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第一章 黄金の日々

「ひ、姫様っ! おおお落ち着いてっ! なななななにをしようとしているんですかっ!?」

 太陽帝国暦十年の春。

 多くの尖塔が立ち並ぶ太陽帝国アヴァロンの帝都ティティス。その東の郊外にある士官学校は、帝国の王侯貴族や将来を嘱望されている騎士の子弟が通う学び舎だった。ざっと千人ほどの在校生がいる。

 単に最高峰の知識を教えるだけではなく、地方の有力者から預かった人質に、帝国への帰属意識と忠誠心を植え付けるための教育機関だ。

 その校舎の二階にある三年生の教室の窓は開け放たれており、満開に咲き誇る桜を見ることができた。

 手を伸ばせば簡単に桜の枝を手折ることができる窓辺の下の壁に、追い詰められた一人の男子生徒が腰を抜かし、動揺した声をあげている。

 白地に銀色の縁取りのされたブレザーは、この学校の制服だ。三年生の階級章をつけている。つまり最上級生であり、年齢は十八歳だ。

 黒髪に黒い瞳。ともにいささか色素が薄くブラウンがかっている。取り立てて優れた容姿ではないが、貶すほどの要素もない。本人的にはごく平均的な容姿と自負している。

 初対面のオバサンには、たいてい「まぁ、いい男ね」と手放しで褒めてもらえた。

 彼の名をギルーシュという。帝国傘下の五十ほどある王国の一つで、山間部に領土を持った有力な外様王国クリシュナーの国王の次男坊だった。

 家督を継ぐ立場ではないから、それほど重要視される存在ではないが、ちょっとした有名人だ。

 なにせ、士官学校始まって以来の秀才と言われ、生徒会の書記を任されている。いずれは帝国の屋台骨を背負って立つ逸材と目されていた。

「えー、そんなの決まっているじゃないですかぁ~、女の口から言わせないでくださ~い。うふふ、先輩の意地悪ぅ~~~♪」

 そう無邪気にのたまった少女は、ギルーシュの腰を跨ぐようにして細い太股を広げて、膝立ちになっていた。

 彼女もまた、白地に銀色の縁取りのされた士官学校の制服を纏っている。ただし女子用であり、下半身はプリーツスカートだ。階級は二年生。ギルーシュよりも一つ下だ。

 太陽の光をそのまま紡いだかのような光り輝く金髪は、細い腰に届く。白い顔は小さく、秀でた額。大きな目の奥で輝く翠石の瞳。繊細な鼻梁は高く、大きな口の薄い唇にはピンク色のリップが輝いていた。

 身長はこの年代の少女として平均的だが、体重は平均以下であろうことは見た目から容易に想像がつく。

 手足は長いのだが、小枝のように細いのだ。胸の膨らみもいささか、いや、かなり残念な部類だった。もっとも、年齢的なことを考えれば、決して悲観したものではなく、今後の成長の可能性はおおいにあるだろう。

 現在のところは、まるで妖精のような、と形容するにふさわしい美少女だ。

 名前は、エトワール。

 太陽帝国アヴァロンの第二代皇帝ツァウベルンの長女。すなわち、皇女だ。彼女も生徒会役員に名を連ねており、来年度の生徒会長就任は約束されたようなものである。

「いや、意地悪と言われても……」

「大丈夫、痛くないですよ。初めてで痛いのは女のほうだと聞いています。わたくし我慢しますから!」

 そう力強く断言しながら、エトワールは自らの制服の赤いリボンタイを解きにかかる。

「いやいやいやいや、我慢って」

 動揺するギルーシュを他所に、エトワールは白いブラウスのボタンを外してしまった。開いた胸元からパステルピンク色のお洒落なブラジャーが覗く。

「……ごくん」

 思わず生唾を呑んでしまったギルーシュを見下ろして、エトワールは満足げに笑う。

「先輩は我慢しなくていいですよ。欲望のままにガバッとお願いします」

「い、いや、マズイって。こんなところスレイマンに見られたら……」

「えー、お兄様のことなんて気にしないでください。まして、わたくしが皇女だなんてことも、無用な配慮です。ここにいるのはどこにでもいる、恋する乙女なんですから♪」

 元気よく宣言すると同時にエトワールは白いブラウスを脱ぎ捨ててしまった。

 パステルピンクのブラジャーを一枚纏っただけの上半身があらわとなった。薄い肩、細い腹部に丸い臍。そして、透けるような白い肌が眩しい。

 慌てて両手で顔を覆うギルーシュの右手を、エトワールは強引に引き寄せる。

「小さくて、恥ずかしいんですけどぉ……せ・ん・ぱ・い、その……触ってください」

 恥じ入るふりをしながらエトワールは、有無を言わさずにギルーシュの右手を自らの左胸へと誘った。パステルピンク色の柔らかい布の中は、暖かくしっとりとした肌触りであったが、一部に硬い突起がある。

「あっ♪」

 甘い吐息をあげたエトワールは大きくのけぞった。そして、腰を落とす。

 白いプリーツスカートの中に、男のいろいろとマズイことになっているズボンの上部を覆い隠す。

「あはっ、先輩ったらようやくその気になってくださいましたね。さぁ、まずはわたくしのファーストキスから」

「いっ、いいいっ!!!」

 繊細な顔を近づけられたギルーシュは必死に距離を取ろうとするも、後頭部を壁にぶつけて逃げられない。そして、桜吹雪の舞い散るなか、二人の唇が触れ合おうとする次の瞬間。

 ガラガラガラ……バン!

 けたたましい音を立てて、教室の引き戸は勢いよく開け放たれた。

 さすがに驚いたギルーシュとエトワールは、音のした方向に視線を向ける。そこには当学園の制服を纏った大男が仁王立ちしていた。

 金髪碧眼。身長があり、肩幅もある。堂々たる押し出しの利いた容姿だ。

 三年生の階級章をつけたその男は、教室内で組み合う男女を見下ろして絶句した。

 代わって絹糸のような金髪を右手で掻き上げながらエトワールは上体を起こし、ピンク色の唇を尖らす。

「あら、お兄様ったら無粋ですわね」

 彼女が兄と呼ぶ人物は、一人しかいない。

 太陽帝国の皇太子スレイマン。当学園の生徒会長だ。

 ややあって我に返った彼は、どもりながら口を開く。

「な、なななななにをやっているんだ、おまえら?」

「そんなの見たままに決まっていますわ。若い男と女が人目を忍んでやることなんて一つでしょ? 愛の営みですわ」

「な、なにぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

 頭の血管が切れるのではないかと思えるほどに顔を真っ赤にして、スレイマンは叫んだ。

 少女に押し倒された状態のギルーシュは、慌てて注意を喚起する。

「まてっ! まてっ! まてっ! まてっ! まて―――っ! スレイマン、落ち着けっ! 俺はなにもしていないぞっ!」

「それが妹の乳に手を突っ込みながらいう台詞かぁぁぁっ!!!」

「いや、これは無理やりでだな」

 現在の自分の状態に思い至ったギルーシュは、慌ててエトワールのブラジャーの中から右手を引っこ抜き、その股の下から脱出した。

「あっ」

 意中の男に逃げられたエトワールは、可愛らしく頬を膨らませてスレイマンを睨む。

「もう、お兄様はいつも邪魔ばかりなさる」

「いや、結婚前の女。それも皇女たるものが、だ。こここ、このようなふしだらなことを。まして、相手は王族といっても、辺境の蛮族。しかも次男坊。おまえにはもっとふさわしい漢がこれからいくらでも現れるぞ」

 媚びるようなスレイマンの言い分に、エトワールはぷいっと顔をそむける。

「先輩は来年には卒業してしまいますわ。そうなったら会える機会は格段に減ってしまいます。ですから、そのまえに既成事実を作ってしまおうと思いましたのに」

「き・せ・い・じ・じ・つ・だぁ~!?」

 動転するスレイマンを他所に、上半身下着状態のお姫様はくびれた腰に右手を当てて悪びれずに応じる。

「はい。殿方というのは好きでなくとも、エッチはとりあえずしてみたいものらしいですわ。で、一発やってしまえばこっちのものです。わたくしは大好きな先輩と一年間ラブラブな学園生活を楽しんだあと、みなに祝福される華燭の典をあげることができる。お兄様だって、頼もしい義弟ができて嬉しいでしょ。すべてが万々歳ですわ」

 堅物の生徒会長様は傍目にもかわいそうなほどに、目を白黒させている。

 とりあえずその間に逃げようとしたギルーシュを見とがめたスレイマンは、怒りのぶつけ先を見つけたのだろう。ズンズンズンと大股に歩み寄るや、不埒者の襟首をつかんで締め上げる。

「ギルーシュ、貴様、うちの妹になにか不満があるのか?」

「いや、だが、手を出したらおまえ、怒るだろ?」

 両手を上げて冷や汗を流すギルーシュの返事に、スレイマンは大真面目に頷く。

「当たり前だ。皇女に手を出してみろ。謀叛のかどで市中引き回しの上で処刑だ。そして、さらし首にしてやる」

「ああ、そうだろうと思っていたよ」

 達観するギルーシュの顔に唾を飛ばしながら、スレイマンは怒鳴る。

「で、俺のかわいい妹が、あんなに一生懸命にアピールしているのに、なんで靡かないんだよ、おまえは!」

「おまえ、言っていること無茶苦茶だぞ」

 さすがにむっときたギルーシュが言い返すと、スレイマンは右の拳を大きく振りかぶった。

「うるせぇ。とりあえず、おまえは殴る」

 ドカ!

 宣言と同時にスレイマンの拳が、ギルーシュの左頬を捉えた。

「てめぇ、本当に殴りやがったな」

 ドカ!

 負けじとギルーシュの右の拳が、スレイマンの顔面を捉える。

 ギルーシュとスレイマンは殴り合いの喧嘩を始めた。

 そんな光景をよそ目にエトワールは面倒臭そうに立ち上がり、軽く膝の埃を払ってからわざとらしく大きな溜息をつく。

「まったく、お兄様ったら、ほんと短気で困りますわ。でも、権威なんてものともしない先輩はやっぱり男らしくて素敵です」

 同じレベルで喧嘩している二人をみても、妹が兄をみる目と恋する乙女の目では、かくも認識の差がでるものらしい。

「さて、こういうときにはやっぱり、あれをやらなければいけませんわね。えー、ゴホン」

 軽く喉の調子を整えたエトワールは、やおら左手で胸元を抑えて右腕を頭上高く掲げるや、情感たっぷりに芝居がかった調子で声を張り上げる。

「あー、わたくしのために争うのはやめてぇぇぇ~~~♪」

「……」

 熱くなって殴り合っていた野郎二人は思わず手を止めて、傍らの少女をしげしげとみる。

 ややあってスレイマンは真顔で口を開いた。

「いや、さすがにな。それはヒクからやめとけ」

「でも、喧嘩は止まりましたわ」

 可愛らしく細い顎に右手の人差し指を添えて小首を傾げてみせたエトワールの指摘に、ギルーシュとスレイマンは互いの顔を見合わせる。

 いずれの顔も痣だらけだ。直後にスレイマンは自らの顔を押さえて蹲る。

「いてて……。皇太子の顔面を思いっきり殴るやつがあるか?」

「学校にいる間は身分など関係ない。同じ学生として扱えっという、常日頃のおまえの言動通りにしてやったんだよ!」

 ギルーシュもまた顔を押さえながら蹲る。

「あー、もう、仕方ないですわね。いま治療してあげますわ。ほら、お二人とも顔をこちらに向けてください」

 エトワールは治療用の魔法器具を取り出す。

 魔法技術が発達したこの世界では、死にでもしない限りは治療可能だ。たとえ腕を切り落とされても、元通りに接続できる。まして、世界帝国の経営する学校だ。その手の最先端技術は整えられている。

 二人の治療が終わったころ、低い女の声がかかった。

「騒がしいと思ったら、またおまえらか」

 教室に面した廊下にはいつの間にか、生徒たちが黒山の人だかりを作っている。つまり、野次馬が集まっていたのだ。

 それをかき分けて入ってきたのは、灰緑色の髪を肩口で切りそろえ、縁なしのメガネをかけた二十代半ばすぎの女だ。

 白いブラウスに、紺色のジャケット。膝丈のミニスカートに、ブラウンのパンストといった典型的な女教師の装いをしている。

 とはいえ、士官学校の教員だ。軍人として戦場にでて十分な武勲をあげた実績もある。

 それを証明するように、知的な顔とは裏腹に、筋肉質な体躯だ。スーツ越しにも見て取れるほどに、肩はがっちりと張り、胸は大きく突き出し、腹部は引き締まり、臀部も張った凹凸に恵まれたスタイルをしていた。

「あ、ヘレナ先生、これは」

 ギルーシュの言い訳を片手で制した女教師は、室内の惨状を一瞥してから重々しく命じる。

「エトワール。とりあえず服を着ろ。皇女が校内でストリップをしていたなどと噂に広がっては、臣民が泣くぞ。それからギルーシュ、おまえは生活指導室まできな」

 右手を上げたヘレナは親指で後ろを指す。どうやら、一般生徒であるギルーシュだけお説教で、皇族たちはお咎めなしということらしい。

「はいはい」

 従容として従おうとしたギルーシュの前に、野次馬の中にいた少女が進み出る。

 クリーム色の豊かな頭髪をサイドポニーにし、健康的な丸顔に生真面目そうな顔立ちをしているのだが、スカートの丈は短く、大胆にさらしたムチムチの太腿が印象的だ。

「納得いきません。喧嘩両成敗は基本でしょう」

「ジュリエッタ、いいんだ」

「でも!」

 頬を膨らませるクラスメイトを押しのけてギルーシュは、気障ったらしく一礼する。

「先生、いきましょうか」

「うむ、良い心がけだ」

 強面の女教師と学年一の秀才生徒は、連れ立って教室を出た。

「ふぅ、私たちがこんなことをしているなんて姫様に知られたら、それこそ処刑ものだな」

 第二校舎は本校舎に比べると、圧倒的に人が少ない。

 そこにある生活指導室の大きな机の上で仰向けになり、着崩れたヘレナは婀娜っぽく吐息をついた。

「というか、教職員と生徒がこういう関係ってだけで、十分に問題になりますよ。先生のご家族にもご迷惑をおかけしますね」

 ズボンのベルトを締めながら応じたギルーシュは、軽く肩を竦めた。

「余計なお世話だ。私に家族なんて呼べるものはいない。……まったく表向き優等生で純情少年を演じているのに、裏では女教師をこまして、こんなすごいことしているんだから、おまえみたいなのを本当の不良生徒っていうのだろうな」

「生徒を食っている淫乱教師がぼやかないでください。今日も気持ちよかったですよ。では、先に出ますんで、先生は少し時間をおいてから退室してください」

「ああ、わかっている。わたしはもう少し余韻を楽しんでからいく」

 別れ際にヘレナと軽く接吻したギルーシュは、何事もなかったかのように部屋を出る。

 二年前、ギルーシュが新入生として入学したとき、ヘレナは新任の担任教師であった。

 優等生が教師に便利使いされるのは世の常であり、ギルーシュはなにかと手伝いをさせられたものだ。そのうち独り暮らしのヘレナの部屋にお邪魔する機会があり、そこでいろいろと教えてもらってしまった。

 こうして始まった恋愛関係だが、生徒と教師である。周囲に露見したら大問題だ。二人とも細心の注意を払って秘密にしている。

 その成果として、いまのところだれにも知られていないだろう。

 ただ、二人は別に将来を誓いあっているわけではない。ギルーシュが学校を卒業したら、自然消滅するのだろうな、となんとなく感じている。

「卒業……か」

 次男坊であるギルーシュが、実家のクリシュナー王家を継ぐことはない。帝国の官僚としての道を歩むことだろう。

 そのための勉強は真面目にやっており、今のところ首席の座を手放したことはない。

 ギルーシュが生涯の忠誠をつくし働くだろう太陽帝国アヴァロンは、十年前に一代の英雄マクシミリアンによって建国された歴史の浅い国だ。

 彼は元々、貧しい工夫の生まれに過ぎなかったらしい。それが商人をしたり、傭兵をしたり、騎士をしたり、とさまざまな職業を転々としたのちに、仕えていた主家の内乱を巧みに操って下剋上に成功した。

 その後は勢いに乗って周辺諸国を平定していき、世界統一帝国を建国してみせるに至ったのだ。まさに不世出の英雄である。

 ただし、決して善人ではなかった。むしろ、道徳的な意味では悪人だ。

 権謀術数に優れ、『骸衆』なる暗殺部隊を作り、毒殺や闇討ちを頻繁に行った。

 晩年には難癖としかいいようのない理由で、周辺諸国に戦争を仕掛けている。勝てるのだから、大義名分はなんでもよかったのだ。そして、実際に勝てた。

 そんな手段を選ばぬ強硬策が功を奏して、結果的にごく短期間でこの大帝国を築いたのだから、そう非難される事でもないだろう。

 ただし、彼は別に、世界平和を願って世界征服をしたわけではない。

 この世の富貴を楽しみたかったから、強大な権力を欲したのだ。

 大きな城や寺院を建て、世界各地に道路を引き、インフラを整備した。

 それらの事業は、自分が快適に暮らすためであり、自己顕示欲を満たすためだ。

 後宮には百人を超える美姫を配し、世界中の名物や珍味を集めた。

 この世の栄耀栄華をすべて楽しみつくそうとしたかのような豪遊ぶりだ。

 しかし、どんな英雄豪傑でも、不老不死ではありえない。一年ほど前、太陽帝国暦九年に亡くなった。行年七十二歳。

 男として生まれ、やれることは全部やった。なんの思い残すこととてない、幸福な終焉だったことだろう。

 一ヶ月にもわたる盛大な国葬が行われ、ギルーシュたち士官学校の生徒たちも駆り出されて式典の飾りとされたものだ。

 あとを継いだ現皇帝が、スレイマンやエトワールの父親ツァウベルンである。

 幾人か兄はいたそうだが、いずれも戦乱の中で非業の最期を遂げており、彼にお鉢が回った。三十代の若さで帝位についたため、苦労知らずのボンボンと侮る者は多い。

 とはいっても、マクシミリアンほどの剛腕な政治家ぶりを、他の何人に求めても不可能というものだろう。

 マクシミリアンが強引に力でねじ伏せていた諸問題が、その重石が無くなったことで噴出したらしく、各地で反乱が多発している。おかげで新皇帝は、この一年、反乱鎮圧に狂奔しているようだ。

 そんな世相を考えながらギルーシュは第二校舎を出て、桜の花びらが敷き詰められピンク色となっている遊歩道を歩む。

「いち! に! いち! に!」

 校庭では大勢の生徒たちが、武芸の稽古に勤しんでいた。

 魔法工学が発達した世界において、弓矢や鉄砲は主力武器ではない。

 なぜなら飛び道具は、空中で無力化されてしまう可能性が高いからだ。

 それよりも、武器に直接魔力を流し込みながら斬る、という行為こそがもっとも有効な攻撃手段と考えられ、白兵戦こそが戦場の花形となっている。

「おや……」

 遊歩道と校庭の間の土手の芝生の上に、一人の男が両腕を枕に寝転がっていた。

 銀と白を主体とした制服の上着を脱ぎ、日除けがわりに顔にかけ、青いTシャツ姿になっている。階級は三回生。すなわち、ギルーシュの同級生だ。

 頭髪は短く刈り込んだ青。全身の肌は褐色に日焼けし、無駄な脂肪をまったく感じさせないしなやかな体付きは、野生の獣を思わせる。

 素通りしても良かったのだが、顔が見えなくとも正体がわかったのでギルーシュは歩み寄り、傍らに腰を下ろした。

「ガルム、キミはまたサボりか」

 顔にかけていた制服をずらした男は、面倒臭そうに片目を開いて、ダークサファイアの瞳を向けてきた。

「別にいいだろ。あいつらとやっても面白くねぇんだよ」

 貴族の子弟ばかりが通う学校の生徒にしては、なんとも粗野な口調だ。それもそのはずで、ガルムは貴族の出ではない。

 母親は娼婦で、父親は不明。その母親も早くに亡くし、孤児となってしまった。

 途方に暮れていたところに幼少期のスレイマンが、たまたまお忍びで下町に遊びに来たおかげで、二人は運命的な出会いをする。

 この不愛想でぶっきら棒の少年を、スレイマンはいたく気に入ったらしい。自分と同じ年なのに身寄りのないという境遇に同情してか、当時は皇太子夫妻であった両親に無理をいって、王宮にあげて侍従とした。さらには自分とともにこの学校に入学させたのだ。

 庶民にとってはありえないような奇跡のシンデレラストーリーだろう。

 そして、スレイマンに見る目があったのか、あるいはガルムの持っていた潜在的な才能か、はたまた拾ってくれた皇族の方々への恩返しとして努力した結果か、おそらくそのすべてのおかげで、彼は武芸の才能を開花させた。

 武術部門に限れば、士官学校随一の生徒だ。いや、帝国一、すなわち世界一の勇者だった。

 というのも、先日、皇帝主催で開かれた武芸大会で、並み居る現役兵士たちを退けて優勝してしまったのだ。おかげでついた渾名が「蒼き狼」。

 皇太子の莫逆の友ということもあって、将来、スレイマンが帝位に就けば、軍部のトップに立つのではないか、と噂されている。

「キミは生まれる時代を間違ったな。先帝陛下が活躍された大乱世時代に生を受けていたら、思う存分にその腕を振るい、不動の武名を築けたのだろう。少なくとも退屈とは無縁な日々だったはずだ」

「ふん」

 くだらんと言外に応じて、ガルムはそっけなく目を閉じた。

 その環境もあって、ガルムはスレイマンの忠犬だ。ギルーシュを含めて他の生徒とはなかなか馴染めない。

 スレイマンの下で立身出世するつもりでいるギルーシュとしては、仲良くしておきたいところなのだが、なかなかに難しい。

「まぁ、昼寝もいいが、ほどほどにしておけよ。今日から副生徒会長殿が登校しているぞ」

 この言葉にガルムは顔を顰める。

「あの煩い女、帰ってきたのか。もう王家を継いだから、学校なんてやめたんだと思ったぜ」

「そうもいかないだろ。ほら、噂をすれば影だ」

 第一校舎からの遊歩道を、オレンジ色の豊かな巻き毛をした、薔薇の如き華やかな女生徒が姿勢よく颯爽と闊歩してくる。

「ギルーシュ、こんなところにいたのね。探したわ」

 華やかに笑った彼女は、女にしては背が高く、肩幅があり、胸も大きい。スカイブルーの瞳は炯々として力強く、目鼻立ちのはっきりした美人顔だ。

 白と銀色の士官学校の制服を隙なく着こなしているが、エトワールのようなプリーツスカートではなく、脚線にぴったりとしたズボンタイプを着用している。

 女騎士として馬に乗る機会が多い故の選択だろう。

 三回生の階級章をつけている。

 下級生の女生徒に「お姉さま♪」と呼ばれてキャーキャー騒がれるタイプだ。

「ああ、グレンダ、一週間ぶりかな。会えなくて寂しかったよ。家のほうはもういいのかい?」

 生徒会の副会長の彼女は、同じ生徒会役員ということで、ギルーシュやスレイマンと行動を共にすることが多い。

 危うく女教師との秘密事が露見しそうだったことを察して、ギルーシュは内心で冷や汗をかきながらも、表面はにこやかに応じた。

 表裏有る疑似優等生のギルーシュと違って、グレンダは品行方正でいささかまじめすぎるところがある。彼女の生を受けたマリーローズ王国は、太陽帝国アヴァロンを支える諸王国の中でも屈指の名門だ。

 新興国家である太陽帝国に譜代といえる家臣はほとんどいないが、例外の一つが彼女の家である。

 なにせ、グレンダの曽祖父は、マクシミリアンがまだ傭兵をしていたころからの部下だったという。

 その曽祖父をはじめ、祖父や一族の者たち大勢が、マクシミリアンの覇業のために命を投げ出してきた。

 この忠臣の一族に報いるに、マクシミリアンは帝都近くの肥沃な領地を与えて王家としたのだ。

 今回もまた当主が亡くなると、一人娘で、まだ学生に過ぎないグレンダに家督相続を認めたのは、特別待遇といっていいだろう。

 王家の後継者という立場を、グレンダは昔から過剰に意識しており、座学はもちろん、武芸も熱心に学んでいた。

 そして、この大輪の薔薇の如き美貌である。

 その毛並みの良さと見栄えを見込まれて、マクシミリアンの葬儀のときには、学生の身分でありながら帝国軍の力の象徴たる陸龍の背に跨って先導する栄誉を担った。

 陸龍というのは、馬の三倍以上の体長と、十倍以上の体重を持った太くずんぐりとしたモンスターだ。

 その名の通り、空は飛べないが、陸上では無敵といっていいほどの圧倒的な破壊力を発揮する。

 とはいえ、気性は荒く、プライドの高い動物であり、使役するには大変な手間暇がかかる。餌はたくさん食べるし、人間の手で繁殖することもできない。

 その上、巨体ゆえに足は遅いし、小回りは利かず、障害物の多い地形では立ち往生してしまう。さらには持久力もないと、大変コストパホーマンスの悪い兵科である。

 よほどの財力がないととても常備できず、帝国軍といえども十頭しか保持していなかった。逆にいえば、帝国でしか扱えない。まさに帝国の武の象徴といえる。

 その先導役を任されたのだ。現在の帝国女騎士の象徴として扱われているといって過言ではないだろう。

「ええ、なんとかね。あとは一刻も早く有能な婿を捕まえてきてほしいと、ゴドーたち重臣にせっつかれたわ」

「あはは、グレンダも大変だね」

「もう、他人事みたいに……」

 その生まれ故に、幼馴染といっていい関係のスレイマンは、明らかに彼女に気がある。しかし、一人娘としては婿が欲しいのだ。

 地方王家の次男坊は恰好のターゲットというわけで、ギルーシュによく粉をかけてくる。

 いつものようにはぐらかされたグレンダは、少し複雑そうな顔をしたが、エトワールほどに猪突猛進な性格ではない。

 ギルーシュの逃げを認めて、視線を転じた。

「ガルムも久しぶりね」

「おう。これからは女王陛下と呼べばいいのか?」

 ガルムのいささか皮肉めいた質問に、グレンダは破顔一笑する。

「やめてよ。在校中は皇族扱いするなって、スレイマンのやつがよく言っているでしょ。なら格下の女王はさらに不要よ」

 お返しとばかりに、大きく息を吸ったグレンダは、両手を自らの腰に当てて、大地に寝転がっている同級生に顔を近づける。

「ナックラーグから聞いたわよ。ガルム、あんたまた実技の授業サボっていたでしょ。あんたの武術の腕前はみんな認めるところよ。授業に出ても得るところはないという気持ちはわかるわ。でも、あんたの戦うところをみて勉強したいって人はたくさんいるの。それなのに自分のレベルについてこられないからってさぼるというのは」

 説教がとめどなく続くので、ギルーシュはそっと別れの挨拶をする。

「それじゃ、俺はこれで」

「おいまて、ギルーシュ。てめぇ、見捨てる気か」

「ガルム。あなたはスレイマンの側近の中の側近なのよ。匹夫じゃ困るの。単なるボディーガードではなくて、将軍とか人を動かす地位に就くかもしれないのだから、もっと自覚をもって自分を高めなさい」

 グレンダも懲りないな、と思いながらもギルーシュが一歩を踏み出したところに、その前方から、妖精の化身のような少女が、満面の笑顔で軽やかに駆けてきた。

「あ、いたいた、せんぱ~い♪」

「いっ!?」

 天敵の登場に、ギルーシュは一歩退いてしまった。

 その態度に眼前で立ち止まったエトワールは、かわいらしく頬を膨らませる。

「も~そんなに警戒しないでくださいよ。さすがにわたくしも今回はやりすぎたかな、って少し反省しているんです。お兄様にもこっぴどく叱られましたし」

「あ、そ、そうなんだ」

 いささか頬を強張らせながらも、ギルーシュは安堵する。

 明るく元気でかわいい少女。それだけで十分に魅力的なのに、皇女殿下だ。そのような存在に好意を向けられるのは、決して悪い気分ではない。

 ただ、その好意があまりにもあからさまなので、どう対処していいものか、判断に困っているだけだ。

「それでお詫びと、あとお兄様と先輩の仲直りのためのお茶会を開こうって話になって、先輩を探していたんです。ということで、お茶会のお誘いに来ましたわ。参加していただけますか?」

「あ、ああ……もちろん」

 なんとも行動的なお姫様である。

 スレイマンとの友人関係を清算するつもりなどまったくないギルーシュが、この申し出を断る理由はない。

「そういうことなら喜んで参加させてもらうよ」

「よかった~~~♪」

 両の掌を合わせたエトワールは満面の笑みを浮かべた。それからギルーシュの傍にいた男女にも声をかける。

「よろしかったら、グレンダお姉さまもいかがですか?」

「では、お邪魔でなければ伺いましょう」

「ぜひ♪ あ、ガルムもいらっしゃい」

 グレンダの返事に礼儀正しく喜んでみせたエトワールは、次いで寝転がっていた男に軽い調子で命じた。さすがにガルムは小さな声で、不満げに吐き捨てる。

「俺だけ呼び捨てかよ」

「えー、ガルムはガルムでしょ」

 細い右腕を伸ばしたエトワールは、芝生に腰を下ろしているガルムの青い頭髪をポンポンと叩く。

 幼少時にスレイマンに拾われて王宮に上がったガルムは、皇室の方々と家族ぐるみの付き合いがあるらしい。

 エトワールからみると、先輩というよりもより近しい存在。もう一人のお兄ちゃん、という感覚のようだ。それもダメ兄貴。

 そのとっつきにくい性格から、みなに怖いといわれることの多いガルムなのだが、エトワールにかかると、すっかり飼い犬扱いだ。

「懐かれているな」

「いや、あからさまな差別を感じるが……」

 ギルーシュが小声でからかうと、ガルムは不機嫌そうにソッポを向いた。しかし、その表情は少し緩んでいる。

 飼い犬としての境遇に満足してしまっているらしい。

「それじゃ、お茶会にいきましょう。あ、ヘレナ先生もご一緒にいかがですか? いまからお茶会をするんで~す♪」

 秘密の恋人がまだ近くに残っているとは思わなかったのだろう。第二校舎からでてきたヘレナは、メガネの奥で軽く目を瞠った。

「……。お茶会か。まぁ、いいだろう。ご相伴に預かろう」

 ギルーシュとの関係などおくびにも出さず、ヘレナは女教師らしい居丈高さで応じる。

「ということで、みんなでお茶会ですわ」

 元気な皇女さまに率いられて、ギルーシュ、ガルム、グレンダ、ヘレナの一行は第一校舎にある生徒会室に向かう。

 その道すがらエトワールがぼやく。

「でも、セックスなんて結婚したらあたりまえにすることなんでしょ。前か後かの違いだけですのに、なんでこんな問題になるのかしら?」

 どうやら、このお姫様の頭の中では、ギルーシュと結婚するという未来図は規定路線のようである。

 ギルーシュは頭を抱えたくなった。万事如才のない生徒会書記が、こんなにも対応に苦慮している姿は珍しい。

 代わりにグレンダが、柔らかい笑顔で応じた。

「ギルーシュは所詮、次男坊ですからね。領地家格を継げぬ身です。皇帝陛下やスレイマンの御心を推察しますに、姫様にはしかるべき大国の後継者たる殿方に嫁いでもらいたいと考えているのだと思いますわ」

「あら、地位階級なんて流動的なものですわ。本人に才幹さえあればあとからいくらでも獲得できるでしょう。グレンダお姉さまにしても、皇太子妃なんてとってもお似合いですわよ。わたくし、ぜひお義姉さまと呼びたいですわ」

「いえいえ、わたしにそのような器はございません。マリーローズの家門を守ることだけで精一杯ですよ」

 上級生と下級生の会話は、礼儀正しいのに目が笑っていない。女同士の言葉による干戈を聞いたガルムは、ギルーシュに向かって意味ありげに笑う。

 ギルーシュが引きつった顔になっていたのは、二人の毒気に当てられたせいばかりではない。後頭部に突き刺さる女教師の眼鏡越しの視線を感じて、生きた心地がしなかったのだ。

「よぉ」

 ギルーシュたちが生徒会室に入ると、すでにスレイマンは席についていた。

「元気そうでなにより」

 ギルーシュはにこやかに応じる。

 同じ年の男子である。士官学校に入学してから今日まで、学問でも、武芸でもなにかと張り合ってきた。

 殴り合いの喧嘩をしたことも一度や二度ではなかったから、いまさら根に持つような関係でもない。

 それにテーブルにはスレイマンの他に、もう一人。ロマンスグレーの頭髪に、白い髭を蓄えた老紳士が、姿勢正しく端然と着席していた。

 その人物の威風をまえにしては、そうそう子供っぽく振舞えない。

「校長もいらしていたんですか?」

「ああ、邪魔しておるぞ」

 好好爺と笑ったこの老人こそ、当学校の校長にして、太陽帝国建国の功臣の中でも、随一と称される大軍師グレゴールである。

 庶民出身であり、基礎的な軍事知識もなかったマクシミリアンが不敗を誇れたのは、彼との出会いがあったればこそ、というのは多くの人が講釈するところだ。

 マクシミリアンは、自分よりも年下のグレゴールを師のように扱い、用兵の何たるかを学んだのである。

 老齢となり、一線を退いてからは、士官学校を創設して初代校長となった。

 ギルーシュは、この偉人に見込まれているところがあるようで、折に触れて「わしの秘蔵っ子だ」という過分な紹介をされている。

「エトワールちゃんからお茶会を開くと聞いたのでな。参加しないわけにはいくまいて。おお、ヘレナ先生もいっしょか」

「はい」

 生徒と不純異性交友をしている女教師は、上司に向かっていささか緊張した態度で一礼する。

「よきかな、よきかな。生徒との交流は大事だからの」

 グレゴールにとって、この校長という役職は、隠居爺さんの手慰みといったところなのだろう。

 生徒たちと交わるのがなによりも好きらしい。

「……」

 スレイマンの視線は、ギルーシュの後ろに続いていたオレンジ色の巻き毛の女生徒に向けられていた。

 それと察したギルーシュは軽く苦笑して、グレゴールの左隣に腰を下ろす。すかさずエトワールが反対に陣取った。

 ギルーシュの両側を塞がれたことを確認したグレンダは、スレイマンに媚びをまったく含まないが美しいという計算されたような笑みを向ける。

「隣、いいかしら?」

「どうぞ、キミの要望を拒絶する言葉を俺は持たないよ」

「もったいないお言葉」

 親しい友人として完璧な一礼をしたグレンダは、スレイマンの左隣に着く。

 平静さを装いながらも、嬉しさを隠しきれていないスレイマンの背後で、軽く肩を竦めたガルムは、その右隣に座る。

 最後に入室したヘレナは、空いている席ということで、ガルムとグレゴールの間に腰を下ろした。

「おまえもエトワールに捕まったのか」

「ええ、こういうのは苦手なんっすけどね」

 スレイマンに声をかけられたガルムは、ハイソな雰囲気は肌に合わないといいたげな仏頂面で応じる。

「はは、エトワールはかわいいからな」

 満足げに腕組みをしたスレイマンは呵々大笑する。

 それを受けてグレンダは、向かいの席の皇女を見やる。

「皇女殿下に置かれましては、今日もまた一段と派手にやらかしたそうですね」

「あはは、その話はもういいでしょ。それじゃ、いまお茶を淹れてきますね」

 明るく笑ってごまかしたエトワールは、逃げるように席を立った。

 給仕など侍女のやる仕事だが、校内では建前上は一般生徒と同じだ。

 下級生として上級生を立て、率先して雑務をこなす。

「は~い。どうぞ」

 白いテーブルクロスの敷かれた机の上に、色とりどりなティーカップが配置され、その上に紅茶を淹れられていく。

 それを一口飲んだグレンダは軽く目を瞠る。

「あら美味しい。うちのゴドーが入れるよりも上手ね」

「でしょ。いつまでも世間知らずなお姫様とは言わせませんよ」

 偉そうに胸を張って応じるエトワールは、だれがみても世間知らずなお姫様だ。

 呆れる上級生たちを他所に、エトワールはツバメのように軽やかに動き回り、今度は巨大なホールケーキを持ってきた。

「はいはいちゅうも~く! こちらは学食から取り寄せました。特製チョコレートケーキですわ」

 みなの見ている前で包丁を持ったエトワールは、慎重にケーキを切り分ける。

「大きい小さいは気にしないこと。はい、回して回して」

 白磁の取り皿に乗せられたケーキを、皇太子だろうが校長だろうがお構いなしに手渡しで移動させる。

「はい。先輩には一番大きいケーキですよ」

 エトワールはあからさまに大きなケーキを、ギルーシュのまえに置く。それにスレイマンが抗議の声をあげた。

「ちょっとまて。おまえいま、大きさを気にするな、とか言ってなかったか?」

「ええ、そうですわ。素人であるわたくしの手で切ったのですから、大きさがマチマチになるのは仕方ありません。ちなみにお兄様のケーキは一番小さいのです。どうも最近お兄様は体重が増えている気がして」

「増えてねぇよ!」

 思わず叫ぶスレイマンに、エトワールはジト目を向ける。

「まぁ、お兄様ったらたかがケーキで意地汚い」

「そういう問題じゃねぇだろ!」

「もう一々細かいですわね。そういう小さいことばかり気にしているといい皇帝になれませんわよ。はい。先輩、あ~んしてください」

 もう話は終わりとばかりに席に着いたエトワールは、自分の分のケーキをホークで切り取ってギルーシュの口元に差し出した。

「え、えーと」

 ギルーシュは対応に困ってあたりを伺う。

 完全に兄を舐め切っている妹の態度に、スレイマンは握り拳を震わせているし、グレンダは薔薇の棘のような眼差しで見つめてくる。ヘレナは平然とした顔で紅茶を口に運ぶ。ガルムは顔をそむけながら、自分のケーキをぞんざいに頬張っている。グレゴールは好好爺として微笑を浮かべていた。

「いや、ちょっと」

 辞退しようとするギルーシュに、向かいのスレイマンがドスの利いた声をかける。

「ああん、ギルーシュてめぇ、俺の妹に恥かかせる気か?」

「いや、だから、素直に受けたら、おまえ怒るだろ」

「当たり前だ。俺の妹は皇女だぞ。偉いんだ。てめぇみたいな田舎者に相応しくない」

 妹に怒れないから、ギルーシュに怒りをぶつけているのは明らかだ。

 それを見透かしてエトワールは軽蔑の視線を送る。

「お兄様、ウザイ」

「シスコン」

 澄ました顔で紅茶をすすりながら、グレンダもまた冷たく罵倒する。

「くー」

 悔しげに呻いたスレイマンは、椅子に座り直して吐き捨てた。

「もういい好きにしろ!」

「は~い、好きにしま~す。ということでお兄様公認ですわ。はい、先輩、あ~ん♪」

 ここで無理して断ったら、場の空気が悪くなると見て取ったギルーシュは、諦めて口を開く。すると甘苦いチョコレートケーキの味が口内に広がる。

「はい、次はわたくしにお願いしま~す。あ~ん♪」

 満面の笑みで口をあけたエトワールは、白い歯並と赤い舌を覗かせながら、おねだりしてくる。

 仕方ないのでギルーシュは、自分用に配されたチョコレートケーキを切り、エトワールの口に放り込んでやる。

「ん~、美味しい♪ はいはい今度はわたくしが食べさせてあげま~す♪」

 はしゃぐ妹を横目に苦虫を噛む表情になったスレイマンだが、なんとか気を取り直して傍らの華やかな副生徒会長に声をかける。

「そういえば、グレンダ。無事に家督相続が済んだようだな」

「ええ、おかげ様で。ただ、国元に帰ってわかったのですが、どうも各地の反乱軍のせいで、物資不足が深刻ですね。領民の暮らしむきはかなり苦しいようです。うちでまで一揆が起きないかハラハラしましたわ」

「それで遅くなったのか……。反乱軍め、忌々しいな。せっかくお爺様が、世界を統一なさり、太平の世を築かれたというのに、愚かなやつらだ」

 腕組みをしたスレイマンは眉間に皺を寄せる。そこに女教師のヘレナが口を挟んだ。

「世代交代の過渡期には仕方がないことでしょう。イザーク将軍やリヒャルト将軍も頑張ってはいるようです」

 イザークとは、グレゴールよりもさらに一世代下で、その後事を託された将軍だ。一方のリヒャルトは、当士官学校の一期生で、新世代の将軍として知られている。二人とも教官として、士官学校に来てくれたことがあるので、生徒たちには馴染んだ名前だ。

 大英雄マクシミリアンの手足となって戦った建国の元勲といえる将軍たちは他にも大勢いたのだが、みな高齢で引退したり、亡くなったり、あるいはマクシミリアンの逆鱗や猜疑心に触れて粛清されてしまった。

 かつては手が付けられないといわれるほどの精強さを誇った帝国軍も、現在は意外と指揮官クラスに人材がおらず、それが反乱鎮圧に手間取っている原因といえる。

「そういえばヴァレンティナ先輩も、さっそくずいぶんな武功をあげて表彰されたみたいよ。なんでも『空を泳ぐ人魚』などという異名をつけられているそうです」

 グレンダが上げた名前は、今春卒業した前生徒会長で、スレイマンやギルーシュを顎で使うという、なかなかの女傑であった。

「さすがだな。ああ、俺もいますぐにでも鎮圧軍を率いて出向いてやりたいのだが……」

「おお、いいぜ。そのときは俺に先鋒を任せな。全部、斬り捨ててやるよ」

 スレイマンの言葉に勇ましく同意したのはガルムだ。盛り上がる男子たちを、副生徒会長は窘める。

「反乱軍の鎮圧程度に、皇太子が出向いてどうするのよ? もっと自分の立場をわきまえなさい。それからガルム。反乱軍といえども帝国臣民なんだから、皆殺しにするなど己が足を食うタコのような所業よ。いかに彼らを普通の生活に戻すかを思案しなさい」

 いかにも優等生らしい説教臭い言い分に、ガルムは顔を顰める。

「わぁ~っているよ、いちいち水を差すな」

 ピキ!

 不良生徒の暴言に、生真面目な副生徒会長のコメカミが引きつる。

 そこにギルーシュと戯れていたエトワールが口を挟む。

「そうですわ、お兄様。ここはギルーシュ先輩を討伐軍の司令官に任じてくださいませ。そうすれば立ちどころに鎮圧して箔が付き、お父様説得の材料となりますわ」

 兄は攻略したから、次は父親だ、といいだけな妹の言動はともかく、スレイマンは生徒会書記に声をかけた。

「おまえならどうする? 若き天才軍師殿」

 その呼称は皮肉だが、ギルーシュの戦術的な才幹は、士官学校の生徒の中でも頭抜けている。

 スレイマン相手の模擬戦でも、コテンパンにしてしまった。

 ゆえに、グレゴールの秘蔵っ子と呼ばれるのだ。

 ギルーシュは口の周りに付着したチョコレートクリームを、ナプキンで拭いながら応じる。

「俺は別に行きたくないね。どんな将が出向こうと、反乱鎮圧は時間の問題だ。物量の差がありすぎるからね。そんなことよりも、俺としてはもう二度と反乱がおきないようにすることに心を砕きたい」

「綺麗事だな」

 鼻で笑うスレイマンを、真面目な表情を整えたギルーシュは訴える。

「キミは三代目の皇帝だ。創業の人ではなく、守勢の人ということを忘れてはいけない。どんなに武功をあげたとしても、決してお爺様には勝てないんだ。それよりも、人々の生活レベルを向上させることにこそ血道を上げるべきだろう。その分野ならば、キミはお爺様を超えられる。そうすればキミという名君を生み出したことで、先祖の英名もますます高まるだろう」

 スレイマンは負けたといいたげに肩を竦めて、天井を仰ぐ。

「おまえは宰相になりたいんだったな」

「ああ、及ばずながら、キミの足を生涯かけて支えるよ」

「ふっ」

 こう素直に出られては、いつまでもわだかまりを持っているのもバカらしいといいたげにスレイマンは微笑して立ち上がった。そして、テーブル越しに右手を差し出してくる。

「ああ、頼むぞ。未来の宰相殿」

「任せておけ。俺がいる限りキミの治世は盤石だ。太平の世は築かれて、名君の誉れは約束されたようなものだ」

 スレイマンの右手を、ギルーシュもまた立ち上がって握りしめた。

 ガシッと握手をしながら、スレイマンは思いっきり力を込める。

「そして、てめぇが名宰相ってか? 少しばかり自惚れが過ぎないか」

「いや~、名君というのは、名臣さえ居れば手に入れられる称号だ。キミは実に運がいい」

 額に汗を流しながらも満面の作り笑いをしたギルーシュもまた、右手を思いっきり握る。

「こいつ抜け抜けと。……いいか、まだエトワールをやるとは言ってないからな。手をだしたらどうなるかわかっているな?」

「それはおまえの妹に言ってくれ」

 互いに引きつった笑顔を真っ赤に紅潮させて、相手の拳を握りつぶそうとしているギルーシュとスレイマンのやり取りに、テーブルに両肘をついたエトワールは面倒臭そうに溜息をつく。

「はぁ~、やっぱりお兄様って器が小さいですわ」

 ギルーシュの手を振り払ったスレイマンは、妹に食ってかかる。

「おまえはこいつの表面に騙されているけどな。こいつはすげぇー負けず嫌いで腹黒いんだぞ。模擬戦で対戦すれば、性格の悪さがイヤでもわかる。まったく次から次へと相手の嫌がることばかりしてきやがる」

「あ~はいはい。要するにお兄様が一度も勝てない負け惜しみね」

 ぞんざいなエトワールの決めつけに、あたりには苦笑が漏れる。

 そんな生徒たちのやり取りを楽しげにみていたグレゴールは、声を上げて笑った。

「ほぉほぉほぉ、殿下は良き学友たちに恵まれておられる。大事になされよ」

「それは……はい」

 色々と言いたい言葉を飲み込んで、スレイマンはしぶしぶ頷く。

 グレゴールは好好爺として目を細めた。

「光陰矢の如し。青春など一瞬の出来事じゃ。若いうちにできた友は生涯の友ぞ」

 なんとなくみな、テーブルに着いた面々を見回す。

 生徒会長にして皇太子のスレイマン。その妹にしておそらくは来年度の生徒会長エトワール。副生徒会長にして譜代王家の王位をついだグレンダ。外様王族の次男坊ながら将来有望な生徒会書記のギルーシュ。学生でありながら皇帝主催の武芸大会で優勝したガルム。

 そして、それを見守る女教師のヘレナに、校長のグレゴール。

 うららかな陽射し指す昼下がり。桜吹雪を窓の外に見やりながら開かれたにぎやかなお茶会。

 それはたしかに太平の形であった。

 グレゴールはこのような日常を築きたくて、生涯を戦いに費やしたのだ。

 彼らは信じていた。このような穏やかな日々が永遠に続くことを。いや、来年にはスレイマン、グレンダ、ガルム、ギルーシュは卒業していき、それぞれ別の道を歩むことになる。

 それでも、彼らの友情は途絶えることはない。……はずだった。少なくとも、この瞬間までは、みなそう思っていたのだ。

 同時刻。

 士官学校からほど近い帝宮では、ギルーシュの父親であるクリシュナー王が謀叛の疑いで、皇帝ツァウベルンによって粛清されていた。


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