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私が覚えている、少しばかり古い話をしよう・・・・・・・
「アズマ、アズマ!」
遠くから祖父の声が聞こえる。伯母は包丁を握る手を止めて、頭痛を堪えるように片目を閉じた。
「・・・・・・お父さんったら・・・・・・また騒いで・・・・・・」
小さくため息をついて、伯母は俺の方を見た。晩飯の鶏の首根っこをがっちりと掴んだままの俺に、そのまま行きなさい、とまたため息と一緒に伯母は言った。
なので、暴れる鶏を片手にぶらぶらと祖父がいるであろう社殿に向かう。何か思いついたとき、何かをしようとするとき、祖父はそこで少しだけ考える時間を取るからだ。案の定、祖父はそこにいて、暴れる鶏を片手に立つ俺を見て、怪訝そうな顔をした後、苦笑を浮かべて、絞めろ、と言った。
鶏の首を捻りあげ、社殿の前の石畳に捨てた。
「アズマ、肉を粗末に扱うな」
祖父は苦笑を浮かべて、腰から小刀を抜いて俺の足元に投げつけた。それを拾い上げ、鶏に向き直る。肛門の周囲の肉に刃を入れ、刃先をくるりと回し、体から切り離す。少し引っ張るとするすると内臓がそれにつられて出てくる。ふと、首を裂くの忘れていたのを思い出して、動脈に刃を入れる。
それを見て、祖父は今日の肉は血の味がしそうだな、とぼやいた。
「アズマ、お前いくつになった?」
祖父の質問の意図が解らず、小首を傾げる。
「ああ、いや、いくつもでいい。お前もそろそろ頃合いだ。明日から、外に出る。お前も連れて行く。準備しろ。いいな?」
「・・・・・・お父さん! 何事かと思えば・・・・・っ! アズマはまだ十なのよ!」
台所仕事がひと段落ついたのだろう、伯母が顔を出して、祖父の突拍子のない言葉にヒステリックに反論した。ちゃっかりと血抜きの終わった鶏を抱えている。
「お、東湖。そうかそうか、アズマは十か。ならもういいだろ」
「それよりも、ここの守役である、お父さんが旅に出るというのは・・・・・・」
「お前はまじめだなぁ。ここの名代は実質お前に譲った。代役を置けば、ここを離れていいってことになってんだよ、俺はな。文句あるか」
「大有りです!」
「ぁあ?」
ドヤ顔を決めた後の反論で、祖父は格好をつけそこなった形になり、間抜けな顔をさらした。伯母は大真面目な顔のまま、
「アズマの修練はきっちりと組んであるんです。急なことをされたら予定が崩れます!」
そんなことをのたまい、祖父を呆気にとらせた。
「・・・・・・予定ってお前なぁ・・・・・・・そんなもんはどうにでもなるだろ。今、大事なのは、こいつが外に出られるのか出られないのかってことで、もう充分、出来るだろ?」
「・・・・・・それは、身を守ることぐらいは・・・・・・」
「ならいい。アズマ、準備しろ」
動けない俺に、祖父は微笑みかけ、山に入るのと同じ準備だ、と言った。俺はうなずきを返して、与えられた部屋に向かった。後ろからは伯母の怒声が響いていた。
てっきり近場の山にでも入るのかと思ったのだが、里に下りてすぐ祖父は俺に里の学校の子らが来ているのと似たような服を買い与えた。俺は道着と山服しか持っていなかったからだ。忘れてた、という祖父の言葉が印象的だった。そのまま電車に乗せられてゆらりゆらりと進み、新幹線に投げ込まれて一気に距離を稼いだ。
「・・・・・・お前はこんな時もはしゃがんのだな。子供甲斐のない奴だ」
放っておけと思った。
それにしても、この道の先はどこに続くのだろう。ぼう、と窓から外を眺めていると、祖父は酒を飲み始めた。ウィスキーの瓶をラッパ飲み。いかれた呑み方だが、これで祖父が意識を失くしたこともないから、きっと祖父に合っているのだろうと思う。
「東海の馴染の宿に行く」
俺の疑問を察したのか、独り言のように祖父は言った。
「どうにも馴染が俺に用があるらしい」
そんな用だけで祖父が足を運ぶとは・・・・・・いや、祖父は腰の軽い人だから。何か理由があれば、喜んでこれ幸いにとどこにでも行くだろうけども。
どんな用なのか楽しみだと、祖父は子供のような笑顔で言った。これは、ろくでもない笑みだ。この笑みが浮かぶときは大抵血生臭くなる。血の匂いは嫌いじゃないが、それだって限度というものがある。祖父のそれは限度を超えていることが大半だ。
だが、別にいやだというわけではない。どちらかといえば、どうでもいい、と言ってしまってもいい。興味がない。祖父の楽しみは理解できないし、俺に出来るのは身を守ることだけで、それ以上は出来ないし、やろうとも思っていない。
「お前は楽しいことがないのかね? にこりともしねぇ。学校も楽しくないんだろ。どうせ友達もいないだろうし。・・・・・・・東湖の鍛錬計画じゃ、そんな暇もねぇか」
呆れと共に語れる言葉に、俺は何の反応もできない。ただ首を傾げる。それを見て、祖父は俺から視線をそらし、天井を見上げてウィスキーを煽った。そうして、深い深い憐憫のこもった息を吐き出した。