-2- 助かったはいいけれど……
※ちょっと汚い表現ありです。
「動くなっ!」
突然の怒鳴り声に、私は痛みも忘れて目を見開いた。
目の前には漫画で良く見る軽めの鎧を着た男性だった。当たったのはたぶん金属の胸当ての部分だろう。なんて事はさておき、怒鳴られ体が金縛りにあったみたいに地面に縫い付けられる。
男性は体を足を開き腰を落として少し低を体勢をとると、右手に持っていた長い剣を前に突き出した。ガチャリと金属音が鳴り持ち手に力が入ったのが分かった。
自由に動くのは視線だけだ。思考が停止してただ一点剣先に視線が縫い付けられた。すぐに頭上の草むらから、何かが飛び出してくる。
「はぁっ――――!」
グァ――――――っ!!!!
グサッとか、グチャっとか、嫌な音と共に追いかけてきたモノの正体が姿を現した。真下から見るソレは、犬のように突き出した口を大きく開け、涎をダラダラと滴しながら私の真上で止まっていた。
剣先がソイツの体で見えない。容赦なく垂れてくる涎をモロに浴びたと思ったら、ボタボタと鉄臭い液体まで降りかかってきた。
「――――――っ!!!!」
動くに動けない私は、限界を感じて発狂しながら意識を手放した。どんな時でも冷静を保ってきた私の、人生初の気絶である。こんな体験初めてです。
『ゴメンネ、ナンカマチガエチャッタミタイ……』
落ちる寸前、一瞬の光と共にそんな言葉が耳をかすめた気がした。
田中愛星﹙タナカアリス﹚それが私の名前。天文好きの父と読書家の母から貰った、それはそれは可愛い名前。単品ならね。気に入ってない訳じゃないんだけど、名字が平凡なだけに、なんともミスマッチな響きだった。
揶揄われることなんて日常で、鬱陶しかったから舐められないように自分を強くした。
小学校では、男の子に混じってサッカーチームに入り、FWとして活躍した。
中学からは陸上部に所属して、個人でも団体でも部に貢献して、高校は陸上で有名な学校に進学。どんどん力をつけて、今年の夏ようやく全国大会出場の夢を手に入れた。
156cmと小柄ながら、瞬発力持久力があり誰からも一目置かれる存在だった。
成績もそこそこ良かった。そこは、そこそこである。特に突出して語る事は何もない。
負けず嫌いではあったけど、人に嫌われる性格はしてない、と思う。人に優しく、自分には少し甘く、時としてストイックに打ち込む性格は、何をするにもバランスが良くとれていたんだと思う。
とまぁ、自己評価は色々と尽きないけど、そんな感じ。見た目は、ごくごく普通の一般人。二重の目は大きめで、鼻も上がることなく下がることなく、唇もプックリはしてないけど、薄くもない。
健康的に日焼けした肌と、身長のわりに長めの足。母は「現代っ子って良いわね」っていつも言ってたな。
サッカーや陸上をやっていたけど、ショートカットだったわけでもなく、キッチリ結べるように肩下20cmほど伸ばしていた。
色も黒で、カラーやブリーチなんかもしたことないから、サラサラで唯一の自慢だ。
近所付き合いも良い方で、おしゃべり好きのおばちゃんなんかと良く話をしては、「アリスちゃんは良いお嫁さんになるわね」なんて言われたりもしてたっけ。
特にこれと言って不幸な事は何もない。順風満帆な人生を歩んでいたと思うのだが……。
意識が段々と浮上して、うっすらと目を開けると、知らない天井だった。そう、あのテンプレの【知らない天井】だったのよ。
一度目を閉じて、また目を開ける。でも天井は見たことのない天井だった。どこだかもわからないけど、ベッドとは言い難い硬い台に、薄目の布を掛けられた状態で寝ていた。
天井をしみじみと確認してたら、ボーッとしていた意識もハッキリとしてきた。
「――――――っ!!」
と思ったのもつかの間、鉄の味が口いっぱいに広がった。生臭さも合わさって吐き気が込み上げてきて、私は思わず寝ていた体を捩って横を向き、飲み込めない、飲む込みたくない吐き気を台の下のぶちまけてしまった。
「ぐっ……! オェェーッ! ゲホッ! ゲホッ! はぁっ、はぁっ……」
涙も鼻水も吐瀉物も入り交じって、酷いことになってるけど、そんなの構ってられなかった。
盛大にむせて咳き込んでいると、突然足音が近づいてきて、バンッと扉が勢い良く開く音がした。
「大丈夫ですか?!」
自分の惨状に絶望しながら、なんとか顔を上げ入ってきた人物に手のひらを見せ動きを止めさせる。
「ず、ずみばぜん……、汚い、です……、こ、来ない方が……」
しかし、その人は気にした様子もなく、ズンズントと私に近寄ってきた。
「そんなの気にしないでいいから、いつもの方がもっと酷いからさ。さあ、この水で顔を拭いて口をゆすごう」
両手で抱えてきた大きめの桶を、寝台の横にある台に置き、起き上がるために手を貸してくれた。
声からして男の子なんだろうってことは分かったが、それ以上は羞恥と涙で目が霞んで見えなかった。
彼は、布を水に濡らして私に渡してくれた。震える手で布を受け取り、顔を拭いていく。何度か折り畳んで使えば、彼はそっと手を出し新しい布を渡してくれた。
顔が綺麗になり、今度は水の入ったコップを渡された。口も何度となくゆすぎ少し落ち着くことができた。
「はぁ……、ありがとうございました。」
私が落ち着くまでの間に、男の子は床にぶちまけてしまった吐瀉物まで片付けてくれたようだった。本当に申し訳ないしとんでもなく恥ずかしい……。
「もし、体が辛くないようなら、お湯と、男物しか無いけど服を持ってくるから、着替えない?」
「あ……、はい。何から何まですみません。助かります」
言われてハッとした。髪の毛は結んでいたとは言えぐちゃぐちゃで、シャツも赤茶色の染み……何かは考えたくもない。とにかく未だかつてない程の汚さだった。
「綺麗にしてあげたかったんだけど、何せここの砦には女性がいなくて。女の子をこんな格好のままにしてごめんね」
申し訳なさそうにそう言ってくれた男の子を、私はようやくちゃんと見る事ができた。
見た目の年は同じ年くらいだろうか、薄い水色の髪の毛は、K-POPアイドルみたいなマッシュルームカットだった。そして、瞳の色を見て驚いた。鮮やかなミントグリーンだったのだ。
あぁ、本当にここ何処だろ……。日本じゃ無いことだけは確かだな……。何故か言葉は通じるけど、あんな大きさの犬なんて見たことないし、砦っていつの時代よ……。
呆けている私に男の子は心配になったのか、顔の前で手を振り話しかけてくる。
「大丈夫? どこか痛いの?」
「あ、ごめんなさい。大丈夫です。何処も痛くないです」
「なら良かった、すぐに着替えを持ってくるから、ちょっと待っててね」
そう言うと、男の子は汚れた桶と一緒に部屋を出ていった。
「はぁ~…………っ!」
大きくため息をついてすぐに後悔する。物凄く、モノスゴク臭いのだ。
は、早くこれをどうにかしたい……です……。
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