【八月の弟の日記】
弟の話ラストです。
少々長めです。
【八月某日 蒸し暑い】
午後、友人が来る。
案の定、多数課題を抱えてやって来る。どうせ君、課題すべて終えただろうとのたまう。
確かに終えたが、だからと言って彼が写していい理由がない。彼のためにならない。手助けはした。
途中、小姉様が涼菓をお持ちくださり、僕らがつまづいた問題を詳らかにしてくださった。
正直、夏季課題より剣道部の稽古より、大姉上の稽古と課題の方が辛い。
大姉上のご帰宅から再開された朝稽古と種々科目課題は苛烈を増している。
必死に食らいついているが、上々の成果はまだ望めていない。悔しい。
それにしても何故あの人は、同じ以上こなしてピンピンしているのだ……化物か。
【八月某日 快晴】
京の従兄弟共が帰省する。
湛と注は荷を置き返す足で我が家までやって来た。叔母上に叱られても僕は知らない。
何時までたっても詳細な成果報告が来ないので、居ても立ってもいられずに来たのだと喚かれる。
人のせいにするなと言いたいが、確かに此奴等のことを言えぬような簡潔な葉書しか送らなかった。そこまで娯楽に餓えていたのか。阿呆か。
あの日の日記にも詳細は書いていなかったので、思い出しつつここに記載する。
事の顛末はこうだ。
まず、睨まれてるとわかってからとった行動は二つ。
一、 当の上級生の素行調査。
二、 学園内外における被害調査。
信頼する高等部先輩方の協力の元聞き及んだ素行と、訊きこんだ被害報告は、とてもではないが褒められたものではなく。
上級生の身柄は、軍閥の名門であった。
陸軍将官の父と、内務省高官の息女たる母を持ち、その権威を嵩に随分と横暴にふるまっていた。
泣き寝入りしていた被害報告は相当数上がる。皆、家格や商売に圧力かける脅しを受けていた。陸軍に兄弟がいる者はその処遇についてちらつかされたという。当然だが、越権行為である。
友人や信の置ける朋輩の協力の元、確実に情報を集め、真偽を確かめた。
対抗戦後、打った布石も二つ。
まず、流言を一つ広める。
曰く、彼の上級生が、中等部の剣道部主将に因縁をつけ、スゴスゴ負かされた、と。
噂は背ビレ尾ビレをつけ、いかにも真実味を帯びて広まった。別段、嘘はついていない。
事実、睨み合いや嫌味の応酬はあったし、不特定多数の目撃者もいる。人目のあるところで因縁をつける向こうが考えたらずなのである。
さほど待たずに効果は表れた。
家柄を嵩に来て横紙を破るような手合いは、大概矜持が高く、自己愛が強い。
あからさまに影で笑われている状況は、さぞ耐え難い屈辱だっただろう。
ここで正面切って対峙してくるようならまだ更生の余地はあったのだろうが、残念ながらこの上級生はそうではなかった。
ろくでもない輩にはろくでもない連中が集るモノで、共になって愚行に悦びを見出す連中が、この上級生の手下にはいた。
こちらの狙い通り、上級生とその手勢は、僕を襲撃してきた。
ワザと人気のない方ない方へと誘導していたのも知らず、まんまと誘い込まれ、目的地付近になって襲撃という、理想の展開となる。
目的地にて待ち伏せしていてくれた、友人や剣道部の朋輩先輩に、連中はアッという間に取り押さえられた。
四方八方から振りかぶられた角材を確認してからなので、現行犯逮捕というやつだ。親が警官の者がそう言っていた。
ほぼ言いがかりな悪口を垂れ流す上級生の言い分をひと通り聞くに、どうも相当恨まれていると見える。
そして喚く連中の前に、一人の御仁を差し出し、二つ目の布石の披露となる。
素行調査と情報収集が一段落ついた頃合いを見計らい、彼の上級生とその取り巻き連中の保護者に手紙を上梓したのだ。
内容は無論、子息の素行調査内容を、偽りないまま。反応は様々だった。
情報収集の折、上級生の父君の為人も流れてきた。謹厳実直を体現した御仁だ、と。陸軍に属する叔父上にも確認した。まさにその通りの人だと。
故に、調査書を送った後は待った。
暫らくして届いたのは、対面して話を聞きたい、指定の日時に来られたし、と言う通知。
慎重を期し、友人の同席を条件に内密に対面を果たす。
誠実な彼の御仁は、若輩の我らに深々と頭を垂れて感謝の言葉を紡いだ。
息子の軽挙妄動は存知の外であり、いずれも不心得で許しがたい愚行である。親の管理不行き届きに恥じ入る次第、面目もない……諸々の言葉を並べられ、僕らの方が恐縮してしまった。
ここで僕らを脅迫するような、どうしようもない馬鹿親だったら強硬手段を採ろうと覚悟していただけに、良い意味で裏切られた。
そういうわけで、最終的な裁量は父君に委ねることにした。温情策である。
父君も責任もって鍛え直すとお約束くださった。
こうした茶番を弄したのは、手っ取り早く尻尾を踏ん縛ってしまいたかったのと、父君にもありのままの上級生を見せた方がよいと判断したこと。
あとは、降り積もった僕の理不尽を発散したかっただけだ。私怨である。向こうも私怨なのだから、お相子だろう。
父君の姿を認めた上級生は蒼白になって黙りこみ、父君は烈火の如き怒りを炸裂された。
聞き取れただけ、兄らと比べお前は、という言葉が多かった。そしてそれが琴線だったのだろう。父君の怒りを飲み込むように反駁し始めた。聞き取れただけ書き出す。
いつも優秀な兄達と比べられ、身の置き所がなかった。
痛いことは嫌いだというのに無理矢理剣や柔術の道場に放り込まれ、折檻のような稽古が辛くて仕様がなかった。
どんなに努めても精進せよばかりで褒め言葉のひとつもない。
良い図体の男がわあわあと、こんなことを泣き訴えていた。
先輩朋輩父君は呆気にされていたし、僕も呆れていた。そんな言い分が通じるのは、小学校までだ。
聞き苦しさに、由緒正しき肉体言語で黙らせても無理はなかったはずだ。
言えばよかったのだ。口があるのだから、嫌なことは嫌、何故嫌なのか、言葉を尽くすのが正道だ。
こんな若輩の諫言を真摯に受け止める度量をお持ちの父君なのだから、息子の本気には耳を貸したであろうことは明白。
それをしなかったのは上級生の甘えであり、怠惰であり、逃げである。
優秀な兄弟を持つ苦労は知っている。僕だって大姉上や小姉様に遠く及ばない矮小の身である。
比較される辛さも悔しさも、解り過ぎるほどに共感できる。でも、そこで止まったりしたくない。
これまでの筆を見る限り、上級生には文学の才能がある。
不得意を恥じ後ろ向きになるより、高すぎる矜持を得意であろうその部分に向け、自ら認め、伸ばせばよかったのだ。
こんなどうしようもない性根になっても気にかけてくれる心優しい人々の存在を知るべきだ。
彼らは、上級生が振り返る時を待っていてくれている。
こんなことを言った、はず。途中言い包めるのに夢中になり、どうにも確信が持てないが。今度友人に会った時に確かめてみよう。
気がついたら、上級生は泣いていた。泣くほど言い詰めてしまったことには若干良心の呵責を覚えるが、自業自得であるし、間違ったことは言ってない。
上級生はそれで大人しくなったが、問題は取り巻き連中である。
調査を進めていくだに、本当に性根が腐ったとしか言いようがない事実が浮かび上がった。
夜も更けた。続きは明日にする。
【八月某日 通り雨】
案の定、従兄弟共は叔母上に雷を落とされたらしい。それ見たことか。
続きを記す。
取り巻き連中は、彼らこそが、上級生の威を借る下種だった。
上級生は確かに、思うがまま下級生にBを迫ったり、己より成績や体操武道の教科で優秀なものにしつこく因縁をつけたりしていた。
それだけでも問題は問題だが、彼は必要以上の無理強いはしていなかった。
調査結果によれば、痛いことが嫌いと言っていただけあって、揉め事や荒事になりそうな場合は弁舌で逃げ、暴力に訴える真似は誰もされたことがないという確認が取れている。
あの下級生すら、話すうちに加熱し手を取られたところに僕が来た、差し迫った身の危険はそれほど感じなかったと証言したのだから。
だが、取り巻き連中はそうじゃない。
課題の押し付けなど可愛いモノから理不尽な暴力、恐喝、書くのもおぞましい下劣な行為……ざっと洗い上げただけでそれらを日常的にやらかしていた。被害者の中には、全治数ヶ月の重傷を負った者や、精神的衝撃で休学している者も出ていた。
そして、その罪をすべて、上級生の指示としていた。
友人の口から発せられたこれらの報告を聞き、絶句した上級生は恐らくその事実を知らなかったのだろう。
知らず、家名やそこに連なる名誉を、悪し様に良いように使われ、貶められた。
卑劣に下劣なことに、上級生の取り巻き連中は、己より立場が下か、対抗できぬ者、体力的に劣る者にしか手をかけないのだ。弱者を甚振る己に恍惚を見出している。だからこそ手心を加える理由はなかった。
それぞれの保護者から返ってきた反応が、結果なのだ。
送られた調書を読んだ保護者達は、あまりの行状に匙を投げた。
或いは、名誉を穢した上級生の家からの報復に怯えた、とも言える。それほどまでにやりたい放題だったのだ。
各家から、上級生の父君の差配に従う旨の念書が届いたと聞く。
故に、身柄も進退もすべて父君に丸投げである。
どんな仕打ちが待っていようが、僕は知らない。ここから先はすべて自業自得、因果応報である。
その日は、とりあえず全員の身柄を父君と、その部下の方々にお預けし、僕らは解散となった。
友人によって、わざと自ら当たりにいったのがばれて方々から突き上げをくらい、叔父上の説教と小姉様に泣かれたこと以外は、大団円と言えるだろう。
きちんと威力を殺して受け流して当たりに行ったのに、大姉上にしか褒められないなんて。解せぬ。
その後のことを追術すると。
後日、上級生の父君から、処分の詳細を書かれた書面が届いた。
曰く、取り巻き連中は夏季休暇一杯、陸軍の父君の部隊にて、下っ端として訓練に参加させる。
腐った性根がどれだけ叩き直されるか未知であるが、訓練とする以上容赦するつもりはなく、ふやけた性根にはこれ以上ない罰になるのではなかろうか。
上級生は夏季休暇一杯謹慎し、諸処事情を明かした身内による根性焼き直しを受けさせる。
これは軍人の兄ら、親戚一同が責任をもって行い、本人も粛々と受ける覚悟である。
身内に甘いと罵られることを覚悟で、更生の余地有る内は叩き直したいという親心をわかってほしい、と追記されていた。
家の名誉の問題があり、徒に公表し実罰を与えるのは父君としても体面が悪い。このあたりが妥当な罰であろう。
上級生については、驚きはしたが納得しうるものである。
あの連中の中で去り際、スマンと一言あったのは、上級生のみであった。小声だったけれど。
この処分は、調査や諸々協力してくれた諸氏にはかいつまんで報告した。
高等部の先輩方に寄れば、終業式まで上級生含む連中は学校に登校しなかったが、誰も疑問に思わなかったそうだ。
連中は、高等部では有名な鼻つまみ者だったらしいと聞くので、不思議はない。
意外だったのは、あの上級生にのみ、心配の声を上げる者がチラホラ居たのだという。
本性というのは、こういう時如実に反映されるのだ。
従兄弟共に話したのは、こんなところだ。これ以上の情報もないので、ここで筆を置く。
【八月某日 夕立】
大姉上の稽古で、初めて一本取る。うれしい。その後三倍にして返されたが。うれしい。
従兄弟共はコテンパンにのされていた。朝早くから遊びに来るからだ。馬鹿め。
【八月某日 晴れ】
今日は朝から盆の支度をする。
叔父上も大姉上も、小姉様の指示に従い立ち働く。
僕はお仏壇の掃除と床の間の設え、器物の所在確認をする。
蔵の中は以前見た雑多ぶりが嘘のように整然としていた。
小姉様曰く、嫁す前にキチンと用途別に整頓していかれたのだとか。
去年散らかした分も元の場所に戻されてるのを見る分に、恐らく今日の前にこちらにいらして確認してくださっていたのだろう。面目ない。
蔵の中身も、わかり易いよう所在を帳面に記しておきましょうね、と姉様。お優しいお言葉も、却って情けなさに染みる。
叔父上、大姉上の話を聞くだに、彼らの方も先々小姉様の心配りが見えたとのこと。
いくらなんでも頼り過ぎだ。
三人で反省する。
【八月某日 曇】
小姉様が伯爵家へ帰られる。
結局、あれから一度もアレは来ない。
もどかしい。
【八月某日 晴れ】
お盆である。
帰省叶った親類を交え、御霊供養をする。
陸軍の叔父上にお褒めの言葉を賜る。
なんでも、あの上級生の父君はかつての上官であり、此度の顛末も簡単だが聞いているという。
彼の父君は、僕を軍に推薦するらしい。将来が決まってなければ、是非陸軍へ、と。
何を仕出かしたと笑われるのも不本意だが、そこまで見出されるような何かをしたつもりもない。勿体ないお言葉だが、不可解なことである。
今のところ士官の予定はないので、丁重にお断り願う。
【八月某日 快晴】
小姉様がお戻りになられた。驚いた。
てっきり、これを機にそのまま戻ってこないかとばかり。
憂いがスッカリ晴れたお顔をされていたので、何かしら決着がついたのだろうと思う。
【八月某日 快晴】
朝から従兄弟共と海へ行く。
湛と遠泳を競った。十本勝負、勝敗は引き分け。悔しい。
午後は何故か、砂で城を作る。注が異様な集中力を発揮。天守閣を備えた城が建つ。いつのまにか集まった衆目から拍手が湧く。恥ずかしい。
疲れたが、とても楽しかった。
【八月某日 晴れ】
残暑だというのに暑い日が続く。
連日の烈暑に、稽古中倒れる者も後を絶たない。
叔父上直伝の対処は功を奏しているが、稽古内容そのものを見直した方がよいかもしれない。先生にも相談する。
【八月某日 晴れ】
アレがやってくる。小姉様と睦まじくされている様子。面白くない。
今日は、従兄弟共の壮行会を目的とした夕食会。
明日の汽車で従兄弟共は京に戻る。
叔母上夫婦、叔父上、大姉上も臨席。夕食自体は、和やかに進む。
食後の団欒でも、小姉様とアレはくつろいだ様子。面白くない。
諦めろ、あれが破れ鍋に綴じ蓋だ、と湛。
苦難あれど共に乗り越える。もう、大丈夫だ、と注。うるさい、わかっている。
わかっているから面白くないのだ、と言えば笑われた。本当に面白くない。
【八月某日 晴れなれど、天髙し】
友人が夏季課題を抱えてやってくる。だからあれほど計画的に進めろと言ったというのに。
終わらぬとヒイヒイあえぐものだから、今晩は泊めてやることにする。
思い立ち、七月の顛末を振り返る。発言には責任を持ちたい。
およそ記憶通りのことしか言ってないと確認。安堵する。
友人に訊ねられる。
曰く、どうしてあの上級生の書いたものまで把握してたのか、と。
不思議なことがあるだろうか。
調査の段階で、彼の所属する文学部の部報や活動内容を検めたのだ。知っていて当然である。
敢えて言うなら、覚えていたのはそれだけ印象に残ったからだ。
上級生の文章は、ひたむきで、興味深いモノだった。調査名目でなく、面白く熟読してしまった。
もっと掘り下げて調べれば、度々同人誌に寄稿し掲載されている。それらにも目を通したが、本当にこれをあの上級生が書いたのかと疑いたくなるような、見事な作品だった。
名門軍人一家に生まれ、母方は政治家の家系で、文筆の道をとりたいと気炎を上げるには、上級生は家族が好き過ぎたのだろう。
立派な軍人の父君や兄等のようになれない身を嘆き。
期待を裏切る切なさ。無駄な努力を続ける徒労。
情熱を傾けられるものがあるというのに傾けられないジレンマ。
矜持の高さも相まり、様々な軋轢が重なり、上級生はひねくれていった、と。そういう気持ちは、解らないでもない。
うらやましいのは、彼の上級生にはひたむきになれる唯一を持ち得ていたことだ。
僕はまだ、そういうものを見つけられない。
でも大姉上や叔父上、周囲の大人を見ていると、本当に人生をかけて選ぶ唯一を持ち得た人の強さは計り知れないと、そう思う。
だから大事にしてほしかった、と願うのは本当だ。
もっと作品が読みたい、と言う私欲だけかもしれないが。
友人に、君のそういうところは良いと思う、と言われる。
具体例を示せ。温い笑みで此方を見るな。訳が分からない。
夜風が涼しくなってきた。
もうすぐ新学期が始まる。
新たな登場人物は、名前を出し次第、随時人物紹介ページに追加していこうと思います。
お読みくださりありがとうございました。
次は、旦那様サイドのお話です。




