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第六章 卒業の季節

 雪が溶けた。

 太陽帝国暦十一年の早春。鶯の鳴き声を合図として、真っ赤に色づいた梅の花の咲き乱れ、甘酸っぱい香り漂う山道を、クリシュナー王国の若き国王ギルーシュは、八千人の兵を率いて出陣する。

 国元の留守は、母である王太后ヒルデガルドに任せた。

 進軍するクリシュナー軍にまず合流したのは、隣国のドラグレナ国王率いる四千人である。

「伯父上、約束通り帝国軍を打ち破ってお迎えにあがりましたよ」

「我が愚妹の自信の根拠。ようやく合点がいったわ。おまえがいたからだな。ここからはわしも約束を果たそう。轡を並べて帝国を滅ぼそうぞ」

 ギルーシュとドラグレナ王は、馬上でがっちりと握手をする。

 クリシュナー王国とドラグレナ王国は、長い歴史と縁戚で結ばれた同盟国であるから、これはだれもが予想した連携だった。

 しかし、ここから始まった春の雪崩を予想できた者は少なかっただろう。

 太陽帝国は冬の間、なんの対策もしなかったわけではない。クリシュナー王国との国境の城を補強して、守備兵を配置していた。

 しかるに、それらの城主たちはクリシュナー王国と戦うのではなく、クリシュナー王国と協力して鉾を逆さにして進撃する。

 つまり、クリシュナー王国から調略の手を入れられていたのだ。

 とても謀叛軍の勢いに太刀打ちできないと考えたこともあるだろうし、帝国のありように不満を持っていた者も多かったということだろう。

 最前線をあっという間に突破されたことによって、自分たちの領土が戦場になると予想していなかった道程の王国たちはパニックに陥った。

「マリーローズの女王様みたいに殺されたいのか」

 この恐怖に震えあがったのか、まるでオセロの駒のように次々とひっくり返っていった。

 クリシュナー王国が進軍するほどに、その兵力は雪だるま式に増えていく。

 この国家危急のときに、若き皇帝スレイマンの下した決断は大胆なものだった。すなわち、いまだ帝国に忠誠を誓う国々に下手な手出しなどはせず籠城し、あるいは放棄することを認め、思い切りよく帝都ティティスの眼前にまで敵を引き込む作戦にでたのだ。

 かくして、謀叛軍はいっきに帝国軍の心臓部にまで進出する。

 春の強い風が吹き、若草の生い茂る大地に、謀叛軍と帝国軍は対峙した。

 謀叛連合軍はクリシュナー王国軍を中心に、大小十ヶ国が参加。その兵数は約五万人。

 太陽帝国軍には、本軍の他に、譜代王国五ヶ国が援軍に駆けつけた。その兵数約三万人。

 ただし、謀叛軍は荷駄隊のことを差っ引いて考えねばならず、逆に帝国軍の後ろの帝都ティティスには十万人の人口がある。

 それらのことを考慮すると、ほぼ互角の戦力が揃えられたといえるだろう。

 帝国の、いや、世界の命運を決める一大決戦の火蓋は、いままさに切って落とされようとしていた。

「真正面から雌雄を決しようというのか。あいつらしいなぁ」

 高い尖塔が連なる帝都ティティス。それを守る高い城壁のまえに、大軍勢を配置して待ち構える敵陣をみやり、かつて友と呼んだ男のくそ真面目な顔を思い浮かべたギルーシュは苦笑した。

「ここで決戦になるのか?」

 傍らに立ったバイアスの質問に、ギルーシュは頷いた。

「ああ、間違いない。ここまで我慢してきたが、帝国とスレイマンの矜持はもう限界だろう」

 決戦以外にも、さらに二つの選択肢は考えられる。

 一つは、籠城。

 帝都は政治都市であるから、必ずしも籠城戦に適しているとは言いかねるが、北には最新技術で築かれた巨大な城壁。南は大海。西と東は深い山林が広がっている。さらに城下町のいたるところで湧き水がでた。ここを包囲して兵糧攻めにするのは不可能に近い。

 この地を首都と定めた初代皇帝マクシミリアンの思惑がよくわかる。

 しかし、籠城をすると帝国の権威はさらに落ちることになるだろう。籠っているうちに、援軍に駆けつける王国よりも、いま従っている王国まで帝国の支配から離脱する危険がある。

 もう一つの可能性としては、帝都ティティスを捨てての逃亡。

 これをすれば、謀叛軍の目的地を消失させることができる。

 逃げる皇帝をどこまで追えばいいのか、ということになり、急造の謀叛連合軍は補給などの問題もあって空中分解しかねない。

 しかし、当然ながらこれは、籠城よりもさらに皇帝の権威の低下を招くだろう。

 スレイマンが世界帝国の皇帝としてありたいならば、ここで決戦して勝利するしかない。

「俺は二年間、スレイマンという男をだれよりもよく観察した。あれは愚直で誇り高い漢だ。間違いなくこの一戦にすべてを賭けてくる。負けたら、潔く死ぬ。そういう覚悟で臨んでくるだろうな」

 悪く言えば苦労知らずなのだ。ギルーシュのように雑草を食べてでも生き延びて再起を図る、という道を選択できるタイプではない。

「それだけに恐ろしい。文字通り死にもの狂いで襲い掛かってくるだろうからね。いや~、まともに当たりたくないなぁ」

 ギルーシュが両手を組んで頭上にあげて伸びをするさまをみて、バイアスは微笑していた。

「なにかいいたそうだね?」

「いや、おまえと出会ったのはあの山の中だったな、と思い出してな」

「そうだね~。帰ってきたね~。アニキと雑草を食いながら逃亡しているときには、まさか生きて再びここにたどり着けるとは思わなかったよ」

 己が運命の不思議さを振り返るギルーシュに、バイアスもまた己が運命の変転に呆れたように語る。

「俺もまさか、あの死にかけていたガキが国王、さらには新時代の盟主となって、こんな大軍勢を従えるようになるとは夢にも思わなかったぞ」

「俺もあのころはそんなこと考えもしていなかったからね。とにかく生き延びるのに必死だった」

 命の恩人たる赤毛の巨人を、ギルーシュは頼もしげに見上げる。

「昔、校長、いや恩師に教えられたことがある。人の運の良し悪しは、人との出会いをいうんだってさ。俺はアニキと出会えた。運のいい男だったってことだね」

「ふっ、買いかぶってくれる。ケツが痒くならぁ」

 照れ笑いを浮かべたバイアスは、本当に尻を掻いてみせたが、ギルーシュは真面目に続ける。

「いま俺がここにいるのは間違いなくアニキのおかげだ。この戦が終わったら一段落ということで、大きな論功行賞が行われる。アニキには特に厚く報いるつもりだ。どこか適当な国の王になれるように取り計らうよ」

「アホ、俺が王って柄か。俺の夢はただ一つ、千武流を世界一の武術にすることだ」

 そういう答えが返ってくることを、十分に予期していたギルーシュは、特に気分を害することなく肩を竦める。

「アニキは欲がないな。それじゃとりあえず、クリシュナー王国の武術顧問の座を用意しよう。それなら、就任してくれるんでしょ」

「あ、ああ、それなら、まぁありがたく受けてやるぜ」

 満足げに笑ったバイアスは、表情を改めるとギルーシュに向き直った。

「俺だっておまえとの出会いに感謝しているんだ。俺はしがない田舎の農家の三男坊に生まれた。ガキのころから体はでかく、力も強かったからな。自分でいうのもなんだが、手の付けられない悪童だったよ。十歳のころ、流れ者の武芸者と果し合いをして、そいつを木刀で殴り殺してしまったことを機に村を出た。剣一つで身を立てようと思ってな。しかし、もう戦乱の時代ではなかったからな。学もコネもない農家の倅では仕官もままならず、一揆軍に加担するのがせいぜいだった。しかし、剣一本の力などたかがしれている。帝国の鎮圧軍に一揆軍は壊滅させられ、独り生き残った俺は、このまま武芸の修行をしていてなんになるんだ、という疑問を感じていたところにおまえと出会い、活躍の場を得られたんだ」

 だいたい予想通りの経歴だった。ギルーシュとしては、バイアスの出自がどのようなものでもまったく構わない。絶対の信頼を寄せる側近だ。

「つまりアニキは、俺と出会うために生まれてきたということだね」

「よせよ。あ、それともう一つ」

「んっ?」

 いささか言いづらそうにバイアスがなにかを報告しようとしたところで、健康的な太腿をうねらせつつジュリエッタが駆け寄ってきた。

「シュヴァルツ公からの言伝です。ご相談したいことがありますから、早急に本陣においでください」

「わかった。アニキ、なに?」

「いや、大したことじゃない。軍議のほうが優先だ。あとで話すよ」

 バイアスの歯切れの悪い言葉に、ギルーシュは若干不審に思うも軽く頷く。

「まぁ、この戦いに勝たないとどんな約束も空手形になっちゃうからね。いこう」

 陽気に笑ったギルーシュは、サイドポニーの魔女を従えて踵を返して本陣に向かう。それを見送るバイアスは、照れくさそうに鼻の頭を掻く。

「言いそびれたか。まぁ、急ぐ用事でもないがな……イテっ!?」

「いくじなし」

 バイアスの尻を抓ったノワールは、そのままツンと澄ました顔で立ち去った。

「叔父上、お話があると伺いました」

 本陣に戻った若き国王を、総参謀長にして、一連の謀叛劇の黒幕と目されているシュヴァルツが出迎えた。

「ああ、一通りの斥候が戻ってきて、敵の布陣はだいたいわかった」

「ご苦労さま。それで?」

 テーブルには地図が広げられ、敵と味方の部隊が駒として配置されている。

「完璧だ。高所という高所は完全に押さえられている。ここに攻めかかったのでは、いくら兵力に勝ると言っても命がいくつあっても足りないな。全員、帝国御自慢の陸龍の腹の中だ」

 従兄にして、クリシュナー軍きっての猛将ウインザーが嘯く。

「これではおまえお得意の小細工も入る余地がないぞ」

「そうだね」

 スレイマンは正々堂々たる決戦で雌雄を決したいと欲しているのだろうが、ギルーシュにその手のロマンチシズムはない。

 当然の如く策略は巡らせていた。

 今回、ギルーシュが使ったのは、亡き恋人ヘレナの兄である。

 流れ者の傭兵をしているという彼に連絡を取り、帝都内に潜入してもらった。

 クリシュナー王国の兵士を変装させて、潜入させるのはリスクが高すぎる。しかし、一兵でも多くの戦力が欲しいときに、流れ者の傭兵の素性まで調べていられないだろうと判断したのだ。

 そして、決戦の最中に、帝都に火を放ってもらい、出来たら象徴的な尖塔を一つ破壊してもらおうという算段だった。

 そうなれば、背後に裏切り者がでたと誤解した帝国軍の士気は大きく削がれるし、謀叛軍の士気はあがる。

 勝敗を決する一打となるはずだ。

 しかし、何事もタイミングである。圧勝しているときに、背後で少しばかり騒動があっても、帝国軍の士気は揺るがない、ということになりかねない。

「ならば盤面を変えよう」

 ギルーシュは地図を引き、紙面に乗っていた駒をぶちまけた。

 太陽帝国の陣営は、新皇帝スレイマンを、帝国創業の功臣としていまや最後の生き残りとなったイザーク将軍と、期待の若手として先代に引き立てられたリヒャルト将軍が補佐する。

 決戦を控えた忙しい中、敵陣を遠望できるバルコニーにでたスレイマンは、腹心のガルムに声をかけた。

「イザーク将軍には全軍の総参謀長として、俺の傍にいてもらう。代わりにガルム。おまえにイザーク将軍の率いてきた軍勢を任せる」

「……っ」

 突然の辞令にガルムは立ち尽くした。ややあって口を開く。

「俺に将軍職をしろというのか?」

「そうだ」

 迷いなくスレイマンは重々しく頷く。

 ガルムは戸惑いながら反論する。

「……王侯貴族の連中からみれば、俺は口の端に乗せるのもはばかられるような身分卑しい存在だ。騎士家の生まれですらない。そんなやつの命令に従うと思うのか?」

「自信を持て、おまえの強さはみなが認めている。おまえほど強い漢はいない」

 それと指揮は関係ないだろ、というガルムの不安を払拭するようにスレイマンは熱く語る。

「帝国は実力主義だぞ。お爺様も実力があったから皇帝になったんだ。実力があれば上にいける。これが帝国のよって立つ秩序だ。なによりもこの戦、勝つためにはおまえに頼るしかない。おまえは俺の持つ手札の中で、一番強いジョーカーだ。最大限に活用させてもらう」

「……」

 言葉もないガルムを、スレイマンの碧眼は瞬きもせずに凝視する。

「知っての通り、俺は模擬戦でギルーシュのやつに一度も勝ったことがない。学校での成績は常に後塵を拝した。女にしてもそうだ。グレンダのやつはなんだかんだいいながら、結局はギルーシュに惚れていた。このたびの戦いにしても、こちらの打つ手の悉く上をいかれている。どうやら俺の中に、やつに勝てるものは一つとしてないらしい」

「……そんなことは」

 珍しく世辞を言おうとするガルムの口を、スレイマンは片手をあげて止めた。

「詮無いことだが、愚痴らせてくれ」

「……」

 押し黙るガルムのまえで、スレイマンは握り拳を作り、目を反らす。

「俺はあの夜のことを何度も後悔している。あのギルーシュを学校から逃がした夜のことだ。あのとき、殺しておくべきだった。逃がしたところで遺恨を持った者を野に解き放つだけで、だれにとってもいいことなど一つもなかったのだから……。しかし、俺は逃がした。矜持のため? 友情のため? 違うな。俺はグレンダにいい格好をしたかっただけなんだ。親友を見捨てない男らしい男を演じたくて、一時の見栄を張ったに過ぎない。どうせすぐに殺される、と心のどこかで思っていた。なんて甘ちゃんだ。ギルーシュという男を一番よく知っているつもりで、なお見くびっていた。あいつは雑草でもなんでも食って、生き延びるやつだったんだ。そして、あいつは帰ってきた。復讐の鬼となって。これはすべて俺が招いた罪。帝国をこのような無様なありさまにしたのも、親父を、そして、グレンダを殺したのも俺だ」

 語っているうちに高ぶってきたのだろう。スレイマンの両目から涙が流れた。

 見て見ぬふりをするガルムの胸に、若き皇帝は縋りつく。

「勝ちたい。ギルーシュに勝ちたいんだ。この戦だけでいい、ギルーシュのやつに勝ちたい。俺はなんとしてもこの戦に勝つ。しかし、俺だけではあいつに及ばない。おまえの力が必要だ。頼む、勝たせてくれ」

 まさになりふり構わぬ懇願だ。

 困惑したガルムは、主君の肩を抱きながら大きく溜息をつく。

「ったく、あの路地裏であったときから変わらないな。あんたはいつも俺に過剰な期待をする。俺なんかが宮廷で侍従をすることになるなんて考えたこともなかったし、士官学校に通えるとも夢にも思わなかった。そして、今度は将軍か」

「おまえには才能があると思ったんだ。実際、俺の目に狂いはなかっただろ」

 泣き笑いをする皇帝を見下ろして、貧民街あがりの男は肩を竦める。そして、莞爾と笑った。

「いいぜ、勝たせてやる。俺がギルーシュの首級をあげてやるよ。そして、少なくとも人を見る目は、ギルーシュよりもあんたのほうが上だったと証明してやる」

「……あ、ああ……頼む」

「ああ、任せておけ」

 意気に感じるというやつだろう。そう言い残してガルムは、自らに与えられた兵の下に向かう。

 その後ろ姿を見送るスレイマンの背中に、女の蓮っ葉な声が浴びせられた。

「おうおう、男同士の熱い友情だね」

 スレイマンが振り返ると、露台の手すりに独りのお洒落な女が、長い脚を組んで腰をかけていた。

 ピンクに染め上げて、ふわふわに大きく膨らんだ鳥の巣のようなカーリーヘアー。左右の耳朶にはダイアのピアスが輝く。女にしてはずば抜けて背が高く、手足は細く長い。まるでマネキン人形のような作り物めいたスレンダーな体躯に、ぴったりとした白いワンピース水着のようなバトルドレスを纏っている。二の腕までの長手袋をつけ、太腿半ばまでのブーツを穿き、胸元は大きくくくれて胸の谷間を晒し、両肩や脇乳も覗かせていた。下半身に目を向けると、ハイレグ部分もかなりの急角度だ。

 なんとも扇情的な装いだが、それでも気品を感じさせてしまうのは、本人の資質であろう。

「先輩、見ていたんですか?」

「まぁね。覗き見するつもりはなかったんだけど、たまたま居合わせちゃったのよ」

 このスタイリッシュを極めたような女は、スレイマンより一年年長であり、士官学校では前任の生徒会長だった。

 帝国譜代王家エメラルダスの王女で、名前はヴァレンティナという。

 卒業後は姫騎士として、各地の反乱鎮圧で武勲をあげて頭角を現した。そして、若干二十歳にして、空軍のエースと目され、『空を泳ぐ人魚』という異名で兵士たちに崇め奉られている。

「あなたに命を預けているのは、ガルムだけではなくて、あたしを含めて三万人の兵士がいることを忘れてもらっちゃ困るわよ」

「もちろん、頼りにしていますよ」

「まぁ、これは半ば嫉妬だから気にしなくていいわよ。ガルムの強さはあたしも認めているから♪」

 艶やかに笑ったヴァレンティナは手すりから飛び降りて、スレイマンと並んで敵陣を眺望する。

「しかし、まさかギルーシュのやつとおまえが死力を尽くして戦う日が来るなんてね。あたしが卒業するときには想像もしなかったわ。おまえが総大将で、ギルーシュが軍師という構図はあたりまえに想像していたんだけどね」

「……」

 返事のしようのない感想を言われて沈黙するスレイマンを横目にみて、紫色の口紅の塗られた口角を吊り上げたヴァレンティナは肩を竦める。

「まったくどこでボタンを掛け間違えちまったんだか……。まぁいい。空はあたしに任せな。敵の空軍の責任者だっていうギルーシュの妹の首級はあたしがきっちりあげてやるよ」

「よろしくお願いします」

 皇帝と部隊長という身分差だというのに、二人っきりのときはつい学生気分で、先輩と後輩という関係に戻ってしまう。

「妹といえば、あんたの妹エトワールちゃんは、ギルーシュにフラれて修道院に出家したって?」

「ギルーシュのことよりも、グレンダの死に責任を感じてしまった、というほうが大きいと思いますが……。いずれにせよ一時的なことです。機をみて還俗させますよ」

「うん、それがいいね。ガルムあたりにくれてやったらお似合いじゃない。そして、あんたにはあたしなんてどお?」

 水着のようなバトルドレスの綺麗なお姉さんに間合いを詰められ、豊麗な双丘を胸板に押し付けられたスレイマンは、冷や汗を流しながら硬直する。

「……か、考えておきます」

「あはは、これも半分冗談よ。でも、女はグレンダだけじゃない。あたしはギルーシュみたいなヘラヘラとした掴みどころのない野郎よりも、くそ真面目なあなたのほうが好みよ。自信を持ちなさい。皇帝陛下♪」

 再び手すりに腰を掛けたヴァレンティナは、ウインク一つを残してそのまま後ろに倒れる。そして、頭から落ちていった。

 どうやら奔放な先輩なりに、自信喪失中の後輩を慰めてくれたらしい。

「そうだ。この国難を乗り越えて、帝国の体制を盤石にした三代目として、歴史に名を刻もう。そのためにギルーシュ、おまえを殺す。……どんな手を使ってもだ」

 かくして、戦機は熟した……かに思われた。

「さて、始めようか。かくて陽は沈む。太陽帝国最後の日だ」

 そうギルーシュは戦闘開始を告げた。

「太陽は決してなくならない。一日の終わりに姿を消しても、翌朝には雄々しく昇ってくる。太陽は我らに無限の力を与えてくれるのだ」

 そうスレイマンは戦闘開始を告げた。

 それぞれの指揮官の指示に従って、両軍合わせて十万人に迫ろうという大軍勢が一斉に動き出す。

「?」

 土煙をあげて突っ込んでくるかに思われた謀叛連合軍が、いっこうに近づいてこない。

 万全の迎撃態勢を整えていた帝国軍は困惑する。

「あの煙、遠ざかってないか……」

 私語する兵士は、スレイマンに睨まれて押し黙る。

 ほどなくして前線からの伝令が本営に駆け込んできた。

「クリシュナー王国、陣払いを行っています」

「な、この後に及んで逃げるというのか!」

 宿命の戦いに挑む覚悟をしていたスレイマンは、肩透かしを喰らって絶句する。

 生死を賭けた一戦が回避されたということで、安堵する兵士たちもいるなか、帝国軍の総参謀長イザークが口を開く。

「敵はどちらに向かっている」

「おそらく西!」

 伝令の答えに、スレイマンは我に返った。

「では撤退ではないな。目的地は……まさか」

「進路から予測して、おそらくマリーローズ城でしょうな」

 地図を指し示す老将の答えに、若き皇帝は激高する。

「っ!? よりにもよって、グレンダの愛した土地を戦場にするのか、ギルーシュ!」

「マリーローズの城代ゴドーは降伏も逃亡も潔しとせず、最後の一兵になるまで死守するでしょう。しかし、兵力が違います。謀叛軍の主力に攻められてはひとたまりもありますまい」

 アヴァロン帝国の興隆に欠かせぬ活躍をしたマリーローズ家。しかし、その献身的な活躍により、多くの親族は亡くなっており、未成年の一人娘が学生の身分で王位を継がねばならないほどに人材に窮していた。

 その一粒種の宝石たるグレンダが、不慮の死を遂げてしまったのだ。当然、後継者となる子供はいない。

 いずれ遠縁を探して、マリーローズ王家を継がせるとスレイマンは約束しているが、事実上は断絶状態だ。

 代理を任せているゴトーは歴戦の将ではあるが、士気の面で振るうはずもない。

「マリーローズを見捨てるわけにはいかない。そんなことをしてみろ、俺は忠臣を見捨てた皇帝ということになる」

 主君の主君たる所以は、部下が困っているときに助けてくれるからだ。それを怠った事例を作ると、他の部下の不信を招く。

 若き主君の決断を先回りして、イザークが注意を促す。

「これは我らを引きずり出す罠でございますよ」

「敵はギルーシュだ。罠があるのは百も承知。しかし、背中を見せた敵に追い討ちするのは戦の常道。常道こそ至高だ。邪道など太陽のまえの霜柱と同じ。踏み潰すまで。全軍、ただちに追撃せよ!」

 怒りに震えたスレイマンは進軍を命じる。

 かくして、高所に陣取っていた帝国軍は、転進する謀叛軍を追って平地へと降りた。

「帝国軍、追ってきます」

 後方から駆けてきた伝令の報告に、悠然と馬を歩ませていた謀叛軍の総参謀長シュヴァルツは無精髭を撫でながらニヤリと甥っ子に笑いかける。

「おまえの予想通り、見事に釣れたな」

「罠があるのを承知で、罠ごと噛み砕きにきているんだ。餌を撒く腕を食われないようにしないとね」

「もっともだ。全軍反転、所定の配置につけ」

 あらかじめ決められていた作戦である。シュヴァルツの用意していた伝令部隊が四方に走る。

 ギルーシュも馬を降り、簡易な本陣を立てさせると、床几に座った。

 ほどなくして帝国軍は、謀叛軍の最後尾を捕捉する。

 先鋒はリヒャルト将軍の部隊だ。主従の絆が強く、実戦経験も豊富と、このとき帝国軍にあっての最精鋭部隊であった。

 それが勢いに任せて、行軍する敵の背後から強襲する。

「伏兵の隠れられる地形ではない。思う存分に蹴散らせ!」

 逃げるウサギの群れに、獅子の群れが突撃した。そして、穴に落ちる。

 文字通り穴に落ちた。

 リヒャルト軍の先頭を駆けた騎馬武者たちは、当然、帝国軍屈指の勇士たちである。

 それがみな一合も交えることなく、馬体ごと穴に落ち、動けぬところを頭上から長槍で貫かれた。

「空堀だと」

 クリシュナーは鉱山国である。鉱山夫は沢山おり、穴を掘るのはお手の物だ。

 しかし、いくら得意技能とはいえ、即席で掘るには限界がある。つまり、いま掘ったものではなく、予めここが戦場になるとして、準備していたのだろう。

「仲間を救出する。続けっ!」

 穴に落ちた者たちが即死しているとは限らない。罠に嵌った部下を助けるべく、リヒャルト将軍は自ら刀を振るって馬上で奮戦する。

 謀叛軍は空堀の後ろに、柵を立てて応戦した。

「敵、迎撃態勢にあります」

 始まった戦いの報告を受けて舌打ちをするスレイマンに、補佐役のイザークが渋い顔で進言する。

「やはり罠でしたな」

「わかっている。ギルーシュのことだ。俺が追ってくると読んで、予めここに陣を作っていたのだろう。しかし、軍勢というのは、そう簡単に方向を変えられるものではない。背後はいぜん、我らが取っている。手を緩めるな」

 皇帝の判断に従って帝国軍は、空堀や柵といった障害物をものともせずに攻勢を続けた。

「帝国のために! 進め」

「邪悪な帝国の犬を殺せ!」

 柵を倒そうとする帝国軍と、それを守ろうとする謀叛軍で熾烈な攻防が繰り返された。

 そんな一進一退の戦いを本陣から眺望したシュヴァルツが、感嘆の声をあげる。

「思いのほかに帝国軍の士気は高いな。空堀をみたところで罠と悟り、怯むと思ったんだがな」

「スレイマンはそういうやつだよ。ジュリエッタ、模擬戦のときを思い出さないか?」

 ギルーシュの左後背に立っていた太腿を出し過ぎの魔女は、サイドポニーを風にたなびかせながら頷く。

「そうですね。あのときは最後の最後に、本陣に切り込まれてヒヤリとさせられました」

「きっとスレイマンのやつは今回も狙っているはずだよ。自ら本陣に切り込み、俺の首を斬るチャンスを」

「まさか皇帝だぞ。いや、若さゆえの暴走というのはありえるか? 準備はしておこう」

 納得したシュヴァルツは、軍の配置を整える。その間、前線から次々にくる報告を聞いて、ギルーシュは溜息をつく。

「あまり新参者ばかりを酷使したのでは、不満がでるか」

 謀叛軍で前線にいるのは、このたび進軍するにあたって協力を申し出た国々の兵だ。

 信用の低い者には前線に出てもらう。失っても比較的惜しくないという意味もあるが、彼らに手柄をあげて信頼獲得の機会を与えるという意味もある。

 だからみな奮戦してくれているが、何事も程度問題だ。

「アシュレイに伝令。好きに暴れていいと言ってやれ」

「ヒャッハー! アシュレイちゃんの出番だよぉぉぉ~♪」

 お姫様と思えぬ奇声を発して、箒に跨った二色髪の魔法少女は空中に舞い上がる。

 その後ろを補佐役たるノワールが大鳥に跨り、千騎ばかりの空軍を統括して続く。

「うわぁぁ、アシュレイ姫だ♪ アシュレイ姫様がいらしたぞ♪」

「姫様が見ておられるぞっ! 情けない醜態をさらすなっ!」

 国王の妹の姿を仰ぎ見て、クリシュナー王国の兵士たちは歓声をあげる。

 軍の指揮能力とかそういう小難しいことは関係ない。若く愛らしい姫様が空の高みにいてくれる。それだけで兵士たちは勇気づけられるのだ。

「ふふん、まるでアリンコの戦争みたいだね。あたいたちで決めちゃうよ」

 みなの歓声を受けて得意になったアシュレイが上空から援護攻撃をしかけようとしたときだ。

 帝国軍も飛行部隊をスクランブル発進させる。

「うわっと!?」

 その速度に驚いたアシュレイは慌てて回避するが、箒に跨ったままクルクルと回転してしまった。

 なんとか体勢を立て直したところで、改めて自分を狙った敵を睨む。

 そこにはいたのは、ピンク色のカーリーヘアーに全身にぴったりとした白地のレオタードという、悪い言い方をすれば痴女としか思えないど派手な装い女だった。しかし、そんな外見以上に、アシュレイを驚かせたことがある。

「エメラルダス王国が王女ヴァレンティナ、推参!? クリシュナー王国の王女アシュレイ姫とお見受けした。そのお命もらいうける!」

 そう大見得を切った敵に向かって、アシュレイは思わず質問してしまった。

「お、おぬし、動物も箒もなしに飛んでおるのかっ!?」

 そう驚いたことに、彼女は三又の鉾を一本持っただけで空を飛んでいるのだ。

 魔法で空を飛ぶといっても、箒や動物を利用するのが当たり前で、それらの補助なしに人が飛ぶなどという可能性を、アシュレイは考えたこともなかった。

 相手が驚いていることに、気をよくしたヴァレンティナは色っぽく笑いかける。

「帝国の魔法技術を舐めちゃだ・め・よ、田舎娘ちゃん」

「うぐぅぅぅっ!!!」

 期せずして、アシュレイの最大のコンプレックスをえぐる台詞だった。

 しかも、言い放った女はいかにも都会的でスタイリッシュ。アシュレイの美意識的には負けたと思える容姿であり、特技であった魔法でも、完敗しているようである。

「煩いババアっ!」

 少し涙目になったアシュレイは、激高して突撃する。

「ババアっていうな。せめてお姉さんといいなさい! あたしはまだ二十歳よ」

 箒で弾丸のように突撃してきた少女を、セクシー美女はひらりと躱す。

「二十歳過ぎたらババアなんだよ。あたいはピッチピチの十六歳だからね」

 小憎らしく舌を出したアシュレイは、箒で高速飛翔しながら魔法弾を連射する。

 それを泳ぐように避けながら、ヴァレンティナは肩を竦めた。

「これだから子供って嫌いよ。お仕置きしてあげる」

「ババア、やれるもんならやってみやがれ」

 売り言葉に買い言葉。なんと謀叛軍と帝国軍のトップ同士の一騎打ちを初めてしまった。

 母親の教育の賜物か、アシュレイの魔法技術は大人顔負けだ。さらにいえば飛翔するのには、体重が軽いほうが有利である。

 並の魔女ではできない速度で上下左右に動き回り、魔法弾を浴びせるが、ヴァレンティナは優雅に、まさに空を泳ぐ人魚の如くひらりひらりと躱す。

「くそ、オバサンの癖にちょこまかと」

「まったく、口が悪い娘さんね。センスは悪くないかもしれないけど、所詮は時代遅れの魔法使い。士官学校で出会っていたら、最新の魔法をきっちりと叩き込んであげたんだけどね」

 嘲笑したヴァレンティナは空中でなにもない空間を蹴った。まるで滝を登る鯉のように上昇する。

「逃がさない……っ!?」

 子供扱いされて頭に血が上ったアシュレイもまた、箒に跨ったまま急上昇した。しかし、天を見上げたアシュレイは眩しさに眉を顰める。

 時は正午になろうとしていて、太陽は中天にあったのだ。

「かかったわね」

 陽光を背負ったヴァレンティナは、両手で三又の鉾を持ち、細い腰を逸らせる。

「刻め、光輝く虹の一撃!」

 魔力を込められて何倍にも増幅された鉾が真下へと投擲される。

 追いかけっこに夢中になっていたアシュレイは、眼前に向かって放たれた巨大な魔力の一撃を避ける余裕がなかった。

「くっ」

 必殺の一撃に向かってアシュレイは顔面から突撃した。しかし、愛らしい顔は亡くなることなく、寸前のところで方向を変えてすれ違う。

 代わって地上で、クレーターができる。おそらく白兵戦をしていた両軍の兵士に被害がでただろう。

「ったく、大将同士の一騎打ちに割り込むなんて無粋ね」

 三又の鉾は再びヴァレンティナの手元に戻って来た。この槍を弾いたのは、刀を翳した大鳥騎士である。

 事態を悟ったアシュレイが裏返った声で叫ぶ。

「ノワール! よ、余計なことを。あたいは負けてないのに!」

「当然です。戦場で一騎打ちなど愚か者のすること! 全員でその頭のおかしい女を討ち取れ!」

「おう」

 ノワールの号令に従い、千騎の飛翔部隊が一斉に突撃を開始した。

 圧倒的な数の暴力にさらされたヴァレンティナはバク転しながら距離を取り、自らの部下たちの中に隠れる。

「いけぇ」

 帝国軍の飛翔部隊も迎撃する。両飛行部隊が入り乱れる全面戦闘が始まった。

 ヴァレンティナのような特殊な飛翔能力を持った者は、帝国軍にもそういないようで、みな普通に箒や動物に跨っている。おかげで飛行部隊の一騎ずつの力量はほぼ互角。

(これは消耗戦になりそうね。ちょっとヤバイかな)

 絶対兵力は謀叛軍のほうが多いのだ。互角ならば最終的に負ける。

 初見殺しに失敗したことを後悔しながら、ヴァレンティナは優雅に乱戦の中を泳ぎ回った。

「ふぅ、アシュレイのやつ熱くなりすぎだ」

 空中戦の行方を眺めていたギルーシュは、妹が事なきを得たことに安堵の溜息をつく。

「これで空も膠着状態になったな」

 同じ空を眺めていたスレイマンは、ヴァレンティナの奇策が失敗したのをみて、諦めの溜息をつく。

「はい。このまま互角に推移すれば、いずれ兵力に劣る我らの負けです」

 そう容赦なく追い打ちをかけたのは、帝国軍の総参謀長イザークである。

 現在、帝国軍は猛攻を加えているが、絶対兵力は謀叛軍のほうが数に勝るのだ。そのうえ空堀などを用意して守りを固めている敵に攻撃をしかけているのだから、被害は明らかに帝国軍のほうが大きい。

「わかっている。まだ届かないのか?」

「はい。今少しのご辛抱を」

 長年の戦陣暮らしの苦労から頭髪を失っている老人から期待した答えを得られなかったスレイマンは、恐る恐る提案する。

「ならば前線の兵に少し休憩させるか。みな朝から戦い通しで疲れていよう」

「いま攻勢を緩めれば、守勢となり流れは敵に傾きます。我らが互角に戦えているのは、攻勢にでていればこそです。戦も喧嘩も基本は同じこと。殴って殴って殴り続けるほうが勝ちます」

「単純だな」

 自分が生まれる前から勇将として知られた老人の意見に、スレイマンは苦笑してしまう。

「我らも苦しいですが、敵も苦しい。ここが胸突き八丁。我慢のしどころですぞ」

「そうだな……」

 剛直なる宿将から目を離したスレイマンは軽く深呼吸して、命の灯が消え続ける戦場を改めてみる。

「みんなよく戦ってくれている」

「はい。各戦線、すべて我が軍が押しています。特にガルムのやつは素晴らしい。あやつは単なる匹夫ではなく、将才も天性のものがありますな。これから経験を積めば、帝国を背負って立つ男にもなれましょう。さすが陛下の抜擢した者です」

 自分の手兵を預けたのだ。イザークとしても気になっていたのだろう。

 百戦錬磨の老将の評価に、スレイマンは我がことのように嬉しそうに頷く。

「あいつの強さは特別だからな。いかにギルーシュといえども持て余すだろう」

「臣下の力は陛下の力です」

 イザークからみれば、スレイマンは生まれたときから知っている孫のような存在なのだろう。たまに世辞を言ってくる。

 そうこうしているうちに伝令が駆け込んできた。

「陛下、お待ちの者、到着いたしました」

「待ちかねたぞ。そのまま突入させよ」

 歓喜したスレイマンを、イザークは諫める。

「まだ着いたばかりです。戦場で活躍させるには今少し準備が必要です」

「そ、そうか。急ぐ必要はない。万全の準備を整えさせろ」

「御意」

 それはスレイマンにとって、忍耐力の限界に挑戦する時間であった。

 中天にいた太陽が傾きだし、前線の兵士たちが疲労困憊となったころ、ようやく総参謀長から「いつでも行ける」との許可をもらう。

 待ちに待った報せに、スレイマンは万感の思いで胸を張り叫んだ。

「よし、陸龍を前進させろ。敵の前線を食い千切れ!」

 地響きとともに咆哮が、戦場に響き渡った。

 林檎の樹を薙ぎ払って進むは、黄土色の肌をした凶悪なる怪獣。背に跨り操るのは、華やかに着飾った若く美しい女騎士たちだ。

 その数、十頭。されど、十頭である。

 全身を覆う鱗は、降り注ぐ弓矢魔法をものともせず、強靭な前足に付いた鋭い爪で鋼鉄の鎧を引きつぶし、太い尻尾は人馬一体に薙ぎ払う。重い胴体は、柵や逆茂木を体当たりで押し潰した。そして、大きく開いた顎から吐き出される高熱のブレスである。

 その破壊力はまさに一騎当千だ。

 彼らが戦場に到着するのが遅れたのは、その鈍足ゆえである。

「ついに来たな。帝国の最強戦力」

 その威容に謀叛軍の将兵は戦慄し、帝国軍の将兵は歓喜した。

「陸龍に直接あたるな。魔法で威力を高めた大筒で対処しろ。的はでかい。撃てばあたる」

 帝国軍の力の象徴として軍事パレードなどで誇示されてきたのだ。

 できるなら、陸龍が投入されるまえに決着をつけたいと、謀叛軍は思っていた。しかし、希望通りに行かないだろうとも考えていたから、対策は立てていたのだ。

 特別性に強化された魔法が、陸龍に集中する。

 小さな山なら消し飛ぶほどの集中砲火がなされたが、陸龍の鈍重な歩みは止まらなかった。

 陸龍単体ならともかく、周りの兵士たちの援護があると、事前予測ほどの効果を発揮しない。

 せっかく手間暇かけて発射した大口径の魔法弾も、陸龍に着弾するまえに、帝国の魔法使いの張った魔法障壁で威力を減退されてしまうのだ。

「みな~、ありがとう~。あとひと踏ん張りよ。頑張って♪」

 陸龍乗りの女騎士たちは容姿で選ばれているところもあるので、疲労していた兵士たちも元気となり、いい姿をみせようと自らの身の安全を顧みずに奮闘している。

「あぁ~あ、見目麗しい戦乙女たちを傷つけるわけにはいかないと、ナイト気取りのお調子者たちが張り切っているな」

 笑うしかないギルーシュの横で、同じ光景をみていたシュヴァルツは、戦慄を隠し切れない。

「さすがは帝国軍の切り札。噂にたがわぬ凄まじい破壊力だな」

 陸龍を敵に回す怖さは、その圧倒的な戦闘力と美しい女騎士たちの激励だけではなかった。外見的な威容そのものが武器となっていたのだ。

 小山の如き巨体に迫られると、シュヴァルツほどの男でも畏怖されてしまう。

「このままでは戦線に穴が開く。ありったけの増援を送って補強せねばなるまい」

 動揺している叔父の提案に、ギルーシュは首を横にふるった。

「いや、ここは前線部隊に後退してもらおう。陸龍には持久力がない。すぐにバテる。そこを各個に撃破すればいい」

「しかし、ここで後退させるとなると、全面崩壊を引き起こす危険があるぞ」

 軍事専門家として、シュヴァルツは苦い顔をした。

 開戦から半日が過ぎ、最前線の兵士たちの疲労も蓄積されている。ここでの戦術的な後退は、そのまま全軍の潰走を誘発しかねない。まして、謀叛軍は急造の連合軍だ。どこで綻びがでるか予断を許さない。

「そこは従兄上や各国の王たちの手腕に期待ですよ。なに大丈夫、数ではこちらが勝っているのです。最終的な我々の勝利は揺るぎません」

 平然とした顔で応じたギルーシュだが、これは演技という意味合いもある。総大将が動揺をあらわにしたのでは、兵士たちに過敏に伝播して、本当に敗北してしまう。

「わかった。では、予備兵力の指揮は俺が執る」

「ええ、よろしくお願いします」

 軍事部門のトップが直接指揮する作戦である。ギルーシュも勝負所と腹をくくったということだ。

「遅滞戦闘をしつつ、後退だと……? 簡単に言ってくれるな、おいっ! まぁ、やつのことだ。ちゃんっと起死回生の罠なり策なり用意してくれているんだろうよ。工作隊、後ろに柵を作り直せ。退く前に地面に穴を掘って火薬を埋めるのを忘れるなよ」

 最前線で後退の指揮を執ったのは、シュヴァルツの息子にして、クリシュナー王国随一の闘将ウインザーだ。

 本営からの指示に暴言を吐きながらも作戦を敢行する。ただ言われた通りにするだけではなく、不用意に追撃してきた敵の足下を吹っ飛ばす魔法地雷を置き土産として配置しているあたり、彼もまた曲者ガーネルフの孫ということだろう。

「ウスノロの獣如きにいつまでもビビっているんじゃねぇ。逃げたやつは俺が叩き斬るからな。あのバカでかいトカゲと人間様では必ず歩速の差がでる。焦ることはねぇぞ!」

 段平を肩に担いだ強面のウインザーは最前線を縦横に走り回り、まさに猛将の名にふさわしい絶大な統率力を発揮してくれた。これにより、謀叛軍は全面潰走には至らなかったどころか、引き撃ちによる逆撃まで加えてみせたのだ。

「小癪な真似を」

 ムキになって攻めてきた帝国軍に、予備兵力を率いたシュヴァルツの伏兵が襲う。

「よし、いまだ放て!」

 ギルーシュの目論見通り、陸龍と人間では進撃速度が違った。

 十字砲火のただ中に誘い込まれた帝国兵は、たちまち薙ぎ倒される。

「よし、ざっとこんなもんよ」

 自らの功を誇ったウインザーが胸を張ったまさにその時、頭上から高熱のガスが降り注ぐ。

 味方の窮地に慌てて突進してきた陸龍の仕業だ。

「閣下っ!?」

 クリシュナー王国軍の至宝、鉄腕のウインザーの体は陸龍の大口から吐かれた高熱の息吹に飲まれたのだ。

 その光景をみた兵士たちは息を飲み、悲鳴を上げた。しかし、その声よりもでかい雄叫びが、上空より響き渡る。

「おりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 いつの間にか飛び上がっていたウインザーは、両手に持った段平で、陸龍を頭から股間まで両断してみせる。

 獣の血飛沫とともに、背に乗っていた女騎士は転がり落ちた。

「なんだ斬れるじゃねぇか」

 纏う鎧から煙をあげながらもウインザーは、何事もなかったかのように尻餅をついた女騎士の鼻先に大剣の切っ先を突き出す。

「ひぃぃ……」

 腰を抜かした女騎士に突き出された段平が横に払われる。

「おっと」

 重い刃音を立て段平が受け止めたのは、短い曲刀。

 自分に斬りつけてきた男の顔をみて、ドラゴンスレイヤーとなった男は、口角をつり上げる。

「おまえの面、覚えているぜ。あいつの女の仇だな」

「……」

 力任せに段平を払ったウインザーは、弾かれた青髪褐色の戦士に向き直り、改めて段平をたくましい肩に担いだ。

「ったく、恋人は女教師ってどこの艶本だよ。しかし、あの女が死んだのは俺の責任だからな。俺が仇を取ってやるぜ」

 戦場で兵士が死ぬのは当たり前だ。部下たちの死に一々責任を感じていたらキリがない。どこかで割り切るしかなかった。

 とはいえ、従弟の想い人を預かったのに殺されてしまい、さらに一ヶ月もの長きに渡り首級を晒させてしまったことは、ウインザーの胸中にシコリとして残っていたのだ。

「こい、帝国無双。ミンチにしてやる」

「よく吠えるな」

 ガルムはそれほど饒舌な男ではない。面倒臭そうに応じる。

 だれが命じたわけでもないのに、戦場の真っただ中、ガルムとウインザーの間には空き地ができた。

 帝国の生んだ最強の戦士と、クリシュナー王国の誇る最強の実戦指揮官の直接対決が始まろうとしているのだ。

 後世に語り継がれるだろう歴史の一場面を、みな固唾を飲んで見守る。

「いくぜぇぇぇ!!!」

 満腔の気合いの声とともに、巨大な段平を掲げたウインザーは駆けだした。それに向かって両手に曲刀を持ったガルムもまた疾走する。

 ガツン!

 腹に響く金属音とともに刃をぶつけあった二人は、次の瞬間には刃を激しく切り結びながら、さながら昇竜のように天空に舞い上がった。

 魔法で身体能力を強化させているからこそあり得る光景だ。

 最高点に達したとき、ガルムの右の曲刀が下から上へと切り上げた。

 サク。

 陸龍のブレスにも耐えた魔法障壁が切り裂かれ、ウインザーの右の頬から瞼の上を通って、右の眉毛の真ん中を、一直線に切り裂く。

「……っ」

 手傷を負ったウインザーは、バランスを崩して大地に落ち、片膝をつく。

「閣下っ!?」

「来るなっ!」

 周りの者が悲鳴をあげて助けに入ろうとするのを、一喝して押しとどめてウインザーは立ち上がった。

 しかし、右目の視界は潰れている。眼球は無事だったとしても、血が入って見えない。

「やるじゃねぇか、帝国無双」

 無傷なガルムはごく静かに応じる。

「あんたもなかなかだ。俺の太刀を浴びて立っているやつに会ったのは、本日、初めてだ」

「抜かせ、ガキっ!」

 吠えるとともに、ウインザーは再び段平を両手で持って斬りかかった。

 ガルムはごく冷静に受けて立つ。

 右目を潰されたのは、純粋なハンデであった。ガルムは敵の右に回り込みながら一方的に斬りつけ、ウインザーは防戦一方に追い込まれる。

「さっさとケリをつけさせてもらう。次にギルーシュを斬らなくちゃならないんでな」

 その呟きを聞いて、ウインザーは残った左目を瞠目させる。

(こいつマジか。本気でたった独りで戦場をぶち抜いて、ギルーシュを切るつもりかっ!?)

 ガルムの右腕は水平に薙いだ。ウインザーは鼻っぱしらが横に斬られる。しかし、闘将は倒れない。

「まだだぁぁぁ!!!」

 段平を大上段に振りかぶったウインザーは、渾身の気合とともに振り下ろす。

 しかし、ガルムは難無く左に避けた。

 ドン!

 空振りした段平は、大地にクレーターを造る。

 その威力のほどにみな驚いたが、それだけにウインザーの体は無防備となった。そこにガルムがトドメを刺そうと斬りかかる。

 パン! パン! パン! パン!

 軽い破裂音とともに、ガルムの周りで小さな礫のようなものが弾ける。いや、弾丸であった。

 狙撃手は、クリシュナー王国の大公シュヴァルツである。

「蒼い狼だか何だか知らないが、狼なんてものはな、人間様に狩られるもんなんだよ。撃てっ! 撃ちまくれっ!」

 自らライフルを連射するシュヴァルツの指示の下、全包囲からガルムに向かって弓矢弾丸魔法が雨霰のように浴びせられた。

 魔法という万能のエネルギーがあるせいで、良い武具を持った相手に対して飛び道具の殺傷力はほぼ無力化される。

 とはいえ、数は力だ。圧倒的な火力をぶつけられれば、いずれは魔法障壁も突破される。

「ガルム将軍、これ以上の前進は無理です。いったんお退いて態勢をお立て直しください!」

 陸龍の足を止められたとき、帝国軍は攻勢の限界に達していたのだ。

 各地の戦線でいっきに崩壊が始まっている。

 ガルムに従っていた兵士たちも、上司を守る肉の盾となって次々と死んでいった。その光景を黙然とみたガルムは、さすがにこれ以上の前進は不可能だと悟らざるを得なかったのだろう。踵を返すと包囲陣を切り裂き、後退する。

「ふぅ~、なんとか撃退したか。おい生きているか。俺の息子」

「オヤジ……」

 段平から手を離したウインザーは両手を左右に広げて仰向けに、地響きをあげながら倒れた。それを見下ろしながらシュヴァルツは豪快に嗤う。

「よし、ずいぶんと男前になっちまったが、なんとか生きているな。我が家の大事な跡取り息子に死なれたら、母ちゃんにどやされるし、戦争に勝っても歓び半減だからな。重畳重畳」

 シュヴァルツ率いる予備戦力の投入により、帝国軍の虎の子である陸龍を使っての攻勢は失敗に終わった。

「敵の布陣は崩れた。ここで勝負を決める。予、自らが太刀打ちに臨まん!」

 陸龍を突撃させた帝国軍にすれば、そのまま謀叛軍を蹴散らせれば最良である。

 しかし、そう上手くいかないだろうと覚悟もしていた。

 とはいえ、帝国軍必殺の兵科陸龍を止めるために、謀叛軍は全力を注ぐに違いない。

 その隙を狙っていたのだ。

「陛下、御武運を」

 本陣の守りを総参謀長のイザークに任せたスレイマンは、自ら馬に乗った。そして、剣を抜き放ち、陽光に振りかざす。

「親衛隊の者たちよ。いま栄誉と栄光は、キミたちの武器によってもたらされる。我らは敵前線を突破し、逆賊の主軸クリシュナー軍の本陣に突入する。首魁ギルーシュの首級は予、自ら挙げん!」

「うおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」

 武器を掲げて応じたのは、皇帝直属の近衛騎兵隊千人あまり。

 ここまで温存されてきた帝国軍の精鋭部隊だ。将来有望な貴族の子弟で構成されている。みな若く実戦経験は乏しいが、武具一式は真新しい。大半は士官学校の在校生および卒業生だ。当然、ギルーシュの顔を見知っている者も多い。

「出陣!」

 黄金の鎧兜に身を包み、青毛の馬に跨った凛々しき皇帝を中心に、近衛兵は乱戦の中に切り込む。

「どけどけどけー! 皇帝陛下のお通りだっ! 山猿どもが頭がたけぇ! 這いつくばって道を開きやがれ!」

 騎兵隊の先頭にて、頭のネジが飛んだ奇声を上げているのは、ナックラーグといって士官学校の武術部門では、ガルムに次ぐ成績だった生徒である。

 当然ながら、帝国貴族の名門出身で、父親は先帝ツァウベルンの親衛隊長をしていた。

 その出自に相応しく、ガルムとは違って、学識品格も備えた優男として知られていたのだが、はじめての実戦でハイになっているようだ。

 まさに狂戦士といった勢いで、道を切り開く。その後ろから皇帝を守った近衛兵は続いた。

 謀叛軍の強兵は、陸龍対策のため最前線に出張っている。つまり、一点を突破すれば、内部は柔らかい腸に過ぎない。

 その勇壮なる突撃に気づいた帝国軍の兵士は歓喜する。

「陛下が陣頭に出ておられるぞ! 遅れるな!」

「太陽帝国は永遠なり! スレイマン陛下万歳!」

 もはや心身ともにボロボロであった兵士たちが最後の力を振り絞って叫ぶ。

 その騒ぎから、謀叛軍も気づいた。

「あれは皇帝だ。皇帝スレイマンが最前線にでてきたぞ。一番の手柄首だ。きっと討ち取れ」

「皇帝まで前線にでるということは、もう予備兵力がないということだ。俺たちの勝ちだ」

 謀叛軍の前線指揮官は怒声をあげ、功名心に囚われた兵士たちが津波のように皇帝に殺到する。

 精鋭ではないといっても、数は力だ。

「皇帝陛下をお守りしろ」

「雑魚にかまうな。目指すは敵の本陣だ」

 近衛兵たちは必死に主君を守りながら、突き進む。しかし、払っても払っても、飴に群がる蟻のように謀叛軍は集まってくる。

 ドスッドスッドスッドスッドスッ……。

 天空から降り注いだ幾本もの、太く巨大な魔法の槍が謀叛軍の勇士たちの鼻先を掠める。

 見上げると蒼天には、華やかな人魚が泳いでいた。

「まったくもう、皇帝自ら陣頭とかやめてよね。これ学校の行事とは違うのよ」

 スタイリッシュを極めていた美女も、さすがの激戦にすすけている。

「みなで皇帝陛下を援護しなさい。スレイマンが敵の本陣に突入する道を作るのよ」

 ヴァレンティナの指揮の下、上空から魔法の槍が雨となって降り注ぎ、皇帝の進むべき道を強引に作った。

「先輩、ありがとうございます」

「早くいきなさい」

 元生徒会長の叱咤を受けて、スレイマンは馬を駆ける。

「ったく、いつまでも手をやかせるんじゃないわよ」

「戦場でよそ見とは余裕ですね」

 悪態をついた華やかな人魚に、大鳥を駆った黒髪の騎士が斬りかかる。

「ババア、死ねぇぇぇ」

 幼女の物騒な叫び声とともに、ヴァレンティナの脇腹に魔法弾が命中した。

「うごっ!」

 帝国空軍も決して余裕があったわけではないのだ。それが地上の掩護に集中した結果、みな蚊蜻蛉のように落とされていく。

 敬愛する先輩の悲鳴を聞こうと、仲間が絶命する断末魔を聞こうと、スレイマンは振り返らない。目的地に向かって、一直線に駆ける。

「あの野郎、本気で俺の首を取りに来やがった……」

 狙っているだろうことは予想していたが、まさか現実になるとは思っておらずギルーシュは呆れる。

「長槍隊横列陣形で、前へ!」

 指示を出したのは、ムチムチの太腿を誇示する魔女ジュリエッタだ。

 予備戦力を、叔父シュヴァルツに任せて前線に投入したとはいえ、本陣の守りを空にしているはずがない。

 もしものときに備えて、対策はしていた。

 分厚い槍衾に行くてを阻まれたスレイマンたち近衛兵の騎馬は足を止める。

 そこにギルーシュの哄笑が浴びせられた。

「スレイマン、おまえが俺の首を狙ってくるのは、想定内だ。そこでなにもなすことなく死ね」

「おのれ! ギルーシュ……」

 動きが止まったら、周りから謀叛軍が殺到する。それを近衛兵が必死に防ぐ。

「陛下っ、どうする? このまま突っ込むか、回り込むか」

 退く選択肢はない。そして、停滞は最悪である。

 ナックラーグら側近から早く決断するように迫られて、スレイマンは歯噛みをした。

 いずれも成功する隙を見いだせなかったのだ。

「魔法、放て」

 敵にゆっくりと考える時間を与えてやる理由のないジュリエッタは、槍衾の後ろから魔法攻撃を命じる。

 いくつもの魔法弾が降り注ぐが、皇帝および近衛兵の纏う魔法障壁は強固であり、そう簡単には突破しない。

 しかし、数が重なれば削られる。

(くっ、このまま強引に進んでも無理だ。どこか、どこかに突破口はないのか)

 必死にあたりを探るスレイマンの姿を、ギルーシュは高みの見物をする。

(まぁ、殺すことはないな。上手く追い込んで捕虜にできれば、戦後の統治にも役立つだろう)

 そんな余裕の思案をしていたギルーシュの背後から、突如、戦の音が上がったのだ。

「なんだ?」

 さすがに意表を突かれたギルーシュは、驚き振り返る。

 謀叛軍の背後から強襲した部隊。それは……。

「お嬢様の仇だ。マリーローズの兵士たちよ。亡きグレンダ姫の無念を晴らすために戦え! にっくきギルーシュの首を上げよ!」

 マリーローズ王家の留守を預かるゴドーであった。

 自城が狙われていると知ったゴドーはただちに籠城戦の用意をしていたが、近くで決戦になっていると知って飛び出してきたのだ。

 彼の心は、激しく後悔に苛まれていた。

 いまさらスレイマンとギルーシュの和睦など不可能であるとわかっていたのに、未熟な姫様の儚い希望を優先させて実現させてしまったのだ。

 しかも、会見の席に、男装を好むグレンダにドレスで正装することを勧めたのも自分である。

 もし、あのとき普段の女騎士装束であったなら、ギルーシュの卑劣な剣が胸に刺さることはなかったかもしれない。慣れないスカートのせいで動きが鈍ったのではないだろうか。

 そう考えると夜も眠れぬほどの後悔が、煮え立つように襲ってくるのだ。

「ギルーシュの胸に刃を突き刺し、心臓をえぐり取り、お嬢様の墓前に添える。殺せぇぇぇ!!! 簒奪者とその一味を殺し尽くせぇぇぇ!!!」

 筆頭家老の無念の想いは、マリーローズ王家の扶持を食むものにとって共通のものであった。

 しかし、当主不在で落ち目の王家に残った者は少ない。その兵力は百騎もいなかっただろう。

 この程度の兵力では、決戦になんら影響を与えられない。そうわかっていてなお、抑えられなかったのだ。

「慌てるな。敵は少ない。確実に討ち取れ」

 迎撃に当たったのは、謀叛軍の副将格たるドラグレナ国王である。

 ギルーシュは、このもっとも信頼している母方の伯父に輜重隊を任せ、後方に置いていたのだ。

 つまり、精兵ではなかった。死兵の群れにてこずる。

「お嬢様ぁぁぁーーーッ!」

 打算も計算もない。ただ狂おしい怒りの感情に任せた突撃を、ドラグレナ国王は兵力に物を言わせて壊滅させる。

 大量の弓矢を受けたゴドーも、全身をハリネズミのようにして討ち死にした。

 しかし、このイレギュラーの登場によって、ギルーシュの本営の守りに動揺が走る。

 乱れた槍襖の狭間に、スレイマンは馬首を突っ込ませた。

「ギルーシュ、今度こそ俺の勝ちだぁぁぁ!」

 馬の前足を高くあげ、輝く剣を翳したスレイマンと、床几に座ったギルーシュが、互いに肉眼で相手を確認した。

 ギルーシュのまえに、長巻を持ったバイアスが立ちふさがる。

「赤鬼め、陛下の邪魔はさせん」

 スレイマンに続いて最終防衛ラインを突破してきた近衛兵たちが馬上槍を構え、左右からバイアスに特攻する。

 完全武装の騎士を倒すのは容易なことではない。それはバイアスといえども例外ではなかった。

 不動の壁の如き存在が、どかされる。

 ついに、ギルーシュとスレイマンの間に、阻むものはなくなった。

 ギルーシュは慌てて、剣を抜く。

「死ね!」

 文字通り血光をたたえたスレイマンは、馬上から剣を振り下ろす。床几に座った状態のギルーシュは剣を振り上げる。

 二振りの剣が激突し、ギルーシュの手から剣が吹っ飛んだ。

「っ!?」

 ギルーシュは、スレイマンと自分の個人技の技量は互角ないし、自分が勝ると思っていた。

 しかし、座った状態で受ける剣と、馬上から振り下ろされる剣では威力が違ったということだろう。

 いや、それ以上に覚悟の差が剣圧に宿ったのかもしれない。

 床几に座ったギルーシュは丸腰となり、馬上のスレイマンの手には血刀がある。

「もらったぁぁぁぁ!!!」

 万感の思いの籠った、渾身の一撃が振り下ろされる。

「っ」

 凝然とするギルーシュは、眼前の騎馬武者を見上げることしかできなかった。

「ギル君!」

 凶刃に向かって背を向けた、クリーム色の髪をサイドポニーにした女が飛び込み、ギルーシュの両肩を抱いて覆いかぶさってきた。

「なっ!?」

 スレイマンの持つ剣は、正真正銘の国宝だ。

 皇帝が持つにふさわしい優美さと、切れ味を誇った。

 それが馬上から勢いをつけて振り下ろすのだ。たとえ強力な魔法障壁を纏っていようが女体など骨ごと両断し、その奥の目標を斬ることができる。

 多くの仲間を捨て石に、万難を排して、ただ宿敵を討つべく、すべてを賭けてここまできたのだ。それ以外の選択肢はない。

 しかし、刃を振り下ろすスレイマンに甘さがでた。ここに至って女を斬ることを躊躇ってしまったのだ。

(グレンダ……)

 状況が状況だ。自分の刃のまえに飛び込んで死んだ女の幻と重なってみえてしまったのではないだろうか。

 その心の弱さゆえに秋水の刃は、女の背中を浅く傷つけるにとどまる。しかも、猛り狂う馬の不安定な鞍の上で、強引に剣を引いたものだからバランスを崩す。

「邪魔だ!」

 自分のために身を投げ出してくれた女を払いのけたギルーシュは、座っていた床几を持ち上げて、スレイマンの顔にめがけて投げつける。

「ギルーシュ、貴様!」

 おかげで完全にバランスを崩したスレイマンは、馬上から転げ落ちてしまった。

 即座に立ち上がり、再度、宿敵に剣を向けたとき、そこには赤い竜巻が割り込んでいた。

「ふぅぅぅぅぅ」

 背中から蒸気が立ち上るかのような鬼神の覇気にスレイマンは飲まれる。

 しかし、ここで怯むわけにはいかない。激情のままに果敢に切り込む。

「下郎、どけっ」

「ふん」

 名剣の一撃を、無骨な長巻が払う。右から左から、下から上から。防戦一方に追い込まれたスレイマンは後ろに下がってしまう。

 瞬殺されなかったのは、よい鎧兜をつけていたからだ。バチバチと魔法障壁が削られている。

 スレイマンは勇士ではあったが、呼吸する破壊衝動のような相手をひとりで捌ききれるものではない。

「陛下っ!?」

 見かねた近衛兵たちが援護に駆け付けるが、そもそも敵地のど真ん中。四方八方から襲われて、たちまちのうちに数を減らしていった。

 窮地に陥るかつての親友の死闘を横目に、ギルーシュは身なりを整えて立ち上がる。

「ジュリエッタ、大丈夫か?」

「……あ、はい」

 サイドポニーの魔女はムチムチの太腿を開いて腰を抜かしている。おかげでミニスカートが腹巻のように捲れて、白い布を丸晒しにしてしまっているが、自覚する余裕はないようだ。

(あ~あ~、そんな短いスカートを穿くから。こいつ真面目な顔していつもエロい太腿さらしているよな。痴女なんじゃねぇ?)

 命の恩人たる女性に失礼な感想を持ったのは、現実逃避だったのかもしれない。否応なく聞こえる苛烈な剣戟に、ギルーシュは厭々ながら視線を向けた。

 血飛沫舞う壮絶な白兵戦が展開されている。とはいえ、ここは謀叛軍の中枢だ。数が違う。

 攻防は一方的だ。帝国近衛兵はみな馬を失い、十人ばかりで必死にスレイマンを囲っている。

 もはや逃亡の道はない。降伏か討死かの二択しかない状況だ。

「さて、そろそろいいだろ。スレイマン、降伏し……なんだ!?」

 勝ちを確信したギルーシュが投降を呼びかけようとしたとき、さらに一騎飛び込んできた。

 そのものが馬上で短い曲刀を振るうと、鎧をきた人が紙のように切り裂かれ、悲鳴とともに血柱が噴き上がる。

「ガルムだと!」

 驚愕するギルーシュに背を向けて、バイアスが立つ。

 青き髪の勇者は、主君を自らの馬の鞍のまえに抱える。

「……」

 ダークサファイアの眼光が、ギルーシュを斬る。

 それだけで本当に斬られたような気分になり、ギルーシュは動けなかった。

 バイアスが立ちふさがってくれていなかったら、本当に斬られたのではないだろうか。

 ガルムはなにも発さずに、スレイマン以外の仲間になど目をくれず、馬を再び駆けさせた。

「……逃げたか。ふぅ」

 安堵の溜息をついたギルーシュは気を取り直して、未だに残っている皇帝の近衛騎士をみる。

「ナックラーグ。スレイマンは逃げたぞ。もういい、おまえはよくやったよ。武器を捨てて投降しろ」

 ここまでの中央突破の先頭を切ってきた男だ。五体満足とはいかず、全身朱に染まっている。

「へっ」

 もはや満足に話す力が残っていなかったのだろう。薄笑いを浮かべたナックラーグは、満身創痍の体で斬りかかってきた。それに残りの者たちも続く。

 やむなく圧倒的な兵力で全員を討ち取ったときには、ガルムの騎馬は遠くなっていた。

(あれ、本当に人間か?)

 お荷物を抱えた状態で、たった一騎、大軍をぶち抜いていくのだ。

 戦慄したギルーシュだが、声を大にして叫んだ。

「なんとしても皇帝スレイマンを討ち取れ。皇帝の首級をあげれば死しても歴史に名は残り、生きてはこの世の富貴を楽しめるぞ。一兵卒でも王侯貴族に列せられる千載一遇の好機を逃すな!」

 その檄を聞くまでもなく、謀叛軍の兵士たちは必死にスレイマンに追いすがった。

 五万人もいるのだから、武勇自慢はいくらでもいる。しかし、それが悉く返り討ちとなり、ガルムはついに帝国軍の本営へと駆けこんだ。

「陛下、よくご無事で。ガルム、よくやったぞ」

 皇帝自らが行った乾坤一擲の突撃が失敗におわり、帝国軍は敗走状態になっていた。

 敵地深くに切り込んだ主君の生還を絶望視していた総参謀長のイザークは、涙を流して喜んだ。

 一方で無理やり馬の鞍に押し付けられているスレイマンは、なお意気軒高だ。

「何たるざまだ! まだ終わってはいないぞ! 逃げた兵士たちを呼び戻せ! 太陽帝国皇帝はまだ健在だと、触れ回るんだ!」

 マントは裂け、兜を無くし、胸鎧に刀疵をつけた血糊塗れの姿になって帰ってきたスレイマンに、イザークは言い聞かせる。

「いえ、本日はここまででございます。勝敗が決した戦場で無理をしても、それは傷を広げるだけのこと。後日を期してお退きください」

「嫌だ! 俺はギルーシュとここで決着をつけると決めている! ここで負ければ、俺は死ぬ。そう神に誓った! 死に物狂いで戦う者にこそ、神の恩寵はあろう!」

「神頼みなどという、情けないことをおっしゃいますな! 帝都にはエトワール姫をはじめとした一族の方々がおられましょう。陛下は臣民はもとより、ご家族への責任もあるのです。どうか、一時の恥を忍んで捲土重来をおはかりください」

 激昂する若き主君を茹蛸のようになって一喝したイザークは、主君を押さえている勇士に目を向ける。

「ガルム、連れていけ」

「嫌だ。ガルム、離せ。俺はここで最後まで戦う」

 泣きわめく主君を無理やり押さえつけて、ガルムは馬に拍車を入れた。

「陛下、おさらばでございます」

 逃亡する主君の騎影に、イザークは深く首を垂れた。そして、向きを変える。

「さて、殿はわしが務める。ここを死に場所と決めたものは残れ。まだ戦えるものは帝都にいき、陛下のお力となれ!」

 戦争の責任者が現場から消えたことで、最後まで奮闘していた帝国軍の兵士たちも退却を始める。

 帝国軍が敗走したのをみて、ギルーシュは叫ぶ。

「皇帝を逃がすな。帝都まで追撃せよ。この機に帝都を落とす」

 大決戦の勝利の戦果として、帝都を落とすのと落とさないのでは、戦後の影響がまったく違ってくる。

 勝利の余勢を駆った謀叛軍は追撃戦を開始した。それをイザーク率いる殿が受け止める。

「ちー、大将軍イザークか。化石みたいな爺が邪魔をする」

 殿軍の兵数は多くはなかったが、まるで石のように動かない。百戦錬磨の老将に、死兵を率いて抵抗されると、突破するのは容易なことではなかった。

「ここでスレイマンのやつを取り逃がすと、これから何十年という戦争をすることになるぞ」

 なかなか崩せぬ小石をまえに、ギルーシュが焦りを隠せないでいるときだ。

 ドォォォォン!

 突如として、盛大な破壊音がした。

「なにっ!?」

 みなが音の原因に視線を向ける。それはみなの目的地であった。

 帝都ティティスにいくつもある尖塔。その中でも特に目立つ尖塔が一つ崩壊していたのだ。そして、盛大に土煙と火の手を上げている。

「すわ、裏切り者か!?」

 そういう疑惑が帝国軍のすべての兵士の脳裏に浮かんだのは仕方のないことだろう。実際、この会戦が始まるまでに数多の裏切り者を出しているのだ。

 これが最後まで戦おうとしていた兵士たちの士気を砕いた。

 帝都には戦っている兵士たちの家族がいるのだ。どんなに覚悟を決めた者であっても、祖父祖母、父母、夫妻、恋人、兄弟姉妹、娘息子の心配をしないではいられない。

 兵士たちが、なぜ命を投げ出して戦えるのか。それは帝国のためという大義の向こうに、愛する家族のため、という本音があるからだ。

 その守りたい家族が危機にさらされている光景を見せられたら、気もそぞろとなり本来の力を発揮できない。

「さすが先生のお兄さんだ。ぬかりないな」

 原因を、ギルーシュは一瞬にして理解する。

 おそらく、いや、間違いなく、帝都に潜入してもらっていた今は亡き恋人ヘレナの兄の仕業だ。

 いつも自分の味方をしてくれた女教師からの愛を感じずにはいられない。

「いまだ、帝国軍を一気に駆逐しろ!」

 世界帝国を築く一助となった老将が、最期と定めた陣が無残に崩れる。

「これが当代の奸雄というものか。……マクシミリアンのやつと対峙した敵はみなこのような気分であったのだろうな」

 打つ手を失ったイザークは、亡き主君の見せた様々な表情を思い出して苦く笑う。

 最後まで付き従った兵士が次々に討たれ、自分の番を待つ老人の傍らに、いつの間にか影のような男が立っていた。

「おまえか。おまえとも長い付き合いとなったな」

「イザーク、おまえの首。わしにくれ」

 その不穏な申し出に、イザークは痛快に笑った。

「あははっ、なるほど。我らが築いた帝国を、むざむざグレゴールの不肖の弟子如きにくれてやるのは惜しいな。上手く使えよ」

「陛下の御前で再びまみえよう」

 バン!

 老将の頭部が、両肩から落ちた。

「追撃の手を緩めるな。必ず帝都を落とす。皇帝スレイマンの首をあげるまで走れ」

 決戦場から帝都まで、謀叛軍は駆けていた。

 勝利の成果を最大限に得ようと必死のギルーシュの下に、大きな歓声とともに迎えられた者がいる。

「陛下、陛下、どこにおわす。良き首級を挙げましたぞ。太陽帝国大将軍イザークの御首級にございます」

「おお、それはお見事でございます」

「やりましたな。恩賞が楽しみですな」

 首実検など後にしろ、といいたいところであったが、帝国軍のトップの首級だ。

 無視するわけにはいかず、謁見に応じる。

 拍手に迎えられて首級を持った兵士は、ギルーシュの前に進み出た。

 禿げ上がった老人の顔。たしかに帝国建国の功臣の一人イザーク将軍のものだ。

「よくやってくれた」

 称揚しようと若き王が栄誉の騎士に近づく。その狭間に長巻を持ったバイアスが割って入る。

「まて。てめぇなにするつもりだ」

「な、なんのことでしょう……」

「その手の内側。刃を隠しているな」

 ガルムの指摘と同時に、ギルーシュは距離を取った。

 ピーーー!

 笛の音とともに、首級を持った騎士の背後から一つの影が飛び上がった。そして、上空からギルーシュに襲い掛かる。

 その者の顔には、白い髑髏の仮面。

「骸衆っ!?」

 帝国の誇る暗殺部隊だ。

 かつて帝都を脱出したギルーシュを、クリシュナー王国領に入るまで執拗に狙ってきた。

 そのたびにバイアスに撃退されていたから、もはや組織として維持できる人員もいないのではないかと思っていたのだが、どうやら、ずっと機会を狙っていたようである。

 皇帝の命令というよりも、仲間の仇討ちという意味もあったかもしれない。

 首実検のどさくさに紛れてイザークの首級を持参することで、ギルーシュの傍に近づき暗殺する。これが起死回生の策だったのだろう。

「ふんっ」

 バイアスは長巻を突き上げ、空中から襲う刺客を刺し貫く。否、なんと刺客は自らの胴に入った刃を両手で掴み、自らの腹に抱え込んだ。

「っ!?」

 みなの注意が空に行っている隙に、イザークの首級を投げ捨てた者が声もなく、バイアスの脇を駆け抜けようとした。

「……」

 どうやら空中に跳んだ敵は、予め己が命を囮にしてバイアスの得物を封じる策だったらしい。

 バイアスの膂力ならば、並の人間など片手で振り回せるが、どうしても動きは遅くなる。

「させるかぁぁぁっ!」

 右手で持った長巻を諦めたバイアスは、丸太のような左腕の裏拳で、傍らを駆け抜けようとした暗殺者の胸を殴りつけた。たまらず暗殺者は錐揉みをしながら吹っ飛ばされる。その際、バイアスの左腕の肩口を、軽く刃が掠めた。

 大地に倒れた暗殺者はさらに起き上がろうとしたところを、周りにいた衛兵たちの振り下ろした四本の刀槍で串刺しにされる。

「ぐぁ、残念。こ、これにて骸衆もしまいだ……ふっ」

 最期に恨めし気にバイアスを睨んだあと、卑劣なる暗殺者は事切れた。

「アニキ、大丈夫?」

「ああ、かすり傷だ」

 修羅場が終わったことを察したギルーシュは、恐る恐る倒れている者の顔を確認する。意外と年配者だ。老人といっていい。

「年齢的にみると、マクシミリアンの時代から活躍していそうだ。もしかして、彼が骸衆の頭領だったのかな。本人の申告を信じるならば、これで骸衆も壊滅したみたいだね」

「ああ」

 事実上、骸衆はバイアス独りに潰された、といって過言ではないだろう。

 生き残っていた者たちで行った最後の奇策の成果として、ガルムの左肩に浅い傷を一本つけたわけだ。

「暗殺なんて汚れ仕事はしていても、彼らの帝国への忠誠心は本物だったということだね。一般の兵士たちと同じように手厚く葬ってやろう」

 ギルーシュの言葉に反対する者はいなかった。

「それよりも、いまは帝国軍を徹底的に追撃するほうが大事だ」

 逃亡する帝国軍は、みな帝都内に逃げ込んでいくが、なかには例外もあった。

 リヒャルト将軍の部隊は、進路を変えて去っていく。

「逃亡か」

 このまま帝都の中に逃げ込んでも未来はないと考えたのだろう。

「まぁいい。逃がしてやろう。いまはとにかくスレイマンだ。帝都に急げ」

 こうして帝都にたどり着いた謀叛連合軍は、勢いのまま帝都に雪崩れ込もうとしたが、城門前の橋を渡ろうとしたところで急停止した。

「正面門の前にガルムがいますっ!!!」

 あの鉄腕のウインザーすら圧倒し、大軍のただ中を皇帝を抱えて脱出してみせた使い手ということで、謀叛軍の中では恐怖の代名詞となって刻まれてしまったようだ。

 勝ちに勢いづいていたはずの兵士たちも、悲鳴をあげて立ち尽くしている。

 ギルーシュも様子を見に行くと、城門前の跳ね橋の上に一人の男が胡坐をかいて座っていた。

 青い短髪に、褐色に日焼けした肌、体にぴったりとした光沢のあるバトルスーツを纏う。目の前に二本の短い曲刀を置いて、軽く目を閉じて休んでいる。

 見間違えるはずもない。帝国無双の勇者ガルムだ。

 その位置に陣取られると、城壁にかかった魔法のせいで、飛び道具はほぼ無力化される。となると白兵戦で排除するしかない。

 帝国軍の兵士たちはガルムの左右を通って、城内に逃げ込む。元気な者は、ガルムの後ろに座って控える。

 どうみても死兵だ。ガルムをはじめ、みんなここで斬り死にする覚悟を決めている。

(ガルムの意図は明確だ。ここで少しでも時間稼ぎをして、船でスレイマンを落ち延びさせるつもりだ)

 そうとわかっていても、畏怖されてしまった謀叛軍の兵士たちは、遠巻きにしているだけで近づけない。

「いくら強いといっても、一斉に飛び掛かれば討ち取れる。勇名をあげる好機だぞ。いけっ!」

 指揮官がそう命じても、だれも動けなかった。その指揮官も自らは近づこうとはしない。

 たしかに怖い敵は一人である。大勢で囲めば討ち取ることはできるだろう。しかし、それまでに何人の兵士が切り殺されるか。

 人間、命は一つである。殺されるとわかっていて、進み出る勇気のあるやつは稀だ。

 まして、もう勝ちが見えた戦で、そんな危険は冒したくないのだろう。

 そこでギルーシュは指示を出す。

「遠戦で仕留める。弓箭隊、鉄砲隊、魔法隊、前にでよ」

 各部隊から集められた弓士と銃士、そして魔法使い。合計千人あまりが、ガルムを半包囲する形で照準を合わせた。

 城壁にかかった魔法により、弓矢鉄砲魔法などが無力化されることは知っている。しかし、何事にも限界はあるだろう。物量で押し切る。

「撃て!」

 ズドドドドドドドトドォォォォォン!!!

 耳をつんざく雷鳴の如き銃声と、空を覆わんばかりの弓矢、そして、目を焼くほどの魔法光が走った。

「やったか……?」

 半信半疑にだれかが呟いた。

 視界を覆っていた土煙が晴れる。

 跳ね橋の上でガルムは何事もなく座っていた。もちろん、城壁はこゆるぎもしていない。

(これがマクシミリアンの遺産か)

 世界を征服した帝国の土木技術と魔法技術は凄かった、と称えるしかないだろう。

 こうなるといよいよ白兵戦で突破するしか手がなくなった。しかし、死ね、と命令を下すのは重い。ギルーシュはためらった。

 それをみて叫んだ者がいる。

「国王陛下も見ておられるというのに、なんてザマだ! 俺が行く! 我に続け!」

 ドラグレナ王国から出奔し、傭兵としてクリシュナー王国に入ったロベルトであった。

「お父様っ!?」

 ギルーシュの傍らにいたジュリエッタが跳ね上がる。

 嫁ぐ前のヒルデガルドの従騎士だったという彼は、ヒルデガルドの子であるギルーシュに対しても、過分な思い入れを持ってくれているようだ。

 その献身はありがたいのだが、ガルムに勝てるとはとても思えない。突撃したところで無駄死にである。

 ギルーシュは、ジュリエッタに止めに行くように命じた。

「ここが陛下の正念場ぞ。俺がなんとしても、やつの動きを止める。最悪、俺ごとやつを刺し殺せ」

「お父様、騎士としての本分、きっとお果たしください」

 止めに行ったはずのジュリエッタが感化されてしまった。

 そして、戟を構えたロベルトは、百人あまりの兵士の陣頭に立って跳ね橋へと突撃した。

 ドッドッドッドッドッドッ!!!

 馬蹄が木橋を蹴る、凄まじい轟音。

「……っ」

 かっとダークサファイアの両目を見開いたガルムは、素早く曲刀を一つ手に取ると投擲した。

 ドス!

 陣頭を駆ける騎乗のロベルトの喉に突き刺さった。そして、その投げた曲刀と同じ速さで駆けたガルムは、曲刀を引き抜くとともに、組頭を殺されて混乱する周りの騎士たちも斬り伏せる。いや、屠っていった。

「ガルム将軍にだけご負担をかけるな! 帝国の意地をみせよ!」

「ロベルトさまの仇だ! 数で押しつぶせ!」

 仲間の死に激怒した謀叛軍の兵士たちが次々と突撃していく。ジュリエッタもまた続こうとしたが、それは駆けつけたギルーシュが背後から抱きしめて止めた。

「キミは怪我をしているんだ。やけておけ」

「しかし! 父が!」

「キミの死に場所はここではない。お父上が亡くなった以上、その勇姿を故郷に語り伝える義務がある」

 その間にもガルムに続く決死兵たちと、ロベルトに続いた勇士たちの間で行われた死闘は続いた。

 機先を制されたとはいえ、数は謀叛軍のほうが多いのだ。負けてはいない。跳ね橋の上という狭い空間だけに一度に戦える兵士の数は十人前後であったが、空きができると新手が次々に突っ込んでいく。

 とはいえ、損耗率の差はだれの目にも明らかだった。

 帝国軍の兵士一人を倒すのに、謀叛軍は三人を倒されている。

 それもこれも陣頭で奮闘するガルムのせいだ。

 帝国軍の兵士を三十人ばかり倒したころには、謀叛軍の死傷者は百人を超えていた。ついに心を挫かれた謀叛軍の兵士たちは全員、跳ね橋から逃げ出す。

「うわわわわぁぁぁッ!!!」

 城兵たちは歓声をあげる。

「ガルム! ガルム! ガルム!」

「ガルム将軍、ばんざーい!」

 まさに英雄だ。しかし、当のガルムは、屍山血河の中を何事もなかったかの如く悠然と歩いて元の位置に戻ると、先程と同じように血塗られた二刀を眼前に置いて腰を下ろした。

「やつは鬼神か……」

 まったく無傷なガルムの姿に、遠巻きにしている謀叛軍の兵士たちは戦慄している。

「お父様……ひっく、ご立派でございました」

 ムチムチの太腿が崩れたジュリエッタは、四つん這いになって鼻水まで流して泣いている。

(また丸見え。おまえな、そんな見えやすい恰好するなら、もっとお洒落なものを穿いておけよ。おまえのは生々しすぎるんだよ)

 やむなく父親を失って悲嘆に暮れている少女の背後に立ち、短すぎるスカートの中身を隠してやりつつ、ギルーシュは天を仰ぐ。

(それにしても、母上に合わせる顔がないな。……しかも、これで兵士たちはさらに萎縮してしまった。このままではみすみすスレイマンを取り逃がす。そうなれば帝国に忠誠を尽くす諸国を転々としながら執拗な抵抗をされ、終わりなき泥沼の戦を続けることになる。……それは避けたい)

 いまの戦いは、突撃した謀叛軍が一方的に負けたようにみえて、その実、そう悪い結果ともいえない。

 絶対の兵士数が違うのだ。

 謀叛軍にとっていまさら百人の死傷兵など誤差の範囲だ。しかし、ガルムに従う兵たちに補充は利かない。

(とはいえ、あのガルムが傷付くさまなんて想像できないんだよな。そう、問題はガルムだけなんだよ。あいつさえどうにかできれば……)

 再度、同規模の部隊を突撃させられれば、いかにガルムといえども討てる。平然とした顔をしていても、ああやって座っているのは、少しでも休み体力を温存回復させておきたいからだろう。どんなに強い勇者といえども、体力は有限なのだ。

 とはいえ、いまさら真正面から突撃する勇気ある兵士たちがそう残っているとも思えない。

「ゴホン」

 わざとらしい咳払いでアピールされたので、そちらに顔を向けると、赤毛の巨人が胸を反らして立っていた。

 いわんとしていることを察して、ギルーシュは恐る恐る質問する。

「アニキは、ガルムに勝てる?」

「千武流は世界最強だ」

 ギルーシュがみたことのある最強の戦士。それは間違いなくガルムだ。

 心技体のすべてのバランスがいい。

 世界を征服した帝国軍の最高峰にあって、最新の軍事技術を学び育った存在だ。まさに戦うために作られた機械。キリングマシーンだ。

 一方のバイアスは、野に育った人材だった。だれかに師事を受けたわけではなく、ただただ幼少のころから力が強く、体も大きかったゆえに、どこまで強くなれるかと自分で自分を磨き上げてきたのだ。

 技術という意味なら、ガルムに軍配があがるだろう。しかし、バイアスはとにかく恵まれた体躯をしている。十分に長身のガルムよりも、さらに頭一つ大きいのだ。当然、それに伴って腕も足も筋肉隆々で太く長い。体重もあって、まさに戦うために生まれてきた男だ。

 同じ戦士といえども、対局にある二人だった。

「よし、ならば頼んだ。その長巻の切っ先に、帝国最強の勇者の首級を翳して持ってきてくれ」

「おうよ。そして、千武流こそ、世界最強だと鳴り響かせてみせてやるぜ」

 頼もしく応じたバイアスは、喜々として進み出た。

 鎧も着ず、鉢巻と襷掛けをした容貌魁偉な勇者は、長巻を頭上で一回転させてから、石突きを大地に下ろして大音声をあげる。

「やーやー、遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそはクリシュナー国王ギルーシュが客分バイアス。千武流の始祖なり!」

 常にギルーシュの傍にいる赤毛の大男の存在は、もちろん、兵士たちの間で周知のことだ。

 戦場で皇帝の首級を挙げるという、奇跡の武勲を上げた赤鬼の登場に、謀叛軍の兵士たちは安堵し、歓声をあげる。

「そこに陣取るは帝国最強の勇者ガルム殿とみた。一騎打ちを所望いたす」

 その頼もしい勇姿を、ギルーシュは祈るような気持ちで見守る。自分で命じておいて、後悔と不安が拭えない。

(アニキ。ガルムは強いぞ)

 もはや勝敗の決した戦場である。一騎打ちなどという、博打をする必要はない。城壁を超える方法にしても、手段を選ばなければいくらでもあった。

 しかし、バイアスの最強への拘りは承知している。本人がやりたがっているのだ。やらせるべきだろう。なによりも、学校を逃亡した夜から今日までのギルーシュの歩みは、バイアスの存在がなければありえない。ならば最後まで、彼に賭けるべきだろう。

「……」

 無言のまま眼前の曲刀二本をひっつかんだガルムは、ゆらりと立ち上がった。

「おいおい、なにか言えよ。せっかくの大舞台だぞ」

「雑魚に掛ける言葉はねぇよ」

 身を低くして、曲刀を持った両腕を後ろに構えたガルムは、顔面から突っ込むようにして間合いを詰めた。

「ならば俺の名前、忘れられないようにしてやるよ!」

 勇ましき啖呵とともにバイアスは、右手で持った長巻の刃を豪快に振り下ろす。

 ガルムの顔面を袈裟懸けに両断したかと思えたが、残像にすぎなかった。次の瞬間には、バイアスの手元に、ガルムは潜り込んでいる。

 バリ!

 刃によって、闘気が削れて発光する。

 曲刀に喉元を襲われたバイアスは、慌てて跳び退く。

「ちっ、躱したか」

 舌打ちをしたガルムは意外そうな顔をした。距離を取ったバイアスは軽く吐息をついて、顎に滴る汗を拭う。

「さすがだな。俺が退かされたのは初めてだぜ。冷や汗を掻いちまった」

 すっくと正対したガルムは曲刀を持ったまま右手を突き出し、中指をたてると、ちょいちょいと折り曲げて挑発する。

「こい、三下」

「傲慢な野郎だな。年上には敬意を払えよ」

「俺は将軍だぞ。なんで一介の兵法者風情を同格に扱わなくちゃならない?」

 そっくり返るような上から目線で、ガルムは口元に凶悪な笑みをたたえる。

「そいつは悪かったなっ!」

 長巻を両手で持ったバイアスは、空気を裂く音とともに薙ぎ払う。それを左の曲刀で受け流したガルムは、右の曲刀で斬りかかる。それを長巻の柄で払ったバイアスは、長い刃で首を刈りにいく。ガルムは反り返ってギリギリの距離で躱すと、すかさず左の曲刀で顔面を突きにいく。バイアスは当たり前に長巻の柄で弾く。

 そして、バイアスや観戦する者たちの意識が上体にいっているところで、

 バン!

 ガルムの右のローキックが、バイアスの左膝に入った。しかし、丸太のような太い足はビクリともしない。

 体重差がある、ということだろう。

 格闘技において、体重の差というのは、そのまま強さに直結する。

「何かしたか?」

「ったく、タフな野郎だぜ」

 一瞬呆れた表情をしたガルムは、ニヤリと凶悪に笑い、バイアスもまた口元を緩めた。

 お互い、相手が最高の戦士だと認めた瞬間かもしれない。

 バイアスの筋肉は躍動して巨大な長巻をぶん回し、ガルムは両腕をムチのようにしならせて二本の曲刀を振るった。

 お互い生まれ持った才能があり、その上で血反吐を吐き、血の小便をし、血便のでるような修練をしなくては到達できない領域に達している。

 そんな人生をかけて磨き上げた技術を、余すことなく叩き込める相手と出会えるのは幸福だろう。

 両者、一歩も退かない。柔と剛の戦いだ。

 といっても、ガルムの斬撃が軽いはずがない。間違いなく並の兵士はもちろん、豪傑や勇者と呼ばれる人々よりも重いはずだ。

 ただあまりにもバイアスが力強く豪壮であるがゆえに、相対的にガルムの斬撃は弱く、スピードと手数でごまかしているようにみえる。

 唸りを上げて旋回する長巻、流星の如き閃く双剣。一撃ごとに爆発するような刃鳴を上げ、鮮やかな火花を散らす。

 両者の戦いはまったくの互角に見えた。

 百合。いや、二百合。あるいはもっと打ち合わせたのだろうか。

 数えている者はいなかった。早すぎてとても数えられるようなものではない。

 両軍の兵士たちは、ここが戦場であることを忘れたかのように、人間としての限界に到達しただろう戦士たちの一騎打ちに魅せられた。武具を打ち鳴らし、声援を送る。

(ん? アニキの左腕の動きが鈍い?)

 そう気づいたのはギルーシュだけではない。おそらく見守っていた兵士の中でも、バイアスの左腕の異常に気付いた者は幾人かいただろう。しかし、原因に思い至ったのはギルーシュだけだった。

(……まさか毒!? あの傷をつけた刃に毒が塗られていたのか!?)

 バイアスに手傷を負わせた相手は、名うての暗殺部隊『骸衆』である。まともにやって勝てないとわかっている相手を殺そうというときに、毒を使わない理由がない。

(そもそもわざわざ骸衆が最期だなんて語って死んでいったことが、この最後の策から目を反らす罠だったのではないか?)

 焦ったギルーシュは、傍らにいた近衛兵に命じる。

「引き鐘を鳴らせ!」

「えっ!? そのようなことをしては、バイアス殿に恨まれるのでは?」

「この際、恨まれても仕方ない。とにかく早く鳴らせ!」

 しかし、ギルーシュの判断は遅きに喫した。観客が気づいたバイアスの異常を、もっとも身近にみていた対戦相手が見逃すはずがない。スポーツではないのだから、敵の弱点は冷徹に狙う。

 ガルムの斬撃がバイアスの左側面に集中。下半身への攻撃を長柄で三度弾かれたところで、左の肩口からから右へと水平に一線する。

 毒に犯されたバイアスの左腕は、上下の素早い変化に対応しきれなかった。

 ピュッ

「くっ」

 曲刀の切っ先が、バイアスの纏っていた闘気の防壁を突破して、喉仏を浅く切り裂いていた。そこから流れるような動作で、もう一方の曲刀をバイアスの鳩尾に叩き込む。

 ドス!

「ぐは」

 巌のようなバイアスの分厚い背中から、一本のきらめく刃が生まれた。

 決して破れることはないとバイアスの自慢した闘気は、ガルムの刀剣によって刺し貫かれたのだ。

 バサ!

 ガルムは曲刀を引き抜くとともに、前のめりに倒れてきた巨体をさっと左に躱す。

 バイアスの纏っていた闘気は完全に消滅していた。その無防備にさらされた太い頸の後ろに向かって、ガルムの右の曲刀は叩き落される。

 バン!

 太い両肩から鉢巻の巻かれた巨大な頭が外れ、橋板に重く落ちた。

「っ!」

 信じられない光景。信じたくない光景にギルーシュは息を飲んだ。

 そんな中、肩で息をしながらもガルムは転がった生首の赤い頭髪を左手で掴むと、高々と掲げた。

 バサー……!

 首の断面から血が滝のように落ちた。

「謀叛軍随一の勇士バイアスの首級、このガルムが打ち取った!」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 城壁からは爆発するような歓声があがる。

 蒼き狼と赤き鬼。両雄の対決は、狼の牙が鬼の喉笛を噛みきった。

「天上の神々も照覧あれ! 先帝陛下の仇を討たれしガルム将軍こそ、帝国一の兵ぞーーーッ!」

 観戦していた帝国軍の兵士たちは熱い涙を流して、若き英雄の勝利を称えた。

 逆に城壁を囲む謀叛軍の兵士たちは意気消沈する。

「アニキ……」

 どんな毒を使われたか知る由もないが、直後に適切な処理をしていれば大事には至らなかったはずだ。バイアスの無謬性を信じ切っていたがゆえに、ギルーシュは配慮を怠りこのような最悪な結末を招いたのだ。

(まったく、食事に入っている毒は見ただけで気づく癖に、自分の体に入った毒刃には気づかないのかよ)

 やりきれない気分を味わったギルーシュだが、自らの失敗を嘆き、耽溺することを許される立場ではなかった。

「はぁ……、はぁ……、はぁ……」

 ガルムは大きく肩で息をしていた。全身からは滝のような汗が噴き出ており、足元をもつれさせている。

 勝ったとはいえ、今回ばかりはギリギリであり、体力の底を打ったようだ。

 帝国兵たちが感涙を流しているのも、ガルムの奮闘もここまでであることを察しているからにほかならない。

 それと見て取ったギルーシュは、一時の自失から強引に自分を奮い立たせて、荒々しく命令を下す。

「全軍、ただちに突撃せよ。なにも正面門にこだわることはない。左右に広く展開して、帝都に討ち入れ。一番乗りした兵は、たとえ一兵卒でも諸侯に取り立てる。略奪暴行、好きにしてかまわん。悪の帝国の築きし都など焼き野原にしてしまえ!」

 ガルム独りに名を成さしめて、兵を引くわけにはいかないのだ。スレイマンを取り逃がしたとしても、いや、取り逃がしたればこそ、帝都を落としたという実績は必要だった。

 そのためには萎縮してしまっている将兵を、欲で釣るしかない。ギルーシュの非情な命令を全軍に行き渡らさんとしたとき、城門の上から大音声が響いた。

「まてぇぃぃぃぃぃい!!! ここまでだっ!!!」

 城門の上にいたのは、豪奢な甲冑を纏った若者だった。金髪碧眼の堂々たる体躯。見間違えようがない。太陽帝国第三代皇帝スレイマンだ。

 その一喝に、謀叛軍の足は止まった。敵とはいえ皇帝の声である。理屈ではなく、権威に打たれてしまった兵士たちは、この後、どうすればいいのか、とみなギルーシュの再度の命令を待つ。

「……なぜ、なぜあんたがそこにいる?」

 呆然とほとんどの者には聞こえぬ声で呟いたのはガルムだ。

 おそらく自分が時間を稼いでいる間に、スレイマンはとっくに洋上の人になっていると信じていたのだろう。ギルーシュもそう思っていたが、すぐに事態を理解できた。

(ガルム。付き合いが古いだろうに、スレイマンって男の気高さがわかっていないな。あいつは友人を捨て駒になんてできるやつじゃない)

 人間としては立派だが、皇帝として、人の上に立つ者としては失格だ。

(俺が傍にいたら、後ろから花瓶で頭をぶん殴るなりして、有無を言わさずに気絶させて連れ出したけどな)

 どうやらいまのスレイマンの傍には、ギルーシュほどの横着者はいなかったらしい。

 スレイマンはさらに声を張り上げる。

「ギルーシュ、聞こえるか」

「ああ、いまさらなんの用だ」

 誇り高き皇帝の呼び出しに、手段を選ばぬ謀叛軍の首魁は応じた。

「これ以上の交戦は無用。俺の負けだ。だから、我が一族が三代にして築きし都ティティスを破壊しつくすかごとき暴挙はやめてくれ」

 その宣言に城内から「まだ戦える」という不満の声があがる。

 とはいえ、勝敗は決したことは明らかだ。

 いかにガルムが驍勇を誇っても、たった独りである。そのうえ、もうだれの目にも体力的な限界に達していた。

 ガルムが一騎打ちで勝利し、一矢報いたところで降伏する。ささやかに帝国の面子が立つ形だろう。

「降伏とは賢い選択だ。おまえには恩がある。おまえと、おまえの家族の生活はわたしが保証する」

 ギルーシュの言葉に、スレイマンは首を横に振るった。

「無用な気遣いだ。俺も太陽帝国アヴァロンの皇帝となった身。最期の身の処し方は心得ている」

 それからスレイマンは、跳ね橋の上で立ち尽くしている勇者に声をかける。

「ガルム、大儀。おまえを友に持てたことを誇りに思う」

「やめろぉぉぉっ!!!」

 ガルムの制止も聞かず、スレイマンは宝剣を抜き放った。そして、眼下の宿敵に笑いかける。

「ギルーシュ、あとは任せた。ただし、あの世では俺が先達だ。グレンダは俺が口説き落とさせてもらう。さらばだ」

 そう宣言したスレイマンは、手にしていた白刃を自らの口に突っ込むと、そのまま城壁の上から地上に向かって、顔面から飛び降りた。

 バサァァァ!

 間違いなく即死だ。元人間だった肉塊をしばし見つめたギルーシュは、視線をガルムに転じた。

 唖然として立ち尽くすガルムの両手からは、バイアスの生首はもちろん、双剣も取り落としている。完全に戦意を消失していることは明らかだった。

「捕縛しろ」

 ギルーシュの指示に従って、兵士たちが恐る恐るガルムに近づこうとしたときである。

「うわぁぁぁ」

 突如、奇声を発した大鳥が舞い上がった。

 その背では、黒い長髪を逆立てた女騎士が刀を振り翳している。

「なにを!? もはや戦闘は終わった。……捕らえろ!」

 暴挙の主が、クリシュナー空軍の事実上の司令官であることを察することができた。

 なにか深遠な意図があるのかもしれないが、放置をしたら謀叛軍の王都突入の切っ掛けになりかねない。

 とても容認できないと判断したギルーシュの指示のもと、四方八方から魔法使いたちが拘束の魔法紐を放った。

「なにをやっているんですか? 捕虜を殺そうだなんて。ノワールお姉ちゃんらしくもな……っ!?」

 地面に取り押さえられた大鳥の下に駆けつけたギルーシュは、ノワールの顔をみて絶句した。

 なんと普段、クールな女騎士の顔が、涙と鼻水でグチャグチャだったのだ。

「も、申し訳ありません。戦が終わったら報告するつもりでした。わたしの腹にはバイアスの子がいます。戦が終わったら結婚しようと」

 思いもかけなかった報告に驚愕したギルーシュだったが、改めて考えてみると思い当たる節がないでもない。

「そっか。よかった。元気な子供を産んでくれ。その子は俺が責任を持って引き立てる」

「あ、ありがとうございます。くぅぅぅぅぅ」

 毅然と応じたノワールだが、取り押さえていた兵士たちの手を振り払うと、転がっていた生首を抱きしめ、大地に両肘をついて泣き崩れてしまった。

「殺しても死なないような顔をしていたくせにーーー! どうして死んでしまったのよーーー!」

 周りの兵士たちはやりきれないといった顔を見合わせる。恋人を亡くしたノワールの悲劇は、見ていていたたまれない。しかし、同時に珍しくない悲劇でもある。

 これから戦死した兵士の家族の下に報がもたらされるたびに、演じられる定番の愁嘆場だ。たまたまノワールの場合、早かったというだけに過ぎない。

 それに背を向けたギルーシュは、見守る兵士たちを睥睨して拳を突き上げる。

「我々の勝利だ。我々を不当に虐げてきた悪の帝国は滅んだんだ。勝鬨を上げよ。えい! えい! おう!」

「えい! えい! おおおぉぉぉ―――っ!!!」

 歓喜の雄叫びがあたりを覆い、天地に木霊する。

 太陽帝国暦十一年。蓋世の英雄によって築かれた世界統一帝国は、その死後、わずか二年で瓦解した。

 戦争が終われば論功行賞である。

 まずは捕虜との謁見から行われた。

「ガルム、おまえにはさんざんに苦しめられた。さすが帝国一の勇者。まさに天下無双だな」

「……」

 ギルーシュの称賛をガルムは無表情に聞き流す。

 猛獣よりもさらに危険な男である。その両手両足は厳重に縛り上げられていた。

「念のために聞くが、俺に仕える気はあるか? もし仕えてくれるのなら、机を並べた誼もある。厚く報いることを約束するぞ」

 ギリッと奥歯を噛む音が、あたりから聞こえた気がする。

 ノワールは兄と恋人を、ジュリエッタは父を殺されているのだ。そんな者が同僚になるなど、耐えがたい苦痛であろう。

「ない」

「……そう、だよなぁ」

 ガルムとスレイマンの関係に思いを馳せれば、十分に予想できた答えだ。

「ならば放逐する。どこにでもいけ」

「……いいのか?」

 ガルムは、ギルーシュの恋人であったヘレナすらもその手にかけているのだ。

 いや、ガルムによって斬られた謀叛軍の兵士の数は十人やそこらでは足りない。百人単位の人間が切り殺されているだろう。

 ギルーシュは首を横に振るった。

「戦場で人を殺すことは罪ではない。それに、もう十分だ。これ以上、友の死を見たくない」

「……。友か。じゃ~な」

 いまさら友と言われたくない、と思ったのだろうか。他人には伺い知れぬ複雑な表情を浮かべたガルムは、その場で戒めを解かれると背を向け、軽く左手を上げて出て行った。

 その後、帝国の幹部たちの行方を知らされる。

「リヒャルト将軍への追撃は失敗しました。おそらく自領に帰ってなお抵抗するものと思われます」

「その処理は、後日考える」

 降伏させるにせよ、攻め落とすにせよ、危急ではない。

「エトワール姫は、修道院にいます。引きずって参りましょうか?」

「いやいい。好きにさせてやれ。もし生活に困った様子があれば報告せよ。援助してやる」

 ギルーシュの寛大な処置を揶揄するように、叔父のシュヴァルツが声をかける。

「いいのか? この姫が、第二のギルーシュになるかもしれんぞ」

「いらぬ心配だ。だれもが俺のようにはなれません」

 氷の表情をしたギルーシュの主張を、シュヴァルツは認めた。第一に、若く美しい姫君を殺したなどということになっては世間を敵に回しかねない。無駄に悪名を高めることもなかった。

 次いで妹のアシュレイが、意気揚々と捕虜の女騎士を連れてくる。

「やぁ、前生徒会長さま、久しぶりですね。先輩の卒業式以来ですか? まさかこんな形で再会するとは思いませんでした」

「まったくだわね」

 箒や動物の補助なしに空を自由に飛び回った魔女も、最後は魔力切れになったらしい。

 どうやら、あの飛翔方法は燃費が悪いようだ。

「今回の戦にて直接敵対した家の王位は剥奪。領土は一律十分の一にしてクリシュナー王国の諸侯とします。よろしいですか?」

 嫌だといったら、取り潰しにするまでだ。

「返事をするまえに一つ失礼なことを聞いておきたいんだけど、いいかしら?」

「ええ、なんでも聞いてください」

 鷹揚に応じるギルーシュに、傲然とピンク色のカーリーヘアーを上げたヴァレンティナはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「それじゃ遠慮なく。父や兄といった親族の死を利用し、身を案じてくれた同級生の女の子を謀殺し、生涯をかけて盛り立てると誓った男をぶっ殺して手に入れた天下だ。いまどんな気分だい?」

「無礼であろう!!!」

 戦勝国の人々は一斉に殺気だった。しかし、当のギルーシュはいたって端然と応じる。

「そういう言い方をされると、気分のいいものじゃないな。でも、彼らの死が意味のあった物とするためにも、俺は立ち止まることは許されないと考えている。先輩にも太平の世を築くために協力して欲しいな、と切に願っています」

 諦めの溜息を浮かべたヴァレンティナは肩を竦めると、恭しく片膝をついて拝跪した。

「了解。おまえさんはあたしが考えているよりも器の大きな男だったらしい。いいよ、死んでいったやつらのためにも、おまえに協力しよう。我が皇帝」

 一通りの戦後処理を終えたギルーシュは、お忍びで旧帝都ティティスの東の郊外にある修道院に向かった。

 往年の太陽帝国の威信を誇示するかのような壮麗な建築物に足を踏み入れる。

「なんの御用かしら?」

 色とりどりのステンドグラスの明り取りの下に、墨のような貫頭衣を纏った、ごく無表情な少女が立っていた。

(これがあのエトワールか)

 顔の造形は同じでも、大きな目の奥にある翠石の瞳に輝きがなく、かつて天真爛漫で知られた皇女殿下とは別人のような印象を受ける。

 父兄を始め、一族の多くのものを失ったのだ。いやでも変わるざるを得ないのだろう。

「まずはこれを」

 姫君としての華やかさをすべて剥ぎ取ったやせっぽちの体からは、裏腹な凄艶な色気のようなものが漂っており、いささか気を飲まれながらもギルーシュは、砂金の入った袋を仰々しく差し出した。

「なにかしら?」

「姫様は、亡くなった帝国兵士の遺族のために尽力されていると伺っています。その足しにしてください」

「受け取る謂れはありません」

 にべもない拒絶に、ギルーシュは朗らかに笑って首を横に振るう。

「持参金代わりと思っていただきたい」

「どういう意味?」

「旧帝国領の人心を落ち着かせるために、ぼくと姫様が結婚するのが一番いいと思いましてね。名案でしょ?」

 右手を前に出したギルーシュは片膝を着き、芝居がかった仕草で大仰に一礼する。

「エトワール姫、どうかぼくと結婚してください」

「……」

 すぐに返事はなかった。

 歩み寄った若い尼僧は砂金の入った袋を持ち、入り口を縛っていた紐を解くと、ギルーシュの頭上で傾ける。

 ザァー……。

 キラキラと輝く砂金が滝となって降り注ぐ。

「っ!?」

 頭から砂金を浴びたギルーシュが驚き顔をあげると、虹彩を失った眼差しのエトワールは空になった袋を手放しながら冷たく応じる。

「お引き取り下さい」

 以前はあれほど求婚されていたのだ。まさか拒絶されるとは思っていなかったギルーシュは、呆然と修道院を後にする。

 足の赴くままに歩いていると、盛大な桜吹雪に視界を奪われた。

 カーン! カーン! カーン!

 弔鐘が鳴っている。

 再び視界が開けたとき、かつての学び舎があった。

 見慣れた光景だというのに、言い知れぬ違和感を覚える。

「そっか、もうだれもいないんだな……」

 一年前は千人もの生徒で賑わっていた校舎には、ひとっこひとりいなかったのだ。

 多くの者はそれぞれの実家である王国に帰ったのだろう。または先の戦でスレイマンとともに戦い、そして、桜のように散っていった。

 自分を秘蔵っ子と呼んでくれた校長も、隠れて付き合っていた女教師も、ライバルであった親友も、性別を超えた友情を育んだ女騎士も、面倒臭がり屋な最強の勇者も、慕ってくれた愛らしい後輩も、もはや残っていないのだ。

 死んでしまった者はそれまでだが、生きている者とは、あるいは再会することもあるかもしれない。……戦場で。

「雑草を食って、絶食をし、愛した女は首を切られ、好きだった女は刺し殺し、恩師を罠に嵌め、親友を自殺に追い込み、結婚したいと慕ってくれた後輩には、仇として恨まれる。何万という兵士を殺し、その何倍もの家族を泣かせた。ここまでやって手にいれる価値のあるものとはなんだ?」

 ふいに湧き上がってきた激情を鎮めるために、ギルーシュはゆっくりと息を吐いた。

「……太平の世か。……俺が築くしかないよね。……ねぇ、アニキ」

 かつて夢を語り合った友たちの幻想を振り払い、本来なら卒業式を迎えただろう季節に、奸雄と呼ばれた少年は思い出の地を後にした。

                                    おわり


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