プロローグ(1)
このたびは数ある小説の中から『未来の君を救いたい』を選んでいただき、ありがとうございます。
この小説は『鷹野信也編』『ミリア=ミリス編』の二通りがあります。同じ時間帯を信也の視点、ミリアの視点からといった、A面B面型の小説となっています(プロローグ、エピローグは除きます)
どちらから読んでもらっても、かまいません。片方だけ読んでは、話の全貌が見えませんので、もう片方を読んだときに新たな発見、驚きがあると思います。
また、二つを同時に読んでいくというのもいいと思います。ただ、話は分かりやすくなりますが、その分発見や驚きは、納得といった感覚になると思います。
かなり長い話になりますが、最後までお付き合いしていただければ幸いです。感想などありましたら、ぜひお聞かせください。
書き終えた一通の手紙――それは僕に与えられた特権であり、大切なつながりだった。
室内の蛍光灯と朝日の光が溶けあって同一化した頃、僕はおもむろにペンを置いた。
その特権を僕に与えた人物以外、事実を知るものはいない――いや、一人だけ知っている人物がいる。
ここへ来る以前からお世話になり、いまでは同僚でもあるミリア=ミリスだ。
なぜミリアだけが知っているのか――その答えは、ミリアがこの特権に大きくかかわってくる人物だからだ。
「信也君、いる?」
玄関から聞こえてくる声に反応して、僕は立ち上がった。
部屋の中は殺伐としており、いままで座っていた木製の机を除けば、家具はテレビとビデオ、ベッドしかない。
それもすべて白や黒を基調とした、地味な色合いのものばかりだ。
「いるよ、どうぞ」
机の上の手紙を拾い上げながら、声をかける。すると、きしんだ音をたてながら、玄関の扉がゆっくりと開きだした。
わずかに開いた隙間からひょいっと顔を覗かせたのは、どんぐり眼で藍色のウエーブがかった短髪の女の子だった。彼女がミリア=ミリスだ。
その容貌は初めて会った三年前から、まったく変わっていない。
「誰もいないよね?」
「もちろん」
室内を確認してから、ミリアが中へと入ってきた。首から足首までを覆った純白のローブを着こなしている。
ただ、ミリアのローブはお茶でもこぼしたのか、すその辺りに少ししみができていた。
右腕についた緑色の腕章が、白いローブと相成って執拗に目立っている。
これが今のミリアの格好であり、僕達の仕事場の制服だった。
以前からミリアはこの制服をダサいと嘆いているが、僕は結構気に入っている。
ただ、今日の僕は制服を着用していない。
なぜなら今日は非番で、着替える必要がないからだ。
「もうできてる?」
「ちょうどいま、書いたところさ」
僕は手紙を渡すと、ミリアは何度も頷きながらポケットへと手紙を入れた。
「うんうん、確かに預かりました」
「今年も頼むよ」
手紙の入ったポケットを叩き、自慢げに鼻を鳴らす。
本来なら、この手紙を届ける仕事は、ミリアにとって年に一度の大役のはずだ。
それでもミリアは毎年緊張したようす一つ見せず、すこぶる機嫌がいい。
「相変わらず機嫌がいいね」
「フフッ、分かる?」
「僕にとっては大事な日だけど、ミリアにはめんどくさいだけじゃないのか?」
「実はそうでもないんだよねぇ……」
腰に両手をあて、含み笑いを発するミリアに、唇をひきつらせる。
僕はくるりときびすを返すと、日光の注ぐ窓を全開にした。
目の前に広がるのは青空と住宅街、それに季節の変わり目で紅葉になりつつある多種多様な木々だ。
「あれから、もう三年もたつんだね」
そばまで寄ってきたミリアが、微笑み混じりに話しかけてくる。僕は少し冷たい風に体をさらしながら、小さく相槌を打った。
「それじゃあ、仕事が終わったら行ってくるわね。なにか伝えたいことはある?」
ミリアに尋ねられて、少し考え込んだ。
口をへの字に曲げてしばらくたち、ミリアが笑う光景を予測しながら答える。
「この間さ、大学病院で見かけたって話しただろ?」
「ああ、すっごい喜んでたよね、信也君」
「あの時のことを伝えといてくれないかな? その、かわいくなってたって……」
本来なら直接伝えたいところだが、僕にはその手段がない。ミリアから目をそらしながら伝言を頼むと、予想通りミリアは笑い出していた。それも腹を抱えてだ。
「そ、そこまで笑わなくてもいいだろ!」
「いやいや、さすがプレイボーイの信也君だね! ごちそうさまです!」
「う、うるさい!」
ベッドの上に転がっていたクッションを投げつけるも、ひらりとミリアはかわしてみせた。そのまま慌てて僕の元から離れていく。
「ちゃんと伝えておくからね。安心してよ信也君」
「さっさと仕事に行け!」
二個目のクッションを握った時点で、ミリアは僕の家から飛び出していった。去り際の笑い声だけがしばらく耳に残る。
開きっぱなしの扉を閉めて、ベッドへと腰掛ける。頭の中に背中までのつややかな黒髪と切れ長の目、スラッとした鼻に潤いを帯びた唇の、最愛の女性の顔が思い浮かぶ。
山倉優美――それが彼女の名前だ。高校で同じ学び舎になった僕たちは、二年生で初めて同じクラスになった。
シルクのような純白の肌に身を包み、優しさと慈しみを合わせ持った――まるで女神のような女性だった。
だからといって、物静かなわけではなく、クラスを引っ張っていくムードメーカー的な存在も担っていた。
活発で、考えをハッキリ言える――それが出会った頃の山倉に対するイメージだ。
そんな山倉の太陽を思わせる笑顔や、苦しみを包み込み、安らぎを与える慈母の心に引かれる生徒――僕にとってはライバル――は多かったようだ。
うっすらと濡れたピンク色の唇、光沢が滝のように流れる黒髪。
だが、山倉がだれかと付き合っているという話は聞かなかった。
山倉と僕が急速に仲良くなったのは、山倉が階段から転げ落ちて、骨折してしまった事件が原因だった。
教室で弁当を食べていた僕の元へ、トイレに行っていた親友の三村が全速力で駆けつけてくる。
山倉が階段から落ちたという話を聞いた僕は、急いでその場所へと向かった。人だかりができている踊り場の中央で、山倉が顔をしかめているのが目に入ってくる。
青い顔で耐え忍ぶ苦痛の表情は、いま思い出しても胸が苦しくなる。
気がつくと、僕は野次馬根性丸出しの生徒をかきわけて、山倉を抱えていた。
一目散に保健室へと運ぶと、保険医の先生が骨折しているとの判断と共に救急車を呼んだのだ。
翌日登校した僕は、そのまま山倉が入院したという話を三村から聞く。それがすべての始まりだった。
「三年……か」
ぼやきつつ、ギュッと手を握り締める。この手が山倉に触れることは当分ないだろう。また、それが僕の望みでもあった