10月22日(3)
一度咳払いをしてから、震える手でインターホンのボタンを押す。押してから親が出てきたらどうしようという迷いが生じたが、聞こえてきたのは山倉の声だった。
「どなたですか?」
「あ、あの、同じクラスの鷹野信也だけど」
「……信也君? ちょっと待ってね」
ドタバタと音がしてから、プツンと通信が途絶える音が聞こえる。
しばらく待っていると、普段着であろうトレーナーにジーパンという格好で、駆けてくる山倉の姿が見えた。
「あっ、本当だ」
僕の顔を見るなり、山倉が微笑みながら呟いた。
「まさか、嘘だと思ってたの?」
「いや、なんていうかさ。突然の訪問だったから信也君の名前を語る誰かかなって気がしたの。悪気はないから気にしないでね」
確かに突然の来訪だった。先に連絡を入れておいたほうがよかったかもしれない。
山倉の電話番号は知らないが、三村に聞けばきっと知っている。
「ごめん、ちょっと急いでたから」
「別にいいよ。ちょうど退屈してたし。で、何の用?」
迷惑はしてないが歓迎もしていない――そんな面持ちで僕を見つめてくる山倉。いぶかしげな視線が、突き刺さってくる。
「その、頼みがあるんだ」
「頼み? わたしにできるなら……もしかして、好きな女の子相手に、恋のキューピッド役でもやらせるつもり?」
口に手をやり、楽しそうに微笑んでいる。
だが、恋のキューピッド役なら、間違いなく山倉以外を選ぶだろう。
「いや、そうじゃないんだ」
「うーん、じゃあなんだろ? 勉強はダメだよ? わたし苦手だから」
「勉強でもないんだ」
「他にわたしができそうなことなんてないけどなぁ。何を頼みたいの?」
考え込むのをやめて尋ねてくる。僕は意を決すると、両手を合わせた。
「修学旅行に行かないでほしいんだ」
「はひっ?」
まったく予想だにしていなかったのか、すっとんきょうな顔で固まってしまっている。
僕は瞬間的に土下座をして、頭を地面にこすり付けていた。
「理由はいえないけど、修学旅行に行かないでほしいんだ!」
簡単に理解してもらえないのは分かっている。それでもどうにかして納得してもらわなければならかった。
「いや、その……とりあえず頭上げてよ」
「うん……」
山倉が僕の肩をつかむ。それに合わせて僕は体を起こした。
「鷹野君はわたしに、修学旅行へ行ってほしくないんだ」
「うん……」
「他の人は行ってもいいの?」
「うん……」
理由を話せないとはいえ、陰鬱な返事をしたのがいけなかった。山倉は節目がちに、
「要するに、鷹野君はわたしが嫌いなの?」
口の中でもごもごと、力なくつぶやく。
「ちがう! そうじゃないんだ!」
「じゃあどういうこと? なんでわたしだけ修学旅行に行っちゃいけないの?」
「理由はいえないけど、修学旅行に行くと大変なことが起きる。それだけは間違いないんだよ!」
「じゃあ聞くけど、どうして他の人は行ってもいいわけ? 大変なことが起こるんだったら、みんな行かないほうがいいと思うけど」
山倉の言うことはもっともな意見だった。本当の理由を言えない現状では。
「わたし、修学旅行をずっと楽しみにしてたんだから。理由もなしに行くなって言われてもね……」
予想通りの展開だった。やはり本当の理由を話さなければ納得してもらえそうにない。
もちろん本当のことを話した瞬間、僕は中界へと強制送還されることになるのだが。
「やっぱり、そうだよね……」
うつむいた僕の視界に、山倉の両足が入ってくる。
『あれ?』
胸中に違和感が沸き起こった。そしてそれが突破口へと変わるのに、そう時間はかからなかった。
「骨折してない!」
「へっ?」
山倉の肩をがっしりとつかむと、顔を赤らめていた。
「ちょ、ちょっと鷹野君?」
「山倉、骨折してないんだよな?」
「骨折? してないけど……」
僕は後ろを振り向き、山倉に見えないようガッツポーズをしていた。すぐにまた、山倉と顔を合わす。
「ごめんね、修学旅行に行くななんて変なこと言っちゃって。忘れていいからさ」
「そ、そう……」
「それじゃあまた明日、学校で会おうね!」
「えっ? あ、うん、また明日……」
呆然としている山倉に手を振り、そのまま自宅へと走っていった。僕の作戦が可能かどうかを、ミリアに相談するためだ。