警告
ツバキがいなくなった部屋で落ち着くのもなんなので、レンはアカシアと一緒に自分に与えられた部屋に戻った。
部屋には稼働式の黒板と数冊の本が持ち込まれていた。食事中アカシアの姿が見えなかったのはこの準備をしていたからのようだ。
促されるまま椅子に座るとアカシアがこほんと軽く咳払いをした。
「では勇者様。まずは何から説明したらよろしいかしら?」
「そうだなぁ。そういやペガサスはいないってツバキに言われたんだけど、ドラゴンとかゴーレムとかはいるの?」
「いいえ、どちらもおりません」
「なんだぁ。あんまりファンタジーっぽくないな」
「ご期待に添えず申し訳ありません」
「うーんアカシアさんが謝ることじゃないんだけどね」
「そうですね、そのようなものはおりませんが…歴代の勇者様が驚かれたものリストなら持っておりますから読み上げましょうか」
「そんなのあるんだ。便利だな」
「ただ最後に勇者様が現れたのが100年以上前ですから同じもので驚かれるかどうかはわかりませんが…」
「それでもいいよ。お願い」
「ええ。では読み上げますね。まずは竜」
「ドラゴンはいないけど竜はいるんだ?!」
「ドラゴンというのは口から火を吐いたり空を飛んだりするのでしょう。竜はそのようなことはいたしません」
「へぇ。人を食べたりはするの?」
「そのようなことはいたしませんが…ああ、竜を見たときの勇者様の初めの一言というのも書かれています。これも読み上げましょうか?」
「お。聞きたい聞きたい」
「では読みますね。…『いや竜っていうより小さい恐竜じゃん!ティラノサウルスじゃん!』」
「恐竜なんだ?!」
「きょうりゅう、というのがどのようなものかは存じあげませんが、勇者様の世界ではそのように呼ばれているようです」
「あー…なるほどね…まぁ恐竜ならいても可笑しくないのか。要するに絶滅しなかったんだと考えればいいんだもんな。でもよりによってティラノサウルスか…うーん…ばりっばりの肉食じゃん…小さいってどれくらいの大きさなの?」
「そうですね、大体7、8歳の子供くらいでしょうか」
「小さっ!!!」
それなら怖くないかも、と勇者はぶつぶつ独り言を言っている。
「ええと、あとエルフ族や獣人族にも驚かれたようですね」
「うわ、一気にファンタジーっぽくなったな。エルフ族とか獣人族とか何処行ったら会えるの?」
「エルフ族で良ければ目の前に」
すっと髪の毛を持ち上げ、尖った耳を見せると勇者は感嘆の声を上げた。
「うわっほんとに耳尖ってるんだ。…羽は?生えていないの?」
「魔法で出すことはできますよ。勇者様とて魔法で空を飛ぶことは可能です」
「いや別に俺ピーターパンになりたくないし。高所恐怖症だからいいや。…エルフ族って小さいイメージあったんだけど普通に人の大きさなんだね」
「勇者様の世界では小さいのですか?」
「うーんとティンカーベルってのがいて…いや違うなあれは妖精か。あ、妖精いるの?」
「精霊ならおりますよ」
「ほんと?見たい見たい」
「残念ながら精霊は目に見えるものではありません。…この話をする前に魔法について説明したほうがよさそうですね」
すっと指を一本立てる。レンの視線が指先に集中したのを確認して光を灯す。
「魔法というのは要するに精霊を使役するということです」
「おー」とレンがぱちぱちと手を叩く。
「大事なのは意思の強さです。精霊は世界の下僕。私たちが願うことを叶えてくれます。けれどそれには迷わない心と強さが必要です。対価として魔力を払うだけでは精霊に言うことを聞かせることはできません」
「なんで?」
「精霊は無欲なのですよ。魔力が必要なのは精霊はいるだけでは力を行使できないからです」
「うん。それで?」
「例えば私が魔法で誰かを殺そうとしたとします」
「うん」
「相手も殺されたくはありません」
「うん」
「私の意思のほうが弱かった場合、精霊が出せる力も弱くなります」
「うん?どゆこと?」
「精霊は世界の意思。世界はできる限り多くの願いを叶えようとします。けれどすべての願いが叶うわけではありません。先ほども述べたように、相対する意思が存在するということはよくあります」
「うん」
「そのために意思が重要になるのです。迷うのは意思が弱いからです。意思が弱いのは大して願っていないからです」
ふっと指先の光を消す。
「魔力の多さと質も大事になります。お腹が減っていては力が出せないでしょう。栄養価の低い食事では腹は満たされてもやはり力は出ない。魔法使いは九つの階層に分かれています。大きく分けると三つ。上位、中位、下位。その中から更に上級、中級、下級に分けられます。位は魔力の量、級は魔力の質を示します」
「上位上級魔導師と下位下級魔導師だとやっぱり上位上級魔導師のほうが強いの?」
「下位魔導師のほうが先に魔力は尽きますからね。…強い想いがあれば一発入れることは可能でしょうが」
意思が拮抗した場合は当然上位上級のほうが勝つ。
「中位下級魔導師と下位上級魔導師は?」
「やってみなければ一概には言えませんね。中位のほうが確立は高いと思います」
「うーんわかったようなわからんような」
「無理なさらなくてもよいですよ。とにかく意思が大事なのだと覚えていてくだされば」
「わかった。ねぇ、ツバキは何魔導師なの?」
「通常魔導師は普通の人間と同じ外見ですが、上位上級魔導師だけは別です。多くは銀の色の髪と目を持ちますが、稀に赤い髪と赤い瞳を持った者もいます。銀は調和、赤は破壊を表します。色が白銀に近ければ近いほど魔力は多いとされます」
「赤は?」
「白銀が百年に一度くらいの割合なのに対して赤は数百年に一度現れるかどうかといった割合ですが…そうですね、白銀には及ばないまでも並の銀では太刀打ちできない魔力の量を誇ります」
「ふぅん。魔力の質も外見で判断できるの?」
「量は髪の色となって現れます。質は瞳ですね。これも同じく色が白銀に近いほど質が良いとされています」
「そっちも白銀のほうが強いの?その、赤より」
「一概には言えませんね。先ほども述べたとおり、銀は調和を表します。守るですとか癒すですとか、そういったことには秀でているのですがその代わりに戦う、傷つけるといったことは不得手です。それでも上位中級などではお話しにもなりませんけれども。最も上位上級は調和と言った特性ゆえか戦うのをあまり好まれない方が多いようですが」
「赤は破壊だと言ったね。じゃあその逆?」
「ええ。赤は特例です。上位上級魔導師ですら扱えない魔法も使えると聞きます。白銀の魔導師と異なり、戦うことにも秀でています」
「なるほど。量で言えば白銀の髪、質で言うなら赤の瞳か。じゃあ白銀と赤が戦ったらどうなるの?」
「短期決戦なら赤が勝つでしょう。しかし長引けば白銀が有利になります。白銀は己以外の魔力も取り込めると言った特性があります。最も人間からは取り込めないようですが…赤は身に秘める魔力の量は膨大ですが枯渇してしまえばそれまでですから」
「ふぅん…じゃあツバキは上位上級?」
「ということになりますね」
「ってかツバキの存在自体ものすごいチートなんじゃ…」
「そういうことになりますね」
「なんか、全然そういう自覚なさそうだったけど」
「そうですね」
「そうですねってあっさり」
「いかに膨大で質の良い魔力を持っていようと、意思が弱ければ何の意味も持ちませんから」
「ツバキの意思が弱いってこと?そういう風には見えなかったけど」
むしろとっても強固な意思を持っているように見えるのだが。
「意思とは要するに自信です。できると思っていなければできません。魔法が使えないということは…」
自分に自信がないのかもしれませんね、とアカシアは言った。
「もしくは不器用すぎて力の入れ方がわからない、か。魔法を使うには魔力を必要な分だけ注ぎ込むといったことが大事になります。多すぎても少なすぎても魔法は発動しませんから」
「うーん。魔法を使うのも色々大変なんだなぁ…てかツバキの場合は後者っぽい気がするなぁ…」
ツバキの顔を思い浮かべる。
器用そうにはとても見えない。
「他にお聞きになりたいことはありまして?」
「うーん。じゃあこの国について知りたいな。王様とラナンさんってまずどっちが偉いの?」
アカシアの表情が若干引き攣る。答え方によっては不敬罪で処刑されそうだ。
「…コリウス陛下はまだ御年十四とお若い方ですが国で最も高貴なお方。何人たりとも上に立つことは許されません」
「へぇ。ラナンさんより偉いんだ」
「ラナンキュラス様は陛下の大叔父君に当たります。身分としては臣下ですが、格付けするというのなら番外ということになるでしょうね」
「ふぅん。…ねぇ、ラナンさんと王様が対立したら、アカシアさんはどっちにつくの?」
この質問にははっきりと答える。
「私とミモザは主さまのもの。たとえ相手が陛下であっても私たちを従うことができるのはラナンさまのみ」
奴隷だからではない。
誇り高きエルフ族が心から忠誠を望むのは生涯一人だけだ。
「そう。じゃあラナンさんがツバキを殺せって言ったら?」
「殺します」
即答だった。
迷うことなど何もない。そう主が望むのなら自分はただ叶えるのみだ。
瞬間。
部屋に殺気が満ちた。
レンが穏やかに「それはダメ」と言うまでアカシアはそれが誰から発せられたものかわからなかった。
それくらい部屋には殺気が充満し、何処が発生源かもわからなかった。
冷や汗が噴き出るのを感じながら平然とアカシアは「何故です」と問う。
「なんでって言われてもなぁ。君がラナンさんの意思を叶えるのと同じくらい俺にとっては当然のことだから説明に苦しむな」
「あなたとタキツスベルス様はまだ出会ったばかりのはずでは?」
「うん、そうだよ。でも俺はもう決めたんだ。あの子を絶対に守るって」
一目惚れってやつ?
勇者はあくまで飄々としたまま軽い口調で言った。
「…っつ、あなたは何故そんなにタキツスベルス様にこだわるのです!」
怖い。
「何を彼女に望んでいるのです…!何をさせるおつもりですか!」
この男が何を考えているのか全くわからない。
「何も」
レンは平然と微笑んだ。
「俺はただあの子を傷つける者を許さないだけだよ。例えそれが誰であっても」
ふっと殺気が消えた。
思わず肩で息を吐く。今頃になって震えが来た。
ただの人間がエルフを屈服させるほどの気を放つとは。
やはり腐っても勇者ということか。
「安心しなよ。君たちがツバキに何もしないのなら俺も何もしない」
俺はツバキさえ無事でいるならそれでいいからね―
レンは穏やかにそう告げた。