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物音がして、彼は静かに閉じていた眼を開いた。視線を向けると、そこには眼帯をして、右腕を包帯で吊った男が立っていて、しかめっ面のままどかっと腰を下ろした。近くにあった酒瓶に手を伸ばし、そのまま一気に煽るのを見届けてから、ゆっくりと口を開いた。
「怪我人が酒とは体に悪いぞ」
「うるせぇ」
「・・・・・・状況は?」
「ああ? 見てわかんねぇか?」
「わからん」
「落ち着いたよ、なんとかな。ガキどもは隣で寝かしてる。無傷だ」
「・・・・・・そうか。苦労を掛けるな、雷蔵」
「別に。『真賀』が強者と戦うことを厭うかよ」
「それはそうだろうな。私には、わからんことだが」
「・・・・・・「あれ」はあいつらに興味を示さなかった。あのガキどもは失敗だ」
「失敗か。才能がないということか?」
「いいや。真賀の平均よりはあるだろうよ。俺よりは下だ。・・・・・・・俺以下である以上、「あれ」にとっては価値なんかねぇんだよ。知ってるか? 「あれ」は生まれたあいつらをすぐに投げ捨てたんだぞ」
「・・・・・・だから私に預けたのか」
「そうだ。ちょうどよく、ガキがいたはずだったからな。母乳ぐらいはやれるだろ?」
「・・・・・・」
真賀雷蔵の言い分は正しい。生まれてすぐその子は死んでしまったが、代わりを用意してくれたおかげで、家内の精神は安定を保っていた。
「史上最強・・・・・・制御の出来ない怪物、白痴の神、か。まだ十六だったか」
「おう。だが、最大の失敗作でもある。極点に至ってしまえば、『真賀』はああなるっていう実例だ」
思考することなく、情を示すことなく、ただただ戦い続けるだけの化け物。殺して、殺して、殺し尽くしてもまだ足りぬ。なぜなら、満足という言葉を知らないから。満足する必要がないから。ただ、唯一救いがあるとすれば、真賀の神域から出ることだけはないということだけだ。それでも命知らずは寄ってくる。何より、真賀の一族がそこに引き寄せられる。結果は身内同士の殺し合いだ。そして、哀れなことに、真賀はそのことに満足して死んでしまう。
だからこそ、無能が当主の座に収まっているのだ。円滑に一族を運営するには、その本性に振り回されない人間でなければならない。
「あれをある程度の形に落とし込まなきゃいけねぇ」
「・・・・・・それで?」
「おう。どっちが欲しい?」
「・・・・・・なに?」
「俺のガキのどっちかをくれてやる。後はいつも通りだ。掛け合わせて、次を作る」
「・・・・・・男だ。次の当主にする」
「ああ? やめとけって、次に生まれるお前の子でいいだろ」
「・・・・・・その子をこの輪廻に組み込みたくない。どうせ、生まれるのは無能だ」
「真賀が潰れるぞ」
「潰れればいい。こんな一族、クソ喰らえ、だ」
「ふん。ならいい。好きにしな」
「・・・・・・」
そうだ。こんな一族など、さっさと消え去ってしまえばいいのだ。これがその一助になることを、切に願う。その代価が、己の命であるならば、それも仕方ないことだろう。
雷蔵が去ってから、子供たちの様子を見るために立ち上がる。
襖を開けてみれば、男女の双子が仲睦まじい寝息を立てていた。こうしてみていれば、ただの可愛らしい子供でしかないが、彼もまた「真賀」であるのだ。いずれ、その本性に翻弄され、命を無駄に散らすのだろう。
けれでも、その時までは平穏に、ありきたりのまま過ごしてほしいと思ってしまうのは間違ったことなのだろうか。雷蔵は真賀としては間違っているというだろう。そうだろうとも。それを願っていること自体が、『真賀』として間違っているのだ。
だから、私は無能だ。
無能のままでいい。
このまま、死にたいのだ。
結局私はこの二人を引き取った。私の子供として、過ごせるようにした。『真賀』の修行場には、あの化け物がうろついているためにこの子たちは近付けないため、屋敷の中で鍛錬することになった。男の子は次代の当主として、女の子は雷蔵が、次の器とするために。
そうしているうちに私の子供が生まれた。やはり、無能だった。『真賀』として、何の能力もない、ただ素直で純粋な、心優しい良きことを良いとすることができる子供だった。
「・・・・・・」
「満足したか?」
「・・・・・・ああ、私はもう満足だ。次の当主も問題なく機能するだろう」
「そうか。なら、いいな」
雷蔵の指が首にかかる。
「何も見ずに死ぬことができることは幸せだ」
「そうかい。なら、死ね」
衝撃が首にかかり、すぐに視界がブラックアウトする。
願わくば、平穏を。
幸いのまま、皆が死ねますよう。