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響き渡る声はどこまでも透き通っていて、まるでヴァイオリンの高音の旋律を思わせた。
その孫の姿を見て、その祖父は満足気に頷いていた。ようやく在るべき姿を見ることが出来たとでも言うように。
私はその姿に魅せられていた。
あの時の機械的なものとは違う。その人の個人の意思を見て、彼がようやくこの世界に生まれ落ちた瞬間を見て、魅入られていた。命を差し出す理由は理解出来なかったが、この瞬間、世界に嬉しいと咆哮するその姿からどうしても目を離せなかった。
祖母が見せたかったのはこれだったのだろうか。
そうなのだろう。きっと。
これを見てどう解釈するかは私の自由。
私もまた選択肢を得たのだと、そう思ったのは、これから少し経ってからだった。
梓の祖母が亡くなったのは、俺が病院から帰ってきてすぐのことだった。俺のことを視界の収めて、彼女は死んだ。梓がずっと泣いていたけど、俺は、その感覚が解らなくて、何も言えなかった。良い人だった。優しい人だった。俺にも優しくしてくれた。祖父もその時ばかり沈み込んでいた。死ぬと解っていても、それでも親しい人が死ねば、沈み込むものなのだな、と思った。
俺にもいつか解るのだろうか。
・・・・・・いや、解りたいと思う。
彼女の葬儀には、梓の父母も現れたが、彼らは梓に声をかけることをしなかった。香典を上げ、焼香してすぐに仕事があると言って出て行ってしまった。それを宿の主人も止めることはしなかった。梓も意図的に彼らを避けていたようだった。
逃げ、と言うよりは積極的に自分の意思を貫いているように見えた。
それから一週間そこにいたが、唐突に祖父が帰ると言い出した。名残惜しい気もしたが、いずれは帰らなければならないから、これが頃合いだったのだろうと思う。
荷物をまとめて、背負う。
「また来る?」
「・・・・・・」
解らない、と首を振った。
梓はその仕草を見て、何かを視て悲しげな微笑を浮かべた。子供が浮かべるような笑みではないと思ったが、俺は何も言わなかった。縁があればまた会える。その確信がある。
「解かった。うん・・・・・・でも、私のこと、忘れないでね?」
「・・・・・・うん」
頷いて踵を返す。祖父が呼んでいる。もう行かなくては。
祖父は今日はゆっくり歩いてくれるようで、俺は余裕をもってついていくことが出来た。
「アズマ」
「・・・・・・・?」
「あの時の感覚を忘れるなよ」
そっと俺の頭を祖父が撫でた。でも、その感触は俺ではなく、俺を通して別の誰かを見ているように思えた。その人に触れたいと、祖父は思ったのかもしれない。
それでも構わない。祖父が頭を撫でてくれたことなんてなかった。いつも振るわれるのは拳と蹴りだったから、これはこれで悪くないと思えた。たとえ、俺が誰かの代わりだったとしてもだ。
・・・・・祖父が見ていたのは史上最強の真賀。純血の中の純血にして真賀の全てを顕した完成品。白痴の鬼神と呼ばれた化け物。そして、俺の祖母。見たことも聞いたこともないがそれは俺が生まれる遥か前に死去していた。
そのことを俺が知ったのは、祖父も伯母も殺した後のことだった。
■■■
珍しくアズマが先に酒に弄ばれている姿が私の目の前にある。うつらうつらとしながら、壁に背を預けて酒を呑んでいる。やはり、怪我が治ってすぐではアルコール耐性も低くなっているのかもしれない、とふと思った。
その姿を見て、彼の幼いころを思い出していた。一か月も一緒にいたわけではないが、あの時の記憶は深く深く私の中に刻み込まれている。しかし、再会してみれば、私は一発で解かったのに、アズマの方は完璧にそして完全に私のことを忘れていた。
「ショックだったよ。まぁ、私も大分変ったけど。アズマも大分、壊れたね」
あの時の掌の傷はまだはっきりと残っている。身体中傷だらけで、私の知らない傷がたくさんあった。あれからどれだけ戦ったのだろう。今でも戦って嬉しいと思っているのだろうか。それとも苦しいと思っているのだろうか。
今のアズマの深奥はどこまでもぐちゃぐちゃで混沌している。私でも見渡せないほど、黒々としたものが渦巻いて全てを覆い隠している。子供のころはそれでも何を考えているかぐらいは視えたのだが。
そのおかげで、あの時のアズマの気持ちをトレースすることが出来る。何を思って、どんな風に行動したのか、私には解かる。
その思考プロセスにおいて、本当にそう考えていたのかは解からない。感情と感覚を抑え込まれた状態でアズマは人形のように生きていたから、文字として思考はしていなかったのは間違いない。それに私は言葉を与えただけだ。そもそもアズマはあの時、鴻上と戦うまで一言だって喋ったことはなかった。
だから、あのモノローグが正しいとは限らない。
アズマはそれを語らないし、私も聞いたことはない。直接は。
「ま、いいよ、今は近くにいるしね」
寝息を立てるアズマの頬を撫で、私は微笑を浮かべた。