名前
「とりあえずお腹減った」とレンがのたまい、「俺はこの部屋から動かねぇぞ」とツバキが宣言したためにツバキの部屋で食事をとることになった。
…なんで。
「お前は部屋に戻れよ」
「嫌だよー。俺ツバキの傍から離れたくないし」
「うるせぇ。殺すぞ」
「うーん。ツバキになら殺されてもいっかな!」
「勇者様…それは困ります…」
食事を運んできたミモザが困ったように眉根を寄せた。
「あと別に誰に迫ってもいいのですが、できることなら主さまの前でやってください」
ミモザはアカシアよりは話しやすいし友好的だが、根本のところはやっぱり双子だ。
「何処の世界に魔法使いに迫る勇者がいんだよ!」
「いてもおかしくないだろう。ってかここはお前の世界だ」
「…俺は今生まれてきたことを本気で後悔してるよ…」
勇者は変態だし、国王も変態だし、国の最大権力者は性格の悪いジジイだし。
「次生まれ変わるときは平和な世界がいい…」
「そうだな。平和は大事だ。今度は平和な世界に二人で生まれ変わろうな」
「ちょっと待て。お前も来る気か」
「はっはっは。当たり前だろう」
「断る」
「許可などいらん。勝手についていくからな」
「ストーカーかてめぇは」
「うむ、そういう職についてもいいかと思っている」
それは職業なのか。
いやでも勇者の世界はツバキのとは違う。勇者の世界ではストーカーが一つの職業として認められていてもおかしくは。
「ってどう考えてもおかしいわぁあああ!」
「ツバキはほんとに働き者だなぁ。そんなに突っ込んでて疲れないか?」
「そう思うならそうせざるを得ない状況にすんのをやめろよ!」
イライラする。なんでこんな勇者を呼んでしまったのだろう。
どうせなら父様みたいにかっこよくて優しい人を呼びたかった。
「お二方とも、早く食べてしまわないと大変なことになりますよ?」
ミモザが相変わらず困ったような顔で言う。
「大変なこと?」
「今の状況以上に大変なことがあるのか」
ツバキは今以上の状況を体験したことはないのだが。
「まさかいきなり魔王討伐に出されるとか…」
「いいえ。でもそちらのほうがマシかもしれません」
「なんだと!」
一体何が起きるというのか。
「私はタキツスベルスの、アカシアは勇者様のお相手を仰せつかっております。今アカシアは準備をしている最中です」
「…で?」
「待たされるとアカシアが怒ります」
真面目な顔でミモザが言った。
「なーんだ。アカシアさんが怒るだけかぁ」
「おい。とっとと飯食うぞ」
「へ」
レンを待たずにツバキはひたすら食べ始める。柔らかいパンにことこと煮込んだ豆のスープ。寝起きにはこれくらいでちょうどいい。
「うーん、まぁツバキがそういうなら…でも急にどうしたの?」
「うるせぇ。とっとと食え」
ツバキの本能がアカシアを怒らせるのは拙いと告げていた。
味わう心の余裕も無いまま食事を終わらせるのとアカシアが部屋に入ってくるのはほぼ同時だった。
「あら、ちゃんと食事終わらせてらっしゃるようですね」
アカシアは目を細めた。
「よかったわ。でも、ちょっと残念かも」
何故残念なのかは聞かない。大体予想つくから聞かない。
「さて、勇者様。昨日はあまりお話しもできませんでしたから、今日はゆっくりとこの世界についてご説明いたしますわね。お部屋を移りましょう」
「え?此処じゃダメ?」
「一応女性の部屋ですし。それにタキツスベルス様も用事がありますから」
「そうなんだ。ツバキは何をするの?」
聞かれても答えられない。
だって知らないし。
「タキツスベルスは、私が担当ですので」
黙っていたミモザが口を開く。
「主さまの命です。…タキツスベルスは力の使い方を知らないようだから教えて差し上げろと」
「…あのじじい」
知らないのではなく持たないのだと何度も何度も言っているのに。
だがアカシアと変態、もとい勇者から離れることができるのは正直喜ばしい。
「そういうわけだ。じゃあな勇者」
部屋を出て行こうとするツバキの手をレンが握った。
「レン」
「…は?」
「勇者じゃなくてレンだよ。ツバキ」
真剣な瞳に気圧される。何故ここまで真剣な目をするのか。
「もしくはお兄ちゃんでもいい」
前言撤回。
「お前なんて勇者で充分だ」
「やだいやだい。俺はツバキにレンって呼んでほしいんだい」
「キモいキモいキモいマジでキモい」
「とにかく名前で呼んでってば」
駄々を捏ね続ける勇者を冷めた目で見やり、ふと思いついた疑問を口にする。
「なんでお前、俺の名前知ってたんだ?」
「え?」
「え?じゃねーよ。俺の名前呼んだだろ。初めて会ったときに」
「ああ」
あれね、と事もなげにレンは言った。
「知ってたわけじゃないよ。わかったわけでもない」
「偶然だったってのか?」
理由も無く口を突いたにしては珍しい単語だ。
「ううん。…ツバキの目が綺麗だったから」
「え」
思わず間抜けな声が出た。
「俺の育った世界ではね。ツバキという名前の花があるんだ。寒いときに咲く花なんだけど、真っ赤でとても綺麗なんだよ。ツバキは雪景色の中が一番綺麗でさ。お前の目は赤いだろう?髪の毛は白銀だろう?だから俺はね、お前を花のようだと思ったんだ」
レンは優しくわらった。
「雪の中で咲くツバキをつい連想してしまったんだ。とても綺麗だと思ったから」
雪の中で咲く花など見たことがない。
そう言うとレンは「そうなのか」と少し驚いたような顔で言った。
「じゃあこっちの冬は随分寂しいんだな」
「そんな花一つで変わるもんなのか?」
「変わるよ。全然変わる。ツバキも見たらきっと驚くよ。ほんとに綺麗なんだ。見せてやりたいな」
レンはそう言って笑った。
「別に興味なんざねーけどな」なんて憎まれ口をたたいたけれど、ツバキの頭の中は見たことも無い花でいっぱいだった。自分と同じ名前の、赤い花。
綺麗な花だとレンは言う。嘘を吐いているのかもしれない。
それでも綺麗な花であればいいと強く思った。
「そろそろ」と促される声で我に返る。
「じゃあ、頑張ってね。ツバキ」
「…ああ。レン」
名前を呼んだことに大した意味は無かった。
それでもレンはびっくりしたような顔をして、それから嬉しそうに笑ったから、今度からは名前で呼んであげようと珍しく素直に思った。