10月25日(3)
「諦めが悪いというか、鈍感というか……」
「だ、誰だ、あんた?」
「誰? 相手の名前を知りたい時は、まず自分から名乗るべきじゃないの?」
動揺している僕とは反対に冷静沈着な女性は、呆れたようすで前髪を軽くかきあげる。
確かに彼女の言うとおりだ。
「ご、ごめん。僕は……」
言われたとおりに自分の名前を告げようとすると、その前に彼女が、
「鷹野信也君……でしょ?」
僕の名前を造作もなく当てた。目を丸くしているのが自分でわかる。その女性は顔全体で微笑むと、握手を求めてきた。
「わたしはミリア=ミリス。天界と地界を結ぶ中界で、案内人の仕事をやっているわ」
「中界? 案内人? なんだよそれ……」
ミリアの言ってることは、僕の頭では簡単には理解できなかった。ミリアもそう判断したのか、更なる説明をしてくれる。
「天界と地界は、生きている人々――わたしたちは現界人って呼んでるけどね――その現界人が言ってる天国と地獄みたいなもの。中界ってのはエンマ様が、天界と地界の仲介をするところってわけ。あ、別にダシャレじゃないから」
ミリアはケラケラと笑っているが、微笑み返す余裕などまったくなかった。
「ぼ、僕は死んでいない」
ミリアの断言を否定して、叫ぶ。今度はミリアが目を丸くする番だった。
「あれ? まだ認めてないの?」
「そうだ、こんな馬鹿げた話、あるはずがない。天界と地界にエンマ様のいる中界。迎えに来る使者だって? ありえないよ!」
「あのねぇ」
呆れて物も言えないのか、頭をポリポリと掻くミリアを無視し、続ける。
「そうだ、これは夢だ。よくある夢だよ」
「よくはないと思うけど」
「まだ十代なんだぜ? 死とは一番かけ離れた場所にいるんだぞ」
「一番かけ離れてるのは、十代よりも生まれたばかりの赤子じゃない」
「うるさいな、さっきからしつこいぞ。夢の人物なら、ちょっとは気を使えよ」
「んじゃ、気を使って一言いいかしら?」
一度軽く咳払いをし、ミリアは、
「どんな事象でも起これば現実、そして現実とは紛れもない真実なの。分かる?」
腕を組みつつ、頷きながらサラリと告げた。
僕にとって初めての経験である死も、ミリアにとっては日常茶飯事なのだろう。
「ってことは、やっぱり僕は……」
「そう、死んだのよ」
ミリアは僕の心情を意に介さず、端的に述べた。思わず泣きたくなってくる。
「さっ、行きましょ? わたしだって他に仕事があるんだから」
僕の手を無造作につかむと、ミリアは引っ張った。そのままずるずると引きずられながらも、我に返ったと同時に振り払う。
「なに、どうしたの? もしかして地界に行くのが怖い? 大丈夫だって! 信也君はいい子だから、きっと天界に行けるからさ」
「そうじゃない。僕は行かないんだ」
「はあっ?」
呆れ果てた顔で、見下してくるミリア。それでも、断固として反論すべき場面だと信じた。
「僕は山倉を支えるって約束したんだ!」
「ふーん……じゃあ聞くけどさ、死んだ信也君が、どうやって優美ちゃんを支えるって言うの?」
「そ、それは……」
「確かに死んだ人を心に抱き続けて、それを支えに生きている人もいるらしいわ。でも、それは別に死んだ人が何かしてあげてるわけじゃない。生きている人が自分のために、自分で心にとどめているだけ」
「だ、だけど!」
「だけどもへったくれもないわ。あなたは死んでしまったから、優美ちゃんには触れないし、声も聞こえない。まあ、顔を見れば分かるけど、そこに横たわっている死体が信也君だってことは間違いないから」
「嘘だ! そんなこと……」
「嘘? どこからそんな結論が出てくるのかしら。実際に信也君は何も触れない。声も届いていない。全部わたしの言った通りになってるじゃない。それなのに、わたしの説明が嘘だって言えるの?」
我慢の限界だった。僕の涙が頬を伝って床へと落下していく。
「うああああ!」
気がつくと僕は、部屋を振るわせるほどの声を発していた。涙をこらえようとするも、まったく止まりそうにない。
「さっさといくわよ! いい、もう一度言うわ信也君。あなたは死んだの! もうあなたが優美ちゃんにしてあげられることは、何もないのよ!」
脳を直接殴られたかのような、するどい衝撃が走った。
『僕にはもう、なにもできないんだ……』
脳内で繰り返される言葉と共に、僕の体は脱力感で包まれていった。