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とある客船の中に俺はいた。二等客室の小ぢんまりとした部屋だったが、快適といえば快適だった。同室には川内ユキオの姿もある。お互いにシンプルな私服姿であり、状況だけを見るなら若い恋人同士のちょっと奮発した旅行の風情にも見えるだろう。
「やー、ラッキーだったね! ちょっとした旅行気分だよ!」
「そうだな」
適当に答えて、持ち込んだ酒を煽る。
「もう。こんな時間からお酒なんてダメだよ」
「・・・・・・ああ」
味がしない。最近、感覚が狂っている。どれだけ飲んでも酔う感覚がない。喉を通るアルコールの熱さは感じるのにそれ以上のものを感じない。・・・・・・もしかしたら祖父も似たようなものだったのかもしれない。いくら飲んでも酔うことがなく、しかしどうにかして体を鎮めたくてアルコールを煽っていたのか。食事も味気なく、腹にたまった感覚以外感じないのだ。最低限の栄養補給しかしていなかった時期もあったが、あの時だって味はあった。味蕾を刺激する感覚はあったのだ。
ユキオは困ったように微笑を浮かべている。
俺は頭をガシガシと掻いてからゆっくりと立ち上がった。
「一緒に船の中でも見て回るか?」
「ん? そだね。そうしよっか」
ベッドの上からぴょんと飛び降りて、ユキオは俺の腕をとった。少し抵抗感があったが、こうしていたほうが違和感がないだろうと判断して、させたいようにすることにした。
俺たちが乗り込んだ客船は全長三百メートルほど。様々な設備が点在しており、二週間程度の船旅で飽きることはないだろう。その中に加賀見弘明の姿がある。ユキオと俺の目標はこの男。加賀見家の害虫。現当主である加賀見彰人が暗殺を決断した哀れな男でもある。
自分で言うのも何なのだが、最悪なことにその命を奪いに来ているのが、滅多に表に出てこない『真賀』と『川内』なのだから御察しだ。
まぁ向こうも足切りされたことには気付いているらしく、護衛を雇って高跳びしようとしているというのが現状である。
「おーひろい、広いぞおおおお! わぁ、プールもあるんだぁ」
「そーだな」
「感動足りなくない? 私、こういうの初めてだからすごく感動してるよ! スケッチしたいぐらい!」
全身で感動を表して、ユキオは無邪気な笑顔を浮かべる。ぱたぱたと両手を動かしながら、くるくると周囲を見て回っている姿は、なんというか子猫のようで可愛らしい。
「いいんじゃないか? 道具、持ってきてるんだろ? どうせすぐに仕事はしないし」
「いいのかなぁ? うーん・・・・・・うん。あとでやる。とりあえず見て回らないとね」
地理を把握することのほうを優先する辺り、仕事のほうは忘れていないようだった。別にユキオに何かさせようという気もないのだが。加賀見弘明に関しては個人的に確実に仕留めたい。ユキオにも邪魔されたくはない。
一通り船内を回るとちょうど昼食の時間になったので、二人そろってそのまま食堂に向かうことにする。
ユキオと他愛ない話をしていると、うげ、という声が聞こえた。気になったので視線を向けると、そこには制服姿の宮森稲穂の姿があった。見てはいけないものを見てしまったかのような表情で俺とユキオを見てから、周囲をきょときょとと見回してから小走りで近付いてきた。
「おにーさん、何してるのさ!」
「何って・・・・・・見ての通り、飯食いに」
「ちがーう! なんでこんな船に乗ってるのって話! しかも女連れ!・・・・・・って、あれ、加賀見のおばさまの護衛・・・・・・?」
「あれ、宮森の代理の子だ」
「どゆこと、どういうこと!? 説明して、おにーさん!」
「どういうって・・・・・・旅行だろ。見ての通り」
「二人で?」
「二人で」
「お姉ちゃんは知ってるの・・・・・・ってか、出雲ちゃんは知ってるの? ここ大事だよ、おにーさん!」
「どっちも知らない。話すことじゃないだろ、別に」
「おぅ・・・・・・やべーとこ見ちゃったよ、私。どうするの、私! うー・・・・・・・! よっしゃ、決めた! とりあえず、おにーさん! 場所移しましょ! それがいい、絶対そうしたほうがいい!」
「あー? なんでだよ。別にいいだろ」
「いいから。いいからっ! 早く来る! なんだったら奢ってもいい!」
あまりに必死な形相で言うものなので、ユキオの方が折れた。苦笑を浮かべて、俺の腕をとったまま顔を上げた。
「ついて行ってあげよう。彼女なりの理由があるんだよ」
「・・・・・・そうか。まぁ、お前がいいならいいさ」
「・・・・・・」
俺たち二人の会話を聞いて、稲穂は苦虫を噛み潰したような顔をした。なんか気に障ることでも言っただろうか。ちょっと腑に落ちないが、言われた通り移動する。
「お姉ちゃんがいます」
「・・・・・・・小此木さんが? 珍しいこともあるもんだ」
「ま、そうだよね。・・・・・・先方がどうしてもって言うから、私からお願いしてついてきてもらったんだけど」
「先方?」
「加賀見弘明って知ってます? いい噂を聞かないんだけど、そいつが資産を売り払いたいって言うから。あと、情報の買取で。私だけだと決断できない問題なので、当主名代でどうしてもお姉ちゃんが必要だったので。ほんとはおにーさんに護衛してもらいたかったのに! こんなところでいちゃいちゃしやがって!」
「あー・・・・・・それは悪かった」
「ああ、それと、出雲ちゃん、激おこです。お家、帰ってないんだよね?」
「・・・・・・」
「え、そうなの!? 駄目だよ、それは!・・・・・・で、どこにいたのかなぁ~?」
ネコ科の猛獣のような瞳に睨みつけられ、正面からは稲穂の非難するような瞳に充てられて、俺はため息をついた。
「友達の家にいたんだ。あと、ちょくちょくお前と会ってたろうが」
「あ、そうだね。確かに。でも、友達ぃ? 友達なんていたの?」
「いるよ、さすがに」
性別が男であるとは明言しないが。と、いうか俺に性別男の友達はいない。残念ながら。その上、友達と明言できるのも一人しかいないのだった。たった一人の友達だから、絶対に守らなくてはいけなかったから、と言ってしまえばいいのだろうが、たぶん、この二人には通じない。激おこの出雲にも通じないだろう。女の臭いがするとか言われそうだ。しかも間違ってないので性質が悪い。