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軽くシャワーを浴びた後、寝ぼける梓から車のキーを借りて、小此木さんが言っていた住所を検索して地図を頭に叩き込んでから車を走らせた。どんなに急ぎの用事でも法廷速度は遵守。酔いは残っていないと思うが、警察に捕まるのはちょっとまずい。
俺の借りてる部屋から三時間ほどで、そこについた。少しだけ町から離れた場所にある豪邸。町の人間ならば知らぬものがいない旧家。まるで城のようだ、というのが感想。
「しかし、参ったね。小此木さんの実家が宮森だったか」
娘の動向とか、友人関係とかを探るのに人を使うというのは、随分と。
過保護なのかそうでないのか判断に困るところだ。
いや、閉じ込めた時点で過保護なのだと解かっているのだが。何せ、友人の名前に『真賀』があったのだから、知っているのならば閉じ込めもするだろう。『真賀』はそういう家だ。ある程度の階層になれば触れてはいけない禁忌になる。
しかし、だからといって閉じ込めるのはやり過ぎだ。・・・・・・まぁ、個人の感想でしかないわけだから、声を大にするつもりはない。
さて。どうやって侵入しようか。別に正面から入ってもいいのだが、止められてしまうかもしれないから必然的に却下だ。
見たところセキュリティの類はない。当然だ。大事なのは家ではなくて個人だから、そういうものをつけるならば、人間につけるべきなのだから。そうすれば経費も安くて済む。戦力を集中できる。
そんなことを考えながら塀を登り、庭に降り立つ。
よく手入れされた庭だ。日本式の庭園には良く触れていたが、こうした洋風の庭園は見るのは初めてだ。ちょっと気後れしながら、もう少し見ていたい気になったがそうも言ってられないので、とりあえず小此木さんに電話する。しながら移動する。
『・・・・・・・』
「あ、小此木さん? どこにいますか? 今、家の中央のほうにいるんですが」
『・・・・・・・』
「もしもし? 聞いてますか?」
『・・・・・・・東館の二階奥』
息を潜めるような声。布でふさがれたようにもごもごと聞き取り難い声で、あまり人の声を電話で認識出来ない俺は混乱する。これは本当に小此木さんの声だったか、と。確認しようにもすぐに電話は切れた。他に情報もないから、向かうしかないだろう。
邸宅の雰囲気からして、人に会うことはあまりないだろうと思えるから堂々と歩いた。
言われたとおり東館の二階の奥の部屋に向かい、ドアの前に立った。少し迷ってからドアをノックすると、はい、と今度は間違いなく小此木さんだと解かる声が聞こえたのでドアを開ける。
「・・・・・アズマくん。本当に来たんだな」
「準備できてますか?」
いつもと違うドレスのような豪奢なワンピース。少し恥ずかしそうにしながら、小此木さんは頷いた。少ないながらの荷物もあるようで、ベッドの横に隠すように置いてあった。それを肩にかけて、小此木さんを外に出るように促す。
「・・・・・・しかしアズマくん、よくここが解かったな」
「え? そりゃあ、電話して聞けば解かりますよ」
「・・・・・・電話は取り上げられた」
部屋の外に出た瞬間、強烈な圧力に襲われた。小此木さんを部屋に押し戻し、荷物を投げ捨てて圧力から逃げる。
ぶっ、と空気が避ける音が耳朶を打った。
広い廊下を転がって、距離を取りつつ立ち上がる。
小此木さんの小柄な体を隠すように、巨体が立ち塞がっていた。縦にも横にもでかい。身長は百八十ぐらい、体重も同じぐらいか。腹回りを中心に肉と脂肪が張り付いていて、打撃が通り難そうな体をしている。ついでに投げ難そうでもある。
「誰だ。小此木さんの監視か?」
「星川昴。・・・・・・・推して参る・・・・・・・っ!!」
「・・・・・・じゃあ、遊んで貰おうかね」
これを何とかしないとどうやら小此木さんを連れ出せないようだし、やれるだけやろうか。あの巨体だ、そんなに速くは動けないだろう。妥当に、それなりに速度で翻弄でもして・・・・・・瞬間、打点の高い速い蹴りが襲ってきた。
思考に没頭していたせいか、それに僅かに反応が遅れた。ずっしりと重い感触が腕に響いてくる。そのままその巨体からは想像できない速度で蹴りが飛んでくる。いなし、避けて、それでも無理なものは受けた。前蹴りで体が持ち上げられ、為すがまま弾き飛ばされる。
なんとか踏ん張って、体勢を立て直すためにこちらから仕掛ける。左の掌から右拳は、分厚い肉に阻まれて通った気がしない。蹴りも同じ、肉が打撃を吸収し、弾かれる。脂肪の鎧が鬱陶しい。そう思ってる間に拳を叩き込まれる。骨が軋む。一年ぶりに受けた拳は、重くて痛む。体が悲鳴を上げる。祖父の打撃が思い出される。あれは痛かった。出雲の兄の蹴りを思い出す。あれは響いた。確か頑丈なのもいたな。打撃の通り難さはそれを連想させる。
星川昴は強い。見た目からは想像できないほど。速いし、重い。だが、怖くない。
足を止めて受けていたせいか、膝から急に力が抜けた。それを定めて、星川昴は全力を込めたであろう拳を放った。俺の体が持ち上がり、弾き飛ばされて、壁に叩き付けられる。壁が凹むほどの力を体にかかったせいで少し全身が痺れる。
星川昴は、拳を打ち抜いた格好でぴくりとも動かない。どうした、動け。今がチャンスだぞ。
「かーっ! 馬鹿息子がよぉ!」
階段のある方向から、どかどかと道着を着た年嵩の男が歩み寄ってくる。星川昴の肉を落とせばそうなるであろうと思われる容姿の男は無遠慮に星川昴の横に立ち、その頭を叩いた。
「お、親父・・・・・・」
「ちっ。・・・・・・奥さん、これ以上はできねぇよ」
更に続いて妙齢の女性が現れる。小此木さんに良く似た女性だ。彼女は本当に単純な疑問符を浮かべて、男を見た。どういうことかしら、と口にして。
「この馬鹿、拳と膝をやられやがったんでさぁ。あの小僧、こいつの拳を小指狙って肘で受けて、膝の横っ腹を踵で打ちやがった。この馬鹿はこの馬鹿で本気で振り抜いて、ぎりぎり壊されるのを避けた。ま、この馬鹿はもう動けませんわ。それに・・・・・・それで『真賀』を叩き起こしちまった。これから先は殺し合いだ。給料以上の仕事は出来ませんぜ」
「・・・・・・そう」
「おい」
体を起こして、勝手に話を進める中年の男女に声をかける。せっかく、やる気になってきたのに止められるなんて面白くないことこの上ない。
「あんたはやらないのか。俺はいいぞ」
「・・・・・あん?」
「やるのか、やらないのか・・・・・・どっちだ?」
「・・・・・やらねぇし、やらせねぇよ」
男は星川昴の前に立った。
「息子を殺されちゃたまんねぇよ。こいつはまだ『完成』してないんでね。俺も死ぬわけにはいかねぇし、自衛はするがよ。殺し合いも、壊し合いもしねぇぞ」
「へぇ。そう言う割には・・・・・・」
一気に間合いを詰める。左掌を打つ。回避されたのを見て更に深く踏み込み、奥襟を握り回り込むように右肘を叩き込み、地面に向かって叩きつけるように落とす。男はぐるりと宙で回転して俺の手を解き、そのまま胴回し蹴りを打つ。紙一重で避けて、無防備なその顔を脚で打ち抜いた。
ぎしり、と好い手応えが返ってくる。が、男は普通に立ち上がった。
「やる気じゃないか」
「こっちは四十路の爺だぞ、手加減しろや!」
「手加減は格下にするものだろう。あんたは違う」
「ちっ、これだから真賀は・・・・・・!」
離れた間合いを詰めるために一歩踏み込もうとしたところで、小柄な影が躍り出てくる。
「やめろ、アズマくん! これ以上は駄目だ!」
「小此木さん・・・・・・」
男を見れば、既に構えを解いている。星川昴はへたり込んでいる。女の方は、どちらかといえば興味深そうにこちらを見ているが、敵意はない。
「解かりました。やめましょう」
星川昴と、小此木さんだけがほっと胸を撫で下ろした。