10月26日(1)
十月二十六日 日曜日
午前九時過ぎに起きると、いち早くミリアの部屋へと向かった。三度ノックをするも、まったく反応はなかった。
玄関へ降りる。ミリアの靴は昨日と変わらず、乱雑に転がったままだ。どうやら外には出ていないらしい。
昨日のようすは、明らかに尋常じゃなかった。腕を組んで、ミリアと話す手段を考えてみる。
火事だと言ってドアを叩く、おいしそうな食事の匂いで部屋からおびき出す、エンマ様の真似で部屋から出てこいと怒鳴る――正直、どれもうまくいきそうにない。
ダイニングキッチンへ入ると、母さんが朝食の支度をしていた。もちろん、ミリアの姿はない。
「母さん、姉さんは?」
もしかしたら、母さんなら何か知っているかもしれない――そんな淡い期待に賭けてみたのだが、そう上手くはいかなかった。
「美利亜か? まだ起きてきてないぞ。昨日から様子が変だったが……彼氏にでも振られたんじゃないか?」
そういえば喫茶店で、竹下聡史と名乗る男の子にあった。彼ならなにか分かるかもしれない。
同じくらいの年齢だった彼なら、もしかすると三村が分かるかも――そんな想いから三村に連絡を取ってみる。
だが、返事はノーだった。竹下聡史という名前自体、三村は知らなかった。
「ところで、信也」
僕が家の受話器を置くと、待っていたかのように母さんが声をかけてきた。
「なに?」
「なに? じゃないだろ。昨日病院から電話してきたじゃないか。何かあったんだろ」
そういえば後できちんと説明すると、約束して電話を切ったんだった。
「あ、あれは、大した用事じゃないから」
「たいした用事じゃないならどうしてどもるんだよ。大体だな、病院から電話なんて普通しないだろ? お前は元気そうだから、優美ちゃんの身にでも何か起こったのか?」
こんな時の母さんは、妙に目ざといというか、勘がいい。
「いや、それは……たまたま姉さんに用事があったんだけど、近くにある目立つ建物が病院だったからさ」
「ほう……じゃあお前は、待ち合わせ場所として駅よりも病院を選ぶんだな?」
がっくりとうなだれる僕を、勝ち誇ったような笑みで見下ろしてくる。
やはり付け焼刃の言いわけでは、母さんに太刀打ちできるわけがなかった。
仕方なく僕は母さんにすべてを話した。もちろん怪我を負わせたのが実の母親だという事実は伏せたが。
「まったく、最初からそうやって説明すればいいんだ」
「うん、ごめん」
「なにかあったら、いつでも言うんだぞ? 優美ちゃんに信也がついているように、信也にも母さんや姉さんがついている。一人ですべてを背負う必要はないんだ」
「分かってるよ。ありがとう」
頭を下げると、母さんは照れくさそうに頬を掻いた。
「それじゃあ今日も優美ちゃんのところへ行くのか?」
「もちろんだよ」
「そうか。とりあえず朝食くらいしっかり食べていけ。信也が元気な姿を見せないと、意味がないんだからな」
「うん。分かった」
母さんに声をかけられなければ、いち早く山倉の元へ向かおうとしていただけに、するどい指摘に目からうろこが落ちる。伊達に三十五年も生きていない。
もっとも、母さんにそんなことを言えば、三十年だというツッコミと共に、首を絞められそうだが。
準備されていた朝食を食べていると、母さんは嬉しそうに僕の顔を見つめていた。なんだが照れくさい。
「いい顔になったな、信也」
朝食を終えて玄関で靴を履いていると、母さんはそう声をかけてきた。
「そうかな?」
「ああ、昔の父さんにそっくりだよ」
正直に言うと、あまり覚えのない父さんに例えられても、褒められているかどうか微妙だった。
「あのさ、父さんって……」
「ああ、やっぱり覚えてないのか?」
僕はこくりと頷く。すると、母さんは遠い目をしながら、僕に
「いい男だったさ。わたしにはもったいないくらいだね……」
「母さん……」
寂しそうな目をしていた。そう感じた。
だが次の瞬間、機関銃のようにまくし立て始める。
「でも女たらしでね、浮気をよくしてた! まったく、こんないい女を嫁に迎えといて、しょうがない男だよな!」
先ほどの言い分とまったく逆のことをいっている気がしたが、気づかないフリをしておく。
「その現場を見つけては、わたしのコブシが唸ったもんだ。あと酒が好きだったね。リンゴ酒で作ったブランデーが、大のお気に入りだったよ。でも飲み比べじゃ、わたしに勝ったことなかったけどね!」
父さんの話が、いつの間にやら母さんの武勇伝に変わりつつある。
「好きだったんだよね?」
話の腰を折るようだったが、武勇伝がいつまでも続いてもらっては困る。
母さんは頬を染めながら、小さな声で、
「ああ……」
言った後で、両手で顔を隠すように覆う。こういった恋愛話は、どうも苦手らしい。
母さんの性格を考えれば、分からなくもないが。
「お前も父さんも、母さんの自慢の親子だった。今までも、そしてこれからもな」
なんだかんだ言っても、やっぱり母さんは父さんが大好きなんだ。その父さんに似てるということは、間違いなく褒め言葉なのだ。
「ありがとう。じゃあ行ってくるよ」
「ああ、気をつけてな」
玄関から出て行く僕に手を振りつつ、母さんが見送ってくれた。