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10月28日(2)

 山倉の元へと僕が戻ると、ようやくサーカス会場内へと、順番に入っていった。

「鷹野君、前に行こうよ」

「えっ? 後ろでいいんじゃない?」

「ダメだよ! ちゃんと見える一番前に行かないとね。ほらほら、早く行かないと他の人に取られちゃうよ!」

 山倉に手を引っ張られて、進んでいく。望みどおり、一番前の席を確保して、山倉はほくほく顔だ。

 まるで僕が山倉を救おうとしているのを、誰かが見ていて、妨害されているような感覚だった。

 山倉の隣に座ると、手足が小刻みに震えだす。

 恐怖からではなく武者震いなのだと自分に言い聞かせながら、時が過ぎていくのを待った。

 視線を感じて山倉をチラリと覗き見ると、すばやく僕から目をそむけた。後で話すという約束を背に、聞くのを堪えているようだ。

「大丈夫だから」

 声をかけると、山倉は僕を見てぎこちない微笑みをみせた。

「レディス、アンド、ジェントルマン! ようこそツーリストへ!」

 開演のアナウンスが流れ、颯爽と舞い降りてくるピエロたちに、どよめきが起こる。

 初めの頃は空中ブランコ、玉乗り、綱渡りなどのよくある演技だったが、どれもハイレベルなものばかりだった。

 空中ブランコでは飛び移るときに三回転ひねりを入れ、三つ重ねた玉の頂点に乗り、綱渡りではバック転で綱を渡っていく。

 だが、僕にそれらを直視する暇はない。

僕の視線はサーカスの演技よりも、会場の出入り口へと注がれていたからだ。

「鷹野君、どこ見てるの?」

 当然聞こえてくる山倉の疑問にも、僕は聞こえない振りを決め込んでいた。視界の隅であきれた山倉が、サーカスに視線を戻す。

 と、その時だった。テントの出入り口の一つが突然開かれて、外の明かりが入り込んでくる。

「山倉、逃げよう!」

「へっ?」

 呆気に取られる山倉を、必死に引っ張って入り口へと向かおうとする――が、よく見ると仲の良さそうな親子が入ってくるだけだ。

「なんだ、驚かせるなよ……」

 がっくりと力が抜けて、座席へと腰を下ろす。山倉は僕の奇行に首をかしげながら、

「鷹野君、熱でもあるんじゃない?」

 と、僕のおでこに手をやる。ひんやりと冷たい山倉の手が気持ちよく、高ぶる僕の心を落ち着かせてくれた。

「やっぱり、今から話を聞いたほうが……」

「大丈夫だから。サーカスが終わった後で」

 口を尖らせて、仏頂面を見せる山倉。僕は背もたれへと体を預け、一時の休息を得る。

 こんなことなら、開演の何分後に事件が発覚するかを、ミリアから聞いておけばよかった――そんな想いがふと頭をよぎり、ミリアの存在を思い出す。

 昨日、今日と、結局ミリアの顔を見ていない。最後のほうはなにか悩みがあったのか、暗い表情で口を濁すことが多かった。

 すべてが終わったら、それについてもミリアに聞かなければ……。

 と、再びテントの出入り口が開き、明かりが差し込んでくる。

 僕は山倉の手を握り、いつでも飛び出せる準備を整えた。

「鷹野君……」

 声をかけてくる山倉に対し、口元で指を立てる。すると、慌てた声の場内アナウンスが流れ始めた。

「会場の皆様! 落ち着いてください! ただいま場内に爆弾が仕掛けられているのを発見いたしました! すぐさま避難していただけるよう、お願い申し上げます!」

 一瞬だけ静まり返った会場は、次の瞬間には悲鳴と罵声に包まれていた。

 係員の指示に従い、次々とお客さんが逃げていく。

 山倉はというと、茫然自失の状態だった。口をポカンと開いたまま、動こうとしない。

「山倉! 今の聞いただろ? 逃げよう!」

「う、うん!」

 声をかけながら体を揺らすと、ようやく山倉が我に返っていた。

 山倉の手を握ったまま、起き上がらせる。そのまま僕たちは出入り口へと向かった。

「まだ時間はあります! 落ち着いてください!」

 団員の指示に従い、観客は次々と会場から避難していく。僕たちもしかりだ。

 だが、なぜか緊張がさらに高まっていくのを感じていた。

 山倉は骨折していない。両足でしっかり床を踏みしめ、僕の後についてきている。

 中界で見た映像だと、普通のお客さんで逃げ遅れている人はいない。この流れに乗っていけば、僕たちも難なく逃げられるはずなのだ。

 それなのに、いまだ治まらない動悸は、さらにその速さを増している。

 胸を押さえつけながら、山倉の手を引っ張り出入り口へと向かう。

 そしてその悪寒は、見事に的中した。

 山倉を握っていた僕の手に、撫でるような感触を残し、山倉の重みが離れていった。

「山倉!」

 背後を振り向くと、山倉は出入り口へとつながる通路を逆走していた。

 山倉の意味の分からない行動を目の当たりにして、半ばいらつきながら叫ぶ。

「何をやってんだ、山倉!」

 僕の怒声に反応した山倉が、こちらを振り返って答えてきた。

「だって、泣き声が……子どもの泣き声が聞こえるんだよ! 放っておけないよ!」

 それだけ言って、山倉は逆走を再開した。

 刹那、僕の脳内に電流が走る。ミリアの何気ない一言が、唐突に復活を遂げていた。

「偶然とはいえサーカス団員が、爆弾を見つけてくれたおかげで、死者は『三人』で済んだんだけどさ」

 一人が自殺願望の男、一人が山倉だとしたら、もう一人だれかが死んでいたはずだ。

 その一人とは、もはや考えるまでもない。

「くそっ!」

 自分のふがいなさに、沸き起こるいらだちを抑えられない。

「全員避難したか?」

「はい! いや、あそこにまだ男の子が!」

 出入り口周辺から、声が聞こえてくる。

「何をしている! 早く逃げるんだ!」

 逆光で顔もはっきりとしない男性が、僕に向かって声をかける。タイムリミットはあとわずかだ。

「僕は大丈夫です! 先に逃げておいてください!」

「おいっ、待つんだ!」

 背後から聞こえてくる声を無視して、僕は山倉の後を追った。このまま山倉を放って逃げるわけには行かない。

『十、九……』

 記憶が正しければ、出入り口付近の団員が逃げ出してから、約十秒後に爆発した。頭の中で数を数えながら、僕は山倉の元へと向かった。

『八、七……』

 幸いにも山倉は、すでに泣き喚く子どもの姿を発見していた。だが悠長にも、泣き止ませようと説得している。

『六、五……』

「山倉! その子を抱き抱えろ!」

 カウントダウンは続けながら、山倉へと叫ぶ。

「抱えるって、こう? う、うああ!」

 子どもを抱えた山倉を、僕が抱える。そのまま出入り口へと引き返し、僕は全速力で走り出した。

 普段なら山倉一人でも抱えられるかどうか微妙だろうが、いまは火事場のなんとやらというやつで、まったく苦にならなかった。

『四、三……』

「鷹野君! 下ろして! わたしは自分で走れるから!」

 山倉からの申し出を無視し、僕は走り続けた。山倉を下ろす時間を作れば、その瞬間に爆弾は破裂するだろう。

『二、一……』

「頼む、もう少しだけ待ってくれ!」

 出入り口へと足が差し掛かった瞬間、思わず口から嘆願が漏れる。

 だが、その願いはあっさりと却下された。

 背後で破裂した爆弾から、鼓膜を引きちぎるような爆音がこだまする。

 生み出された熱風が、僕たちの体をあっさりと吹き飛ばしてしまった。まるで丸めて投げ捨てられたゴミ屑のように。

 僕たちはそのまま、地面へと叩きつけられた。記憶の隅に追いやられていた、交通事故の瞬間がまざまざと甦ってくる。

 ボールのように転がっていく全身に、傷みが広がっていった。

 ようやく体が止まり、僕はうっすらと目を開けた。手の中には、山倉の姿がある。

 だが、山倉は目を閉じたまま、眠ったように動かなかった。

「山倉?」

 声をかけても、山倉は反応しなかった。心音が、頭の中へと響いていく。

 もしかしたら、ひょっとしたら――。

 そんな想いを打ち消すために、僕は何度も頭を振った。

「山倉、山倉!」

 体を揺する両手も、心なしか震えていた。

「しっかりしろよ、山倉!」

 肩をつかみ、何度も揺する。何度も、何度も。

「頼むから、目を開け……」

「ぅ……ぁ……」

 半狂乱になりつつ、必死に叫んでいる僕の耳に、かろうじて聞こえたうめき声。

「やま、くら?」

 確認するようにつぶやくと、山倉のまぶたがゆっくりと、ゆっくりと上がっていった。

 二、三度まばたきをしてから、僕の顔を見上げる。その表情は、力なくも笑顔だった。

「鷹野、君……」

「山倉!」

 僕は山倉を抱き起こすと、力いっぱい抱きしめていた。

「鷹野君、苦しいよ……」

 山倉の口から漏れる。慌てて僕は力を抜いて、山倉と顔を向かい合わせた。


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