番外・非理法外典2
祖父が死んだのはあの仕合から一年の後だった。
俺が折った足は完治せず、砕いた顔もまた同じ。ほぼ植物状態のまま日々をすごし、約一ヶ月ごとに意識が幾度か戻り、その折々に親族に別れを告げ、最期に俺に一言を与えて、逝った。その間、俺は何も変わることなく、それ以前と同じ日々を、淡々とすごした。
祖父の葬儀がしめやかに行われている時も同じく。日常と違うイベントをすごした、という印象のまま納骨を行った。俺はその場にいたが、遠くからその光景を眺めているだけだった。
「アズマ。何でそんなところにいるんだ」
「・・・・・・流水・・・・・・様。いや、別に。じじいは、別に俺に見送って欲しいとは思ってないだろう。それに、じじいを尊崇していたやつにしてみれば、俺は、煩わしいだろうし、恨めしいだろうしな」
「流水でいいさ。幼馴染だろう、俺らは。・・・・・・しかし、お前、立ち会わないのはそんな理由か。余計な諍いは起こしたくないか。かか、引っ込み思案だな。お前はじじいを殺した、それだけの実力がある。あいつらだって、折角大人しい龍だの虎だのを起こしたくはなかろうよ」
「・・・・・・じじいはもう高齢だった。俺が勝てたのは、年月のおかげだ」
「はは、そうかいそうかい。・・・・・・・んで、じじいは最期、お前になんて言った」
「お前の守役を頼まれた。お前は、俺なんかが守らなくても強いのにな」
「いや、どうだろうな・・・・・・。たぶん、そういう意味じゃなかろう。それは解かる。・・・・・・お前、調子は?」
「?」
「鍛錬、続けてるんだろう。戦えるか、今、すぐに」
「・・・・・・出来る」
お前がやるのか、そう問いかけると、いいや、と流水は答えた。だが、俺ぐらいのやつだ。と、そう続けた。
しかし、それは二ヵ月後に見送られた。流水・・・・・・実質真賀の№2にしても準備にそれだけの時間がかかった。手回し、根回し、色々とやったのだと自慢げにそう言う流水の顔はとても子供っぽかったが、とても無邪気で、らしいと思えた。
真賀が所有する幾つかの山に、当主とその近縁だけが出入り出来る場所がある。真賀の氏神が祭られる神山で、俺はここで修行を授けられた。祖父が命を落とした場の最高神殿がある場所でもある。滅多に当主でも立ち入らない場所でもあるが、現当主は若りし頃、頻繁にここに出入りしていたという。その情報を聞いた時、流水は歓喜したそうだ。
これで理由が出来たと、その情報をくれた遠縁に漏らしたのだそうだ。
流水が何を知ったのか、俺は知らない。知りたいとも思わない。なぜなら、それは流水の理由であって、俺の理由じゃない。興味もない。
「・・・・・・若。止まってください」
「おお、東湖伯母さん。やっぱりいたか」
「ええ。先代が身罷られて、ここは私の管轄になりましたので」
「と、いうことは、やはり親父もいるな。通せ、俺は親父に用がある」
「・・・・・・その格好で、ですか」
「ああ、この格好で、だ」
流水は篭手と脚甲をつけ、太刀を腰に吊るしていた。東湖は緩やかだった瞳を険しくし、流水を睨み付けた。流水はそれを涼やかに、その名の如く受け流し、俺を手で呼びつけた。木立の中、星明りに照らされる場に俺は足を踏み出す。
東湖の瞳の険しさが増した。
「アズマ・・・・・・あなた。なぜここに」
「・・・・・・俺は流水の守役だ。請われれば、どこにでも行く。・・・・・・流水、俺の相手は、あれか」
「かか! そうだ、あいつが、お前の相手だ。言ったろう? 俺ぐらいだって」
「・・・・・・そうか」
「ああ、頼む。親父との用が終わるまで、相手をしてくれ。・・・・・・ああ、別に殺してもいい」
「・・・・・・流水っ!」
「解かった。終わったら、見学に行く」
「アズマ、あなた・・・・・・っ!」
東湖が、祖父と同じく俺に業を授けた師が動揺している。流水が一歩、前に踏み出す。遅れて俺は足を前に送り、二歩で流水を追い越し、東湖との間合いに入った。舌打ちをして、東湖が前拳を繰り出してくる。体重が乗っていない拳を額で受けて、速度を加えた拳を東湖の腹に向かって突き出す。祖父よりは劣るが、四十台の女の腹ではない固い感触が拳を通して伝わってくる。
動揺していても焦っていても叩き込まれた業が、東湖を動かす。右拳が天頂から叩き落される。それを腕で受ける。祖父ほどの重さはない。足が軋むような、腕が痺れるような威力はない。
・・・・・・弱い。
前蹴りをその腹に叩き込む。僅かな間、足先に東湖の体重が残ったがすぐにそれは雲散霧消した。逃げられたのだと理解した。
東湖は三メートルほど離れた場所で、息を吐き出している。
「若・・・・・・流水が何をしようとしているのか、あなた理解しているの!?」
「さぁ・・・・・・」
「流水は父を、当主である兼良を殺すつもりよ。守役の仕事は、ただ唯々諾々と主に従うことじゃない。そういう無法を留めるのも仕事なの。止めなくてはならないのよ!」
「興味がない。・・・・・・それにそれは知ってる」
「解かっていて止めなかった・・・・・・・? く、やはりあなたは・・・・・・・」
歯噛みしながら、東湖は小太刀を抜いた。空気が変わったのを理解する。東湖が本気になったのだ。俺を殺してでも当主を助けに行く道を選んだのだ。愛した弟子よりも、真賀の当主を選んだのだ。
だが、思う。それでいい、と。
俺たちは真賀だ。守りたければ殺してでも守り抜く。欲しければ殺してでも奪い取る。愛しているのなら、殺してでも愛し抜く。真賀はそうでなくてはいけない。口元が吊り上っていく。東湖も焦燥よりも真賀の血の胎動に押されるように嗤っている。
誰とも何も言わず、戦いは始まる。
東湖は低い姿勢で、しかし爆発的な速度で、俺に肉薄してくる。
俺もそれに倣う。
更に低い姿勢で東湖を迎え撃つ。突き出された小太刀を横に飛ぶように回避し、その脳天に胴回し蹴りを見舞う。東湖は空いた手でそれを弾き返し、引き戻した小太刀を突く。
胸元に吸い込まれるように向かってくる小太刀を地に着いた足を弾き上げるようにして蹴り上げる。僅かに小太刀の切っ先がそれ胸元を浅く裂いて進んでいく。ぷつぷつとこそぎ取られた皮膚の合間から血があふれ出してくる。
「くは」
「はぁ、あああああ」
呼吸を整える、その合間に東湖の手に向かって蹴りを繰り出す。それを東湖は僅かな動きで避けて、手の内で小太刀を回転させて逆手持ちに変え、フックを打つように振った。額を掠めて刃が通り過ぎていく。その小太刀が返される前に、俺は額から血を流しながら、東湖に組み付いた。
小太刀を持つ手を握り、捻り上げ、体を変えるように回転する。回転する俺の体重の力に負け、小太刀を持っていて伸び上がり、無防備な肘を晒す。東湖の顔色が一瞬変わった。だが、それだけだ。俺の抱え込む腕の中で、骨がボキリと折れる音が響いた。声は響かない、ただ小太刀が地面に突き刺さる音だけが響いた。
ぼっ、と空気が裂ける音がして、俺の目の前が火花が散ったように白くなった。鼻腔から熱いものが噴出すのが解かる。
掌底を打たれたのだと気付いたが、遅かった。体が傾ぎ、そのまま地面に叩き付けられる。後頭部が激しい痛みと熱を訴えってくる。だが、なんと首は無事で、後頭部の痛みも一過性のものであった。やはり片腕では限界があったということなのだろうが、それでも俺の肺腑からは息が抜け切り呼吸困難に陥ってしまう。
口から涎を垂らしながら、のた打ち回るように東湖から離れようと動く。
東湖の足が俺の額を打ち抜いた。視界がぶれる。足を取ろうとしたが、東湖は祖父よりも早かった。こめかみ辺りを蹴り抜かれ、更に視界がぶれる。
腕を伸ばす。がむしゃらに伸ばした腕が、東湖の折れた腕を掴んだ。今の全力で東湖の体を引き寄せることが出来たのは、この折れた腕を掴むことが出来たからだろう、と思う。痛みに僅かに体を捩った東湖の足を地面に倒れたまま払う。東湖の足が地面から離れ、地面に額からぶつかりそうになったところを残っていた片手がその体を押し留めた。
だが、ここから東湖は動くことが出来なかった。僅かなラグが生まれた。
腰を跳ね上げぐるりと股を回転させて、東湖の首を足で挟みこみ、腹筋の力を使って東湖の背中を一回転する。足はがっちりと東湖の首を固定していて、当然の帰結として、彼女の首をへし折っていた。
「は、あ・・・・・・」
小太刀を拾い上げ、厚めの胴着袴を切り裂いて頭部の簡易の止血を行う。東湖の腰から鞘を抜き、小太刀を納め、己の帯に差し込む。凄まじい修羅のような形相の顔に敬意を払い、目礼し、それからゆっくりと彼女の見開かれたまぶたを閉ざした。
急がずゆっくりと道、と呼ばれるには首を傾げざるを得ない獣道を進む。数分、数十分か、正直時間の感覚が曖昧になっていて、どれだけ歩いたかは解からなかったが、急に開けた場所に出た。
凄まじい速度で動く獣が二匹。
互いの牙の合間を潜る様に争っていた。どちらかがより早く相手に到達するかのデッドレースを繰り広げている。その合間に打撃の応酬があり、忍ばせた白刃がぎらぎらと星明りに照らされて輝いていた。攻防は、僅かに流水が不利、と見た。
とはいえ、俺は見ているだけだ。そう言う約束だからだ。流水が負ければそれまで。俺はその死体を置いて、ここから立ち去るのみ。
「おお、アズマ、殺したか!」
俺を見ずに、流水は叫んだ。
気付いていたのか、出鱈目か、それは解からない。だがその一言は、確かに当主を、流水の父・兼良を動揺させた。かっと見開かれた瞳が俺の姿を捉え、愕然とした表情を一瞬浮かべた。そして、それが流水にとって大きな好機となった。
ゆるりと、太刀がまるで鞭のようにしなったかのように見えた瞬間、パッと兼良から赤い霧が咲いた。流水と同じように太刀を握っていた右腕から血が溢れ出でて、兼良は太刀を落としてしまう。バックステップを踏む兼良に流水は追い縋る。
だが、逃げる兼良の速度は僅かに流水を上回っていた。それを見て、流水はあっさりとした態度で刀を投擲した。それは兼良を目掛けまっすぐ飛び、それを避けるために兼良は僅かに足を止めざるを得なかった。それが流水が追いつく暇を与えた。流水は隠し持っていた小刀を抜き放ち、迷うことなく実父の腹に突き入れた。
「ぐぁ・・・・・・っ!! くそ、餓鬼がぁあああああああ!」
「っ!」
ごり、と兼良の裏拳が流水の顔を穿ち、跳ね上げた。そして、兼良はその無防備な腹に前蹴りを突き込んだ。体をくの字に折り曲げて流水が弾け飛び、ごろごろと地面を転がるが、何回転かして、すぐに流水は立ち上がった。
「ちっ、しぶとい親父殿だ。そう思わんか、アズマ」
「ああ」
「本当に、我らの父は往生際が悪いよな」
「・・・・・・我ら?」
「ん?・・・・・・ああ、言ってなかったか。俺とお前は父を同じくする、腹違いの兄弟だ。俺が正妻の仔で、お前は鬼の仔だ」
「待て、俺も鬼なら、お前も鬼だろう?・・・・・・違うのか?」
「ああ、気にするのはそこか、お前。・・・・・・と、いうか、そこまで知らんのか」
「やめろ、流水!」
悲鳴のような兼良の声。それを嘲笑いながら、流水は言った。
「お前は、さっき母親を殺してきたろうが」
「・・・・・・俺は分家の餓鬼のはずだが」
父と母と兄と妹がいる。本家の凄惨さを嫌って離れた分家の家に俺は生まれたはずだ。先程殺したのは伯母だ。そして、今の目の前で死に掛けているのは伯父のはずだ。
「我が家では、たまにあるんだよ。実の兄弟姉妹が仔を為してしまうことが。意図的にそうして生むんだがな」
より濃い血を、より強い鬼を宿して生まれるようにと、秀でた兄弟姉妹が仔を為してそれを隠す。それが出来る時期を見計らって、仕込む。そういうものは守役だとか、殺し屋だとか、汚れ仕事に回され、より強い鬼を育む礎とする。
お前はそうして生まれて、隠された。何も知らぬまま業を与えられて、祖父を殺し、今日、母を殺し、父を見殺す。
「まさしく鬼の所業だな」
「・・・・・・そうか」
「思うところは?」
「ない」
「お前は本当に鬼だ」
「だが・・・・・・」
流水が静止の声を上げるが、無視して、兼良に肉薄する。
「見殺しはしない。俺が殺す」
「ぐっ!」
まだ刺さっていた小刀を更に掌で押し込み捻り、腕で銜えるように首を固めて地面に向かって捻りながら投げる。先程足に受けた音の衝撃が腕を叩く。ぐったりと動かない兼良を地面に投げ捨て、じっと流水を見据える。
何か文句でもあるのかと睨み付ける。
それに流水は肩を竦めて、嗤って見せた。