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良く解らないところで下されて、祖父の背中を追って歩く。長く歩くぞ、と言って祖父は俺のことを鑑みない速度で歩き出す。山歩きの時と一緒だ。必死に祖父にくっついて歩いていくだけの、鍛錬。ただついていくだけで疲労困憊して、へとへとになる。

そのあと決まって山中を使った組手をする。駆け回り、周囲にあるものを使って祖父の動きを止める訓練。

今回もそうなるのだろうと思ったが違った。

歩く距離はいつもよりも多少長かったが、その先はなかった。

ついたのは本家の屋敷のような家で、祖父が言うには温泉宿だという。・・・・・・けど、俺は温泉宿というものを知らない。とはいえ、それを聞くのも野暮かと思い、黙って祖父についていくことにする。


「おーう、文雄! 来たぞ!」


対応に現れた若い仲居を無視して、祖父は声を張り上げた。人がいる受付の奥から、ばたばたとスーツ姿の老人が現れて、呆気にとられる仲居を無視して祖父を強く睨み付けた。


「てめぇ、雷蔵!」

「おー。久しぶりだな、文雄」

「でかい声を出すな。聞こえてる・・・・・・くそ、また来たのか・・・・・!」

「そりゃあ来るさ。呼ばれたからな」


嬉しいだろ、とにこにこと笑う祖父と苦々しげにしている老人。対照的だが、仲が悪そうには決して見えない不思議がある。


「・・・・・その子は?」

「孫だ。可愛くないぞ」

「何言ってんだ、てめぇは。・・・・・・どうやってここまで来た」


俺の顔を見た、老人は眉を顰めて、低い声で聞いてきた。


「ちょっと遠めの駅から徒歩だ」

「てめぇの歩みでか」

「ああ。鍛錬の一環だな」

「・・・・・・・・部屋は用意してある。ついて来い」


小さい子が歩く距離じゃないぞ、と老人は苦言を呈した。祖父といえばニヤニヤと笑いながら、それを聞き流していた。老人はそれを見て青筋を立てながら、俺が背負っていた荷物を奪い取った。

奪われた荷物を取り返そうとしたら、祖父が止めろ、と静かに言った。伸びかけた手と動きかけた脚が止まる。あれは仕事だ。祖父がそう言って笑った。

仕事は大事だ。

人の仕事を奪ってはいけない。そう、伯母が言っていた。同時に、人に仕事を押し付けてもいけないと。一度引き受けたのなら、最後までそれを全うするのが筋だと。

案内された部屋は、老人の態度とは裏腹の立派な部屋で、二十畳ほどもありそうだった。祖父は部屋の中央にどっかりと腰を下ろして旨そうにタバコを呑み始めたが、俺はやることがなかったので部屋の隅でじっと立っていた。まだ祖父は鍛錬の終わりを告げていない。だから、俺はじっとしている。じっとするのも、鍛錬のひとつだから。


「アズマ、中を見て回って来い。地理を把握しろ」


頷いて、俺は静かに部屋を出た。

言われた通り、外に出ると、また老人の怒号が部屋から聞こえた。あの老人は仕事に熱心すぎて、いろいろと我を忘れやすいようだと思った。

部屋がたくさんある。本家のお屋敷とは、部屋の割り当てが違うのは、ここが商いを行う場所だからなのだろう。でも、どの部屋にも人の気配はない。

襖を開けるまでもなく、それは解る。

だから、奥まった部屋から漂う気配は、隠しようがない。

甘ったるい、果実の、腐るような匂い。

・・・・・・死の匂い。

命を奪われるのではなく、その命の期限を全うしようとする間際の香り。追い詰められていない、穏やかな香り。人生を、満足していく時の香り。

足を止めて、その襖を僅かに見上げると、勢いよく襖が開かれた。

黒の多い髪を後ろでまとめた壮年の女性が顔を出した。口元には優しい微笑が浮かんでいて、俺を見下ろす瞳はどこまで透き通っていて、思慮の深さが垣間見える。深淵を覗き込んでも、きっと彼女はその先にいる化け物にも笑いかけられるんじゃないかと思う。

けれど、死の香りはこの壮年の女性から漂っている。


「こんにちは、アズマくん。あなたに会いたかったのよ」


おいで、と言われて俺は素直についていった。

座って、と言われて、小さなちゃぶ台の前に腰を下ろす。壮年の女性は実に手際よく飲み物を用意して、俺の前に置いた。


「雷蔵には似てないわね。無口で、素直。捻くれてない。お母様にもお父様にも似てないみたい」


よく言われることだ。俺は両親にも兄妹にも似ていない。この人は俺の両親のことを知っているのだろうか。


「雷蔵をここに呼んだのは私なの。あなたを外に出すことを、雷蔵も考えていたろうから。あの環境はあなたを閉じ込めるだけだもの」


探るように見る俺の視線を真正面から受け止めて、壮年の女性は笑う。


「もう少し待ってね。あと少しで、あなたに会わせたい子が来るから」

「・・・・・・?」


壮年の女性がそう言った直後、ぎしり、と床がきしむ音が聞こえた。それは部屋の前で止まり、勢いよく襖を開けた。体が動きそうになった直後、壮年の女性が大丈夫よ、と俺の機先を制するように言ってきた。俺はそれで、動けなくなっていた。


「おばあちゃん、その子・・・・・・・は、」


どこまでも深い蒼を思わせる瞳が小刻みに揺れている。その持ち主の少女は俺をじっと見下ろして、動かなかった。


「この子は私の孫でね、梓って言うの。仲良くしてあげて、アズマくん」

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