心鏡フォト
「金賞は小学5年生の佐久屋蒼空くんです!」
鳴り響く拍手の音は身体に響いている。それでも、その音は嫌いじゃなかった。
--高校2年生の夏
梅雨明けをしてまもなく。毎日降り続いていた雨はどこにいったのかと思うくらいの暑い、夏。
じめじめとした暑い日が続いている。身体にまとわりつくような嫌な暑さだ。そんな日にバスのクーラーの当たらないところにたどり着いてしまった俺は不幸だ。
通学で使うバスは高校生でごった返している。時々サラリーマンがいるが、高校生に飲み込まれてその姿を潜めている。
バスの中は若者の元気な声で溢れかえっている。それを遮るように、俺は少し音楽プレーヤーのボリュームを上げる。
やっとのことで人混みから解放される。約20分の格闘だった。
家からバスで20分。少しだけ都会とは離れた所にある俺の通う学校。何もないけど、自然が豊かで俺は気に入っている。
「さくー!課題見せて!」
教室に入るや否や、おはようをすっ飛ばしてアホが大声をあげた。
「響介、またかよ……。課題ぐらい自分でやれって。」
俺はそいつ-星見響介の後ろの席にカバンをどさっと下ろした。響介とは親友なのだ。ずいぶん長い付き合いになる。肩に掛かるもう1つのバッグはゆっくりとおいた。
そして、仕方がなく課題をやったノートを渡す。響介はそれを有り難そうに受け取ってせっせと自分のノートに写し始めた。
窓側の席の俺はなんとなく窓の外を見る。外の生い茂る生命力溢れる緑を見ても、清々しい青い空を見ても「これだ」と思えない。
あいつを越えることは出来ない。
今日もいつの間にか授業が終わり、ほとんどの生徒は部活の時間になる。いかにも運動部な姿の響介はバドミントンのラケットを担いで肩をぐるぐる回している。
「やっときた!」
「気合い充分だな。」
「そりゃな。俺は部活のためにここに来てんだからな。」
そう言ってなぜか準備体操を始める、響介。そういうことは体育館に行ってからしろ。
「そういや、最近良いのは撮れたか?」
スクワットをしながら響介は聞いてきたが、俺は言葉に詰る。
「そうか……。あんまし焦んなよ。俺は体育会系だからそこらへん分かってやれないけど。」
「……ああ。」
曖昧な返事でしか返せなかった。焦るなと言われても、そう簡単に割り切れるものではない。
「じゃ、俺行くわ。」
響介は教室を出て行った。その楽しそうな後ろ姿は羨ましく、恨めしかった。
自分も前はあんな姿だった。
俺は部活に今日も行けない。行きたくない。そう思って向かったのは屋上だ。
屋上は意外とボロくて、生徒なかなか近づかない。1人になるには都合がいい。
屋上のベンチに座ってバッグの中からカメラを取り出す。小学5年生のとき、お小遣いやお年玉をかき集めて買った俺の宝物。でも、それは昔のこと。
それを構えてレンズ越しに空を見る。……が、シャッターを押すことは出来なかった。
カメラを構えたまま屋上の端まで行っても何も感じなかった。
「はあ……。」
視界を解放し、カメラを持ったまま屋上のフェンスに寄りかかる。
もう、満足いくものを俺は撮ることが出来ない。あの頃に戻りたい。
俺はカメラを見つめた。
そのままカメラを宙に浮かせる。手を離せば楽になる。もう、写真を撮らなくていい。
手からカメラが離れようとした時だった。
「ストォーップ!!」
背後から聞こえた大きな声に思わずビクッとしてカメラをしっかりと握った。
「そんな高価なものどうする気だったの!?」
振り返るとそこにはショートカットの少女が立っていた。顔は明らかに怒っている。
俺が呆然と立っているとずんずんとこちらに近づいてきた。表情は変わらず、俺をにらんでいる。
「聞いてる?」
案外身長はない。でも、一般的な身の丈だ。俺よりは小さいのは当たり前だが。
「……捨てるつもりだった。」
「どうして?」
初対面のはずなのに間髪入れずにまた問いかけてくる。もちろん、彼女の眉間にはしわが寄っている。
「……関係無いじゃないか。」
「関係なくない。それ、捨てたらきっと後悔するし。それに、『フォト川北』の娘私の前でカメラを捨てようなんてする人止めずに何しろって言うの。もったいなくて見てられないわよ。」
きっぱりとノンストップで言う彼女に何もいえなかった。俺は手元に残ったカメラを見た。
「……悪かった。」
「分かればいいの。それにしても大切にしてるし、だいぶ使ってるのね。写真部?」
彼女の目は俺の手元のカメラに向けられた。その目は興味津々であり、さっきの怒った顔はどこかにいってしまったようだ。さすが、『フォト川北』という写真屋の娘なだけはあるらしい。表情がコロコロ変わるやつだ。あと、スパッと物を言う。変なやつ。それが俺の彼女に対する第一印象。
「……一応。でも、草之にはもうかなわない。」
「草之?……ああ!あの辛気臭い写真を撮る草之紘人ね。」
草之紘人。1年生の写真部員。そして、俺を越えていったやつ。無名な草之を有名にしたのは彼が中学3年生の時、俺が小学5年生からずっと金賞を取っていたコンクールに出した作品、『real』。その作品で俺の金賞は途絶えた。そこから彼は金賞を毎年受賞した。彼はきれいな街並みではなく、その裏を写した。現実の辛さを痛感させられるその写真は誰の心にも衝撃を与えた。もちろん、俺の心にも。
1年生のはずだが、知っている人もいるのだな。それよりもあの草之の写真を辛気臭いなんて言う人初めてだった。確かに、草之に写真は少し暗いというか、現実を突きつけられたら気になる写真だ。
「私はああいうのより『蒼空』が好きだな。誰が撮ったのか忘れちゃったけど。あの真っ青な空の写真を見た時一瞬心臓が止まったかと思った。もう一度は見られないけど……。」
『蒼空』という作品名を聞いて驚く。
それは俺が初めて金賞を受賞した作品名だったからだ。
「よく、知ってるな。」
「まあね、兄も出展してたし。でも、目を引いたのはその作品だけ。そう言えば、名前まだ聞いてなかった。教えてくれる?あ!私は2年4組の川北海。『フォト川北』の娘なので何かあればぜひいらしてください。」
さり気なく宣伝を含めて自己紹介してきたのはさすがだった。俺を見てニッと笑う。しっかりした娘さんだな。
「2年2組の佐久屋蒼空だ。」
俺が自己紹介するとなぜかふーっと盛大に息を吐き出していた。やっぱり変わったやつだ。
「なんか、説教したりしてたけど、先輩じゃなくて安心したぁ。こんなこと言ってて先輩だったらどうしようかとヒヤヒヤしちゃった。」
なるほど、そう言うことか。確かに、さんざんタメ口使っているのにも関わらず先輩だったらあとが怖い。
「それはそうと、佐久屋くんは部活行かないの?」
「お前こそどうなんだよ。」
聞かれたくないことを聞かれてつい、強い口調で言い返した。相手は微塵も気にしていないようだったけれど。
「私?私は良いの良いの。絵を描くためにインスピレーション?働かせてるから。第一、美術部は絵さえ描ければどこにいたって良いのよ。私は屋上が好きなだけ。」
よく見れば彼女の手にはスケッチブックが握られており、画材が入ったと思われるバッグも持っていた。
しかし、とことん自由な部活だ。
「んで、佐久屋くんは?」
「……。」
逃げ切れてはいないようだった。
「さっき、草之がどうのとか言ってたけど、そのせい?」
「あいつを越えるような写真が撮れないし、辛い。」
そう言うと川北はうなりながら屋上のベンチに腰掛けた。そして、スケッチブックを取り出して何かを描き始めた。自分が質問しておいてあと放置かよ。
ペンを走らせる手が止まったかと思うと再び俺の方にずんずんと歩み寄ってきた。
目の前にずいっとスケッチブックが押し出される。そこには線がグニャグニャの描かれていた。スケッチブックの白は少ししか見えない。
「タイトル『佐久屋くんの今の心情』。」
「……は?」
もう一度じっくり見つめる。が、やっぱりグニャグニャのグチャグチャ。これが俺の心情、ね……。
「どういうーー。」
とここで、タイミングよく(俺にとっては悪かったが……)携帯の着信音が聞こえた。
「っと、ごめん。時間だから行くね。んじゃ!」
いつの間にかスケッチブックからその絵だけを切り離し俺の手に押しつけ、屋上から消えていた。
本当になんなんだよ……。
俺は次の日の放課後も屋上を訪れた。川北はここを一種の自分の部室にしている。
会うにはここにくるのが手っ取り早い。
「あ、またいたの?」
ベンチに腰掛けてカメラをいじっていると目的の人物が現れた。
「昨日の絵、どういう意味だよ。」
ビシッと昨日の絵を川北に見せる。
「そのまんまの意味。今の佐久屋くん何も視えてないから。」
「視えてないって、だからどういうーー。」
「写真撮るのに草之くん越えるって感情必要?」
真正面から真っ直ぐ俺の目を見られて俺は動くことができなかった。
「そう言うこと。感情も必要だけど、佐久屋くんは写真を撮ろうとして撮るわけ?」
「そりゃ、良いもの撮らなきゃだしな。」
またしても大きく息を吐き出す川北。癖なのか?
そして、ドサッとベンチに腰を下ろした。座り方はまるでオッサンのようだ。
「写真ってさきれいなもの、残しておきたいものを見つけた時自然に撮るものだと父が言ってた。撮ろうと思って被写体を探しても見つからないって。」
俺はハッとする。草之の作品を見てから俺はこれを越えるようなものをずっと探していた。
「感じるんだ!他は何もいらん!とも言ってたかな?とりあえずそういう意味。」
この話を聞くとどうやら川北はお父さん似であるようだ。それに昔の俺は確かに何にも考えないで撮りたいものを撮ってた。ただ感じたままに……。
「川北のお父さんはカメラマンか?」
「あ、うん。カメラマンだったよ。」
だった?
川北の家は今でも写真屋をしているようなことを昨日言っていたはずだが……。
「今もカメラマンじゃないのか?」
「ううん。もう、この世にいない。山にね、写真撮りに行ったらそのまま帰って来なかった。崖から落っこちたみたいでさ。」
「……悪い。」
一変して暗い表情の川北は見ているだけでもつらかった。カメラマンの父親が大好きだったことが言葉から感じ取れる。
「……こっちこそごめん!だから言いっこなし!」
そう言って無理に笑う姿も何だか心苦しい。それから俺は何を話せばいいか分からなかった。
沈黙がなんだかつらくて俺はバッグの中身を物色した。たしか、今まで撮った写真があるはず。
「……これ、やるよ。」
俺が差し出したのは大きな向日葵の写真。たしか、小学6年生の時に撮ったものだ。大きな向日葵を太陽に見立てて空と一緒に撮ったものだ。
「いいの!?」
「いらないならべーー。」
「ありがとう!すごいね!こんなの撮れるんだ!すごいじゃん!この写真好きだなー。」
さっきの暗い表情はどこに置いてきたのだろうか。雰囲気も明るくなって良かった。
「……素敵。」
ぽつりと漏れたその言葉に心臓がぎゅっとなる。
俺はカメラを構えて写真に見入る彼女をフレーム越しに見た。俺の手が自然にシャッターを押す。パシャリと久しぶりの音が聞こえる。すべての動作が自然だった。
音に気が付きハッと俺を見た川北がまだフレームの中にいる。
「と、撮ったな!?く、油断したーー!」
勝手に撮って怒るかと思いきや悔しそうに空に向かって叫んだ。
「と言うか、撮れるじゃん、写真。」
俺はカメラを顔から下げ、見つめた。このカメラで2年ぶりに撮った。
「撮りたくなった、から。」
そう言った時、若干彼女が面食らった表情をしていたのは気のせいだろうか。
「現像したら見せなよ!変だったらただじゃおかないから。」
と、古い捨てゼリフを吐いて川北は屋上を去っていった。
数日後、現像した写真を見て俺は懐かしい感覚を思い出す。嬉しく、満足感で心がいっぱいになった。
「珍しく嬉しそうだな。良いことでもあったのか、さく。」
「久々に良いものが撮れたからな。」
「お!?ホントか!?はははっ、良かったじゃねーか!」
そう言いながら響介が背中を叩いてくる。せめて左手で叩いて欲しい。
放課後屋上に行く。そいつはベンチに腰掛けてスケッチブックを開いていた。
近寄っていくと川北はこちらを振り返って見た。スケッチブックは真っ白だった。
「現像したぞ。」
「お!待ってました!」
受け取るなり封筒を開けて中の写真を確認する川北。
「……やっぱ、センスいいね、佐久屋は。」
じっと見つめるその表情は真剣そのものであり、俺は嬉しくなった。こうやって写真を見てくれる人は久しぶりなのもあった。
「でも、恥ずかしいなぁ。自分の写真って。」
照れくさそうに写真から目をそらす川北は居心地悪そうに笑った。
「俺が持ってても仕方ないし、やるよ。」
「え!なんか、貰ってばかりで悪いね。」
いろいろもらっているのはむしろ俺の方何だが……。
そして、また写真を見つめて、目をそらして笑った。自分の写真がそんなにも照れくさいのか。
「こう写ってるのね……。」
ぼそっと川北が何か言ったようだが聞き取ることができなかった。
俺の目は真っ白なスケッチブックに移った。
「描いてないのか?」
「テーマが空だからね。」
空だからと言う理由で描けないなんて初めて聞いた。確かに難しいが、よくあるテーマだし、そんなにも思い悩むだろうか。
「あー、父の話したよね。父のカメラから現像した最後の写真が空の写真で……。それから空がちょっと怖くて。」
大好きな父を奪った空の写真。それが彼女のつっかえになっているのか。
「中学生のころ亡くなったんだけど、そこから空のテーマじゃ描けなくて……。」
俺は空が好きだ。川北は空がきっと好きだろう。俺の『蒼空』が好きだと言っていたし。空が奪ったわけではない。それは多分川北も知っている。
もう一度空を好きになって欲しい。
「ちょっと数日待ってて!」
ある考えが思いつき、俺は走って出て行った。
あれから3日経った。現像した1枚の写真が俺の手に握られている。
「首、大丈夫か?」
「バレてたか。」
意外と鋭い響介が半笑いで俺を心配していた。
「そりゃな、後ろでゴキゴキうるせーよ。お前は上を見ながら歩いてんのか?」
「あながち間違ってないけどな。」
それを聞いて響介は大笑いして俺の背中を叩く。だから、お前のそれは凶器だって。
俺は期待と不安で満ちながら屋上に一歩踏み込んだ。
あいつはベンチに座って真っ白なスケッチブックを開いていた。
「これ。」
「急だなぁ。」
ずいっと封筒を押し付ける。不思議そうな顔をして封筒を開けた川北は目を見開いて中の写真を取り出した。
「『蒼空』」
写真は小学5年生の時に撮った写真と全く同じものだ。ここ最近苦労してやっと撮ったのだ。
こればっかりは探さないと撮ることが出来なかった。
「もしかして、佐久屋くんが『蒼空』を?」
「あれは俺が小学5年生の時の作品だ。」
川北は混乱しているようだった。だけど、写真は最初の1回きりしか見ていない。
「『蒼空』は俺の名前からとった。この写真が撮れて嬉しかったから自分だけのものにしたかった。他の人に自慢したかった。」
川北は写真を見てくれない。
「川北はお父さんが好きな空が怖いか?嫌いなのか?お前のお父さんはお前にあの空を見せたかっただけなんだ。自慢したかったんだよ。」
川北は写真をようやく見てくれた。その瞬間写真に水滴が零れた。
「!?」
やばい、泣かせてしまった。俺はポケットに手を入れてハンカチを探すがそんなもの有るはずもなく……。
「……ありがとう、蒼空くん。」
泣き笑いながら彼女は俺に言った。急に温度があがった気がした。夏のせいだろう。
「空は優しいね。この写真の空、蒼空くんみたいだよ。」
「俺?」
「写真は撮った人そのものだよ。その人の鏡なんだって。父が言ってた。」
スケッチブックにペンで「写心」「心鏡」と書く。
「父が好きだった言葉。」
愛おしそうに川北……海は言った。
「この写真は蒼空くん。だからね、空はもう怖くない。」
そう言って笑った顔をフレームに納めたかった。でも、俺はカメラを構えなかった。この瞬間は俺だけしか知らない。
俺がコンクールで金賞を取るのはそんな夏が過ぎてまもなくのことだった。
そして、俺は今日も屋上へ通う。
〈完〉
連載中のものをほったらかして短編を書いてしましました。申し訳ないです(汗)
それでも、この作品が書きたかったです。
写真とかカメラとか詳しい方ではないのですが、毎日の歩く道をよく見てみると緑がきれいだと感じ、携帯のカメラでその風景を撮ってしまいました。
そこからこの作品を書こうとなったわけです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また別の作品でお会い出来ることを願っております。
2014/7 秋桜 空




