10月22日(2)
「あの……何か?」
恐る恐る問いかけると、女性はニッコリと微笑んでいた。友好的な態度にこちらも微笑み返す。
だが、次の瞬間には女性の蹴りが、僕のすねを的確にヒットしていた。
「つっ!」
声にならない悲鳴を上げ、蹴られた脛を押さえる。そんな僕を女性は仁王立ちで見下ろしていた。
「ふんっ、ざまあみなさい!」
「ひ、人違いじゃないかな? 僕はあなたのこと知らないんだけど……」
怒りが胸の内で躍っていたものの、冷静に対処する。なにかの間違いに決まっているのだ。
だが、女性の自己紹介は、僕が明白な関係者であることを示していた――同時に蹴られた理由も。
「わたし、ミリア=ミリスだよ」
「ミ、ミリアだって!?」
「そっ、なんでわかんないかなぁ……」
そういって、ブツブツとなにやら呟き始める。この行為は明らかにミリアのものだ。
だがミリアの姿は、中界にいた頃とは声も姿も似ても似つかなかった。これでミリアだと分かれば相当な目利きだ。
「なんで、なんでここにいるんだよ?」
「これがエンマ様の言う罰なのよ。現界で一週間の間、信也君のサポートをしながら一緒に暮らすんだって」
罰の対象が一緒に暮らす――いったいどんな家だと思われてるのだろうか――そんな考えが浮かぶと同時に、一緒に暮らしている人物の顔が浮かび上がる。
「一緒に暮らすって……母さんにはなんていうんだよ」
一瞬、霊安室で死体を殴打する姿が脳裏に浮かんだ。涙が流れそうなのをグッとこらえて、ミリアの返答を待つ。
「えっと、なんでもわたしは信也君のお姉さんになってるらしいよ」
「姉じゃなくて妹の間違いじゃないのか?」
「ちょっと、それどういう意味!?」
ミリアが心外だとばかりに、頬をぷっくりと膨らませる。
そして仕返しとばかりに、口元を緩ませながら、
「まっ、いいわ。とりあえず、信也君が死んだのは間違いないから」
簡潔に述べる。一時中断していた裁判は、一瞬にして弁護側の勝利で終わっていた。
「それから、わたしはサポートでこの世界に来たから、これから起こる未来や、信也君や優美ちゃんの運命、全部知ってるからなんでも話していいって。中界とか天界の話もね。そんなわけで、これから一週間よろしく!」
そう言うと、ミリアは元気よく右手を差し出してきた。
死んだという現実は悲しいが、この一週間を乗り切るために、ミリアが頼りになるパートナーであるのは確かだ。
「ありがとう、助かるよ」
素直にお礼を言いつつ、握手を受ける。心の中ではエンマ様へのお礼も続いた。
だが、ミリアは口元に手をやると、僕の感謝の念を打ち砕く一言を告げた。
「まっ、いつでも相談してよ。わたしはバカンスだと思って楽しんでおくからさ」
「気楽に考えすぎてないか?」
「気楽に考えてるわよ。信也君が成功しようが失敗しようが、わたしには無関係だもん」
全身を強打されるような衝撃を受ける。本当に頼りになるんだろうか……。
失敗した暁には、どうにかしてミリアも道連れにしなければならない――などと、ひそかな企みを胸に秘めつつ、出口へと向かって歩き出す。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「山倉の家さ。可能性は低いかもしれないけど、うまく話せば修学旅行へ行かないよう説得できるかもしれない。いや、しなくちゃいけないんだ!」
「そそっ、その意気よ。わたしが協力するんだから成功間違いなし! 大船に乗ったつもりでいなさい!」
その自信はどこから来るのだろうか――泥舟でないことを切に願う。
僕とミリアの二人はレンタルビデオショップを後にした。キョロキョロするミリアを適当にあしらいながら、早足で目的地である山倉の家を目指す。この調子では山倉の家にさぞかし驚くことだろう。
「ここが……優美ちゃんの家?」
「ああ……」
予想していた通り、ミリアは目を丸くしていた。
身長の倍はあるアーチ状の正門は、アコーディオンドアによって進路を防いでいた。玄関まで伸びる道は両脇が木々で囲まれており、林道を思わせる。
ただ大きいというよりも、巨大という言葉のほうがよく似合っている。
山倉は山倉の両親が一代で作り上げた会社の令嬢なのだ。
「ここに優美ちゃん、一人で住んでるの?」
「よく分からないよ。なんだか複雑な家庭環境みたいだし」
「そんなことも知らないの?」
「悪かったな」
嘆息気味に、ミリアが首を振る。どうやら呆れているようだ。
山倉と僕は生前、特に仲がよかったわけではない――というよりも、これからという時に死んでしまったのだ。
ただ病院での会話を聞く限りでは、山倉と両親が時間を共有して過ごしているとは思えなかった。
家も三村から場所を聞いていただけで、実際にくるのは二回目、インターホンを押すのに至っては今日が初めてだ。
「今から山倉を説得してくるから、ミリアは先に帰ってろ」
「えぇ!? それはないでしょ!」
「ミリアがいると話がややこしくなるだろ。 ミリアの紹介とか関係とか説明が難しいし、なんで一緒に来たのかも分かんないだろ?」
「やだっ、ここにいてわたしも優美ちゃんを見る!」
こうなると、ミリアはてこでも動きそうになかった。仕方なく僕はミリアの肩に手を乗せながら、山倉の家を見上げる。
「じゃあ、こうしよう。ここにミリアがいてもおかしくない、上手な言い訳を思いつけたらいてもいいよ」
「えっ、えっ?」
「山倉にミリアのことを、説明しないってわけにも行かないだろ? 僕が納得できる言い訳を考えてくれ」
「い、いいわよ。受けてたとうじゃないの」
うーんと唸りながら必死に考えるミリア。当然そんな言い訳を簡単に思いつくはずがない。それは短い付き合いでも、十分に把握できている。
「ブー、時間切れだ」
ころあいを見計らって告げると、ミリアは必死の形相で懇願してきた。
「あと一分……いや、三十秒でいいから!」
「ダメだ。先に帰って待っててくれ」
ミリアはふてくされながらも、しぶしぶ来た道を引き返し始めた。
「さて……」
ミリアが立ち去るのを確認してから、改めて山倉の家を見上げる。山倉を救うのは僕しかいないという想いが、ふつふつと沸き起こり始めていた。