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ヒーローとヒロイン

『とりとりじゃんけん』というものがある。

 チーム数に合わせてリーダーを選出し、リーダー同士がじゃんけんをして自分のチームに『欲しい子』を一人ずつ選んでいく、というチーム別けの方法だ。

 私はこれで、最後まで残る子どもだった。

 小学五年の時の担任の先生は何故だかこのチーム別けの仕方が好きで、何かとこの『とりとりじゃんけん』を使った。嫌だな、とこぼす私に、お母さんは平等なチームが出来るのだと言った。平等って、こんな事なの? って、反論は飲み込んだ。

 あの日は確か、空き時間が出来たから、とみんなでドッヂボールをする事になったのだ。

 先生はいつものように「じゃあ江本くんと北野くんリーダーで」ととりとりじゃんけんをさせた。リーダーはその時々で変わることもあったけど、この二人が選ばれる事が多かった。私は、とりとりじゃんけんが始まると隅で俯くようになっていた。

 じゃんけんが始まって、最初の内は『欲しい子』が選ばれていく。運動神経がいい子、頭がいい子、リーダーと仲がいい子、とどんどん選抜されていく。けれど、ある一定のラインを過ぎると『とりとりじゃんけん』は『とりたくないじゃんけん』に変わる。あの子はとろいから、あの子は大人しいから、まだこっちの子の方がましだから。そんな消去法で、仕方なくチームメイトを選んでゆくのだ。

 チームなんてくじで決めればいいのに。

 私はずっと、自分の汚れた上靴を眺めていた。

「じゃあ、村崎さん」

 驚いて顔を上げると、にこにこ笑う北野くんと目が合った。周りを見回すと、まだ残っている子が十人以上いる。こんなに早く呼ばれたのは初めてで、聞き間違いかと思った。

 北野くんのチームからは「なんで村崎?」と声が上がった。北野くんはなんともないようにこう言った。

「村崎さん、前の五十メートル走で速かったから」

 私は思わず彼から目を逸らした。私は運動神経は人並みだけど、昔から足だけは速い。でも、地味で目立たない私のそんなちょっとした特技を知っている人はほとんどいなくて、ましてやこんな風に認めて貰えたのは初めてだった。

 ドッヂボールでは特に活躍出来なかった。むしろすぐにボールをぶつけられて、外野から勝負を眺める時間の方が長かった。それでも、私の心はいつまでも高揚していた。

 北野くんは漫画のヒーローのように、何だって出来た。誰にでも分け隔てなく接して、彼の周りにはいつも沢山の人がいた。

 どうしてこんな人がいるんだろう。北野くんは、私には到底届かない所にいて、私は眩しさに目を伏せてばかりいた。きっともう彼の記憶に、この日のことなんて少しだって残っていない。私はあの時彼が私の名前を呼んだ声のほんの細かな抑揚まで、ずっと耳の奥に残し続けているのに。



 中庭の桜はとっくに満開を過ぎて、風が吹く度に花びらが舞い散る。つむじ風が桜吹雪をつくって、視界にピンクが広がった。

 私は大きく息を吸って、お腹に空気をいっぱい溜める。下腹にきゅっと力を入れて、渾身の「ソ」を桜吹雪にお見舞いした。久しぶりに息を吹き込んだトランペットからは、ぼやけた音がする。

 窓から吹き込んだ風に楽譜のファイルが捲られて、私のスカートも膨らむ。慌てて腕を下ろし、右手にトランペットを持ったままスカートを押さえた。音楽室にいる部員たちの目は桜吹雪に釘付けでほっとする。

 私の通う市立第五中学校は、生徒は必ず何らかの部に所属しなければならないという決まりがある。私が選んだのは吹奏楽部だった。今日は二年生になってから初めての練習日だ。

 大きなクリップで楽譜を挟み、姿勢を正して銀色のトランペットを構え直す。足を肩幅程度に開いて背筋をピンと伸ばし、脇は少し開いて体と楽器が出来るだけ垂直になるようにする。左手で握って、右手は置くように。お腹が膨らむように大きく息を吸って、唇を細長く開いて息を吹き込む。ぶれないように、揺れないように、均一な息をゆっくりと、高い「ド」から順に高音のロングトーンをしていく。

 カチカチと、60に合わせたメトロノームが時を刻んでいる。その音を聞きながら私は慎重に音階を上げていった。

 「ラ」に差し掛かると、僅か二秒で音が下がってしまった。眉を顰めて腕を下ろす。

 やっぱり、「ソ」が今の限界みたいだ。私は俯いて呼吸を整えた。

 横から綺麗な高音の「ラ」が聞こえてくる。ちらりと一瞥すると、同じトランペットの高瀬くんが余裕の表情で高音のロングトーンを続けていた。

 高瀬くんは私と同級生で、でも私よりもずっとトランペットが上手い。二十人ちょっとしか部員のいないここ五中吹奏楽部では、ほとんどの楽器が一学年に一人ずつしかおらず、楽器によっては一人もいないこともある。そんな中で、二人もいるのはトランペットとクラリネットとパーカッションだけだった。

 二人いると否が応でも比べられる。私はまるで、高瀬くんの引き立て役だった。この手の役柄には、慣れっこだ。

 私がトランペットを始めたのは、中学生になってからだった。吹奏楽部に入部するまで、自分が楽器を、それもトランペットなんて派手なものをするなんて考えもしなかった。

 仮入部の時唯一まともに音が出せたから。ただそれだけの理由で決めた楽器だけれど、数ヶ月後には音色が大好きになった。今となっては、曲が流れてくれば無意識にトランペットパートを探すし、アイポッドの中身だってトランペットの曲が三分の一を占めている。

 決して上手な訳では無いけれど、とにかく真面目に練習すればいつかきっと実を結ぶのだ、きっと。

 私は面を上げて、トランペットを構え直した。

 ロングトーンはトランペットの基礎中の基礎の練習だった。ただ長い音を吹くだけの地味な練習だけど、とにかく出来るだけ毎日、欠かさず行うことで音が綺麗になる。私はこの練習が好きだった。音の調子が悪い今日みたいな日だって、ロングトーンをすればマシになる。毎日少しずつ澄んだ音色になって、自分の音が好きになる。無心になって、深呼吸するように長い息を吹き込むと、ふとトランペットが自分の一部になる感覚がする。その瞬間が、たまらなく好きだった。

 高度な事では、他の部員にどうやったって敵わない。私は楽譜もまともに読めないし、音感も無いし、才能もない。人一倍の努力だって出来やしない。無理はしたくないからその代わり、真っ正面から向き合うのだ。地味なことをゆっくりじっくりやることなら、私にだって出来る。そんなのも、悪くないんじゃ無いかと思っていた。

「あ」

 もう一度高音に挑戦しようと深く息を吸うと、中庭を挟んだ向かいの教室に人影が見えた。三階の端から三部屋目。私の所属する二年三組の教室だ。窓から顔を出してこちらをじっと見つめているのは、美川さん。この距離でもよくわかる。私と同じクラスで、出席番号が前後で、でも私とは似ても似つかない女の子。

 ヒーローにはヒロインがいる。それに私が気が付いたのも、中学生になってからだった。

 ヒロインの登場は、突然だった。

 中学一年生の冬のことだ。美川さんは転校してきた。少し遠い、名前だけ聞いたことがあるような中学校からやってきた彼女は、風変わりだった。クラスの違う私の耳にもその情報がすぐに届いたくらいに。

 美川さんは授業以外の時間、常に耳栓をしていた。昼休みも、登下校の時も、十分休みの間さえも。誰かが話しかける隙なんか与えない鉄壁さでもって、彼女はかつての転校生にもなかったであろうスピードでクラスから浮いてみせた。

 けれど、美川さんは美人だった。彼女の周りだけは空気が違った。透き通るような白い肌に、鎖骨あたりで切り揃えられた黒髪は艶やかで、繊細な作りの相貌はテレビで見るアイドルよりも美しかった。神様が何かの気まぐれで、彼女のことだけを特別に設計したのだと不思議なほど自然にそう思った。

 耳栓をして、にこりともせずにじっと本を読んでばかりいるのに、それだけで誰よりも輝いていた。彼女がすらりと長い指先でページを捲るだけで、長い睫毛を伏せて活字を追うだけで、薄い朱色の唇から吐息を漏らすだけで、映画のシーンを見ている錯覚に襲われる。そしてその時、私は思い知るのだ。私はヒロインにはなれない、って。

 初めのうちはみんなが彼女を気に掛けたけれど、無口で表情も乏しい彼女の周りに人が寄りつかなくなるのはすぐのことだった。

 でも北野くんだけは違った。どんなに美川さんの反応が薄くても、毎日必ず話しかけていた。北野くんは誰にでも優しいから。女の子達はそう囁きあった。けれども私は、すとんと腑に落ちる感覚がしていた。

――北野くんが生まれつきのヒーローであったように、きっと美川さんもそうなんだ。

 脇役の私が彼に恋心を抱いていたこの数年間には、主役の二人からすれば何の意味も無くて、もしも彼らが恋人になって私が泣いたって、映画だったらワンシーンにすらならないんだ。

 私はそれに気が付いた時から、『好き』に『あこがれ』という綺麗な布を被せて、胸の奥にしまい込むことにした。どうせ脇役なら、役名はいらない。知人Mくらいでいい。




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