10月25日(1)
十月二十五日 土曜日
僕は家を勢いよく飛び出すと、病院に向けて一直線に進んだ。晴れ渡った透き通る青は、退院日和と言っていいだろう。
学校からの道のりとは違い、ここから吉沢総合病院まではそう遠くない。家から数分のところにある商店街を抜ければ、すぐ正面に吉沢総合病院が見えてくる。
商店街では、活気ある声が方々から聞こえてきていた。それらの声がすべて、僕を応援する声に聞こえてくるから不思議だ。
商店街を抜けると、十字路の信号へとたどりついた。それを渡れば吉沢総合病院はすぐそこだ。
不運にも歩行者信号は、赤色を点灯していた。
あせる気持ちをおさえ、僕は信号が青になるのを待った。
と、道路を挟んだ向こう側に、話に夢中になっている主婦が二人、目に入った。その二人の足元で、少女がフラフラしている。
そのフラフラは少しずつ横断歩道へと近づいていき、道路へと飛び出していた。
『危ない!』
声には出ず、頭の中で叫ぶ――が、そこでちょうど歩行者信号が青に変わっていた。
「ふぅ、やれやれ」
冷や汗が沸き起こるのを肌で感じながら、僕は横断歩道を渡り始めた。山倉との再会を前に、交通事故など見たくはない。
だが、一安心した僕の期待を裏切るかのように、再び魔の手が子どもへと襲い掛かろうとしていた。
少女の様子を伺いながら、横断歩道を渡ろうと一歩踏み出す。
その視線の隅に、向こうの車線を走る大型トラックが入ってきた。
本来ならよくある光景で、問題があるはずもない。
だが、その大型トラックは信号が赤であるにもかかわらず、止まる気配がなかった。
もちろん少女はその光景に気がつかず、歩道に戻ろうともしない。
「危ない!」
今度は頭の中ではなく、口から発される。
即座にその場から駆け出すと、道路上で少女を思い切り突き飛ばした。
道路の外に飛ばされた少女が立ち話をしていた二人の主婦の横に倒れる。そこで初めて二人は異変に気がついていた。
ほっとしたのもつかの間、得も知れない衝撃が僕を弾き飛ばしていた。細い針金のように、あっさりと体がひしゃげる。
そのまま体が重力に反して浮かび上がり、空中で激しく回転していく。
無重力を体験し、目の前はビデオのスローを思わせる残像とぶれ。
そのまま僕は、地面へと叩きつけられていた。
頭から落下したのか、割れるような激痛が頭部を執拗に襲撃してくる。
次に腕、最後に足へとその激痛は移っていき、最終的には痛みが全身を覆っていった。
うめき声をあげるだけでも精一杯で、立ち上がるなどもってのほかだ。痙攣を繰り返す体に苛立ちが溢れかえる。
最初の衝撃で思わず閉じてしまった目を開くと、視界の上の方に、トマトケチャップを思わせる液体が、心臓の鼓動に合わせてドクドクと流れだしていた。
「だ、大丈夫!? しっかりして!」
――大丈夫なわけ、ないだろ?
「痛いよぉ、うわぁん!」
――僕だって痛いよ。
「早く救急車を、早く!」
――そうだよ、早くしてくれ。山倉が僕を待ってるんだ。
頭の中で本日最大のイベントが幾度と泣く回転する。
僕は懸命に全身へ命令を送った。山倉を迎えに行くためだけに。
だが、その命令が細部に達しても、実行に移されるだけの余力は残されていなかった。
「やま、く……」
懸命に愛しの女性を呼んだ。だが、それが声になっていたかどうかさえ、今の僕には判断できなかった。
近いはずなのに、遠くから人々のどよめきと、救急車のサイレンが聞こえてくる。
そのざわめきはまるで、聖母の歌う子守唄のようだった。
襲ってくる気だるい眠気が妙に心地よく、視界がぐにゃりと歪んでいく。
僕はそのまま静かに目を閉じた。睡魔の甘美な誘いに応じるように――。