理由
「おや、タキツスベルスはどうしたのかの」
「気分が悪いと。今はお休みになっています」
ミモザの言葉にレンの表情が強張った。
「…理由は?」
低い声と険しい表情にミモザは少なからず驚く。こんな表情をする人間だったのか。
ツバキといるときはあんなにも軽薄で明るい何処にでもいる人間のように思えたのに。
「理由は、何?体調?それとも精神的なもの?」
穏やかな口調。けれど反論を許さない。嘘さえも許してもらえそうにない。
これも勇者の力なのか。抗えない圧倒的な存在がそこにはあった。
気圧されるように口を開いた。
「…矢が。飛んできて。もう少しで殺されるところでした。命を狙われたということがショックだったようです」
言葉が終わらないうちにレンは席を立った。
「おや勇者様、どこへ行かれるので?」
答えることもなくレンは足早にドアに向かって歩いていく。
ラナンはふぅとため息をついて小さく何やら呟いた。
レンが不意に立ち止まる。否、立ち止まらされる。
「もう一度聞きますよ。どこへ行かれるので?」
かけたのは足だけ止める魔法か、全身を硬直させるものか。
レンは振り返らない。だからミモザにはわからない。
「決まっているでしょう。ツバキのところにです」
ミモザは突然体の自由を奪われたというのに平然と返す勇者の姿に内心驚嘆した。なかなか肝が据わっている。
「行って、どうされるおつもりですか?」
「別にどうもしやしませんよ」
「ほう。なら何故そうも急がれる?」
「俺が会いたいからです」
「ほう。それはまた何故?」
「無粋なことを聞きますね。そんなの愛しているからに決まっているじゃないですか」
背を向けたままさらりと勇者は言った。
「愛している、とな。此処へ来てまだ数日しか経っておらんというのにですか」
「ええ。いけませんか?」
「ほっほっほ。若い方には負けますわい。いや悪いと言っているのではないのですがね」
「ならさっさとこの魔法を解いてください。若者の恋路の邪魔をするなんて老害の極みですよ」
国の実質最高権力者であるラナンにここまで暴言を吐けるのは勇者だけだろう。いや、ツバキも言えるかもしれないが。怖いモノ知らずにもほどがある。
ミモザは平静を装いながら背中を冷たい汗が流れていくのを感じた。
「ただ、少し気になってね。あなたは今後どうされるおつもりなのか、と」
「どう、とは?」
「古今東西、魔王を倒した勇者は元の世界へ戻るものですよ。もちろんたった一人でね。それをどうかお忘れなく」
「おや、魔王を倒すのは俺じゃなくてツバキじゃなかったんですか?」
揶揄するような勇者の言葉にもラナンが動じる気配はない。
「どちらにしても、魔王を倒した暁にはあなたには元の世界へ還っていただきます。そうしなければならない。そのためにあなたを召喚したのですから」
ラナンがパチンを指を鳴らす。レンは二、三歩前に進んでから振り返った。
「……どういう意味です」
「そのままの意味ですよ。私はあなたを元の世界へ還すために呼んだのです」
「順を追って説明していただけませんか」
「今はまだお教えするのには早いかと。そうですね、もっと食事をご一緒する機会が増えればそのうちお話しするかもしれませんね」
レンは軽く舌打ちをすると大股で席に近寄って勢いよく腰を下ろした。
「おや、タキツスベルスのところへは行かれないので?」
「ええ。今はラナンさんと仲良くなるほうが先のようですので。腹のうちに抱えているものを全て吐き出してくださるくらいには仲良くなっていただきたいですね」
口調は穏やかだが目が完全に据わっている。正直怖い。目線だけで何人か殺せそうだ。
もっとも、対するのは欲望渦巻く宮中で最高権力の座に留まり続けた猛者だ。それくらいではひるむことすらない。
「ほっほっほ。全て吐き出すと押し潰してしまうやもしれませんな」
ラナンはそう言って笑った。