32
その日、俺は盛大に緊張していた。今日ほど家から出ていきたいと思ったことはない。
それは目の前にいる二人にしても同じこと・・・・・・だと、思っていた。
真賀陽介と、真賀夏菜子・・・・・・俺の「両親」は穏やかな笑みを浮かべて、俺の前に座っていた。本当に久しぶりに息子にあったことを喜ぶように。出雲は気を使ってはこの場にはいない。真賀本家の人間がここにいては重圧になるとでも思ってのことだろう。
「アズマ。病院に行けなくてすまなかった。どうしても仕事を外せなかったんだ」
「・・・・・別に、いい。気にしてない」
「本当に久しぶり。本家のお勤めで家を出て行ってから、一度も会いに来てくれないんだもの。連絡も、くれないし」
「ああ、それは・・・・・・」
「でも、よかった」
「・・・・・・?」
「ケガをしたって聞いて、心配だったの」
「ああ・・・・・・・」
「元気そうだし、大きくなったわ。親がなくても子は育つ、っていうのは本当ね。少し寂しいけれど・・・・・あなたにとっては良かったことなのかもね」
「そうだね、母さん」
そう言って「両親」は微笑んだ。それはとても眩しい笑みだ。兄妹もそれをしっかりと受け継いでいる。暖かい人たち。俺が、あえて距離をとった人たち。「真実」を知った俺には。俺にはとても重たいものでもあるが、俺はその笑みを見てほっとした。この人たちは変わらないのだと。人形のようだった俺に良くしてくれて、祖父に噛み付いたこともあると聞く。・・・・・・俺のために。
だから。
だからこそ、俺は「両親」の顔を見たくなかった。
与えられる温もりを偽物だと、そう思ってしまう俺には、彼らとともにいること事態が苦痛だった。
それが本物だと知っているのに、それを信じられない俺は、どうしようもなく歪んでいる。「真賀」として俺は産まれてしまったから。俺の中にある空虚を埋めるには、それでは足りないのだから。それを俺は知ってしまっている。けれど、俺はそんな自分が嫌いだ。
大嫌いなのだ。
「ああ、そうだ。お前、婚約したって聞いたぞ」
「・・・・・む?」
「流水が言っていたんだが、宮森悠美という子とそういう話が出たと。そのあと、俺は何も聞いてないんだが、どうなんだ?」
「いや、それは流水・・・・・・様が勝手に進めた話で、俺は・・・・・・・別に。そんなことはない」
「そうなのか? うーむ。良い話だと思うんだが」
「良い話?」
「だってお前、そういうのに縁がない、というか興味ないだろ。口下手だし。俺たち相手にもあまり喋らないし」
「そうよ。その子とは話をしたの? どう思ってるかとか」
「小此木さ・・・・・・悠美さんとはそういう話はしてない」
「お、その口ぶり、会ってはいるんだな」
「同じ大学の先輩だ。面識はある」
「ほうほう。じゃあ、他に親しい娘がいたりするのか?」
「それは・・・・・・・」
梓やユキオと、まぁそれなりに親しいと思う。とはいえ梓は友人だし、ユキオは喧嘩友達だ。ユキオに至っては一緒に仕事をするが、それだけだ。好みではあるが、男女の付き合いというのは想像できない。
「お父さん、これは怪しいわ」
「そうだね、母さん。アズマ、詳しい話を聞かせてくれ。いいよな? 時間はあるんだ。あ、どうだ。酒でも呑みながら」
陽介はそう言って、夏菜子に目配せした。心得たとばかりに夏菜子は土産から一升瓶を取り出して、何かを企むような笑みを浮かべた。
「呑めるんだろ? 陽司とはたまに呑むんだが。お前とも呑みたくてな」
「ああ・・・・・・それなら」
俺はグラスの位置を夏菜子に伝えて、肴が出来上がる前に、陽介と乾杯した。
しばらく呑み続け、一升瓶がなくなったころ、唐突にドアが開き、梓がいつものノリでひょっこりと顔を出した。入り口で出迎えた夏菜子に驚いた後、奥にいた陽介を見て目を丸くして、さすがにばつが悪そうな顔をした。
「やー・・・・・・ごめん。変な時に来ちゃったかな?」
「タイミングが悪い。・・・・・・せめて連絡をくれ、頼むから」
「ごめーん。で、この人たちってもしかして・・・・・・・」
「アズマの父です」
「アズマの母です」
どうぞよろしく、と言って「両親」は笑みを浮かべた。あはは、と苦笑しながら梓はぺこりと二人に頭を下げて、名乗った。
「大学の同期なんだね」
「はい、同じサークルで。えっと、アズマとは仲良くしてます、はい」
「へえ! それでアズマは学校ではどんな感じなの? そういうことアズマは教えてくれないから」
「えっと、あまり喋らないですけど、楽しそうにしてますよ」
「友達は?」
「えと・・・・・えぇっと・・・・・・」
いないものをいるとは言えず、さすがに梓は口ごもった。その様子を見ながら、俺はもう何も言うまいと強く誓った。墓穴を掘るのにはもう飽きた。
なので、梓に頑張ってもらおう。何を言っても俺は怒らないし関わらないからよろしく頼む。
そんな感じで梓がひらすら質問攻めにあったあと、二人は満足したのか取っていたホテルに上機嫌で帰って行った。ついでに明日、この辺りを見たいので案内するように言われた。俺に拒否権は一切なかった。彼らが満足して帰るまで、俺は安心することはないだろう。
「・・・・・・アズマ」
「ああ、お疲れさま。大丈夫か?」
「別に疲れてはないけど・・・・・・明日、気を付けて。あんまり出歩かないほうがいいと思う」
「? どういうことだ」
「十五時までには部屋に帰ったほうがいいと思う。えっと・・・・・・詳しくは説明できないんだけど、そうしないと良くないから」
「・・・・・・解った気を付けるよ」
あの二人が言うことを聞いてくれるかは定かではないが。梓がそう言うのなら、そうしよう。