彼女は「翡翠」それとも「きつね石」?
僕は今、夏休みを利用して、東京駅から新幹線と特急で約3時間の、新潟県糸魚川市にある「ヒスイ海岸」にいる。10年ぶりに訪れた祖父母の家がこの近くにあり、昔はそこに同居していたこともある、懐かしい場所だ。
そしてここは糸魚川上流から翡翠の原石が流され、拾うことができることで有名な場所でもある。もっとも、「本物」を見つけるのはそう簡単ではなく、大抵は似たような「キツネ石」だったりするんだけど。
で、そこで何をしてるかというと…「探し物」。
どっちかというとお目当ては「石」じゃなくて「人」。
ああ、「人」って言っても「埋まってる人(死体)」じゃなくて、昔ここで一緒に遊んでた幼馴染。もう10年も前になるから、記憶もちょっとあやふやなとこがあるんだけど、ここで一緒に拾った「本物」を、幼い僕達は「婚約」の証として持つことになった。
まあでも、小さい頃の約束だ。それが「運命の人」とかはあんまり思ってはない。けど、せっかく来たんなら久し振りに会ってはみたいかな~と思って、ここ数日暇つぶしがてら「ヒスイ拾い」をしてみているんだけど……
いや~……これ、わからん。
向こうに鑑定してくれる人がいるっぽいけど、何回も持ち込むのは失礼だし。誰か詳しい人他にいないかな……
そう思って辺りを見回すと、偶然おんなじ年頃の女の子と目が合った。地元の子かな?って思ってたら……おっとなんかこっちにくる?なんで?
「やぁ!久しぶりだね!え〜と……」
「昴。もしかして君…『ミドリ』ちゃん?」
「そうそう!『翡翠」だよ!ここ何日かず〜っと君、この海岸に来てたでしょ?だから、もしかしたら〜って思って声かけてみたんだ」
「なんだよ〜。気付いてたんだったらすぐに声かけてよ」
「ごめんごめん!元気だった?」
「ああ。そっちも?」
まさか、本当に見つかるとは!
神様もたまにはいい仕事するよね。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥
「昴〜!本物の『ヒスイ』見つかった〜?」
「いや〜なんか怪しい石はあるんだけど、どれもこれも『キツネ石』っぽいな。翡翠、そっちは?」
「こっちもおんなじかな〜」
といった感じで、あれからここ数日は翡翠と一緒に街歩きをしたり、海岸でヒスイ探しをしたりしている。もうあの海岸に行かなくても良くなったんだけど、ボクが持っている石を見た翡翠が「せっかくだから『今の私達』で探そうよ!」って言いだして。
まあ別に楽しいからいいんだけどね。これはこれで「昔の良い思い出」にすればいいだけだし。だけど、少しずつ、翡翠の最初の弾けるような元気の良さが亡くなってるような気がする。気のせいだったらいいんだけど。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥
こちらに来てから10日間が経ち、明日は東京に帰るという日の夕方、僕たちは最後の翡翠探しをしていた。『お目当ての物』はなかなか見つからなかったので、もし見つからなかったら、お互いに見つけた一番きれいな『キツネ石』を交換することにした。
でも、せっかくなら『本物』を翡翠に渡したい。
そう思ってしゃがみ込んでいたら、翡翠が浅瀬に立って僕に話しかけてきたんだ。
「ねえ、昴」
「ん?」
「もし……私が『翡翠』じゃなかった……としたら?あなたはそれでも私のことをそんな目で見てくれる?」
いきなり投げつけられた言葉の意味が分からず、僕は顔を上げて翡翠の方を見た。海に沈む夕日を背に立って話しかけてくる彼女の表情は、逆光になってよく見えない。押し寄せる波の音が妙に遠くに聞こえる。
ちょっと待って欲しい
何を今さら
何が本当なんだ
思わずポケットに入れていた「翡翠」を握りしめる。
じゃあ、今まで一緒にいた君は……誰だ?
僕の記憶の中にいた「翡翠」と、今目の前にいる「翡翠」。さっきまで違和感なんて感じなかったのに、途端に二人が「ズレて」見える。まるで本当に「キツネ石」のようだ。
あまりにいきなりな質問に、僕は答えられなかった。
「翡翠……?」
「ごめんね、昴。私は、あなたが探していた子じゃない」
「ウソだろ?じゃあなんで」
「最初は、単に暇つぶしのつもりだった。夏休みのほんの数日間一緒にいて、それで良い思い出作ってバイバイ。そのくらいのつもりだった。けど、一緒にいるうちに、自分の心をどうしても止められなくなった。そしたら、苦しくなってしまって……」
翡翠は俯いて震える声で話す。
そして両手をギュッと握りしめて、顔をあげてこっちを見たんだ。
「好きよ、昴。ごめんね、私『キツネ石』で。あなたの本当の『翡翠』さん、見つかるといいね」
そう言って彼女は僕の横を走って通り過ぎる。
このまま別れれば、この話はこれで終わり。
二度と会わないだろうし、ひと夏の「ちょっとした思い出」で終わる。
ここ数日、楽しかった。
いい暇つぶしになった。
それで良いじゃないか。
責める気にもならない。
……でも。
「待てよ」
そう言って僕は振り向きざまに、駆け抜けようとしていた翡翠の腕をつかんだ。
なんでだ?
いや、答えなんかもう出てる。
たださっきは言葉が出なかった。
それだけのこと。
「責任、とれよな」
「え……?」
ビックリして怯えたような顔をした翡翠。
僕は小さく息を吐いてから、さっき言えなかった言葉を伝えた。
「僕も、君が好きだ」
「……え?え?でも、私は……違うんだよ?」
「ああ。『過去の僕の記憶』にとってはね。けど、『今の僕』にとっては……」
そのまま腕に力を込めて僕は翡翠を引き寄せ、腕の中に抱きしめる。
「今、目の前にいる君が『本物』だ。『キツネ石』か『翡翠』かは、関係ない」
「……ごめんね」
「……もう謝る必要はないよ」
夕日が完全に沈み、薄紅色から藍色のグラデーションに彩られた空の下で、僕と翡翠は暫くの間お互いの体温を感じ合っていた。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥
次の日。
新幹線のホームで翡翠と二人、ベンチに座りながら新幹線を待つ。
もうすぐホームに新幹線が入ってくる。そしたら、次に会えるのは4ヶ月後だ。
まあスマホで声は聞けるし顔も見れるけど、やっぱり名残惜しい。
ポケットからスマホを取り出そうとして、指先に硬いものがあたる。
……ああ、これか。
これは、もう……
「これ、渡しとく」
「え、これ昴が大事にしてた本物の翡翠じゃ…」
「そうだけどね。翡翠に持っていてほしいんだ」
「……わかった。大事に持っておくね」
「じゃあ、また来るよ」
「うん、待ってるね」
ホームに出発のベルが鳴り響く。
もうすぐ扉が閉まる。
荷物が引っかからないように、持ち直したその時。
「あ、昴?」
「何?」
「ちょっと……」
「え?聞こえないって」
そう言って顔を扉の外へ出して聞き取ろうとしたら、翡翠の唇の柔らかな感触が僕の頬に当たった。
びっくりして固まっていたら、翡翠が僕の掌に何かをギュッと握らせる。
「『昔の私』より『今の私』を好きって言ってくれてありがと!またね!」
「……は?え?ちょっと待った!それ…えぇ?」
動揺している間に、閉じた扉の向こうで翡翠が笑って手を振っている姿が流れていく。
ハッと我に返って、掌を開いてみると、そこにはボクが持っていたものと違う形の「翡翠」の原石と、たどたどしい文字が書かれた古い折り紙が。
「みどりちゃんとこんやくします。すばる」
・・・!?
いやちょっと待ってくれよ。
これ僕の字だぞ?
と、いう事は…?
全く……彼女には振り回されてばかりだな。こんな気持ちで4ヶ月過ごせるわけ無い。
「本当の本当」を確かめるために、ちょっと日程見直さないと。
待ってなよ、翡翠。
NHKのドキュメント72hを見て、物語を作ってみました。
お読みいただきありがとうございました。