10月28日(3)
「大丈夫? どこか怪我をしてない?」
「足が、痛い」
言われて山倉の足を見た。脛の部分が見るからに腫れあがっている。
「骨折か……」
「うん、そうみたい」
「そっか、良かった……」
「良くないよ。せっかくの修学旅行なのに、みんなに迷惑かけちゃう……」
「いや、これで、いいんだ。これで何もかも元通りだ」
「元通り?」
返事の代わりに、微笑んでみせる。山倉は知らなくていいことだ。
ふと気がつくと、周りにはだれもいなかった。山倉が抱いていた子どもも、今はどこかに姿を消している。
あれだけの騒ぎが起こった後で、これだけ人影が少ないのはおかしい――などと考えていたら、すぐ背後から声をかけられた。
「信也君、優美ちゃん救出おめでとう」
振り返ると、ミリアがやんわりと微笑んでいた。僕の姉の姿ではなく、すでに中界での本当の姿へと戻っている。
「ミリア……」
「えっ、だれ?」
首を傾げる山倉の横で、僕は全てを察知していた――そう、僕の役目は終わったのだ。
「山倉、言わなきゃいけないことがある」
「えっ?」
きょとんとしている山倉を前に、僕は口をもごもごと動かすだけで何も言えなかった。
離れたくない、ずっと傍にいてあげたい。
そんな想いが、僕の中で渦巻いている。
と、ミリアが僕の肩に軽く手を置いた。まるで僕の言葉を止めるかのように。
そして僕と山倉との間に割りいると、一礼してから、唐突に自己紹介を始めだした。
「わたしの名前はミリア=ミリス。中界という場所で働いているわ」
「ミリア!」
思わず叫んだ僕に、ミリアは指を一本立てて、口元にあてた。黙っていろと言わんばかりに。
「中界っていうのは、天界と地界の仲介をする場所。わたしはそこで、死んだ人を案内する仕事をしているの」
「死んだ人を案内する? じゃあわたしと鷹野君は死んじゃったんですか?」
ミリアは小さく首を振った。
ちらりと山倉が、ようすを伺ってくる。僕はやりきれなくて、目をそらしてしまった。
「死んだのは信也君だけ。あなたは生きてるのよ」
「えっ? だって……」
「信也君が死んだのは先週の土曜日、本当はここにいちゃいけないのよ」
「えっ? 意味が分からないです。どういうことですか?」
山倉は混乱する頭を、一生懸命整理しようとしていた。傍へと腰掛けたミリアが、優しく微笑んでみせる。
「本当なら今日、今の爆発であなたは死ぬはずだった。だけど、それを知った信也君は、優美ちゃんを助けたいって懇願したのよ」
力いっぱい話すミリアから、不意に安らぎと温もりを感じた。
今までとどこか違うミリアだった。死んだらどうしようもない。生きている人に対し、死者は無力だ――そう言っていた残忍なミリアとは違うミリア。
「結果はどうあれ、信也君は今日の爆発が終わった時点で、また死ぬことになる。それは前から決まってた事実なの」
「そ、そんなのでたらめでしょ? 嘘に決まってる……」
「嘘じゃないわ、本当よ。信也君もそれは分かっていたの」
「だって、だって! 鷹野君、ずっと一緒にいてくれるって、一緒に暮らすんだって約束してくれたよ!」
再び山倉が、僕に目線を向けてくる。今度は目を逸らすわけにはいかなかった。
「ごめん……」
ようやく口から生まれた謝罪は、山倉を容赦なく切り刻んだ。手元にあった砂を拾い上げると、僕に向かって投げてくる。
「何よ! 嘘つき! 鷹野君の嘘つき!」
砂をつかんでは、山倉は投げてくる。何度も、何度も。
それを止めたのは、山倉の頬を襲ったミリアのビンタだった。
「な、何するのよ!」
山倉の標的が、ミリアへと変わる。だが、ミリアは砂つぶてが放たれる前に、山倉の腕をつかんでいた。
「放してよ!」
「分からないの? 本当につらいのは信也君の方だって、信也君だって優美ちゃんと別れたくないんだよ?」
「知らない! 聞きたくない!」
「あなたはまだ生きていられる。周りには友達だっている。だけど、信也君はもうあなたにも、同級生の友達にも会えなくなる」
「そんなの、そっちの都合じゃない!」
「そんなことないわ。信也君は死ぬより苦しい目にあう可能性があったのに、自分よりもあなたの一生の方が大事だっていって、一時的に生き返らせてもらったのよ! そんな信也君の言葉を、あなたの大好きな信也君の想いを裏切るつもり!?」
山倉は耳を塞いだまま、首を左右に振り続けていた。ミリアが再び手を振り上げようとしたので、僕は慌てて止める。
「ミリア、やめろよ」
「信也君、止めないでよ! この子さっきから自分のことばっかり考えて、信也君の気持ちを完全に無視してる! ひっぱたいてやらないと分からないのよ!」
力を込めて引き離そうと、ミリアが暴れ始める。それでも僕は手を離さなかった。
「ミリア、山倉と二人で話がしたい」
「こんな分からず屋の自己中心的な奴、放っておけばいいのよ!」
「そんなわけにもいかないだろ? 僕は今でも、山倉が大好きなんだから」
僕の言い分に納得していないのか、ミリアは不満げに顔を膨らませる。
そして次の瞬間には、その場から姿を消えていた。
改めて山倉を視察すると、耳を塞いたままうつむいていた。地面へと大量の水滴が、こぼれ落ちている。
「山倉、顔を上げて」
無理やりに顔を上げさせると、顔はぐしゃぐしゃだった。頬には滝のような跡を残し、徐々に幅が広がっていく。
「うそっ、つき……鷹野君の、嘘つきぃ!」
山倉が僕の体を、容赦なく殴打する。僕はそれを黙って受け入れた。
この痛みが山倉の痛みだと、無抵抗に受けることが、懺悔の代わりになればと思った。
十数発ほど殴られて、ようやく山倉の攻撃が止まる。山倉を抱き寄せた僕は、耳元で囁いた。
「ごめんね、嘘をついて。だけど、別に山倉が嫌いになったわけじゃないんだ。ミリアの言う通り、僕は一度死んだ身なんだ。だからもう、死者の世界へといかなきゃ」
「嫌だよ。鷹野君と一緒じゃなきゃ嫌だ!」
「僕は死んだ。山倉はまだ生きてる。だから二人一緒にはいられない。分かるだろ?」
「だったらわたしも死ぬ。わたしも死ねば一緒にいられるんでしょ!」
潤んだ瞳を、僕の肩へとなすりつけて、懇願してくる。
「山倉、それは無理だ」
「どうして!」
「詳しくは言えない。だけど山倉が自殺したら、僕とは一生会えなくなる」
「そ、そんな……じゃあもう鷹野君とは二度と会えないってこと!?」
僕はうつむきながら、横に首を振った。
「山倉が天寿を全うすれば、また会えるさ」
「つまり、一生懸命に生きて、その上で死んだらってこと?」
「そうだよ。今までどおりに生きていれば、山倉は天国にいけるんだから」
微笑みつつ、山倉との間合いを広げようとする。だが――。
「いやだ、やっぱりいやだよ。お願いだから行かないで。お願いだから!」
足を引きずりながら再び間合いを縮め、泣きついてくる山倉。
涙が流れそうなのを、必死でこらえる。
一緒に泣いてはいけない。僕が泣いてしまえば、山倉はもう笑えなくなる。そんな気がした。
「微笑んでくれるだけでいい! 他には何もいらないよぉ! わがままだって言わないから! だから、だからお願い! 信也君にそばにいてほしいの!」
「無理なんだ、分かってくれ」
「どうしてよ! わたしを一人にするつもりなの!? そんなにわたしを一人ぼっちにしたいんだ!?」
やけになってまくし立てる山倉に、僕は首を横に振った。
「山倉は一人じゃない」
両肩をつかみ、山倉を押さえ込む。震えていた山倉の体が、次第に治まっていった。
「わたしが……一人じゃない?」
「三村も吉沢も、きっと山倉の力になってくれる。母さんにも山倉を頼むってお願いしておいたから。山倉は僕がいなくても、もう一人じゃないんだ」
「だけど……」
「僕だって、山倉と一緒にいたい。だからって、山倉が死ぬのを望むのは違うと思う。山倉には生きていてほしい。僕にとって、最愛の女性だからこそね」
少しの間、山倉は考え込んでいた。鼻をすすりながら、か細い声で、
「うん……分かった」
そう、言ってくれた。
山倉の頭を抱き寄せて、僕は目頭が熱くなるのを感じていた。
「それじゃあ、もう行くよ」
僕は立ち上がると、山倉に背を向けた。今度は山倉も追ってこない。代わりに……。
「待って、待ってよ……」
すすり泣く山倉の声が、聞こえてくる。
振り向くと、山倉は頬を震わせながら、無理やりに微笑んでいた。
「なにか、忘れてるんじゃない?」
「えっ?」
「誕生日プレゼント。もらってないよ?」
喉の奥で違和感が沸き起こり、胸が圧迫される。
山倉の元へと引き返し、膝を地面へとつける。山倉が目を閉じて、僕の元へとそっと顔を近づけた。
震える手を無理やりに押さえつけて、唇を合わせる。触れた瞬間に伝わる、柔らかい感触が、一瞬にして僕の意識を支配していた。
どれだけ時間がたったか、僕には分からなかった。山倉から、唇が離れていく。
「ありがとう鷹野君。今日という日を、絶対に忘れないから……」
「こっちこそ……ごめん」
謝る僕の肩を、山倉が思い切り叩く。
「いてっ!」
「寂しそうな顔しないでよ! こっちまで悲しくなっちゃうじゃない!」
「ご、ごめん」
微笑んでいる山倉の瞳から、再び涙があふれ始めた。ボロボロととめどなくなく流れるそれを、僕は直視できなかった。
「鷹野君、元気でね……」
「元気でねって、死んでるんだけどね」
「フフッ、そうだったね。でも、元気でいてね。わたしを忘れちゃだめだよ?」
「当たり前だろ? 絶対に忘れない。山倉がいつか来る日まで、ずっと待ってるから」
「うん」
僕が手を差し出すと、山倉は快くその手を握ってくれた。妙に暖かいのは、山倉が生きているせいなのか、それとも……。
「それじゃあ行くよ! できるだけ長く生きてよ。僕の分までね」
「分かってる。次に会うときには、よぼよぼのお婆ちゃんになってるから、覚悟しててよね!」
こんな冗談を飛ばせるなら、もう心配ないだろう。ミリアの危惧も無事、解決したといっても、過言ではないはずだ。
「それじゃあ!」
「うん!」
お互いに手を振ってから、僕はその場から走り去った。
もう振り返ることはない。なぜなら、僕の瞳も限界だったからだ。