家族の再会
梨華には椿太郎から伝令を通じて彼のいる隠れ家から今でも文が届く。
梨華は、後を付けられていないか念には念を入れ、道を行ったり来たり繰り返しながら、椿太郎と絽利華の隠れている丈の長い草がうっそうとする中で廃屋となっている庵に近付いた。
裏口に回ると二人の声が聞こえる。仲のよさそうな会話だ。
「絽利華ちゃん。もっと色っぽく!」
「はあい。これでいい? チンタロウ」
絽利華は以前から父、椿太郎のことを名前で呼ぶ。それは母の梨華が『父上』と呼ばせることを失念していたからに他ならない。梨華はそのことを後悔していたが、椿太郎にとっては可愛い娘が浮世絵のモデルになって「チンタロウ、チンタロウ」と親しげに呼ぶのはむしろ心地良いものだった。
「だめだめ、絽利華ちゃん。もっともっと大胆に」
「じゃあ、これわぁ?」
「わあ。すごい! もっともっと」
「じゃあ、こんなこともしちゃったりして」
「わっ! すご! いいよ! いいよ」
――何バカなことやってるのよ。ったく! 椿太郎の奴。
「椿太郎様。妻の梨華です。梨華が参りました」
「げげっ……梨華!」
――げげって何よ。失礼しちゃう。
ここで梨華は椿太郎との間であらかじめ決められていた合言葉を発した。念のため相手を確かめるためのものだ。
「狸!」と梨華。
「狐!」と椿太郎。
「ねずみ」と梨華。
「みみずく」と椿太郎。
「まだまだだ」
――ええ? そこまでだったじゃないのよ。
「みみずく、のあとは?」椿太郎はその後に続く言葉を求める。
――これって、もしかして合言葉じゃなくて、単なる尻とりごっこ?
「あ。あの。くっ、熊」
「まんぐーす」
――まんぐーすって何よ! 聞いたことない。そんな動物。
「早く! まんぐーすのあとは?」
「す。す。す……。ああ、あった。スズメ」
「メス猫」
「ええっ? ずるいよ。メス猫なんて」
「早く! メス猫のあとは?」
「こ。こ。こ……。ええっと、鯉」
「いりおもてやまねこ」
――ええっ? 何? いりおもてやまねこって。しかもまた、『こ』だよぅ。
「こ。こ。こ……。ええと。狐狸庵先生」
「ダメだ。それは動物じゃあない」
「違うわ。狐狸庵って、ちゃんと動物入ってますから……」
「よし。特別に許す。中へ入れ」
――椿太郎って、天才なのか馬鹿なのかよくわからないよ。ったく。
◇◆◇
絽利華を抱き上げる梨華。
「寂しくなかった? 絽利華」
「リカァ。ロリカ、チンタロウがいるからちっとも寂しくないモン」
「…………」
稽古場(道場)の存続再開に今の稽古場には払えるはずもない五百両を要求する無頼漢。しかし、その男、海老原伴太郎は無頼漢ではなく、南町奉行の筆頭与力である。
師範代を守ろうとした師範の父上と指南の何某一刀斎が帰らぬ人となってしまったことを梨華は椿太郎に告げた。
猛烈な恨み心を抱いて椿太郎へこれを伝えた梨華は、椿太郎の冷めたような態度に失望した。
しかし、梨華は、椿太郎から南町奉行の海老原伴太郎の生い立ちを聞いて唖然とした。