頭一つ分低いシャルの目を蔑むように見下ろした。
「お前は何を言っている。これを良く見みるがいい」
「そ、そんな……」
俺が一枚の紙をシャルに渡すとシャルは目を大きく見開いたまま動かなくなった。
そこには件の御者が事故のあった時にシャルを乗せていたと言う内容が書かれていた。
「ウィズワルド様、他の証拠もお持ちなのでしょう? ならば全てを突きつけてこの悪魔を早く捕らえてしまいましょう」
枢機卿の子息であるローレンツがそんな提案をしてきた。しかし、それではまるで意味がない。
「こいつは出来るだけ追い詰め、苦しめることで自らが犯した罪を自覚させる。わかったら次だ」
僕がそう指示を出せば宰相の息子であるオーウェンが、エレクトラが受けた嫌がらせの内容を読み上げる。その後にカミュの尋問だ。僕はその嫌がらせに対応した証拠をランスに渡すと先ほどの回想の続きをすることにした。
どこまで思い出したっけ……そうだ。僕の記憶がなぜ悪役令嬢なんて言葉を切欠に蘇ったかだ。
そう、それは僕の前世の女性の好みにゲームの悪役令嬢、つまり妹のシャルロットがドンピシャだったからだ。靄がかかった記憶の中でその時の事だけは鮮明に思い出せる。
誰のかはわからない部屋、僕がそこに入ると女が寝転がってゲームしている。僕が入ってきたことに気付いていないようだ。
画面を見ると下の方のウィンドウに文字。これはADVと呼ばれるタイプのゲームだな。
いつ気付くかなーと音を立てることもなく画面を見つめる。するとそこに女の子の画像が現れた。
「女もギャルゲーやるんだな」
「わっ!? ビックリした! もう居るなら居るって言ってよね!」
「おー、悪い悪い」
前世の僕が適当に謝ると女は体を起こしてこっちを向いた。
「それにこれはギャルゲーじゃなくて乙女ゲーよ!」
「おとめゲー?」
今では知っているが当時は聞いたことないジャンルだ、とか思った。
「簡単に言っちゃえばギャルゲーの逆、女の子が主人公で格好いい男の子と恋愛するの」
「でも画面に映ってるのは可愛い女の子じゃないか」
「それは悪役令嬢のシャルロットよ」
悪役令嬢も知らない単語だったな。だからこそ妙に頭に残ったのかもしれない。
「あくやくれいじょう?」
「悪役はわかるでしょ、悪い役のことよ。令嬢って単語も聴いたことない? いいとこの生まれの女のこのこと。つまり悪役のお嬢様って事よ」
「こんな可愛い子が悪役なのか……」
「そうよ、主人公の邪魔ばかりするし、攻略対象は誘惑するし、最終的には主人公のこと事故に見せかけて階段から突き落としたりするのよ。まあ、いずれは全ての罪を暴かれて泣いて謝る事になるんだろうけど」
「なあ、何でこの女の子はそんなことするんだ? 主人公に恨みでもあるのか?」
「知らないわよ。そうゆう役割だからでしょ」
そっか、そういう役割ならしょうがないか。でも・・・・・・
「……なんか可愛そうだな」
「はぁ、何ゲームのキャラに同情してんのよ。気持ち悪いわね」
「うるせーな、お前もこんなゲームしてないで現実に彼氏作れよ」
「あんたにだけは言われたくないわー!!」
そうして部屋を蹴り出される前世の僕。この記憶はここで途切れてしまう。このやり取りで前世の僕は悪役令嬢=シャルロットとして深く脳に刻まれたんだと思う。
前世の記憶を持った僕は最初はものすごく浮かれた。だって好みドンピシャの女性に実際に会えるのだから。そしてしばらくしてものすごく落ち込んだ。兄弟じゃ結婚は出来ないから。
それならばいっそ嫌われてしまおうと僕はシャルをいじめるようになった。もしかしたらこの時から僕はどつぼにはまっていたのかもしれない。
いじめの内容はありきたりなものだ。運動が苦手なことをバカにして泣かせたり、一緒に出かけて途中でわざとはぐれて泣く様子を遠くから眺めたり、苦手な虫の玩具を泣き出すまで投げつけたり……。今考えると正に好きな子を虐めてしまう男の子の典型である。
そしてこれが完全に裏目に出た。なんと僕はサディスト、相手を虐めることで興奮する性格だったのだ。
確かに前世の記憶に、お前ってS気強いよな、なんて冗談交じりに言われているものがあったが、まさか泣き顔に興奮する性質だとは考えても見なかった。
それからは僕のシャルいじめは精神の成長に合わせて徐々に酷くなっていった。どうせいずれランス奪われるのだ。今のうちに楽しんで貴族学校を卒業したらきっぱりと諦めよう。そう考えるようにしていた。
僕が十歳の時、シャルがなにやら大事そうに一冊の手帳を土に埋めているところを見つけた。夜中になってから掘り返して確認してみるとそこに書いてあったのはどうやってバッドエンドを回避するかという案が沢山書いてあった。さらに読み進めていくと失敗するとシャルは処刑され、主人公が僕を選ばないと爵位が奪われるらしい。僕の前世の記憶から泣いて謝るだけで済むとそう思っていたがそんな優しい話ではないらしい。爵位を奪われるのもシャルが不幸になるのも僕の望むところではない。手帳にあるアイディアを見てみると効果のありそうな策も少なくない。シャルはシャルなりに結構考えているようだ。それなら、とりあえずはシャルに任せてみて駄目そうならフォローに周るとしよう。翌日から僕の日課にシャルの観察が増えた。
それから何年か経って、とうとう僕は貴族学校に入学することになった。正直行きたくはなかった。なぜなら学校には寮があるためシャルと一緒にいる時間が週末に、自宅に帰宅した時だけになってしまうからだ。一年の辛抱とはいえ僕には辛いことだった。とはいえ貴族として必要なことだからしょうがない。僕は退屈な学校生活のほとんどを今週はどうやってシャルを虐めるか想像することに使ってすごした。
ある日、僕は戦闘の授業でランスロットと戦うことになった。今日は剣術の授業なので武器は木剣。打ち所を間違えなければ死ぬことはないはずだ。さらに周りに医者も三人いる。僕はこの時、いつかシャルを奪っていくランスロットをボコボコにしてやろうと考えていた。
模擬試合が始まると、まずはランスロットに攻めさせた。丁寧ながら迫力のない剣戟をいくつかいなすと急に大振りな攻撃をしてきた。何故急にと思いながらもそれを回避してまた攻撃をいなしていくとまたも大振りな攻撃。今度は正面から受けてそして逸らした。しかし、単調な攻撃は変わらなかった。
手を抜かれていると思った僕は三度目の大振りを待って反撃に転じた。下からの切り上げで武器を打ち上げたのちそのままランスロットの肩をめがけて振り下ろす。ランスロットも回避をしたので当たったのは切っ先だけだったが、痛かったのだろう彼の表情がゆがむ。この程度じゃまだ足りないけど。
さらに痛めつけるために攻撃を繰り返すがランスロットも本気を出すことにしたらしい、僕の攻撃をしっかりと受けるようになった。僕とランスロットの模擬戦はそのまま授業が終わるまで続き、ランスロットに与えた傷も十を越えない数の青痣と、ボコボコには程遠い内容となった。
その日、なぜか僕はランスロットと共に夕食を食べることになった。どうやら王子という肩書きのせいで人が寄り付かず一緒に食事をする友達が居ないらしい。あの模擬戦のやる気のなさも誰も本気で相手をしてくれないため不貞腐れていたって話だったから王子と言うのも大変なようだ。
その後もランスロットは僕と行動を共にし気付いたらランス、ウィズとお互い愛称で呼ぶようになった。僕が許婚であるシャルの兄だと気付いたのはもうすぐ進級する頃だ。
「まさかシャルロットが妹好きと噂に名高いウィズの、正にその妹だったなんて。これは何かあった時には君に殺されてしまうかもね」
「殺しはしないさ。当然シャルは返してもらうけどね」
「まあ、わざわざウィズの妹に手を出すやつなんていないし、ださせやしないよ。安心して送り出して欲しい」
「ランス……」
このときシャルの相手がランスならまあ、いいか。と、自然と思えた。
「あ、でも僕以外でシャルを泣かせた奴は当然地獄行きだけどね」
「……ウィズ、君って男は」
あの時はランスも呆れてしまっていたようだ。
二年になってシャルが入学してきた。シャルへの恋心も諦めることができたし残っている心配事はシャルのバッドエンド回避だけである。僕はもうシャルをいじめるのはやめて、ただシャルが上手くやれているかを観察するだけになっていた。
シャルはまずランスに婚約の解消を願い出た。しかしランスはそれを断った。まあ僕にあれだけのことを言ったのにそう簡単に手放すはずがない。
続いてシャルは自らのイメージアップに努めた。これは上手くいったようで彼女は優しく勤勉でランスロット王子にふさわしいと皆がそう評した。
シャルは他にもいろいろと対策をした。全てがうまくいったわけではなかったが、それでもこれならきっと大丈夫だとそう思えるくらい彼女の地位は磐石となった。
しかし、それは間違いだった。シャルの努力は彼女の登場で全て水泡に帰した。
彼女――エレクトラが入学したのは僕が最上級である三年に上がってからだった。特別編入生として二年生として入学してきた彼女は、一週間もしないうちにカミュ、オーウェン、ローレンツを侍らした。そして一月もすると今度は学校中の生徒が彼女を褒めそやした。そしてついには彼女こそがランスロット王子に相応しいとまで言い出したのだ。その後も彼女は周りの人間を取り込んでいく。
そしてさらに一ヵ月後……
「ウィズ、僕の新しい友人を紹介するよ。エレクトラだ」
「エレクトラと申します。ウィズワルド様、これからよろしくお願いいたします」
「あ、ああ。よろしくエレクトラ嬢」
そう返すだけで精一杯だった。
「まあ、嬢だなんてそんな他人行儀な。エレクトラと呼んでください」
「そういうわけなんだ。ウィズも彼女が困っていたら助けてあげて欲しい。それじゃあ行こうか、エレクトラ」
「はいランスロット様」
僕はあまりの事態に頭痛を起こし、部屋に戻ってベッドに横になった。
気付くと僕は前世の僕になっていた。女の子がゲームをした部屋で、その女の子の隣に座って画面を眺めていた。
「あんたがシャルロットに首っ丈みたいだからどんなに彼女が酷い女か教えてあげる」
「首っ丈って変わった言葉を使うんだな」
「別にいいでしょ」
そういって女の子が語りだしたのは悪役令嬢シャルロットが主人公に何をしたのか、だった。
シャルロットは初対面で主人公を馬鹿にして周りの笑いものにした。シャルロットはわざとジュースをこぼして主人公の服を駄目にした。シャルロットは主人公に盗人の濡れ衣を着せた。シャルロットは人を使って主人公を馬車で轢き殺そうとした。
でも、どれを聞いても何も感じることはなかった。なぜならそこにシャルロットの気持ちが入っていないと、そう思ったからだ。
「結局この悪役令嬢の女の子は何でこんなことしたんだ?」
「主人公に婚約者と兄を奪われると思ったからよ」
「そう思われるようなことを主人公がしたのか? だったらやっぱりこの女の子は悪くないんじゃないか?」
「それだって自業自得なのよ。婚約者には冷たいし、兄にはわがままだし。だから二人は優しい主人公に惹かれるの」
「そうなのか」
だったら二人の内どっちかだけでも残っていたら、彼女も殺そうとまではしなかったんじゃないかな。出掛かった言葉を飲み込む。多分言っても無駄だろう。
目を覚ますとベッドの横にシャルがいて僕の顔を覗き込んでいた。
「お兄様! お兄様、大丈夫ですか?」
「何でシャルがここに?」
「お兄様が倒れたと聞いてっ、それで私居ても立っても居られなくて……」
シャルが目を伏せる。よく見ると少し顔色が悪い。
「シャルの方こそ顔色が悪いようだけど? 今度は僕が看病してあげようか」
「もう、私は大丈夫ですわ。お兄様ったら意地悪なところは変わっていませんのね」
「僕はシャルの泣き顔が大好きだからね。こればかりはやめられないよ」
そう茶化してみるもシャルの表情は晴れない。
「お兄様、お兄様はいつまでも私を好きでいてくれる?」
今にも泣き出しそうな顔で僕を見つめるシャル。僕はそうしなければいけない気がして、そうしないとシャルを失いそうで、彼女を抱きしめた。
「安心しろ、僕は何があってもシャルの味方だ。シャルが僕以外に泣かされそうになったら必ず助けに行くから」
何故泣いているのか、さっきの言葉で大体の予想がついてしまう。だが怒りに任せて走り出すのは後だ。今は声を上げて泣くシャルをただ優しく抱きしめてあげよう。始めて聞くシャルの悲痛な泣き声が僕の胸を締め付けていく。
僕はこの日、生涯シャルを守ることを誓った。
「これで全てだ。もう言い逃れをすることは出来ないぞ」
凄むカミュの声で現実に引き戻される。どうやら罪状の読み上げは終わったようだ。ここからはお待ちかね、ここまで育てた果実を収穫するとしよう。
僕は睨みつけるカミュからシャルを隠すように前に出た。
「ウィズワルド!?」
「ここからは僕に任せて欲しい。この場合、君達よりも兄である僕がふさわしいだろう?」
「お、お兄様……」
涙目になりながら震えるシャルに心からの笑顔を向ける。あまりのシャルの可憐さに抱きしめてしまいそうだが、それじゃあ高級な果実にはなっても最高級にはならない。
「まだ信じられないという顔をしているな。もう一度この証拠を良く見てみろ」
僕はシャルに馬車の御者を雇ったことが書かれている紙をもう一度突きつける。何度見ても書かれていることは変わらない。顔を青くさせているシャルに指を指すことで見るべき場所を教える。それはシャルの署名の欄だった。
それに気付くとシャルの顔に血の気が戻ってきた。
「まったく……お兄様は本当に……意地悪ですわね」
発した言葉は震えていてなお、溢れるほどの喜びの色に満ちていた。
「言っただろ? 何があっても僕はシャルの味方だって。信じてくれていなかったようだから存分に泣き顔を堪能させてもらったよ」
胸に飛び込んできたシャルを受け止める。ここまで追い詰めた結果のうれし泣きの顔は今まで見たどの泣き顔よりも色鮮やかに輝いていた。あぁ、シャルの兄として生まれて本当に良かった。
「ど、どういうこと? その紙に何が書かれているの」
周りの生徒たちも含めて僕たち兄弟以外が混乱している中、オーウェンが尋ねてきた。
「書いてあることは変わらないさ、シャルロットという者が御者を雇ったことが書かれている」
「なら、何で?」
「確かにシャルロットと署名してありますが私と字の綴りが違います。これでは私が雇ったという証拠にはなりませんわ」
僕に返された疑問にシャルロットが目じりをぬぐって答えた。最高級の果実はもうなくなってしまったようだ。ご馳走様と思っておこう。
「さらに言うなら紙の材質も御者達が使っているものと違う。これも調べれば簡単にわかるようになっている。つまり証拠能力がないというわけだ」
「そ、そんな……」
膝から崩れ落ちるオーウェン。他の皆もあまりのショックで地に伏していた。そんな仲でエレクトラだけがこちらに険のある視線を向けていた。
「ウィズワルド様ともあろう方が裏切ったのですか!?」
「裏切ってなどいないよ。僕はシャルを守るためだけに君に近づいたのだから」
シャルを守ると誓った次の日、僕は早速行動を開始した。せっかくいろいろ思い出したのだ、有効に活用するとしよう。
まずはエレクトラだ。前世の女の子は婚約者と兄を奪われると言っていた。つまりシャルロットの兄である僕も彼女のターゲットに入るかもしれない。そう考えエレクトラを探すと、案の定彼女は僕に言い寄ってきた。
「あの、ウィズワルド様? お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
まったく疲れてなど居ない。それどころか久しぶりにシャルの泣き出しそうな顔を見ていつもより元気なくらいだ。だけどこれは彼女に近づくためにしていること、たとえ元気でも彼女の話に乗るほうがいいだろう。
「大丈夫。……疲れが顔に出ているかい?」
「いえ、なんとなくそう感じただけだったのですが……良かったらその原因、私に話してみませんか? 人に聞いてもらうと楽になるかも知れませんよ」
原因か……早速前世の記憶が役に立ちそうだ。
「そうか……そうかもしれない。いや昨日、妹の買い物に無理やり付き合わされてしまって、仕上げなければいけない課題が昼間に出来なくて少し寝不足なんだ」
「それでしたら、私の膝を枕にして少しお眠りになってはいかがですか。四半時ほどで起こして差し上げますよ?」
やはりこれが主人公がウィズワルドと仲良くなる切欠か。まったくわがままなんて言ってくれるならそれを利用して簡単に泣き顔が見れるというのに、ゲームの僕はなんてもったいないことをしているんだろう。
しかし、正直な気持ちを言うと彼女に触れたくないな。だがそうも言っていられない。これはシャルのためなんだ、辛抱しないとな。
「ならお言葉に甘えさせてもらうよ。……エレクトラは優しいんだな」
「そんなことはありません。困っている人に手を差し伸べるのは当然のことです」
それから四半時、この最悪の時間を久しぶりにシャルをいじめる方法を考えることでやり過ごした。とはいえ久しぶりだったから湯水のごとくアイディアが湧き出し、四半時など一瞬で過ぎてしまう。
「ウィズワルド様起きて下さい」
エレクトラに揺さぶられ目を覚ます。まだまだ考えに没頭していたかったが、早く離れたくもあったので素直に起きることにした。
「んん。……ああ、そうだった。君の膝を借りたんだった。ありがとうエレクトラ、頭がすっきりした気がするよ」
「それは良かったです。あの、もし週末お暇でしたら私と町に行きませんか? ウィズワルド様を元気にして差し上げますよ?」
週末はシャルをいじめて過ごしたかったのに……。いや、これもシャルを守るためだ、我慢我慢。
「それは面白そうだ。幸い今週は予定があいていたはずだ」
「ふふふ、では待ち合わせの場所と時間は追って連絡いたしますね」
「何をしてくれるのか楽しみに待っているよ」
僕の言葉にエレクトラは満足そうに去っていった。さて、これで彼女に近寄ることは出来たな。このまま仲を深めて彼女が何をするにしてもまずは相談する、そんな関係を築くとしよう。
そこからは本当に簡単だった。何せエレクトラは僕達をゲームのキャラクターとしか思っていないのだから。僕は一見、彼女の為になるような行動を積極的にとることで、僕自身がシャルを陥れたいと考えているとそう思わせることに成功した。
まあ、そう見せながらもシャルを冤罪にする証拠は後で簡単に偽造だとわかる様に細工したし、処分しろと言われたエレクトラの悪事の証拠はきっちりと保管しておいた。
一番大変だったのはエレクトラを轢こうとする馬車の件だった。元々はシャルが御者を雇いの馬車でエレクトラを轢かせた。と言う流れになるはずだったのだ。これではシャルが無実であるという証拠を作ることが出来ない。頭の回るエレクトラの事だ、もしかしたらそれだけでシャルまで道連れにしようとするかもしれない。
そこで僕はエレクトラにシャルが馬車に乗っていたことにしてより思い罰を与えようと提案した。最初は難色を示したエレクトラだったが、具体的な策を伝えると乗ってきてくれた。僕がシャルを排除したいと考えていると信じ込んでいるのも大きかったと思う。
後はわざわざパーティーの日にシャルをお使いを頼んで、アリバイに隙を作り実行に移したという訳だ。この時の証拠は偽造したものとシャルのアリバイ以外、全て燃やしたためそもそも犯人はいない、と言うことになっている。
「と、言うわけだ」
「うそよ……そんな……」
エントランスホールの扉が大きな音と共に開かれる。
「どけっ! 道を開けろっ!」
やかましい音を一定のリズムで鳴らしながら学生の輪を割って入ってきたのは、鎧を着た三十人ほどの男達だった。彼らは王国軍、この国の防衛と治安維持の任を負った者たちだ。
「エレクトラッ!! 王命により貴様を連行するっ!!」
「いやぁっ! 離して、離しなさいよっ!!」
エレクトラが髪を振り乱し喚き散らしながら引きずられていく。その姿はまるで悪魔のようで、私こそが悪役令嬢だとそう叫んでいるようだった。
「ランスロット様、カミュ様、オーウェン様、ローレンツ様。貴方達も連行するようにとの命が出ています。ついてきて頂けますね」
カミュ、オーウェン、ローレンツが抵抗することなく歩き出す中で、ランスがこちらに歩いてきた。
「どうした? まさかいまさら君だけが見逃してもらえるとも思えないが?」
「君に別れを言いたくてね、少し待ってもらっている。 ……なあ、最後に教えてくれないか? 何故君は友人である僕に何も言わなかった。君に諭されたなら或いは僕だって……」
「もし僕のことを裏切り者だと思っているなら順番が逆だ」
「僕が裏切ったって言うのかっ!!」
大声をあげ掴みかかってきたランスを押さえようと兵士が近寄ってきたが、僕はそれを制した。
「ランス、君は俺に言ったはずだ。シャルに手を出させはしないって。安心して送り出してくれって。そして俺は君に言ったはずだ。シャルを泣かせた奴は地獄行きだって」
「俺はシャルを泣かせてなんていないっ!」
「ああ、シャルも誰かに泣かされたなんて言っていない。あんなに大泣きしたのに誰かのせいだなんて言わなかったんだ」
そう、この貴族学校でシャルが大泣きしたあの日、いくら問いただしてもシャルが泣いた理由を言うことはなかった。
「だから僕は生徒にも手は出していないし、君達にやった以上の罪を着せる事もしていない」
「そうか……」
ランスの腕がゆっくりと僕の肩から離れた。
「さあ、お別れだ。ランスロット、いつか君が幸せになれることを祈っているよ」
「ウィズ……。そうか、これでお別れか。僕も君の幸せを祈らせてもらうよ、ウィズワルド」
ランスロットがあの日と同じように背を向け兵士の下へと颯爽と歩き出す。さようならランス、僕が妹を預けられるとそう思うことのできた、只一人の親友。
彼らは家を追放され、国を追われる事になる。そう国王から聞いている。幸いにもどの家も跡継ぎとなる男児が残っている。国が荒れることはないだろう。
考え事をしていると右手を誰かにつつむように握られる。シャルだ。
「大丈夫ですか、お兄様? ランスロット様はお兄様にとって……」
「心配してくれてありがとう、シャル。僕は大丈夫だよ。……さあ、帰ろうか」
手をつないだままエントランスホールを後にする。僕は今日で卒業、シャルも進級前の長休みだ。数日は家でゆっくりしよう。
「お兄様? お兄様は婚約は致しませんの?」
「なんだい急に?」
「今回のことで私も婚約者が居なくなりましたから、お兄様の方が先にご結婚されるのかなと……」
「どうかな? 僕は小さい頃からある女の子に夢中だからね。結婚は難しいんじゃないかな。シャルは早く結婚したいのかい?」
「私ですか? ……私、今はお兄様に首っ丈ですから……」
「首っ丈って変わった言葉を使うんだね」
シャルがこちらをジッと見つめる。それ目はまるで何か、決断をするときのように力強かった。
「そういえばお兄様。私、この間面白い夢を見ましたのよ?」
「へぇ、どんな夢だい?」
「この町と似た町の夢ですわ。そこには貴族の事情で血の繋がりがないのに兄妹として育てられた者達がいるんですのよ」
ウィズワルド君を書くのすっごく楽しかったです!!