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10月23日(2)

 緊張から高鳴り続ける動悸が、胸を何度も殴打する。三村の昼食の進み具合から来たほうが、緊張を持続させずにすんだ気がする。

 だからといって、緊張をきるわけには行かないのも事実だ。

 階段を見上げ、ひたすら山倉を待つ。

 刹那、階段を猛スピードで下りてくる山倉の姿が現れていた。

「山倉!」

 呼んだ瞬間、僕の瞳はあり得ない光景を捉えていた。

 それは、山倉の背中を、力いっぱい押す人影の存在だった。

 すさんだ茶色の髪に、同じような色とツヤの肌。放課後によく屋上でたむろしてる、不良連中の一人――隣のクラスの間宮涼子だ。

「えっ?」

 僕の呼び声に反応して、動きを止めていた山倉は、次の瞬間には階段から宙を舞っていた。

「きゃああ!」

 山倉の滑らかな黒髪が、扇状に大きくたなびく。

「山倉!」

 僕は階段を駆け上がると、山倉の落下しそうな地点で陣取った――つもりだった。

 だが、そんな余裕もなく、山倉が覆いかぶさってくる。

「くっ!」 

 落下してくる山倉をがっしりとつかみ、安心したのもつかの間だった。

 僕の両足が、あっさりと階段から離れる。山倉が落ちてくる勢いを殺せなかったのだ。

 そのまま山倉と僕の体は、再び空中へと投げ出される。何もできないまま、僕と山倉は踊り場へと落下していった。

「きゃう!」

「んぎゅう!」

 僕の体は廊下と山倉でサンドイッチにされた。背中全体を一度に打ち付けた衝撃が肺に響き、僕の呼吸を止める。

 喀血したと錯覚するような、乾いた息が口から吐き出された。直後に喉を襲った不快感が咳を連発させる。

「た、鷹野君!」

 目の前にいる山倉が、心配そうに僕の様態を確認する。

「大丈夫!? しっかりして!」

 山倉は即座に僕の体を抱えると、どこかへ向かって走り出した。

 情けないうめき声を上げながら、僕の意識は混濁していった。どことなくデジャヴのような感覚に捕らわれながら……。


 気がつくと、視界には白い天井が広がっていた。体を覆うように、柔らかな生地の感触がある。

 左右を見渡すと、白いカーテンが周りを囲んでおり、辺りの様子を確認することができない。

 起き上がろうと体を動かすと、直後に背中とお腹に激痛が走る。

その痛みが、ゆっくりと僕の記憶の回路を修復していった。

「山倉!」

 絶叫に近い呼びたてが、自然と飛び出す。

 すると、閉まっていたカーテンが軽い金属音をたてて開く。そこに山倉の姿があった。

「鷹野君、気がついたんだね」

 婉然と微笑みかけてくる。僕は山倉の足を即座に確認していた。ギブスどころか、シップの一つも張られていない。

「山倉、骨折とかしてないよね? 特に足とか」

「うん、大丈夫。鷹野君が下敷きになってくれたおかげかな?」

「そっか。よかった。本当によかった。ハハハハ」

 こみ上げてきた笑い声を、抑えられなかった。訝しげに僕を見る山倉に、大丈夫だと手で合図する。

 山倉が僕の寝ているベッドへと、腰をかけた。黒髪の脇からのぞく首筋に、僕の心臓が太鼓を連打するかのような鼓動を生み出す。

「ここは、保健室?」

「うん。背中を強く打ってるって言ってた。しばらくは痛いだろうけど、安静にしとけば大丈夫だって、保健の先生が言ってた」

「先生は?」

「職員会議とかで、出て行ったっきりかな」

 保健室で山倉と二人っきり――鼓動がよりいっそう早さを増していった。

「でも、よくあんなところにいたよね」

 山倉はそんな僕の気持ちも知らずに、足をぶらぶらと揺らしている。

「なんとなく、山倉に危険が迫っているような気がしてさ」

「フフッ、変なの。昨日のことといい、未来を知ってるみたい」

「まさか、そんなはずないだろ?」

「そうだよね。単なる偶然だよね」

 二人して笑いあいながらも、僕は背筋に冷たいものを感じていた。あまり調子に乗って語らないほうがよさそうだ。

 とにもかくにも、山倉の骨折を防げた。助けたというよりも助けられた感じで格好は悪いものの、結果的には目的は達せられた。

 これで山倉の死ぬ可能性は低くなった。確率はゼロではないが、百からは遠のいてくれている。

 だが、その原因が山倉の背中を押した生徒にあるというのは、大きな衝撃だった。

 だれからも愛されている山倉に、恨みでもあるのだろうか?

「本当にありがとうね、鷹野君」

「気にしなくていいよ。それよりも、さっき階段から落ちたとき、誰かに背中を押されてなかった?」

 山倉は意表をつかれたのか、一瞬だけ顔を曇らせていた。だが、すぐさま顔を緩ませると、

「そんなわけないよ。なに言ってるの?」

 はぐらかそうとしてきた。少なくとも僕はそう感じていた。

「いや、確かにこの目で見たんだ。山倉の背中を押した誰かがいたんだ」

「気のせいだって。そんなことされてたら、わたしだって黙ってないよ」

 山倉の信頼を得ていない僕に、本音は吐き出されなかった。

 どうにかして信頼を得なければ、苦しみはいつまでたっても山倉を襲い続ける。

 僕は山倉に、告白する決心を固めつつあった。山倉の苦しみを排除するには、信頼できる人物になるしかない。

「あの、山倉」

「ん? どうかした?」

 心配そうに、山倉が僕のようすを伺ってくる。山倉を支えるために、意を決して、告白を口にしようとした――まさにその瞬間だった。

『支えてくれるって約束したのに!』

 脳裏に霊安室の山倉が、フラッシュバックする。

『わたしのせいだ。わたしが迎えに来てなんて言ったから!』

「大丈夫鷹野君? まだ傷が痛むの?」

 脳裏で絶叫する山倉と、心配そうに覗き込む山倉が同時に声を発する。

 手も当てていないのに、心音が聞こえた。

 先ほどまでとは違う、巨大な太鼓が力一杯に打ち鳴らされるような動悸だ。

 今なら山倉を支えられる。それは確かだ。

 山倉は前と同じように、二つの質問をしてくるだろう。それでも同じように、僕の気持ちをぶつければ、山倉の信頼を得られる。

 今はそれでいいかもしれない。だが、その後はどうなる?

 五日後、僕は死ぬ。たとえ山倉を救えたとしても、絶対に変わらない現実だ。

 僕が死んだあと、山倉はどうなる? いたずらに僕が山倉の支えになれば、霊安室の再現になるのではないか?

 泣き叫ぶ山倉なんて、もう二度と見たくない。僕が山倉にとって普通の友達なら、僕が死んでも、深く思いつめたりしないはずだ。

 ならば、山倉の支えにはならず、命を救うためだけに、全力を尽くしたほうがいいのではないか――。

 瞬時に結論へとたどり着いた僕は、無理やりに笑みを作っていた。

「なんでもないよ」

「そう? 本当に大丈夫? わたしにできることがあったら、いつでも言ってね」

「ありがとう。助かるよ」

 お礼を述べると、山倉はベッドから立ち上がった。その動きにあわせて、バラのようなかぐわしい香りが漂ってくる。

「そろそろわたし帰らないと。鷹野君はどうする?」

「僕はもう少し休んでから帰るよ。一人でも大丈夫さ」

「そっか。それじゃ、また明日!」

 元気一杯に手を上げると、山倉は部屋から去っていった。

「これで、これでいいんだ」

 手を振りながら山倉を見送る。込みあがる山倉に対する想いが、一筋の涙となってこぼれ落ちた。

 数分の間を空けてから、僕は教室へと戻った。すでに教室には誰もいない。

 窓から差し込んでくる夕日が、やけに眩しかった。

 荷物をまとめていると、飾られた一輪の花が視界へと入ってくる。

 再びこみ上げそうな想いを振り切ると、僕は教室から飛び出していた。

 学校を出た後は、背中の痛みも忘れて帰路を駆け抜ける。

 僕の行動は間違っていない――そう胸中で連呼しながら……。


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