蘇る記憶 マヌケな死
夕焼けが、地上を赤く染めてゆく。ここはマンションの48階・西側。
この高さから見る夕景色は、東京の街にゆっくり炎が燃え広がって行くようで、少し恐ろしい。
特に私が使っている部屋は、思いっきり西向を向いた部屋だ。
西日との距離が近く、この時間帯になると朱赤の光が強く差し込み、カーテンを閉めていても、眩しい。
「わっ、ダイナミックだねぇ。いいなぁ、このマンション」
カーテンを勢いよく開け放ったみぃ子は、ベランダから見る光景に感心している。
「あー、また授業をサボってしまった」
私は、ため息を吐きつつゲーム画面を閉じた。
結局、朝から今まで休まず『王女さまと五神の伝説』の中華ファンタジーの世界に入り浸ってしまった上に、昨夜も一晩中苦戦して居たのだ。眠気で頭がぐらぐらする。
「クリアしてみて、どうだったぁ?」
みぃ子は、清楚な見た目に似合わず、喫煙者だ。ベランダに身を乗り出し、タバコに火を点け、一口吸って、ぷう、ともくもく湧き上がった煙を夕陽に向かって吹き付けた。
「いや、もう、やりきった感がすごい」
ふわあ、と欠伸をしながら伸びて、またベッドに倒れた。
「なんか、人間一人の人生を味わってきた感じだよ、ゲーム内で。本当に人を愛するって、人生そのものを捧げるってことなのかな」
と言うと、みぃ子も大きく首を縦に振って深く同意する。
「授業をふたコマと、睡眠時間を犠牲にした甲斐あったでしょぉ?」
「うん、もはやこれは乙女ゲームというより、人間関係の教材でした。授業はザボったけど、ちゃんと人間心理学の勉強になりました! って、心理学の教授にメールしとこうっと」
と、私はふざけ半分に言って、ベッドから這うように冷蔵庫へ向かい、棒付きアイスキャンディーを冷凍庫から取り出した。みぃ子も、ベランダから手を入れ、ちょうだい、こっち持ってきて、のポーズを取っている。
「しょうがないなぁ」
ピーチ味を二つ取り出し、ゲーム機を持ってベランダへ行った。
『王女さまと五神の伝説』には、“ゲームクリア”と表示されており、あの白虎王子が晴れやかな顔をしている。
その画面を開いたままゲーム機をベランダの淵に置いて、みぃ子にアイスを渡した。
「じゃあ、ようやくのゲームクリアを祝して乾杯だね」
自分のアイスをこつんと、みぃ子のアイスにくっつけた。その衝撃で、互いのアイスのふちがかける。
「アハハ、なにそれぇ。もう、ちょっと割れちゃったじゃん」
と、みぃ子はくすくす笑いながら、
「じゃあ、白虎王子も乾杯! お疲れ様でしたぁ!」
とふざけてゲーム画面に向かってアイスを近づけ、乾杯した。
と、その時、みぃ子がアイスの棒を持つ手の力が抜け、すり抜けた。まっ逆さまに、ゲーム機にぶつかる。
「うわぁ、ヤバ」
みぃ子は、慌ててアイスとゲーム機をキャッチしようとする。
が、ゲーム機はアイスの重さですでにバランスを崩しており、手すりの向こうへ傾く。
ピーチ味のアイスキャンディは、すでに朱赤の日の光の向こうへ消えていた。
「あ、待って」
私は、勢いよく身を乗り出し、落下しようとするゲーム機に手を伸ばしたが、あと1センチ届かずにすり抜ける。
「ちょっとゆとり、危ない!」
夕焼け色に染まった地上へ向かって落ちていくゲーム機。右脚を手すりに掛け、腰までを乗り出して手を伸ばす。が、間に合わない。
「でも、せっかくクリアしたのに」
ここは48階だ。下へ落ちれば間違いなくゲーム機はソフト、データごと粉々に砕け散る。
それはダメだ。ヒロインとしてみんなと苦楽を共にして、色々な試練を乗り越えたのに。あのデータを壊しちゃだめだ。
と、私はさらに左脚も手すりにかけ、太もも近くまで塀の外へ投げ出した。
右手で手すりを掴んで身体を固定し、左手を勢い良く伸ばす。
(あ、届きそう…)
と、ゲーム機に手が触れるが、上手く掴めない。でも、もうちょっとだ。
だが、更に手を伸ばそうとした瞬間、手すりを掴んでいた右手が離れてしまう。
私の体は、ぐらりと揺れてベランダの塀を越え、真っ逆さまに投げ出された。
「え、ゆとり!!!!」
みぃ子が悲鳴混じりに私の名前を呼ぶ。
ゆとり、ゆとり、ゆとり、と何度も呼ばれるが、徐々に声が遠くなっていく。
(あれ? 私…落ちてるの?!!)
そこは、夕陽の光に包み込まれ、朱赤に染まった東京。全体重45キロの拠り所を無くした私は、赤い地上に吸い込まれていくような感覚を覚えた。
オレンジの空の中、一直線に下へ下へと落ちていく。
ゆったりと地平線上に座る夕陽と目が合って、初めて冷静に状況を認識出来る。
ゲーム機を拾おうとして、身を乗り出してベランダから落下している。
ここは48階で、絶対に死ぬ。重力に抗う術も無い。
激しい寒気が身体を襲い、雷に打たれるようにビリビリと、鳥肌が立つ。
(こ、怖いよおおおお…)
大きく息を吸って、もう時期やってくるだろう激痛に備え、歯を食いしばり、目を瞑った。
(お父さんお母さん、こんなマヌケな死に方して、ごめんなさい。ローンで買ったマンションを幽霊物件にして、ごめんなさ…)
グチャ