10月24日α(3)
荷物を鞄へとまとめていると、すぐ横に山倉が立っている。僕と山倉の席は離れているはずなのだが。
「山倉、もう帰る準備できたの?」
「ううん、鷹野君に一つ聞きたいことがあってさ」
「聞きたいこと?」
荷物まとめを一時中断して、山倉と向かい合う。山倉は両手を背中へと回して、うつむいている。頬が少し赤らんでいるように見えるのは気のせいだろうか?
「さっき言ったこと、本当なのかなって」
「さっき言ったこと?」
「ほら、亀山さんたちにさ……」
その続きは唇を噛むだけで、山倉からは発されなかった。
亀山たちとの言動を一つ一つ振り返る。
そして山倉の差している言葉がなにか気がついた瞬間、僕の顔が一瞬にして燃え上がった。顔全体が湯たんぽになったような、そんな感覚だった。
「あ、あれは、その、売り言葉に買い言葉ってやつで」
「じゃあ、でまかせだったの?」
「そ、そういうわけじゃ……」
口ごもっていると、山倉は隣の席へと座った。
「あのさ、鷹野君」
「うん」
「わたし、いままで好きな人って、いなかったんだ」
山倉は僕と目を合わせようとせず、独白のようにどんどんと続けていった。
「何度か告白されたことはあったけど、いつも断ってた。だれを信じていいかわからなくて。わたしが狙われてることを知って、きちんと助けてくれるのか、本当にわたしを想ってくれているのかって。見せ掛けじゃない、本当のわたしをね」
狙われているというのは、亀山や間宮たちのことだろう。見せ掛けじゃない本当の自分とは、胸に秘めた苦しんでいる自分――病院での山倉に違いない。
「だから、ずっと、ずっとね、だれも好きにならなくていいと思ってたし、だれにも好かれなくていいと思ってた。一人で生きていけば、だれにも迷惑かけなくてすむから。だけど……」
一度口を塞いだ山倉は、顔を上げて僕の顔を見返してきた。
――涙が、こぼれていた。
「今日、初めて人を好きになっちゃった」
流れる涙をそのままに、山倉は口元を緩めていた。僕の胸に、その笑顔が刃となって突き刺さる。
「その人は足が震えるほどの恐怖をかかえながら、わたしのために戦ってくれた。わざわざ法律まで調べて、狙われてるわたしを、救ってくれたの」
一度だけ涙を拭い、なおも続ける。
「その人の背中をずっと見てて、すごく頼りがいのある人だと思った。本当にわたしのことを愛してくれてるんだって、感じた。きっとその人なら、わたしを苦しみから解放してくれる。本当のわたしを知っても、変わらず接してくれるって。初めて男の人を信用できたの」
山倉が席から立ち上がり、おぼつかない歩みで僕の方へと近寄ってくる。
僕が山倉の肩を支えてあげる。
山倉の体は震えていた。今度は手だけではない。全身に渡って震えていた。
「その人ってだれか、わかるよね?」
無言のまま頷くと、山倉は僕の胸に顔をうずめてきた。
山倉の体は、病院の時よりも華奢だった。少なくとも、僕にはそう感じられた。
「好きなの、鷹野君。できたらわたしと付き合ってほしい。あのときの言葉がでまかせでも本当でも、わたしの心は変わらない。だって、こんなにも胸が苦しい。こんなにも鷹野君が愛しいから……」
山倉が両手で、制服を力強く握り締めてくる。だが、僕にとっては制服ではなく、心臓を握り締められたかのような感覚だった。
僕が山倉の支えになれば、霊安室の再現になる。もう結論は出ていたはずだ。
だが、今回は病院のときとは違う。僕が山倉に告白したのではなく、山倉が僕に告白してきたのだ。
ここで告白を無碍に断れば、それだけで山倉は傷つくだろう。場合によっては泣き叫ぶかもしれない。
心の葛藤が、繰り広げられる。いったいどうすれば、山倉も僕も救われるのだろうか。
そのとき結論を出したのは、心の空洞だった。頭ではわかっていても、心では山倉との思い出がほしかった。
そんな想いが、背中を強く押していた。
「うん、いいよ」
「鷹野君!」
「こっちからお願いしたいくらいだよ。さっき僕が亀山たちに言った言葉は、嘘でもなんでもないんだから」
山倉の手から力が抜けて、今度は僕の背中へと回してきた。僕も同じように、山倉を抱きしめる。
「ありがとう、鷹野君……わたし、わたし」
「山倉を支えてみせる。山倉の笑顔が好きなんだ。絶対に悲しい顔なんてさせないから」
「わたしも鷹野君に悲しい顔なんてさせないよ。だからずっと、ずっと一緒にいてね」
ずっと一緒に――それは僕にとって、重たすぎる言葉だった。
だからといって、ここで山倉を突き放すわけにはいかない。
どうにかして、僕が死んでも山倉が泣かずに済むよう、思慮を張り巡さなければ。
「そうだ! 良かったら今日の夕飯、わたしの家に食べに来ない? これからの二人を祝して手料理をご馳走するよ!」
「えっ、いいの?」
「もちろん。家にはだれもいないから、遠慮しなくてもいいよ」
快く承諾すると、山倉は僕の手を引っ張った。早く家に向かいたいのだろう。
「あっ、山倉」
「なぁに?」
「荷物、持って帰らないの?」
尋ねると、山倉は口を大きく開けた後に、照れ笑いをした。
「いっけない。ちょっと待っててね」
自分の席へと戻ると、あたふたと鞄に荷物をまとめ始めた。僕も途中までだった荷物の整理を終わらせる。
「それじゃあ、行こっか」
再び僕の手をつかみ、足早に教室から飛び出していく。まるで貨物列車のように、僕は引かれるだけだった。
昇降口で靴を履き替えて、さらに引っ張られる。男性としては情けないが、山倉は僕よりもパワフルだった。
そして山倉の家までたどり着く頃には、僕は肩で息をしていた。山倉のペースは、僕よりも数段はやいペースだったのだ。
「さっ、ついたよ……鷹野君?」
ようやくそこで、僕の異変に気がついたのだろう。怪訝な面持ちで顔を伺ってくる。
「やま、くら、足、速いね」
息も絶え絶えながら、できるだけ微笑みつつ尋ねる。頭を掻きながら、申し訳なさそうに答えてきた。
「毎朝五キロ走ってるから。ごめんね? 嬉しすぎて前しか見えなかったの」
「いや、いいよ。大丈夫、だから」
ふらつきながら、山倉宅の塀へと寄りかかる。普段から周囲に気を配っている山倉が、
僕しか見えなくなる。それだけ愛されているという気概が感じられた。
「それじゃあ入ろっか」
山倉に続いて、僕も中へと入っていく。家の中に入るのは、当然のごとく初めてだ。