仕切り屋たちの王国
──仕切り屋。
誰に強制されたわけでもないのに勝手に場を仕切り始める人間のことを、私はそう呼んでいる。
仕切り屋は一人ではない。
彼女たちは常に集団だ。
そしてたいてい女子である。
例えば、合唱コンクール。
仕切り屋たちによって、一人ひとり皆の前に出て歌わさせられる。OKかNGかを判断するのも仕切り屋たちだ。
なんの権限があって、他人の歌にOKやらNGやらを出してくるのか。
私には分からなかったが、反論するエネルギーもなく、大人しく従っていた。
仕切り屋たちは必ずクラスカースト上位の人間だ。彼女たちはそれが自分たちに課せられた任務のように、私たちに命令を下す。
普通は音楽係や、合唱コンクール係をクラスで決めて、その人たちがやるものではないのか?という疑問は捨て置かれ、彼女たちの存在は黙認された。
自分たちこそが正義。
彼女たちからはそんな歪んだ倫理観が滲み出ていた。
今日も仕切り屋の愛梨、美咲、彩花の罵声が飛ぶ。
「佐藤さん! 声出てないよ!」
「山下くん! 音程ズレてる!」
私たちは教室の後ろに整列させられ、歌わさせられる。彼女たちは教室の前方で皆の歌を聴いている。
こんなのおかしい、と誰も言い出さない。
愛梨も美咲も彩花も、私たちと立場は同じはずだ。なのにいつの間にか、彼女たちに従わなければならない構図がクラスの中で出来上がっていた。
仕切り屋。
彼女たちみたいな人たちがいてくれるからクラスがまとまるのだろうか。
それとも──。
私はそれ以上は考えないことにした。
この状況を理不尽だと思えば怒りが湧いてくる。
波風を立てないように過ごすことがこのクラスでの処世術だ。
*
また、クラス担任、鈴木先生の誕生日の数日前。
仕切り屋たちが、先生に誕生日プレゼントを買うため、一人ひとりから五百円を徴収する、と宣言した。
五百円は中学生にとって大金だ。
私の月のお小遣いはそんなに多くない。
だが愛梨が私の席にもやってきて、「丸山さん、五百円ね」と言った。
私は言われた通り五百円を差し出した。
クラス全員、三十二人が一人五百円ずつ出し合ったら、一万六千円になる。
それで一体、何を買うつもりなのか。
愛梨も美咲も彩花も、何も教えてくれなかった。
後日、先生の誕生日。
愛梨、美咲、彩花は、さもクラスの代表者を気取って、先生に花束と何かの箱を渡した。
クラスのみんなからです、と言って。
誰も箱の中身を知らない。
全部でいくらかかったのかも知らない。
余った残りのお金をどうしたのかも知らない。
でも、誰も何も言わない、言えない。
愛梨、美咲、彩花の前では、誰一人、何も言えない。
理不尽に耐え続けることに、私はたまに我慢ならない時があった。
彼女たちがさも自分たちがクラスの代表者として振る舞うことが、理解できなかった。
私たちは同じ立場のはずだ。
同じクラスの仲間のはずだ。
私たちには上も下もない。
だが、愛梨、美咲、彩花たちは、自分たち以外の人間は、『下』に見ていた。
常に自分たちこそが『正義』だという顔をしていた。
彼女たちは、クラスの全ての決定権は自分たちにあると思っていた。
クラスは彼女たちによって牛耳られた小さな共産国家だった。
*
私の名前は丸山華。中学二年の、どこにでもいるような女子だ。
特別目立つわけでもなく、クラスでは地味なほうだ。成績はクラスの真ん中あたりで、友達は二、三人いる。部活は帰宅部。趣味は読書と、誰にも言っていないが、こっそり日記をつけることだ。
その日記に私はよく、愛梨たちのことを書いた。
怒りを文字にして吐き出さないと、胃のあたりがずっとしくしくと痛む気がしたから。
──今日も愛梨が仕切った。合唱の練習で、田中くんが「NGです」って言われて俯いてた。あの子、普段から口数少ないのに。かわいそうだった。でも私は何も言えなかった。言えない自分も嫌だ。
書き終えると少しだけ楽になる。
けれど翌朝になればまた教室に行かなければならない。
その繰り返しだった。
*
転機は、十月の終わりに訪れた。
席替えで、私の隣になったのは、転校生の女の子だった。
名前は西村奈々。前の学校は東京だと言った。九月の終わりに引っ越してきて、まだ一ヶ月も経っていない。肩のあたりで切りそろえられた黒髪に、どこか達観したような静かな目をしている子だった。
奈々はこのクラスの空気をまだよく知らないせいか、愛梨たちに命令されても、しばらくきょとんとした顔をしていた。まるで、珍しい生き物でも観察するかのように。
そしてある日の昼休み、彼女は私に小声で言った。
「ねえ、丸山さん。あの三人、なんなの?」
私は思わず周りを見回した。愛梨たちは別の場所にいる。大丈夫だと確認してから、口を開いた。
「……仕切り屋、かな」
「仕切り屋」と奈々は繰り返した。「うまい言い方だね。前の学校にもいたよ、そういう子たち」
「そうなんだ」
「でも、あそこまで堂々とはしてなかったな」
奈々は弁当の蓋を閉めながら、まるで天気の話をするような口調で言った。
「丸山さんは、ずっと我慢してるの?」
その一言が、静かに胸に刺さった。
我慢。そうだ、私はずっと我慢している。我慢することが当たり前になりすぎて、それが我慢だということすら忘れかけていた。
「……そうかもしれない」
私が答えると、奈々は少し考えるように目を細めた。
「私ね、東京でちょっと失敗したんだよね。似たような子に、真正面からぶつかって、逆に孤立した」
「そうなの?」
「うん。だから今は、もう少し賢いやり方を考えてる」
賢いやり方。
その言葉が、しばらく頭の中に残った。
*
十一月の最初の週、学級会があった。
議題は「校外学習の班分けについて」だった。
当然のように愛梨が仕切り始める。
「じゃあ、班の人数は五人か六人で、リーダーは──」
「あの」
声が聞こえた。
クラスがしんと静まり返った。
声の主は奈々だった。彼女は静かに手を挙げたまま、愛梨の目を真っ直ぐに見ていた。
「学級委員の人に進行してもらった方がよくないですか。それが普通だと思うんですけど」
愛梨の顔が、微かに歪んだ。
「え、別に私がやってもよくない? いつもそうしてるし」
「いつもそうしてるのは知ってますけど」と奈々は言った。声は穏やかで、責めるような調子はない。「それって誰かが決めたルールじゃないですよね。学級委員の仕事を奪ってることになるんじゃないかなって思って」
教室の中に、奇妙な沈黙が広がった。
誰もが奈々と愛梨の顔を交互に見ている。そしてみんな、同じことを思っているはずだった。──言ってしまった。この子、言ってしまった。
愛梨は少しの間、何も言わなかった。
その沈黙が、思いのほか長かった。
普段の愛梨なら、もう少し素早く切り返す。「は? 何それ」とか「意味わかんない」とか。それで相手をねじ伏せる。
でも今日は違った。奈々の言葉があまりにも真っ当すぎて、どう反論していいか分からないのだろう。
そこへ、学級委員の村上くんが遠慮がちに手を挙げた。
「じゃあ……俺、やります」
それだけだった。それだけで、愛梨は黙って自分の席に戻った。
学級会は、村上くんの進行で粛々と進んだ。
私はそれをぼんやりと眺めながら、胃のしくしくした痛みが、今日は少しだけ薄いことに気づいた。
*
放課後、私は奈々を追いかけた。
「さっきの、すごかったね」
奈々は振り返って、少し照れたように笑った。
「言い過ぎたかな、と思ったけど」
「ううん。正しいこと言ってたよ」
「正しいことって、正しいだけじゃなかなか通らないじゃない」と奈々は言った。「だから、できるだけ穏やかに言うようにしてる。『あなたが悪い』じゃなくて、『こうした方がよくない?』って」
私はその言葉を頭の中で反芻した。
正しいだけじゃ通らない。でも正しいことを、正しいと言える形で言う。
「難しいね」と私は言った。
「難しい」と奈々も頷いた。「前の学校で失敗したから分かった。真正面からぶつかると、相手の正義感に火をつけちゃうんだよね。でも、静かに、普通のことを普通として言うと、相手も無理に反論できなくなる」
校門を出て、私たちは同じ方向に歩いた。
夕暮れの中、街がオレンジ色に染まっていた。
「ねえ、奈々ちゃん」と私は言った。「あのお金の話、覚えてる? 先生の誕生日のやつ」
「覚えてる」
「来年も絶対やるよ、あの人たち。また五百円って言ってくる」
「うん、たぶんね」
「その時は」と私は少し声を低くした。「領収書を出してもらうように言えばいいんじゃないかなって、思って」
奈々が足を止めた。そして私の顔を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「丸山さん、いいこと言う」
私は少しだけ、笑った。
長い間、怒りを日記にしか書けなかった。
でも今、その怒りが少しずつ、別の形になろうとしている気がした。
仕切り屋たちの王国は、まだそこにある。
愛梨も美咲も彩花も、明日も変わらず命令を下すだろう。
でも、王国は永遠じゃない。
壁に最初のひびを入れたのは、転校生の静かな一言だった。
私は明日の日記に、今日のことを書こうと思った。
いつもと少しだけ違う言葉で。
怒りじゃなくて、期待を込めて。
──完──




