九、わたくし
わたくしの自省。
旦那様のご様子がおかしい。
そう確信したのは、幼馴染との邂逅から一週間ほど経ったころでした。
話題転換に気をとられ、何か言いたげに口を開閉しては言いあぐねることたびたび。
呆としたかと思えば、そわそわ落ち着きなく、物言いたげに視線をよこし、何かと問えば何でもないという。
正直、気にするなという方が難しい。
でも、旦那様が言いだせないことを、無理に聞き出せるわたくしではございません。
正直……恐ろしくもございます。
旦那様が言いだすことに傷つく覚悟が、わたくしにはまだできていないのです。
かつて、わたくしは、外の噂に翻弄され、旦那様の言動に惑わされていました。
出来得る限り聞き流しておりましたが、それでもしつこく耳にするそれに、もちろん傷ついておりました。
噂や風聞は、辻斬りのような、事故のような、天災のような傷。
思わせぶりな旦那様は、その噂に対する碌な説明もなく、わたくしは何も訊けないまま、かすり傷のような小さな痛みをちくちく増やしていく。
そう思えば、わたくしの傷は、しっかと向き合い、理解しあうためについた瑕ではありませんでした。では、理解しあうための傷とは、いったい何なのでしょう。
そこで、以前朝井さんがおっしゃっていた、旦那様の『見えない架空の刃物で滅多刺しにされる想像』が、少しだけ理解できたのです。
きっと、他人と理解しあうためにつく傷は、互いが見えない刃物を握りしめて、向かい合っているようなものなのでしょう。
旦那様との会話は、今思えば互いを理解するためのものではなく、ただの連絡で。わたくし達は刃物を握ることすらしないまま、その状態に甘んじた。
そう。わたくしは、はじめから刃物など持っていなかった。
そこまで至り、気がついたのです。
わたくし、旦那様をちゃんと理解しようとしていなかったのだわ。
激しい羞恥が襲いました。
旦那様がわたくしをないがしろにしていたのではない。
向き合おうと努力していなかったのは、傷つく覚悟がなかったのは、はじめから、わたくしも同じだった。
はじめから、向き合うことも、刃物を握ることもなかったわたくしに、旦那様を責める資格は、本当にあるの?
それに気がついた瞬間、旦那様に更なる引け目が生まれ、わたくしは少々、臆病になりました。
旦那様も、このようなお気持ちだったのでしょうか? あの時、殿方の矜持と切って捨てるのでなく、どうして傷つきたくなかったのか素直に問えば、よかったのでしょうか? 今更です。
そう、とても、今更なのです。
しゃきりと糸を切り、鋏を裁縫箱の中に置きます。
屑を払い、仕上がりを検分。問題ないことを確認し、洗いと鏝当ては後にまとめるとして、一応の完成をみた手巾を畳み、新しい白布を手に取ります。
ちくちくちくちく。白い布に針を刺します。四隅をかがった白布に白い糸で、隅に弟のイニシアルの飾り文字、周囲に蔓唐草が咲いてゆきます。ぐるりと一周して終了。新しい一枚を手に取りまた最初から。今度は叔父様のイニシアル。
じわじわシャワシャワ蝉の声に紛れて、遠くから風鈴の涼しい音が風に乗って響きます。
先刻からわたくし、手巾の刺繍に没頭しておりました。
心を落ちつけるとき、考え事があるとき、もしくは何も考えたくないとき、一心不乱にお針に努めるのは、わたくしのならいでございました。
何をしてもつまらない、平凡な人間であるところのわたくしですが、人様よりほんの少し秀でるところがあるとすれば、それはお裁縫と言えるでしょう。女学校の授業でも、甲を残すことができたのは、わたくしの小さな自慢です。
綺麗な染め、美しい織物、繊細な細工。それらを気にかければ目にする機会も多く、それだけで心躍るものでしたが、こまごまとした刺繍や細工を手ずからこなすことも、新たな図案や、色合わせの妙を楽しむことも、わたくしには興味深いものでして。
それに、自分の手で丹精込めて生み出した着物や刺繍を、よろこんでいただけるのもまた嬉しいことでした。
しかし、努力と数をこなしてようやっとほんの少し優秀程度ですので、物の数にも入らない凡才の身でございます。人様にお褒めの言葉をいただく機会が多いというだけで天狗になるには、わたくしは己をわきまえております故。
山と積まれた手巾も、ボタンを付け直したシャツも、ほつれを繕った寝衣も、これもまた、逃避だとは分かっているのですが。
気鬱の息をひとつ吐き、離れた卓に置かれた風呂敷包みを見やります。
伯爵邸の離れ……わたくし達が夫婦の新居としていたそこに置き忘れていった夏の単衣を、旦那様は本当にお持ちになって、託されました。
あとは縫い合わせるだけの状態でしたので、あっという間に完成しました。
早くお渡ししなければ、夏も終わってしまうというのに、わたくしは完成したそれをまだ、渡せておりません。
お会いするたび「まだか」とお尋ねになる旦那様のご様子が、大好物を前に待たされた童のようで微笑ましく、つい意地悪い気持ちになってしまったのもあります。「まだですよ」と返すたびしょげた旦那様に、まだ必要とされていると確認するような、卑怯な気持ちもありました。
そうこうしているうちに旦那様の挙動不審が始まり、わたくしにも自省からくる後悔にそれまでのようには向き合えなくなって、単衣はいまだ、手元にあります。
また一枚、手巾が出来上がります。
積み重なる手巾が、まるで、業のように感じられてきて、わたくしはまた内省します。
旦那様のお気持ちを、きちんとうかがわなくていいの?
このままやり直して、また同じことにはならないの?
一度、納得いくまで膝づめで話し合わなければならない。
蒸し返さなくていいことまで掘り下げて、旦那様は疎んじない? 本当に?
傷つく覚悟がない。それは逃げる理由になる?
少なくとも、旦那様は傷つく覚悟でもってわたくしに毎日向かってこられている。色よい反応のない毎日は、徒労でしかないというのに。そこに誠実がなかったと言える?
わたくしは、旦那様に、本当の気持ちを告げたと言える?
ちらりと時計を見ると、もうすぐ旦那様がいらっしゃる時間です。
明日は休日。……夕餉にお誘いしても、構わないでしょうか。
旦那様と話してみたい。
お心を知りたい。可能なら、言い訳を聞きたい。
旦那様は、不義理の謝罪はしても、ついぞ姉と会う理由は話してくださらなかった。一旦疑問を持てば、これはおかしい。
心を改めたはずの旦那様が、本当に一言もなく、そんな行為を働くのは、何か理由があったのではないでしょうか?
それに、手紙だけの五年で、旦那様の温かな人となりを、わたくしは知っていたはず。そうです。わたくしは、知っていた。
正直、なぜ忘れていられたのかと、自分に呆然としてしまいました。
わたくし達の間には、たしかに心通わせ、築いたものがあったはず。なのに、わたくしは猜疑心に囚われ、目を曇らせて。
勝手に心を閉ざしたのは、わたくしの方なのではないのか。
ならば、どうして、そんな視野狭窄に陥ったのか。
――絶対に嫌いたくないふたりを、憎んでしまいそうな一年でした。
多分……相手が、お姉様でなければ、我慢できました。
少し前、わたくしは、旦那様に誠意を求めることが、怖かった。だって、まるで、悪気がないのです。
罪の意識を持っているなら、責めることもできたのでしょう。
しかし、旦那様もお姉様も、お自身の言動に何ら疑問を持っておられないご様子。
時代、妾を持つことは珍しいことではありません。
子爵家では、蓄妾の余裕のない方ばかりで、そんな話はついぞ耳にしませんでしたが、殿方が外に恋人を持つなど、巷説よく聞く話。しかし、これにはそれらしい理由もあります。
代が明け、医療技術が向上した今でも、赤子のうちに不幸に見舞われる子はなかなか減りません。七つになるまでに亡くなってしまう子の、なんと多い事か。
産めよ増やせよ、子を育め国を富ませよ、という心得は、故に世間でも推奨されたのです。
そんな世情もあり、妾はけして日影だけの存在ではないと、そう及んでおります。事実、女学校の同窓には、庶腹の友人をちらほらお見受けしたものです。
屈託のない彼女たちを見れば、育て上げた御正室の器量を推し量れます。当時、婚約者を有していたわたくしは、いずれそういう日が来ることも含め、それも責務と覚悟を固めていったのです。
妻は家を守るもの。
わたくしはそう教わってまいりました。その生き方に疑問も持ちません。平凡なわたくしには、それ以外の生き方なんて、想像もつきません。
でも、旦那様と余所の女性との子を養育する用意はできていても、姉の子を取り上げることは、どうしても、考えることすら罪深く感じました。
耐えがたい。許せない。その気持ちは、きっと簡単に、憎しみまで育つでしょう。
心がついていかない。割りきれていない。まったく、笑い話です。
だって、その理由なんて、考えるまでもなく、明白なのです。
「――わたくし、旦那様のことを、お慕いしているのだわ……」
好きだから、嫉妬した。ただそれだけ。
ただ、それだけ好いていたと、わたくし自身の自覚が薄かったかっただけで。
旦那様は。
あこがれのお兄様でした。
わたくしが泣いていると、どこからか現れ、気鬱を払ってくださった。
見ず知らずの大人や親戚や師匠方の心無い言葉に静かに反論し、わたくしの努力を認め、適当な慰めではない、具体的な解決を示してくださる。そして次にお会いした時、是正されているわたくしを見、誇らしげに微笑みをこぼされて。
意地悪な男の子に泣かされた時は、代わって成敗されたこともありました。
そしてこれは、わたくしの中で最重要なことですが。
旦那様は、覚えている限り、わたくしとお姉様を引き比べたことなど、一度もありませんでした。
誰もが口にした、『姉に比べて妹は』、この一言を、旦那様は、少なくともわたくしの前では一度も使わなかった。
多分、それに気づいた時にはもう、わたくしは無意識に、旦那様に恋をしていた。
そこまで至り、気がついてしまいました。
他の女性が相手なら、わたくしは『そういうもの』として、旦那様を諦めていたでしょう。
事実、情が期待できないと思い知ったわたくしは、この婚姻の意義、家同士の結び付きをよすがにいたしました。それならば、個人の感情はいりません。ただ責務を果たせばいい。
実際、役割を果たすことで、周囲に表立った波風は生じず、うまくいっていた一年でした。
それならどうして、お姉様にはこれほど嫉妬したのか。
大好きな姉です。尊敬し、憧れ、守られて。それは嘘じゃない。
でも、どうしたって、比べてしまう。不出来な自分を思い出してしまう存在。幼いころから降り積もった劣等感は、簡単には消えなくて。
あの日、旦那様が『愛してる』と、おっしゃって。
わたくしは、瞬時に『嘘』と断じました。
だって、もしその言葉が本当なら。よしんば嘘でも、旦那様が、お家のことを、わずかでも考え至ったのなら。
わたくしは、妻として、旦那様と責務を果たさなければならない。嫁として、本格的に伯爵家の次代を生さねばならない。その努力をしなければならない。
『耐えられないわ』
反射的に思い浮かんだ感情に、愕然としたのです。
何事もなかったように、夫婦となり、親となり、子を育んで、家を守っていく。わたくしの心にはいつまでも消えない疑惑が残ったまま。
しつこい黴のように、拭いても拭いても、どんなに綺麗にしたところで、根を張った黴は再び表面化するのです。
そんな日々に耐えられない。お姉様に触れたかもしれない手で触れられることも、意識の齟齬も何もかも。
わたくしが限界を超えてしまったその時、いよいよ修復不可能なまでに、夫婦は破綻するでしょう。その後に残るものは何なのでしょうか。家同士の不信? 社会への醜聞? 汚名を背負った旦那様? 愛されない子供? とにかく、わたくしに行き場はない。
わたくしが努力して身に着けたものを軽々凌駕して、お姉様はわたくしの先を行く。
旦那様によりお似合いであるのは姉だと、誰もが認める。家庭教師も芸事の師匠も学校の先生も級友も知人も……わたくし、自身も。
負けたくない。諦めたくない。敵わない。嫌いたくない。嫌わないで。
汚い自分を見たくない。
わたくしに、貴方達を憎ませないで。
だから、離縁を願い出ました。
そばにいれば、傷つくだけ。ならば、と。
それで、わたくしは逃げたのです。
風呂敷包みを見下ろします。
完成したこれを、今の旦那様がよろこんでくださるのか、それすらわたくしには断定できない。少し前までなら、よろこんでくださるんじゃないかしら、と、簡単に言えたのに。
染め抜きの松葉が描かれた風呂敷の、萌葱色の表面をさらりとなで、拳を握ります。
いつまでも、怯えてもいられない。
わたくしは、刃物を握る覚悟を決めました。
こじらせている妹。
お妾さんについて。
明治後半から大正期に入ると、有力者の蓄妾率はがくんと下がるというデータが残っています。
欧米のキリスト教的価値観、一夫一婦制が浸透してきたというのが理由の一つ。
また、諸外国の道徳観に従属することで国際社会での地位の確立につなげるというのも一つ。
お妾さんは、世間でいい顔はされないまでも、戸籍管理され一応は法で保障された存在であったし、子供の保障も権利も本妻の子同様あったそうな。
そして、例え自分の産んだ子でも、本妻の子として育つからには、実母でも仕える身であったし、母とは呼ばないし、子から呼び捨てられたりしたし、むしろ妾腹である事実を知らないということもままあった。結婚で自分の戸籍みて「え、私お母様じゃなくて○○の娘だったの!?」みたいな。妻妾同居もよくある話。すごく…火サスです…。あるいは横溝正史的な。
そこらへん書かれた手記や家系図など、実に興味深い読み物です。