危険な天使 ③
人間ほどでは無いにしても、エルフ自体はこの世界で珍しくない存在であり、目にするのも初めての事では無い。
現にヤマシーナの町でも何人ものエルフ達を見ていた。
だが、こんなに幼いエルフを見たのは初めての事だった。
その透明感や神秘性は俺の予想以上であり、余りの可愛さに頬ずりしたくなる。
まるで"天使"の様である。
エルフの子供とはこんなにも愛らしいものだったのか……
「う……う……」
子エルフは、まるで怯えた子猫の様に小さくうずくまっていた。
恐怖を与えたモンスターは既に死に、安全を保証して傷まで癒したというのに、この子はまだ怯え震え続けていた。
この幼き天使がモンスターに襲われるという体験は、それほどまでに子エルフに深く恐怖を刻み込んだのだ。
「大丈夫か?もう心配しなくていいんだ。もう怖いモンスターは居ないよ……」
「うぅ……」
どれだけ問い掛けても、もう危険は無いのだと伝えても、子エルフからはまともな返答が返って来る事は無かった。
ずっと怯え続けていた。
身体の傷は治したものの、予想以上に精神の摩耗が酷そうだ。
残念ながらマテラから教えてもらった《魔法書》の中に、精神を癒す《魔法》は存在しない。
今起こった出来事の《記憶消去》の魔法なら存在するが、こんな幼い子供に使って良い物かも分からない。
不得手な《魔法》に失敗して大切な記憶まで消してしまう可能性の事まで考慮すると使う気にもならない。
「どうすりゃいいんだ……」
俺は途方に暮れてしまった。
しかし、一体なぜこの子エルフは人間の中にたった一人で居たのだろうか?
既に死体になっているのは、みんな普通の人間である。
エルフの親や仲間は一体何処へいってしまったのか……
「どう言う事だ?良く考えてみれば、この状況はおかし過ぎる……」
嫌な予感がして、確認するように齧られたり欠損して内蔵が飛び出してしまっている無惨な死体に視線を移す。
俺の嫌な予想どおり、男達は人相の悪いガラの悪そうな容姿をしていた。
顔に入った刺青や、既に古傷となった刀傷から察するに、とても『堅気』の人間には見えなかった。
おかしかったのは人間達だけでは無い。
バラバラになっていた馬車の中には、何かを閉じ込めておく様な"牢"の様な物の存在や、それにこびり付いている血痕、何かを叩く為の鞭や棒などの道具が見えた。
血痕や滲んだ血の染みは今の戦闘で付いた物などでは無く、年季を感じさせる程に色褪せており、それが古くからの物である事を表していた。
そこまで来ると答えは一つしか考えられない。
「まさか…… 監禁されていたのか?」
「……」
今もまだ少女は怯え続けていた。
ヤマシーナでも何度か"奴隷"と呼ばれる人達を見た事がある。
この世界では頻繁に人身売買が行われており、またそれが犯罪行為とはされていない。
金持ちや貴族の正当な権利として人間や獣人を金で買う行為が容認されているのだ。
勿論、国とて表立って堂々と誘拐行為等の犯罪を容認している訳では無い。
あくまでも表向きは『金』で労働力を雇う。という体をとっている。
ただ、金持ち奴隷の『入手方法』を気にする事など無いし、貧しさや人種的な差別により、弱い者が強い者に買われて"奴隷"以下の扱いを受けている事は周知の事実であり、それもまた黙認されてしまっているのだ。
「そういう事か……なんて不憫な。こんな幼い子が……」
この子エルフは間違いなく、どこかで攫われてきてどこぞの変態貴族に売られる予定だったのだ。
俺が助け出した時に身体に残っていた裂傷は、モンスターによる物なのか、それとも……
脳裏に泣いているこの幼気な少女の姿を想像してしまい、肉塊と化してしまっていた人間達に怒りが沸き起こってくる。
こんな奴ら、助けなくて本当に良かったと思った。
モンスターに襲われる前にもし俺が見付けてしまっていたなら、俺はこの人間達を許す事が出来ただろうか……
モンスターが居なくとも、俺がこの人間共を許せなかったかもしれない。
「くっ……」
この少女がどういった経緯でここにいたのか、本当の所は理解出来ないが、奴隷制度の撤廃された日本人の俺からすれば、例えどんな理由であれ、この現実は気持ちの良いものでは無かった。
俺には生まれつき人間を超える《力》を持っていた。
だが、俺にもしこの少女の様に非力で《力》が持っていなかったとしたら、俺も同じ立場になっていたかもしれないのだ。
「安心しろ。俺は人攫いや奴隷商人なんかじゃ無い…… お前を助けに来たんだ」
笑顔を作るのは今でも苦手だった。
腸は今も煮えくり返っている。
笑える様な精神状態では無い。
だが、少しでも少女を安心させる為に必死で作り笑いをした。
努力の甲斐があったのか、時間が経って冷静さを取り戻したのか、少女の警戒心がほんの少しづつ解かれていく。
「…… ママ、は……?」
絞り出す様な、俺で無ければ聴き逃してしまいそうな小さくか弱い声で少女が応えた。
その弱々しさに必死で作った笑顔が崩れてしまいそうだった。
残念ながら周囲には母はおろか、他のエルフも、生き残っている者は誰も居ない。
「お母さんは今ここには居ないよ。でも安心して。俺が必ずお母さんの所まで連れて行ってあげるから……」
「本当に……?」
「ああ。約束する。必ずお母さんに会わせてあげるから」
「う、う、うわぁぁぁ~」
張り詰めた緊張が解けたのか、少女は大声で泣き叫んだ。
どうして良いものか分からずに、取り敢えず見よう見まねで少女を抱き締めた。
子エルフは人間で言うならば四歳か五歳といった所だろうか?
こんな小さな少女に触れても俺の変態性は発動しないし、誰かに怒られたりもしないだろうが、それでも女の子に触れると言う事に少し抵抗を覚えた。
だがそれでも、この子エルフを少しでも慰める事が出来るなら俺の気持ちなど、どうでも良かった。
強く子エルフを抱きしめる。
そんな複雑な気持ちをかき消すかの如く、子エルフの身体はまるで液体かと思う程に柔らかく、ずっと抱き締めていたいと思う程に抱き心地が良かった。
まるで毛の無い子猫の様な柔らかさだった。
少女を優しく支える掌に当たる暖かいプニュプニュの感触が、張り裂けそうだった俺の怒りを鎮めていく。
少女は最初こそ警戒してたものの、俺には色んな意味でも危険性が無いのが伝わったのか、直ぐに安心してそのまま眠りについてしまった。
「え…… こんなタイミングで!?嘘だろう?」
「すぅすぅ……」
優しく揺すってみても、声を掛けて見ても、子エルフは信じられない程深く眠りについており起きそうにも無い。
エルフとはこんな感じでいきなり寝てしまう物なのか?
俺の腕の中で、信じられないタイミングで寝てしまった少女の扱いに戸惑ってしまう。
「ああ~完全に寝ちゃってるよ。でも、約束しちゃったものは仕方が無いけど、これからどうしよう……」
感情に負けてとんでもない厄介事を引き受けてしまった事に今更後悔する。
俺にはやらなければならない事が山のようにあると言うのに……
「まあ、この世界にいるモンスター程度なら、女の子一人守りながら旅するぐらいは何とかなるか……」




