12話 深夜の魔獣
部屋に戻った。眠りにつくのは早かったが、目を覚ますのも早かった。
膀胱がパンパンとなり、トイレにいきたくなって起きてしまったのだ。
ユーリアはベッドでぐっすりと眠っている。
辺りにシノの姿はなかった。
ドアが開きっ放しになっている。
おかしいな。就寝前、ちゃんと閉めたはずだったが……。
ああ、そういうことか。シノがふらりと部屋からでていったのだろう。まったくもう、きちんと閉めていけってんだ。
オレも廊下へとでた。
はて、トイレってどこにあるんだろう? 屋敷が広すぎて、探すのに苦労しそうだ。となるとユーリアを起こして、場所を訊くしかないのか? いいや、眠っているところを起こしては可哀想だ。トイレは自力で探してみよう。
片っ端からドアを開けていく。大抵のドアには鍵がかかっていたが、たまに無人の部屋のドアが開いた。
いったいいくつの部屋があるのやら。もうどれほどドアノブに手をかけたことだろう。早く用を足したいのに、なかなかトイレに辿りつけないでいる。
必死に探してみたが、少なくともこのフロアにはないようだ。それなら階下を探してみるしかない。どうせ階段をおりるのなら一階までいってみよっか。個人的な経験上、建物の一階には必ずトイレがあるはずだ。
しかし一階を隅々まで探してみたが、トイレらしき場所は見当たらなかった。
もういいや、建物の外で済ませてしまおう。
庭を汚して悪いけど、立ちションがてっとり早い。
ところが玄関のドアは開かなかった。
畜生! 建物の内側の鍵はシンプルにしてもらわないと困るぞ。
勢いよくタックルすれば開くかもしれないが、他人の家を壊すような真似はしたくない。
こうなったら下から順にフロアをのぼり、シラミ潰しに探してみようか。
階段をあがり、二階にやってきた。建物は屋上階を除けば五階までだったので、もしこのフロアになかったら、次に探すのは三階、そして最後に四階の順となる。
奇妙な部屋を発見。立ち止まって首をかしげた。その部屋にはドアがないのだ。中は暗すぎて見えない。
もしかしてここが探し求めていたトイレなのか?
そんな感じではなさそうだが、とりあえず入ってみた。
月明かりが窓から入ってこないので、ゆっくりと歩いた。
うわっ。
何かを踏んでしまった。ちょっと硬いものだ。
それを凝視するうちに、徐々に目が慣れてきた。
床に横たわっているのはドアだった。壊れたまま放置されていたのだ。
結局、ここはトイレではなかった。ドアが壊れただけの空き部屋だった。
踵を返し、廊下を向く。そのとき――。
明るい廊下を巨大な物体が通り過ぎていった。
四つ足の生物だ。全身がクリーム色の体毛で覆われていた。
なんだ、アレは!
牛くらいはあろうかという大きさだったぞ。まさか牛?
いいや、そんなわけがない。
部屋からそっと顔をだし、廊下を確認する。
見えた。
歩き去っていく化け物の後ろ姿がある。
ひと眠りする前に遭遇した四人組の化け物は、人間にとてもよく似ていたが、いま目撃しているものは、どう見たって完全に化け物だ。
ここは化け物屋敷かよ。
幸いこっちにはまだ気づいていないようだ。
このままいってくれ。戻ってくるなよ。
グググググ…… トッケイ トッケイ トッケイ
突然、近くで何かが鳴きやがった。
壁のランプ付近に貼りついたヤモリを発見。全長三十センチはあろうか。
知ってるぞ。こいつ、トッケイとか呼ばれている南国のヤモリではないか。ナマで見たのは初めてだ。もう、こんなときに鳴かないでくれ。
化け物の顔が横に向く。頭には三本の角が生えていた。
オレはさっと部屋の中に身を隠した。
トッケイヤモリのせいで、見つかってしまったか?
大きな跫音がゆっくり近づいてくる。
どうしよう。
このまま部屋に隠れていようか? それともダッシュで逃げるか?
早く決断しなくては。
もし化け物が部屋に入ってきたら、もう逃げ場はない。完全に終わりだ。部屋からでて走った方が、まだ助かる可能性があるように思える。
よし、ここからでて逃げよう!
ドアのない部屋をでて、長い廊下を全速力で走った。
後方から地響きのような跫音が追いかけてくる。化け物は巨体にもかかわらず、思いのほか速かった。
まさかまさか。あの図体のくせに、こんなに足が速いなんて。
ああ、追いつかれてしまう。ヤバい、食われる。
シノ、シノ、どこにいる? こんなときに!
とうとう廊下の突き当たりに追い詰められてしまった。
三本角の化け物は前足を高くあげ、後ろ足で立った。ちょうどクマのように。
大きな口が開いた。そこから見える鋭い牙で、オレを噛み殺そうというのか。
右手が熱くなった。この右手が生命の危機を知らせている。
元の世界では多くの化け物を倒してきたが、コイツにも有効だろうか。少なくともこんな大きな化け物を倒したことなんてない。巨大な牛鬼を倒したのは、結局シノだったし。
いまはやってみるしかない。
渾身の力をふり絞り、腹部にパンチを食らわせた。
化け物は後方に倒れた。
やったか?
三本角の化け物は顔を起こすと、仰向けのまま牙を剥いた。
あまり効いていなかったようだ。
体を起こしている化け物の脇を通り抜け、走ってきた廊下をひき返す。
きっとまだ追いかけてくる。
階段まで逃げてきた。
のぼるとなるとスピードが落ちるだろう。だったら一気に一階へおりよう。
手すりに手をかけながら、跳ぶようにおりていった。
だが、そこからどうする? 外にでたいけど玄関のドアは開かないのだ。
ドアをぶち破る? 想像以上に頑丈だったりして。いいや、何がなんでもぶち破るんだ。食われたらおしまいだからな。
玄関のドアに向かって全力で走る。
しかしその足に急ブレーキをかけた。
正面に少女の姿が映ったのだ。
「凛? 慌ててどうしたのかしら」
シノだった。
「化け物だ。また化け物がでたんだ。今度のヤツは角が三本もあって、ものすごくデカいんだ」
「本当に?」
シノが怪訝そうに首をかしげている。
「シノは山神だろ? 化け物の気配とか感じるんじゃないのか」
「そんなもの、わかるわけがないわ。我が山ならともかく」
「部屋で寝ているユーリアのことも心配だな」
すると彼女はうっすらと嘲笑を浮かべた。
「ふうん。心配なのね? よき主従関係ってところかしら」
「違う! ユーリアを主人なんて認めちゃいねえよ。でもさ、赤の他人だとしても、これは命に関するこ……」
話の途中でシノが歩きだす。
階段前でふり向いた。
「きて」
「おい、最後まで話を聞けって」
無言で階段をのぼるシノの背中を追い、五階までやってきた。ユーリアの部屋があるフロアだ。
ここまでのぼってくる間、三本角の化け物とはすれ違わなかった。アイツ、どこへいったのだろう。
ユーリアの部屋に戻った。ドアは開いていた。
あれっ、オレも閉め忘れていたのか。
ベッドではユーリアが眠っている。
化け物に食われていないのは、幸運だといってよかろう。
シノがオレの右手を握る。
「少し熱が残ってる。化け物の話、嘘ではなさそうね」
「あたりまえだ!」
オレはユーリアの眠る大きなベッドに腰をかけた。
シノが身を屈める。
床に落ちている何かを拾いあげた。
「魔性を感じるわ。これは明らかに魔獣の体毛」
クリーム色の体毛だった。
ならばヤツがこの部屋にきたというのか?
トイレにいかずに眠ったままだったらと思うと、ぞっとする。
だけどユーリアはよく無事だったものだ。
「その魔獣、まだ屋敷の中にいるってことだよな?」
「さあ、どうかしら」
「あのさ、シノ」
「何?」
魔獣から逃げることに夢中だったため、肝心のトイレにはまだいっていなかったのだ。
「この屋敷、トイレってないのかな」
「厠ならば四階と二階で見たけど」
トイレは偶数階にあるってことか。屋敷が大きいから用を足すのも一苦労だ。
「シノ……。あのさ、トイレにいきたいんだけど、ついてきてくれないか」
シノは三秒半ほどオレの顔を見据えた。
やめてくれ。そんな目で見るな。
オレだって頼みたくなかったさ。
しかし狂暴な魔物がうろついているかもしれないんだ。
「夜中に一人で厠にいけないなんて。まだまだ小さな子供ね、凛は」
だって仕方ないじゃないか。
てか、チビ助にいわれたくなかった。
いっしょに部屋をでる。
「えーと、シノ? 手は放してくれないか。別に繋いでもらう必要はないんだ。オバケが怖いわけじゃないんだからさ」
シノが首をかしげる。
「あら。魔獣とオバケでは、対応を変えなくてはならないの? 凛はよくわからない子ね」