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「・・・・・・ねぇ、ひとつ聞いていいかしら?」
「なんだ」
「この辺りをうろついていたおじさんがいなくなったの。何かした?」
連休も終わり、という日の夜にぱたんとライトノベルを閉じて読了を示した出雲がそんなことを聞いてきたので、正直に、かつ簡潔にちょっとした話として適当に教えた。ああ、そうなの、と出雲は得心が行ったように小さく頷いてきた。どこか残念そうなのはなぜだろう。
「少し気になってたの。まぁ、いなくなったのなら言わなくてもいいわね」
「報告か?」
「気になることがあったら言え。そう言付かってきたの。まぁ、よっぽどのことがなければ向こうに連絡はしないわ」
「ふぅん」
「あなたがいれば大丈夫だと解かっているから」
「・・・・・・」
黙り込むと、周囲の音が耳に響くようになった気がする。ほら、もうすぐドアの近くに誰かが通る。それはぴたりとドアの前に立ち止まって、少しだけ中の様子を伺うような気配を漂わせて・・・・・・ほら、今呼び鈴を鳴らす。
・・・・・・と、そんな妄想をした。
「誰か来たのかしら」
「?」
ぽつりと呟くと、出雲はすぐに立ち上がって玄関に向かった。何を、と声をかける前に呼び鈴が部屋に鳴り響いた。・・・・・・俺よりも早く出雲が気付いていたことに驚きを覚えたが、やはりあれも真賀なのだと納得することにした。
どうせ、新聞の勧誘とか何かだろうと思っていたら、ほぁ~、と間の抜けた声が聞こえた。聞き覚え、というか休みに入る前は毎日聞いていた声に慌てて体を起こす。
「あ、アズマ、やほー」
「梓・・・・・・? なんで」
「帰省から戻ってきたから、一杯どう、とか思って。女の子いるとは思ってなかったけど」
ちらりと梓はむっつりと黙り込んで己を睨んで来る出雲に視線をやり、笑って見せた。
「あー・・・・・・まぁいいよ、中入れ。立ち話も面倒だろ」
「だってさ。入っていい?」
「・・・・・・どうぞ。私に入るななんていう権利はないもの」
最後は小声の上に早口だったが、ちゃんと聞こえた。出雲の不満のボルテージが爆発的に上がっているのが直に伝わってきて、冷や汗が流れていくのを止められない。
とりあえず、という感じで二人にお互いを紹介した。かたや同期生。かたや親戚。立場はなんとなく察せられたのか、二人とも笑顔・・・・・だったら良かったのだが、出雲だけは今でも敵意をあまり隠していない。
「あ~、じゃあ、この子がアズマが言ってた親戚の子だ。ほんとに着物なんだね」
「・・・・・・・」
ただし、それはべたべたと遠慮なしに触れてくる梓のせいなのだろうが。ただそれを眺めているのもばつが悪かったので、出雲に梓の相手を任せて台所に立つ。梓が色々と買ってくれていたおかげで材料には困らないので、適当に肴を用意する。二人の会話が遠くから聞こえたが、何を喋っているのかまでは聞こえなかった。
棚から一升瓶を引っ張り出して、部屋に戻ると、二人は適切な距離を取り直していた。恨めしそうな出雲の視線が突き刺さる。言いたいことは解かる。助けてくれなかった、という恨みだろう。いや、女子のやり取りに顔を突っ込めるほど、俺は人生を経験していないので。
「わぁ、ありがと。わざわざごめんね~」
「仰ってくれれば私がやったのに・・・・・」
「あ~、悪かったな、お前らのやり取り見てたら言えなかったんだ」
手酌でコップに酒を注ぐ。
「あ、待った待った! 乾杯しよ」
梓も慌ててチューハイの缶のプルタブを開けて、俺の前に掲げて見せた。一瞥してから、合わせる。缶とコップのなんとも言えない間抜けな音が響いた。
「えっと、出雲ちゃんはまだ未成年だからアルコールは無しでね」
「・・・・・・」
にっこりと微笑みかける梓を一瞥し、出雲はさっさと一升瓶を手にとって酒を注ぎ、一気に飲み干した。
「・・・・・・うそ~・・・・・・」
「さて。あなたは私を潰せるかしら?」
「梓、そいつ、聞いた話だと子供のころから色々と付き合いで飲んでるから、強いぞ」
呑めるというから付き合わせてみたが、結構いける口で結構楽しんでいたようだが、最終的には俺より早く潰れていた。それでも、少なくとも俺の知っている女性陣よりは圧倒的に強い。それに酔うと呑ませたがりになるから、梓は近い内に潰されるだろうな。
俺は静かにちびちびとやろう。
幸い、二人が盛り上がっているおかげで俺は放置プレイだし、梓の寝る場所もすぐに確保できるのだから、多少羽目を外してくれても問題ないのだ。
「アズマ、助けて!」
「諦めろ。諦めが肝心だ」
「梓さん、一度注がれた杯は乾かすのが礼儀。そもそも、乾杯というのは、杯を乾かすという誓いよ。そもそも、お酒というのは神に捧げるものであって・・・・・」
何か薀蓄を語りながら、梓のコップに酒を並々と注ぎ始める出雲。梓は顔を引きつらせながら俺を見る。が、俺はもうさっき言った。
諦めろ、と。
「大丈夫。ちゃんと危なくないように監督するから」
「それ、まったく慰めになってない!」
梓の悲鳴のような声が周囲の迷惑にならない程度に響いた。
そうして夜が更けていく。ありきたりな、日常の風景が。
それが崩れたのは、かなり前に出雲も梓も潰れて酒臭いが穏やかな寝息を立てていて、俺も彼女たちに毛布をかぶせてから、玄関近くで眠っていたころだった。
電話のコール。
携帯電話を寝ぼけ眼で見ると、それは小此木さんからの連絡だった。
ドアを開けて外に出る。周囲はまだ暗い。月がまだ空にあって、周囲を照らしている。喧騒もなくて静かな夜だ。
「どうしました」
『帰れないかもしれん』
「・・・・・・どういうことですか」
『外に出れないんだ。閉じ込められた』
そこに悲壮感はなかった。ただ、諦めだけが滲んだ声で、淡々と事実だけを述べる静かさがあった。小此木悠美は、諦めている。
『・・・・・・今まで色々してくれて助かった。電話越しで悪いが、感謝する。たぶん、私は、このまま学校を辞めることになる。だから・・・・・・だから、この時間で申し訳ないが、電話をした。この時間しか、隙がなかったんだ』
外に出ること。元の生活に戻ること。友達と笑顔を交わすこと。どんな理由で、どんなことがあって、諦めているのか、諦めてしまったのか解からない。俺が解かっていることは、小此木悠美は、両親に誑かされたということ。結果として、戻ってこれなくなったこと。
『梓にも、良いように言っておいてくれないか。さすがに私の我侭につき合わせるのはちょっとな。事情も解からないだろうし』
「・・・・・・解かりました」
『・・・・・・ああ、すまんな』
「迎えに行くんで、住所を教えてください」
『・・・・・は?』
「もう言いませんよ。住所、教えてください。迎えに行きます」
『いや、だが・・・・・・』
「教えてくれたら迎えに行きます。そうじゃなかったら忘れます」
『・・・・・・・』
小此木さんの逡巡が伝わってくる。俺はただ待った。そして、ぽつりとある住所を小此木さんは口にした。
「じゃあ、すぐ行きますので、準備してください」
『準備・・・・・・?』
「家出しましょう。手ごろな金目のもの引っ手繰って荷物に詰め込んでいてくださいね」
呆然としているであろう小此木さんの姿を想像して、笑みを浮かべる。それじゃあまたあとで、と声をかけて電話を切った。
さて、さっさと連れ帰ろうか。