軍艦島
「某米国映画協会が催す、うんぬんかんぬんというものを受賞するというのも想定内だ。かつてわたしたちの国では日の丸が列強の万国旗に加わろうとして、祖先は小説という虚言癖を真似した。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治。代表的人気作家は模範生徒だ」
作家、有吉蓋夫はまだ暗中模索を続けていた。彼は長崎にある軍艦島で寝泊まりをしている。この島は大正時代に炭坑労働者のために開発された都市であり、日本初の鉄筋コンクリートのマンションも建っていた。床屋や郵便局、公園、学校もある。東京オリンピックの時はカラーテレビ所有者が百パーセントに及んでいたという。まったく豊かな町だ。だがガソリンの普及により、七十年代で廃村となった。もはや今は分厚い鉄の扉で港は閉ざされ、国民は入ることを禁じられている。だが彼は取材のためと、長崎県知事を説得し、テントを張って生活をしていた。
「夏目は家庭の言葉で書いた。芥川は現実世界と小説に杭を分け隔てた。太宰は自らをアバンギャルドな小説に溶け込んだ。そんな小説は虚言の塊だ。研究熱心な魂が原稿用紙上、群馬県渋川へそ踊りのように大胆な八木節に乗ってへそを中心に肢体を動かす。ゆえに五臓六腑に染み込む。青い瞳をした審査員の心を打った。日本人は俗的な人間である」
『芥川は若いころ、海軍船で乗って任務に就いた。その経験を活かし、日常から観念世界へ旅をしてみよう。
「わたしはどこかしらないが、揺りかごのようないすに座り、真っ白い光の下、隣に座る不老者と話していた」
それどころか芥川は新聞社嘱託の中国駐在記者をしたのをも活かす。
「ある寂れた町に魔女が座っていた」
わたしは芥川が徐々に憎らしくなってきた。
作家は人生を千切って、文を飯の種として食う。世界への入り方は睡眠薬中毒になりかけながら、夢遊病患者に化けて書く。まったく彼は罪な男だ』
有吉の細胞は腐って行く。二十歳までは日々躍動するが、それ以降が衰退して行ってしまう。子が子を産み、親が子と別れる。二律背反、離れた手は二度と握り締め合うことはない。有吉はここで、けっつまづいた。作家とは、七転び八起きの連続だ。有吉は紫丹の机の縁を左手で掴みながら、もだえ始めていた。さて彼はこれから、自己の体験談から来る作法でも説くのか。それとも大御所たちをなおも持ち上げるのだろうか。
神に耳を傾け、会話をする。
ゴーストタウンと化した軍艦島の空は、瑞々しかった。有吉は天を仰いで神と交信を試みた。インスピレーションが脳天を穿いて、その奇怪なものは熱く、血管全体に煮えたぎった。
作家というものは、有吉のような人物を言うのだろう。
多くの作家がしてきたように、有吉も軍艦島での生活から小説を書こうとした。一人の職人が持つ情熱。真っ直ぐに生きる人生。彼はすべてを小説に捧げた。孤独の中の孤独に深入りする。それが産みの苦しみというものだろう。
ハリウッドの華やかさに負けてしまうだろうが、この文面の著者であるわたし自身は作家志願を捨てることなく、軍艦島で闘いながら有吉の原稿の続きを書こうと誓っていた。