10月24日α(5)
――すべて話せたなら、どれだけ楽だろうか。
そんな無意味な想いが、ふつふつと生まれてくる。
「おまたせ!」
次に台所から、山倉が戻ってくると、ウエイトレスのように、お盆に乗せた料理を持っていた。
皿の上にはレストランで並んでそうな鳥のから揚げと、付け合せにレタスとプチトマトが乗っていた。
塩コショウの匂いが、鼻の奥を刺激する。
「おいしそうだね」
「へへっ、腕によりをかけて作ったんだよ。味にはあんまり自信ないけど」
炊き立てのご飯を茶碗に盛って、僕の前へと置く。
「それじゃあ、いただきます!」
「どうぞ、召し上がれ!」
鳥のから揚げに、僕は遠慮なくかぶりついた。口の中に生臭い、異様な味が広がっていく。
「どう、おいしい?」
「う、うん、おいしいよ」
山倉に聞かれ、僕はとっさに頷いた。くりくりした目を輝かせ、山倉が胸を弾ませる。
だが、正直に言うと、山倉の手料理は壊滅的にまずかった。
見た目も匂いも完璧なのに、なぜこんなに味が悪いのか。
疑問に思っていると、鶏肉の骨が真っ赤に染まっているのが分かった。
――どうやら火が通っていないらしい。
「本当においしい?」
「うん、もちろん」
「本当に、本当においしい?」
「大丈夫だって。よくできてるよ」
少し躊躇していた山倉の面持ちが、太陽のように明るくなっていった。
「よかった! まずいって言われたらどうしようかと思ってたよ」
山倉は皿に盛られた鳥のから揚げを、躊躇なく食べ始めた。平気なのだろうか……。
そういえば何かの本で、毒物でもごく少量ずつ摂取していくと、その毒物に対する耐性ができるという話を聞いたことがある。
火の通っていない鶏肉も、同じ原理なのだろうか?
「あの、鷹野君? おなかいっぱいだったら残してもいいからね?」
突如山倉が申し訳なさそうに述べた。思考中に手を止めていたので、お腹いっぱいだと思ったらしい。
「大丈夫。おなかはペコペコさ」
「そう……」
山倉はそのままうつむいてしまった。心なしか山倉の目が、潤みはじめた気がした。
「どうかしたの?」
「い、いや、なんでもないよ。美味しいって言われて嬉しかったからさ」
「大げさだな、山倉は」
「そ、そんなことないよ……」
山倉はそれ以上何も言わずに、食事を続けた。僕も負けじとから揚げを食す。お腹がペコペコだと言った上に、美味しいと宣言したのだ。残すわけにはいかない。
ご飯を同時に食べることで、どうにかして口中の生臭さを緩和させながら、無事に完食する。もちろん、無事だというのは今の話であって、これから先はどうなるか定かではないが。
「ご、ごちそうさま」
安堵感からか、自然と息が漏れていた。
「お、お粗末さまでした。すぐに片付けてくるからね」
来たときと同じように皿を持ち、山倉は台所へと戻っていった。
そんな後姿を見ながら、僕は不意に笑みが溢れる自分に気がついていた。
確かに料理はおいしくなかった。だが、不思議と失望はない。むしろ山倉をもっと好きになれた気がする。
いままで山倉は、なんでもできる女の子だというイメージがあった。
スポーツは万能、勉強は良くはないが決して悪くはない。容姿も端麗で、非の打ち所がない。僕にとって山倉は、まるで雲の上の人のような存在だった。
そんな山倉の意外な一面を、覗くことができた。なんでもできる人間なんて、この世には存在しない。山倉も僕たちと一緒なんだと実感できた。
それがたまらなく、嬉しかった。
「少し、話でもしようか」
山倉はすぐに戻ってきていた。手にはコップとお茶を持ってきている。食器はきっと食器洗い機でも設置されているのだろう。
「うん、何の話をしよっか?」
「そういえば、お母さんの話をしてたね」
コップにお茶を注ぎながら、山倉が呟く。
先ほどで終了したと、安心していた話題だけに、思い切り不意をつかれてしまった。
「さっき言ってた通り、お母さんはいつも家にいないの」
「ずっと一人暮らしみたいなもの?」
「そんな感じかな。銀行の口座に生活費が振り込まれるだけで、まったく連絡ないし。たまに帰ってきてるみたいだけど、顔を合わす機会もほとんどないよ」
お茶を注ぎ終わった山倉が、隣へと座る。
想像していたよりも、山倉の母と山倉のわだかまりは、ずっと大きいらしい。
「お金なんかより、お母さんと一緒にいる時間が欲しいんだ。広い家があっても、一人で生活するんじゃ、まったく楽しくないもの」
山倉の言うとおりだと思った。こんなに広い家に一人暮らしとなれば、寂しいことこの上ない。
「いつか、お母さんがわたしの気持ちに気づいてくれれば……って、暗い話になっちゃったね!」
「いや、凄く嬉しいよ。苦しみがあったらどんどん吐き出していいんだから。山倉の気持ちが少しでも楽になるよう、力の限り協力するし」
「鷹野君ならそう言ってくれると思った。だから話したんだよ」
はにかんでうつむく山倉を、そっと抱き寄せる。一瞬こわばった体も、すぐに僕へと寄りかかってきた。
「こんなに心が安らぐなんて、初めての経験だよ」
僕の肩へと頭を預け、目をつぶる。山倉の髪から、以前とは違うスミレの香りが漂ってきた。
「このままずっと、鷹野君と一緒にいられればいいのに」
まただ。山倉に悪気はないのは分かっている。だが、現実に引き戻されるのは確かだ。
「山倉……」
「んっ?」
瞳を開き、僕を見上げる山倉。信頼を得た相手にだけ向けられる、安らぎの眼差し。
僕は最終的に、この瞳を裏切らなければならない。そう思うと、胸が急激に締め付けられた。
「山倉、よかったら僕の家に来ない?」
「えっ? いまから? でも迷惑なんじゃ」
「こんなに広い家で、一人の時間を過ごすなんて、ほとんど拷問じゃないか。僕の家に来れば、母さんや姉さんもいるし」
「えっ? 鷹野君ってお姉さんがいたの?」
言われて一瞬だけ、思考が停止する。ミリアについて、言わないほうがよかったのだろうか?
どっちにしろ、家に連れて行けば分かる事実だ。僕は隠さず貫き通した。
「年上の割には役に立たないんだけどね」
「そうなんだ。仲良くなれるかな?」
「大丈夫さ。何も考えてないから」
「ひ、ひどい言われようだね……」
半ば呆れながらも、山倉は楽しそうだった。
姉妹がいない山倉にとって、軽口を叩ける存在というのは、憧れなのかもしれない。
「それじゃあ行こうか」
「ちょっと待って。着替えてくるから」
言われてみれば、山倉は制服のままで料理をしていた。
談話室から出て行った山倉は、五分程度で戻ってきた。黒いシャツと紺のジーンズの上に、薄手のコートを羽織っている。
精悍な顔立ちと調和が取れており、まるでやり手のキャリアウーマンのようだ。
「鷹野君、行こう!」
山倉は僕の手をつかんで、家から出た。ただ、今回は引っ張るわけではなく、普通に歩いている。
外はすでに真っ暗になっていた。街頭の光が、帰る家をなくした蛍のようにたたずんでいる。
「山倉の家と比べると豆みたいに小さい家だから、覚悟しておいてね」
「そんなの全然、気にしないよ。それだけ温かいと思うし」
狭いという感覚しかない僕にとって、山倉の考えは斬新だった。
確かに山倉の家は広いが、一人でいれば寒すぎる。
それは体感的なものだけでなく、精神的にも言えるだろう。
その点、僕の家は狭いが、温かみがある。
口が悪い母さんも、決して僕を見捨てはしなかった。いつも僕のそばにいてくれた。
強い風が吹き抜け、山倉の黒髪をたなびかせる。髪を押さえながら山倉が、苦笑いを浮かべている。
「寒い? 走って帰ろうか?」
提案するも、山倉は首を振った。
「ううん、ゆっくり帰ろう」
腕と腕を絡ませ、山倉が寄り添ってくる。
暗闇のおかげで助かった――ひそかに僕はそう思っていた。首から上だけが、焼けるように熱い。
そのまま僕と山倉は無言のまま、自宅へとたどり着いた。