第18話 蒸気ピストンの鼓動 〜からくり小型高圧蒸気エンジンの試運転〜
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近代旋盤の完成から三日。
下谷にある宗兵衛の工房の奥庭には、江都中から集まった開明派の重鎮たちと職人たちが、息を呑んで勢揃いしていた。
上座には、老中筆頭・西園寺正信が威風堂々と座し、その隣には藍染めの大紋羽織を凛とまとった沙羅と、艶やかな友禅染の袂を押さえる万代屋の小夜が並んでいる。
庭の中央に据え付けられていたのは――これまでの瑞穂国の常識を根底から覆す、異形の鉄と真鍮の機械だった。
高さおよそ五尺(約一・五メートル)。
多賀根山の高純度鋼で鍛え上げられた頑丈な円筒形ボイラーと、旋盤で鏡面のように削り出された蒸気シリンダー。
ピストンロッドの先には、往復運動を回転運動へと変換するクランクアームが連結され、その軸には直径二尺(約六十センチ)の重厚な鋳鉄製フライホイール(弾み車)が鎮座していた。
「宗介殿……。これが、火と水の力だけで動くという『蒸気機関』か」
正信が身を乗り出し、食い入るようにその機械を見つめた。
「はい、西園寺様。人の手も、牛馬の力も、川の水流も要りません。ボイラーで水を沸かして閉じ込め、膨張した超高圧の水蒸気をシリンダーへ送り込むことで、何十頭もの馬に匹敵する連続動力を生み出します」
宗介はスマホをタップし、ボイラー内部の圧力センサーデータをシズクに測定させた。
『マスター、ボイラー内圧測定開始。燃焼室温度、六百五十度。給水バルブ、安全弁、ピストン隙間の耐熱パッキン――すべて正常密閉を確認。いつでも点火可能です』
「宗兵衛さん、作造さん。……火を入れましょう!」
「おうッ! いよいよだな!」
宗兵衛が震える手で火縄をボイラーの燃焼室へと差し入れた。
万代屋の小夜が手配した極上の無煙木炭と石炭が赤々と燃え盛り、ボイラーの鉄肌が熱気を帯びて唸り始める。
ジュウウウゥゥ……ゴボゴボゴボッ!
密閉されたボイラーの中で水が沸騰し、圧力がぐんぐんと高まっていく。
『圧力計表示――五気圧……六気圧……七気圧到達! 試運転用定格圧力に達しました!』
イヤホン越しにシズクの合図が響いた。
「宗介、妾は何をすればよい!?」
沙羅が拳をぎゅっと握りしめ、瞳を輝かせて駆け寄ってきた。その横顔には、新時代の産声を見届ける強い覚悟が宿っていた。
「沙羅さん、この真鍮の主蒸気元弁を、ゆっくりと左に回してください」
「うむ……! 新しき時代の扉、妾が開こう!」
沙羅が両手で真鍮のハンドルを握り、ゆっくりと力を込めた。
キィ……と澄んだ金属音が鳴り、バルブが開放された――その瞬間!
プシューッッッ!!!!!
シリンダーの給気口から、純白の高圧蒸気が激しい噴射音を立てて吸い込まれた。
カシャンッ! ……シュッ、シュッ!
最初の一撃。高圧蒸気を受け止めたピストンが、鏡面のシリンダーの中を力強く前進した。
スライドバルブが瞬時に切り替わり、排気口から白い蒸気がパッと吹き出す。
シュゴォォッ! ガシャンッ! ガシャンッ! シュッ、シュッ、シュッ、シュッ!!
ピストンの往復速度が一気に跳ね上がった。
クランクアームが激しく上下し、直径六十センチの重厚な鋳鉄フライホイールが、風を切る重低音の唸りを上げて猛烈な回転を始めたのだ。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ――ゴォォォォォォォッッッッ!!!!!
大地を揺るがすようなリズミカルなピストンの鼓動と、吹き上がる純白の蒸気。
人が一切触れていないにもかかわらず、鉄の塊がまるで命を吹き込まれた巨人のように、恐ろしいほどの力と速度で回転し続けている。
「……な、なんじゃ……これは……!?」
老中筆頭・西園寺正信が、息を呑んで立ち上がった。
その鋭い瞳が驚愕に見開かれ、全身に鳥肌が立っていた。
「人が押しておるわけでも、水が流れておるわけでもない……! 火と湯気だけで、これほど途方もない力で鉄の車輪が回り続けるというのか……!?」
「まあ……! なんて力強い……! これほどの力があれば、何百人もの職人が引く荷車も、川を遡る大船も、一瞬で動かせてしまいますわ……!」
小夜が口元を扇子で隠し、うっとりと頬を紅潮させて叫んだ。
そして――何よりその光景を、涙をボロボロとこぼしながら見つめていたのは、からくり宗兵衛だった。
「動いた……! 本当に動きやがった……!」
宗兵衛は膝から崩れ落ちるように機械の前に手をつき、唸りを上げるピストンを見つめた。
「これが……これが世界を変える『蒸気の力』か……! 神の板の図面と、儂らの鉄が……本当に命を宿しやがったぞォォッ!!」
棟梁・作造や鍛冶職人たちからも、地鳴りのような大歓声が巻き起こった。
「すげえええっ!! 鉄のからくりが勝手に走ってやがるッ!!」
「宗介先生! あんたは本当に、天から火を盗んできた神様だァッ!!」
吹き上がる白い蒸気と、止まることのないピストンの咆哮。
その眩い熱気の中、沙羅が宗介の隣へ駆け寄り、感極まったように宗介の腕に抱きついてきた。
「宗介……! 見事じゃ、まことに見事じゃ……!」
沙羅の大きな瞳から、水晶のような涙が次々と溢れ、宗介の羽織を濡らした。
至近距離から伝わる、彼女の柔らかな温もりと、激しく打つ心音。そして、熱気に混ざり合う清涼な白檀と甘い撫子の香り。
「この力があれば……海の向こうから鉄の軍艦が押し寄せてこようとも、我が国は決して屈せぬ! 民の暮らしを守り、対等に胸を張って渡り合えるのじゃな……!」
「はい、沙羅さん。このエンジンを大型化して船に乗せれば、風に頼らず海を時速三十キロで疾走する『高速蒸気船』が造れます。……もう、外圧の脅威に怯える必要はありません」
宗介が力強く頷くと、沙羅は涙を拭い、太陽よりも眩しい最高の笑顔を咲かせた。
「……うむ! そなたと共におれば、どんな暗闇の先にも光が見えるのじゃ!」
二人は見つめ合い、重なり合う手の温もりを確かめ合った。
瑞穂国に初めて鳴り響いた、機械文明の力強い産声。
鉄と蒸気の力を手に入れた宗介たちの文明開化は、いよいよ光とレンズが明かす『ミクロの神秘』、そして都市を結ぶ『通信革命』へと加速していくのだった。
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