死闘、そして壮絶なる最期
伴太郎は真剣を抜き、叫んだ。
「ええい! これは何の戯れなるものぞ!」
一瞬の間もなく狐の手からは分銅を付けた鎖のようなものが放たれ、伴太郎の持つ刀の刃元にしっかりと巻きついた。刀を動かせなくなった伴太郎は刀を左の手に持ち替え、脇差を抜き構えたが、その動きは一瞬遅かった。
続けて狐の手から放たれた人の顔ほどもある大きな手裏剣が伴太郎の脇腹にしっかりと刺さっていた。 そして脇差が床に転がった。
武器である刀も、体の動きも完全に封じ込められた伴太郎。その顔は醜く歪んでいる。
隙を見て狸が背後から伴太郎を羽交い絞めにした。狸の手にはなんと彫刻刀が握られている。
「梨華! 来るのだ! 己が手で亡き父の仇を討つのだ!」
「!!」
もはや、あの滑舌の悪い狸の声ではない。それは他ならぬ愛しい夫の声であった。ぐうたら男? ではない。あの人の声……。
――椿太郎! そなたは椿太郎!
「はっ、早く!」
「で、出来ない……、私。そんなこと」
「ばっ、馬鹿。何故出来ないというのだ!」
伴太郎の腹から刺さっていた手裏剣が落ち、どす黒い血が流れ出た。それでも伴太郎は、狸、いや、椿太郎の腕を振りほどき、怪力に任せて右腕一本で巨漢の彼を放り投げ床に叩きつけた。彫刻刀が床を転がった。伴太郎は、狐の鎖で自由のきかなくなった打刀|(うちがたな:本刀)をしっかりと握りつつも、床に転がる脇差を取りに走った。しかし伴太郎はそれを手にする寸前に背中から真っ赤な血をほとばしらせた。
背後には、いりおもてやまねこの男がいて、その刀には血糊がついていた。彼が伴太郎の背に太刀を入れたのだ。『いりおもてやまねこ』と書かれた傘が床に落ちて転がり、そこにあらわれた顔はあの稽古場(道場)師範代である清水又吉であった。そしてその真っ赤に充血した目からは一筋の涙が流れ出て頬をつたっていた。
「又吉様!」と梨華が叫ぶ。
「ぐおう!」
背と腹の両方から血を流す伴太郎。
それでも伴太郎は三本目の短い小刀、『小柄』を抜き、清水又吉に刺しかかる。よろけながら又吉の腹からは血がほとばしり出た。ほぼ同時に伴太郎の『小柄』を握る腕からも血が噴き出した。
狐が再び大きな手裏剣を放ち伴太郎の左腕を『小柄』とともに斬り落としたのだ。
狐は鋭い目をして梨華の方に振り返った。
「どうした! 梨華殿! 何故出来ぬ! 時が到来しようぞ! 己が魂はどこへ行った! 此はまさに己が依頼ぞ! 己が望みぞ!」
次の瞬間、鎖に巻かれた伴太郎の打刀が、彼の手から狐に向かって放たれた。そしてそれは狐の胸板を貫通した。
恐るべし不死身の伴太郎。
「きゃあ! 狐、狐、狐!」
梨華は叫び狂った。狐は恨めしそうな顔をしながら床に崩れた。
「はっ、早う、せっ、せぬか! りっ、梨華殿! 奴はもう、なっ、為す術がないのじゃ!」
狐の断末魔の叫び声だった。
◇◆◇
「やああああ! 父のかたきぃ――!」
梨華は脇差を抜き、床に膝を着いている伴太郎めがけて突進した。そして渾身の力を込めて彼の胸にぶつかった。
「ぐおう!」
伴太郎は立ち上がり梨華の襟元をつかんで彼女を床に叩きつけた。梨華は腰を激しく打ち、人形のように床に転がった。
伴太郎は背と腹と右腕から血を噴き出しながらも左手で脇差を拾い、これをかざして梨華を殺めようと転がる彼女の方へよろよろと進んだ。
周りにいた剣士たちは一斉に刀を抜いて伴太郎と梨華の間に立ち塞がり彼を威嚇して構えた。不死身の伴太郎はこれを見て戦意が喪失したかのように一瞬立ち留まった。
梨華の脇差は伴太郎の腹を完全に貫通していた。伴太郎はさらに二歩、三歩と歩き、そして大きな音をたてて床に崩れた。
「よう。ようやった! おのは、ぶっ、武士のかっ、鑑ぞ!」
狐は床に平伏しながらも満足そうな目を浮かべた。
そして狐はついに絶命した。
稽古場の床にはおびただしい血が流れていた。
「いやあああ! 狐! 狐! 狐――!!」
◇◆◇
「梨華殿!」
いりおもてやまねこ、清水又吉は刺された腹の傷口を抑えながら膝を床に擦りながら梨華の方へにじり寄ってきた。
「梨華!」
「又吉様! 早う、早うにお腹を手当てされませぬと!」
「ははは、入り口だけじゃ。さらしを巻いておる。まだまだ死ぬ訳にはいかん」
負けじと同じように椿太郎も梨華のもとへとにじり寄ってきた。
「そなた。狸。椿太郎、やったよ。私やったよ! 椿太郎」
「さもありなん(そうだよ)。お主は立派立派!」
「ああ。椿太郎……。絽利華は大丈夫?」
「大丈夫だよ。最近、幼い弟分の友達ができたって楽しそうだよ。毎日その子のわら人形で遊んでる。」
「わら人形? もしかしてその子、鼻垂らしてない?」
「なんで知ってる? 思いっ切り鼻っ垂らしの、こ汚い小僧だ」
「…………ああそう。友達選んだ方がいいかもね」
――でも、あの子可哀そう。この後いったい誰が育ててあげるの?
梨華は「おっかあ」と呼ぶあの子の顔を想像して背中がゾクッとした。
そして三人は肩を抱き合った。
気が付くと、梨華ら三人と戦いに命を捧げた狐の周りには六人の侍が土下座をして人の輪を作っていた。六人の侍は皆、見覚えのある顔だった。
神武真興流剣術の稽古場(道場)指南役心得所(こころえどころ)の六名だ。
――みんな、みんな無事だ。よかった。
「稽古場(道場)再開じゃ」
熊が口火を切った。「そうじゃ」「そうじゃ」…………。みみずくも、まんぐーすも、すずめも、メス猫も、鯉も、六人。
――大岡忠相様。きっと私たちのこと許してくれるわよね。ねっ!
◇◆◇
梨華は一人足りないことにふと気が付いた。
――ん? あと一人いなかったっけ? ああ、狐狸庵先生だ。
狐狸庵先生の姿が見えない。どこへ消えたのか……。
――あいつ、いったい何だったのだろう。
……そういえば、亡くなった師範、七代目望月椿太郎左衛門は南蛮かぶれだった。そして、眼鏡を掛ければ、もしかして、あんな顔になったかも知れない……。
「十一人の侍」<完>