7話 回想/後篇
十七歳になった。
高二の夏休みにも、祖母の家にきていた。
祖母の村は烏郷村という。たまたまネットで知ったことだが、『呪われの村』などと揶揄されているらしい。それって小山で見た『縊鬼』や『首のない人形』と関係があるのだろうか?
今年は過去に類を見ないほどの異常気象といわれ、雪さえ降るほどの冷夏だった。きょうも朝早く起きてみると、庭がうっすらと白く化粧されていた。
朝食後、散歩に出かけた。向かった先は件の小山だ。昔、正式には夏水山という名称があったらしいが、牛鬼の山と呼ばれる方が多かったそうだ。
午前十時ともなると、季節外れの雪は道にも田畑にも残っていなかった。空には雲がかかっており、山々の壮美も霞んでいた。
きょうは、やけに騒がしい。朝からあちこちで、村人たちの悲鳴や叫び声を何度も聞いた。そしていま、サイレンを鳴らしたパトカーが、背後から追い越していく。なんだか落ち着かない。
歩いていると汗ばんできた。朝の寒さがまるで嘘のようだ。
畑仕事をしている人が見えた。なんとなく知っている顔だ。はて……。
思いだした。祖父が生きていた頃、よく将棋をさしにきていたおじさんだ。
思い切って声をかけてみたら、不審そうな顔をされた。まあ、覚えているわけないか。オレも成長しているんだし。
そこで祖父の名を口にすると、ようやく笑ってくれた。
「武雄ちゃんの孫だったか。大きくなったもんだ」
またパトカーが通った。
それを目で追う。
「あれ? さっきもパトカーを見たばかりなのに」
「ふむ、もう何度目だろう」
「何度目って。きょうはそんなに走ってたんですか」
「きょうだけじゃない。ここ最近、行方不明者が続出している。村じゅう大騒ぎだ」
行方不明者? それって大事件じゃないか。
こんなド田舎で、そんなのが連続しているとは。
「本当ですか。信じられません……」
「馬鹿げているように思われるかもしれないがなあ、昨年あたりから村で、牛鬼という化け物の目撃者が増えてきた。いいか、じゅうぶん注意するんだぞ」
彼は牛鬼なんて言葉を口にした。
例の小山が牛鬼の山と呼ばれていたことを思いだした。
「そ、そうですか。気をつけます」
彼に一礼し、また歩いた。
小山に通じていた小道を発見。
やった、見つけたぞ。あの道だ!
もう二度と出現しないような気がしていたのだが。
小道を進んでいく。両脇の喬木が枝を大きく伸ばしている。
池があった。
付近一帯に靄がかかっている。
池の上に何かが見えた。
あれって人だよな? ぼんやりとした人影だ。
水面を足で歩いているようだけど……そんな馬鹿な。
目を凝らすと人影は鮮明になっていった。
そして思わず「あっ」と声をあげた。
あれは人形だ。
水面を歩いているのは人間ではない。いつぞやの首のない人形ではないか。しかも、そんなのが三体。
さっきあげた大声のせいで、気づかれてしまったようだ。三体ともこっちに歩いてくる。
奇妙な首なし人形が向かってくるとなると、普通の人ならばたちまち震えあがってしまうだろう。
しかしいまのオレは、これくらいじゃ動じない。
実は歳を重ねるごとに霊感が上昇してきており、化け物の類ならばもう見慣れていた。つい一ヶ月ほど前にも学校からの帰り道に、怪しげな化け物に絡まれたばかりだ。
右手が熱くなった。電気のようなものがビリビリと走る。命の危険を察するといつもこうなる。それは七年前――すなわち十歳の頃――いま目にしているような首なし人形を、この付近でやっつけたことがあるが、そのときからずっと続いている現象だ。
そう。オレは不思議な力を身につけていたのだ。化け物のたぐいならば、この熱くなった右手で倒すことができる。今回だって負ける気はしない。
案の定、三体の人形は襲いかかってきた。
そいつらを熱くなった右手で次々と殴っていった。みな燃えてなくなった。ずいぶん呆気なかったが、まあ、こんなものだ。
さて、早く小山に……。
ん? おかしいぞ。池の向こう側に小山がない。
牛鬼の山はどこへいったんだ。
また雪が降りはじめた。
散歩を切りあげて小道をひき返し、祖母の家へと戻っていく。
その途中で神社を見つけた。
へえ、こんなところに神社があったとは。
いままで気づかなかったな。
その夜――。
ふと目を覚ますと、人の気配がした。
誰かいるのか?
足の悪い祖母は一階で寝ているはずだし、めったなことでは二階にあがってこない。ならば……また化け物か?
体が動かない。金縛りだ。
ああ、もう、面倒くさい。
右手が熱くならないのは、命の危険がないってことだ。
とはいえ、不快なことには変わりがない。
体が重くなっていく。
寝ているオレの腹の上を白い物体が通過した。
くそっ、くそっ、くそっ。体よ、動け。
もがいていると、くすくすと笑う声が聞こえた。誰だ。
「死霊相手には為すすべなしなのね」
幼い少女の声だった。その声の主が白い物体の正体か? いいや、どうも違うようだ。声はもっと遠くから聞こえているような気がする。
また白い物体がオレの上を過ぎていく。今度は胸の上だ。
「手を貸してもいいわ」という少女の声に、「黙れ」といってやった。なんだか悔しかったからだ。金縛りくらい自力で解いてみせる!
ふたたび白い物体がオレの体の上を通過する。三度目だ。
顔の上あたりで止まりやがった。おちょくってるのか。あったまきた!
うおおおおおおおおお!
気力で手を動かす。
右手が少しあがった。まだ熱くはなっていないが、そのまま白い物体に触れた。
白い物体は「ひゃっ」と叫んで上昇し、天井を通り抜けていった。
体の重みはなくなり、体を動かせるようになった。
上体を起こす。
「見事ね」と少女の声。
「なんだよ、お前は!」
見えない相手に怒鳴ってやった。
「ずっと探してた。体を貸りたい。住処にしたい」
「な……何いってんだ、こいつ。住処ならほかにもたくさんあるだろ、便所とか」
でも便所に住みつかれても迷惑だな。
「どこにでも住めるわけではない。本来の住処は三百年前になくなった。人間に崩されてしまったからよ。体を借りるといっても、のっとるわけではない。ただ憑依がしたいだけなの」
「却下だ」
当然、馬鹿げた要求は呑めない。
少女の声は聞こえなくなった。
翌朝も庭は雪色に染まっていた。二日連続だ。
この日が奇妙なのはそれだけではなかった。
西の山から、まるで入道雲のような噴煙が高くあがっている。
これって何かの凶兆なのか。
また散歩に出かけた。
村では行方不明事件が連続で発生していることもあり、散歩に出かけるオレのことを祖母がとても心配していた。だから祖母にはすぐに戻ってくると告げてきた。『すぐに』とはいっても、『何時までに』と具体的なことはいわなかった。
昨夜の金縛りのことを思いだした。
神社にでもお参りにいってみるか。
昨日の帰り道に偶然見つけた神社へいった。
とても小さな神社だ。
神社の周囲は、気味が悪いほど森閑としている……と思ったが、よく考えてみれば、この村自体が闃寂としているのであり、この神社だけが特別というわけではない。まあ、でも、きのうは人の叫び声やらパトカーのサイレンやらで、かなり騒がしかったが。
境内にのぼったところで、あるものを目にして脱力した。
またかよ、うんざりだ。
首のない人形が数体、境内を歩いているのだ。
ハア、と溜息を漏らした。
きのうといい、きょうといい……なんなんだ、いったい。
面倒くさい、面倒くさい、面倒くさい。
本当に面倒くさいったら!
やつらが向かってくる。こっちからも走り寄っていった。
右手が熱くなる。グーのパンチで人形を焼き尽くした。
ところが敵は人形だけではなかった。
新たに巨大な蜘蛛が姿を現したのだ。あまりの大きさに驚愕した。動物園で見たゾウよりデカいかもしれない。蜘蛛といっても足は六本しかなく、頭には角が生えている。それにセイウチさながらの牙もある。
まるでワニかカバのような大口を開けた。
オレを食おうってか。
右手は熱いままだ。ジャンプして鼻柱を殴る。
ところが、なんということだろう。
確実にヒットしたはずなのに、そいつはビクともしなかった。
オレはその大口に呑みこまれそうになった。
畜生、こいつには勝てないのか。ああ、食われる……。
耳元で声がする。
「そいつは牛鬼。人間では勝てない。だけど、もし憑依されてくれるのなら、命は助かる」
昨夜の少女の声か。
藁にもすがりたい思いだった。
「わかった。助けてくれ」