10月25日(2)
気がつくと、僕は薄暗い一室に突っ立っていた。部屋の中はろうそくが四本、すべてに火が灯っている。
そのろうそくに囲まれるように、ベッドが一つ、その上にはシーツをかぶせられた物体が横たわっている。
近づいてみると、それは人間の形をしているようだ。どうやらここは死んだ人間が連れてこられる、霊安室らしい。
その人物は顔に布がかけられているため、だれかは分からなかった。だが、死んでいるのは明らかだろう。
それよりも重要なのは、僕がどうしてここにいるかということだ。
「もしかして、山倉の病室と間違えた?」
もしそうだとしたら、恥ずかしいとかいうレベルを富士山一つ分超えている。
頬が赤くなっていくのを自ら感じながら、僕は廊下へとつながる扉へと向かった。
いったん立ち止まり、背後の死体へとお辞儀をする。
「無事、成仏できるといいですね」
死体は何も答えない。当然だ。それでも僕は、満足感らしきものを得ていた。
苦笑しながら、扉のノブをつかむ。今の時間はわからないが、山倉が僕を待っているのは間違いないだろう。
だが、僕の思惑を裏切る事態が起こっていた。
掴んだはずのノブが、するりと手から逃れていく。
「あれ、おかしいな?」
ぼやきながら、何度もノブを握ろうとするも、結果は変わらなかった。
正確には、手がノブを貫通するという現象が起こっているようだ。
「なんなんだよ、まったく」
仕方なく扉自体を押してあけようとする。
だが、扉に触れた感触はいっさいなく、手が扉へとめり込んでいったのだ。
「うああ!」
慌てて手を引っ込める。手に異常は見当たらないし、当然扉に穴が開いているわけでもない。
今度はゆっくりと感触を確認しながら、両手で扉を押す。結果はかわらず、扉に手はめり込むだけだ。
そして、それらの現象が、一つの仮定を生み出す。
「そんな……まさか」
頭を思い切り左右に振り、浮かび上がった結論を消去しようと試みた。
だが、記憶というテープに録音された仮定は、脳内で何度も再生を繰り返す。僕の意思などお構いなしだ。
僕はおもむろに、背後を振り向いた。相変わらず永眠している死体は一言もしゃべらない。
ただその死体の正体を、僕は分かりかけていた。
「う、嘘だ!」
思わず僕が叫んでしまった瞬間に、背後の扉が思い切り開いた。廊下の光が部屋の中へと差し込み、死体がスポットライトを当てられたかのように照らされる。
扉のほうへと改めて振り向くと、そこには最愛の女性が呆然と立ち尽くしていた。
「鷹野君……」
薄暗い中でも分かるような、血の気の引いた顔色でつぶやく。
骨折した足を引きずり、スポットライトの中心へと歩み寄る。すぐそばにいる僕の横を通り過ぎて――。
「山倉! 僕はここだ!」
「鷹野君、起きてよ、返事してよ!」
そのまま死体へと寄り添い、耳をつんざく絶叫を放つ山倉。
その拍子に、顔にかかっていた布が地面へと落ちた。
そこには予想通りの顔があった。毎朝洗面台の鏡に映る見慣れた顔だ。
「支えてくれるって約束したのに! どうしてこうなるのよ! 鷹野君ってば!」
山倉へと近づき、肩へと手を乗せ――られなかった。やはり僕の手は山倉の肩をすり抜け、体へとめり込んでいく。
「わたしのせいだ。わたしが迎えに来てなんて言ったから! わたしがわがまま言ったから鷹野君が!」
「違う! それは違うよ!」
すぐさま否定するも、その言葉も届かないようで、まったく反応を示さなかった。
山倉が僕の名前を呼ぶたびに、容赦なく体が締め付けられた。手先から全身へと、痺れが伝わっていく。
「おい、起きろよ、起きろってば!」
僕は横たわった僕へと近づき、その体を殴ろうとした。結果は分かっていたとしても、やらずにはいられなかった。
淡々と漏れていく吐息が、少しずつスピードを増していく。
ひたすらに泣き続ける山倉のそばで、僕はなすすべもなく膝をついた――ちょうどその時だった。
「そろそろ自分が死んだって、認めてくれたのかしら?」
背後から聞こえた声に振り向くと、全身を覆う白いローブに、緑色の腕章を着けた女性が、にっこりと微笑んでいた。
美人というよりも、幼い無邪気さの感じられる。歳は十代後半から二十代前半ぐらいで、そばかすが目に付く女性だ。